EP 10
インパール無血開城(第4章・完)
「……私の、負けだ」
インパール第14軍司令部、司令官室。
ウィリアム・スリム中将の口から絞り出されたその一言は、分厚い絨毯に吸い込まれるように、ひどく虚ろに響いた。
彼の眼前に座る巨漢――坂上真一(牟田口)は、吸い殻を灰皿に押し付けると、ゆっくりと立ち上がった。
「賢明な判断だ、スリム。大英帝国の将軍が、メンツより十万の兵の命を優先したんだ。……その決断は、いずれお前の国の歴史が評価してやるさ」
坂上は、血濡れた鉄パイプを肩に担ぎ直し、踵を返した。
「夜明けと共に、全軍に武装解除を命じろ。武器と弾薬は一箇所に集め、兵士は兵舎に待機。……一人でも俺の若い衆(部下)に銃を向ける馬鹿がいれば、約束は反故だ。十万のネズミごと、この街を更地にする」
背中越しに放たれた、絶対的な冷酷さを含んだ宣告。
スリムは、ただ無言で首を縦に振ることしかできなかった。大英帝国が東洋の島国に喫した、最も屈辱的で、しかし最も「理にかなった」完全なる敗北であった。
* * *
翌朝。
インパール平原を覆っていた分厚い人工煙幕が晴れ、熱帯の強烈な太陽が、市街地を照らし出した。
かつてイギリスの植民地支配の象徴であった総督府の屋上に、純白に赤く染め抜かれた日章旗が、風を受けて高々と翻る。
「おおおおおッ……!!」
「インパールだ! 俺たちはインパールを落としたぞォォォッ!!」
市街地へとなだれ込んできた第15軍の将兵たちから、地鳴りのような歓声が沸き起こった。
史実の「白骨街道」を歩くはずだった彼らの姿は、そこにはない。
イギリス軍の巨大な倉庫から接収したばかりの新しい軍服、豊富な食料、そして何より、誰一人として飢えや病に倒れることなく「生きてこの地に立った」という絶対的な熱狂が、インパールの街を支配していた。
「見ろ、イギリス兵どもが震え上がってやがる!」
「へへっ、大英帝国の坊ちゃん共。俺たちが泥水すすって死ぬとでも思ってたか!」
武装解除され、広場に集められた十万のイギリス兵たちは、整然と行進してくる日本兵たちの分厚い筋肉と、圧倒的な覇気を見て、信じられないものを見るように息を呑んでいた。
彼らは飢えた野蛮人などではない。完璧な兵站と規律を維持し、大英帝国の物量を情報と戦術で完全に凌駕した、最強の近代軍隊であった。
「……閣下。やりましたな」
総督府のバルコニー。
佐藤賢了師団長と久野村参謀長が、感極まった顔で眼下の光景を見下ろしていた。
「十万の敵を、ほぼ無傷で降伏させ、インパールのインフラを完全に手中に収めました。……閣下はまさに、戦の神であられる! これで、ビルマ戦線は我々の絶対的な勝利です!」
佐藤が興奮冷めやらぬ声で叫ぶ。
だが、そのバルコニーの中心で。
奪い取ったばかりのイギリス製高級コーヒーメーカーで淹れた、極上のブラックコーヒーを啜っている坂上真一の顔には、完全な勝利の喜びなど微塵も浮かんでいなかった。
「……浮かれるなよ、佐藤。久野村」
坂上のドス黒い声に、二人の将官がビクッと肩を震わせる。
「イギリスのクソガキどもを追い払ったのは、ただの『準備運動』だ。……俺たちが落としたこの街を、今一番面白くねぇと思ってる連中が、東の海の向こうにいるのを忘れたか?」
坂上は、マグカップを置き、冷たい目で東の空――はるか数千キロ先にある帝都・東京の方角を睨み据えた。
大本営。
安全な机の上で鉛筆を舐め、精神論だけで何十万という若者を死地に追いやる、無能で強欲な「三流の官僚ども」の巣窟。
「辻政信を病院送りにし、後方の兵站監を便所掃除に落とした。……大本営の面子は丸潰れだ。俺たちがここで無傷の勝利を収めれば収めるほど、東京の馬鹿どもは俺たちを『命令無視の反乱軍』として処理しようと動くだろうぜ」
「なっ……!? ま、まさか……我々はこれほどの大戦果を挙げたのですよ!? それを反乱軍などと……!」
久野村が青ざめる。
「そういう組織なんだよ、日本軍ってのはな」
防衛省J5において、政治家と霞が関のドロドロの権力闘争を生き抜いてきた坂上にとって、そんなことは火を見るよりも明らかだった。
「イギリス軍は物理的に殺せた。だが、組織のガン細胞は、外から大砲を撃ったくらいじゃ死なねぇ。……直接、その脳天(中枢)に『理合』と『鉄パイプ』をブチ込んでやる必要がある」
坂上は、愛用の鉄パイプを軽く手のひらで叩き、獰猛な笑みを浮かべた。
それは、大英帝国を震え上がらせた「死神」の顔を超えた、この腐りきった国そのものをひっくり返そうとする「極悪の革命家」の顔であった。
「さあ、インパールのメシとコーヒーをたらふく食って、英気を養え。……次は、東京(大本営)のカチコミだ」
昭和19年。
歴史のターニングポイントとなったインパールの地で、大英帝国との戦いは、完全なる日本の勝利で幕を閉じた。
だが、理性の化け物にして最凶の元ヤン総長・坂上真一にとっての『本当の戦争』は、これから始まろうとしていた。
狙うは、大日本帝国の中枢。
腐敗した軍部を完全に制圧し、この狂った戦争を「最も安上がり(低コスト)」に終わらせるための、前代未聞の内部闘争の火蓋が、今ここに切られようとしていた。




