第五章 大本営へカチコミ
凱旋のダコタ(空からの強行突破)
ゴォォォォォォォ……ッ!
昭和19年、秋。
帝都・東京の空を、聞き慣れない重低音の双発エンジンが引き裂いていた。
機体は、大日本帝国陸軍の主力である一〇〇式輸送機ではない。インパールの飛行場でイギリス軍から無傷で接収した、最新鋭の『ダコタ(ダグラスC-47)輸送機』である。
その巨大な機体は、東京郊外の立川陸軍飛行場へ向けて、一切の無線応答をしないまま強行着陸の態勢に入っていた。
「……見えてきたぜ。俺たちの腐りきった『シマ(帝都)』がな」
ダコタの薄暗い貨物室。
坂上真一(牟田口)は、インパールから持ち帰った『プレイヤーズ』のタバコを深く吸い込み、紫煙を吐き出した。
彼の周囲には、インパールの死線を共に潜り抜けた五十名の決死隊(元ヤンコマンドー)が、鹵獲したトンプソン・サブマシンガンやククリ刀を手に、獰猛な笑みを浮かべて待機している。
「総長(閣下)。下で憲兵の犬どもが、ウジャウジャと待ち構えてますぜ」
元・浅草のヤクザである分隊長が、丸窓から眼下の滑走路を見下ろしてニヤリと笑う。
「当然だ」
坂上は、傍らに置かれた『鉄パイプ』を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。
「大本営の馬鹿どもにしてみりゃ、俺は『玉砕の命令を無視して、勝手に敵と交渉した反逆者』だからな。……インパールの十万のイギリス軍を無傷で降伏させたなんて事実、奴らのちっぽけなメンツが許すわけがねぇ。ここで俺を秘密裏に暗殺して、すべてを闇に葬るつもりだろうよ」
現代の防衛省J5で、永田町の政治家たちと権力闘争を繰り広げてきた坂上にとって、昭和の軍官僚が考える隠蔽工作など、幼稚園児の泥遊びより見え透いていた。
「……だが、俺は素直にお縄につくようなお利口な官僚じゃねぇ。喧嘩の仕方を、東京のジジイ共に教えてやる」
キキィィィィッ!!
ダコタの車輪が立川飛行場の滑走路に接地し、凄まじい摩擦音と共に機体が減速していく。
* * *
「来たぞッ! 目標が着陸した!」
「全車、機体を包囲しろ! ネズミ一匹逃がすな!!」
滑走路で待ち構えていたのは、黒い軍服に身を包んだ、およそ二百名の憲兵隊(MP)であった。
機関銃を搭載した装甲車が数台、ダコタの機首と翼を完全に塞ぐように急停車する。
「……牟田口の奴め。狂いおって」
憲兵隊を指揮する大本営の参謀将校が、冷酷な目で輸送機を睨みつけた。
彼の懐には、東條英機をはじめとする軍部トップからの『牟田口廉也、反逆罪による即決処分の許可証』がねじ込まれている。
降伏などさせる気はない。扉が開いた瞬間、機内へ一斉射撃を浴びせて「抵抗したため射殺した」という既成事実を作る手はずだった。
「構えッ!!」
将校の号令で、二百名の憲兵が一斉に小銃と機関銃のボルトを引いた。
プシューッ……。
ダコタの側面の巨大な貨物扉が、重々しい音を立てて開く。
「撃てェェェッ!!」
将校が絶叫した、その瞬間。
――ドゴォォォォンッ!!!
機内から飛び出してきたのは、銃弾ではなく、巨大な『木箱』であった。
装甲車のボンネットに激突した木箱が砕け散り、中から大量の「何か」が滑走路にぶちまけられる。
「な、なんだ!? 爆弾か!?」
憲兵たちが怯み、反射的に射撃姿勢を崩した。
だが、滑走路に転がったのは爆発物ではない。
赤と白のパッケージ。大英帝国が誇る最高級の『コンビーフ缶』、そして、純白の『精米(白米)』の詰まった麻袋であった。
「……なんだ、これは……」
連日の配給制限で、大豆の搾りかすやサツマイモの蔓しか食べていなかった憲兵たちが、その信じられないほど暴力的な『肉の匂い』と『白米』を前に、完全に動きを止めてしまった。
「……撃つのが遅ぇよ。三流ども」
静まり返った滑走路に、地獄の底から響くような、重く冷徹な声が落ちた。
貨物扉のタラップ。
逆光を背負って立っていたのは、泥と硝煙の匂いを染み込ませた軍用外套を羽織り、右手に無骨な『鉄パイプ』を提げた巨漢――坂上真一であった。
背後に控える五十名のコマンドー部隊から放たれる殺気は、インパールで何千人というイギリス兵を血祭りにあげてきた、本物の『死のオーラ』である。
ぬるま湯の帝都で威張っていただけの憲兵たちなど、蛇に睨まれた蛙のように一歩も動けなくなっていた。
「む、牟田口廉也中将! 貴官を、抗命および利敵行為の反逆罪で拘束する! 抵抗すれば射殺だ!」
参謀将校が、震える声でサーベルを抜き放った。
だが、坂上は嗤った。
喉の奥で、クククッと。嘲るように。
「拘束? 反逆罪? ……寝言は自分のデスクでこいてろ、大本営の犬が」
坂上は、ゆっくりとタラップを降り、参謀将校の目の前まで歩み寄った。
その体格差と、現代のCQB(近接戦闘)で鍛え上げられた無駄のない歩法。将校は恐怖のあまり、後ずさりしそうになるのを必死に堪えた。
「俺をここで秘密裏に消して、『インパールは玉砕した』って嘘八百の大本営発表を流すつもりだろうが……遅ぇんだよ」
坂上は、懐から一枚の『紙切れ』を取り出し、将校の顔面に叩きつけた。
「……な、なんだこれは……ッ!?」
紙切れを見た将校の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
それは、今朝の『帝都日報(新聞)』の号外。
見出しには、特大の活字でこう踊っていた。
『インパール完全制圧!! 牟田口将軍、十万の英軍を無血降伏せしむ!!』
『大英帝国の食料と物資を大量接収! 帝都の空から、勝利の白米が降る!!』
「ば、馬鹿な……!? 検閲を通さずに、どうやって新聞社にこんな記事を……!?」
「イージスの情報戦を舐めるなよ」
坂上は、タバコの煙を将校の顔に吹きかけた。
「一昨日、インパールからイギリス軍の強力な長距離無線を使って、同盟国のドイツ、中立国のスイス、そして帝都の全新聞社の輪転機に直接『スリム降伏の証拠写真』と『真実』をばら撒いておいた。……お前らが俺を暗殺するより早く、俺は『世論』を味方につけたんだよ」
将校の背筋が凍りついた。
国民が真実を知ってしまった以上、この場で「インパールの英雄」を射殺すれば、軍部そのものが国民からの暴動に遭う。
大本営の隠蔽工作は、物理的な弾丸ではなく、現代の情報戦によって完全に「詰み(チェックメイト)」にされていたのだ。
「……おい、犬ども。耳の穴かっぽじってよく聞け」
坂上は、飛行場の外――正門の向こう側から聞こえてくる、地鳴りのような「大群衆の歓声」に向けて、鉄パイプを突きつけた。
「俺は今から、腹を空かせた東京の市民(シマの連中)に、本物の『肉』と『白米』を配りに行く。……俺の前に立つ奴は、大本営だろうが憲兵だろうが、全員この鉄パイプで頭(カチ割)るぞ」
圧倒的な暴力と、完璧な情報統制。
理性の化け物が仕掛けた『情報のクーデター』が、狂った帝都の常識を根底からひっくり返そうとしていた。




