EP 9
チェックメイト(司令官室の対峙と、理性的な野蛮人)
ドゴォォォォンッ!!!
インパール第14軍司令部、正面玄関の重厚な扉が吹き飛んだ瞬間。
ロビーに詰めていた十数名の憲兵(MP)たちは、何が起きたのか理解するのに一瞬遅れた。
「なっ、敵襲!? どこから入った!?」
「撃てッ! 侵入者を排除しろ!!」
憲兵たちが慌ててサブマシンガンを構えようとする。だが、その指が引き金にかかるよりも早く、土足で踏み込んできた泥だらけの巨漢が、間合いをゼロにしていた。
ヒュンッ!!
坂上真一(牟田口)が振るった鉄パイプが、生き物のようにしなり、先頭の憲兵の顎を砕き、返す刀で二人目のこめかみをヘルメットごと陥没させた。
「……遅ぇよ、新入り」
北辰一刀流の体捌き。無駄な力みは一切ない。最小限の動きで、最大限の破壊力を急所に叩き込む。
それとほぼ同時に、四方の窓ガラスを突き破って雪崩れ込んだ五十人の決死隊が、ククリ刀と銃剣で残りの憲兵たちを音もなく「処理」していく。
「ガッ……!?」
「ひぎぃ……!」
断末魔すら上げさせない。
坂上が予告した通り、わずか5秒。大英帝国の心臓部は、完璧な静寂に包まれた。
「……総長(閣下)。掃除完了です」
分隊長が、血を拭いもせずにニヤリと笑う。
「ああ。お前らは外を固めろ。ネズミ一匹逃がすなよ」
坂上は、鉄パイプを肩に担ぎ直し、ロビーの奥にある、ひときわ重厚なマホガニーの扉――『司令官室』へとゆっくりと歩み寄った。
* * *
バンッ!!
司令官室の扉が乱暴に開け放たれた。
「動くなッ!!」
部屋の中にいた副官のスティーブンス大佐が、震える手でウェブリー・リボルバーを構えた。
その背後、執務デスクの前には、顔面蒼白になったウィリアム・スリム中将が立ち尽くしている。
彼らの目に映ったのは、泥と返り血にまみれた軍用外套を羽織り、赤錆びた鉄パイプを提げた、東洋の巨漢だった。
「き、貴様……何者だ! ここを大英帝国の司令部と知っての狼藉か!」
スティーブンスが叫ぶ。だが、その銃口は恐怖で定まらない。
坂上は、銃口を向けられたまま、気怠そうに一歩踏み出した。
「……そのオモチャ、危ねぇからしまっとけよ、坊ちゃん」
「ひっ!?」
スティーブンスが反射的に引き金を引こうとした、その刹那。
坂上の左手が、蛇が噛みつくような速度でスティーブンスの手首を掴み、逆関節に捻り上げていた。
ボキィッ!!
「ぎゃあァァァッ!?」
手首を粉砕され、リボルバーが床に落ちる。坂上は悲鳴を上げるスティーブンスをゴミのように蹴り飛ばすと、そのままスリム中将の目の前まで歩み寄った。
そして。
あろうことか、スリムが座っていた高級な革張りの司令官椅子に、どっかりと腰を下ろしたのである。
「……っ!! 貴様、無礼な……ッ!」
スリムが屈辱に顔を歪める。
だが、坂上は意に介さず、胸ポケットから奪い取った『プレイヤーズ』のタバコを取り出し、スリムのデスクにあったライターで火を点けた。
深く吸い込み、紫煙をスリムの顔に向けて吐き出す。
「……礼を言うぜ、スリム中将。お前の補給倉庫から失敬したタバコだが、なかなか上質だった」
スリムは、耳を疑った。
目の前の泥だらけの野蛮人が、完璧なクイーンズ・イングリッシュで話しかけてきたのだ。
「き、貴様……まさか、ムタグチなのか? 報告書にあった、無能な精神論者というのは……」
「ああ。俺が第15軍司令官、牟田口だ」
坂上は、タバコを指に挟んだまま、氷のように冷徹な目でスリムを見上げた。
その瞳の奥には、報告書にあったような狂気や無能さは微塵もない。あるのは、現代の防衛省で国家の安全保障を設計してきた、底知れぬ『知性』と『合理性』の光だけだった。
「スリム中将。状況を整理してやろうか」
坂上は、デスクの上に広げられていたインパールの地図を、鉄パイプの先端でコンコンと叩いた。
「北のコヒマは落ちた。空からの補給は俺の煙幕と対空陣地が封じている。お前の手元には、腹を空かせた十万の兵隊と、わずか二週間分の食料しかない。……そして今、お前の喉元には俺の鉄パイプが突きつけられている」
淡々とした、事務的な口調。
だが、それがスリムにとっては、いかなる恫喝よりも恐ろしかった。この男は、感情ではなく、純粋な『数式』として、こちらの敗北を証明しているのだ。
「……私を殺す気か」
スリムが、かすれた声で問う。
「殺してどうなる。代わりの司令官が来て、無駄な消耗戦が続くだけだ」
坂上は、タバコの灰をスリムの大切にしていた灰皿に落とした。
「俺が欲しいのは、お前の首じゃねぇ。このインパールの街と、飛行場、そして道路網だ。……戦後のことを考えりゃ、こんなところで餓死者の山を築いてインフラをダメにするのは、コストに見合わねぇんだよ」
「コスト、だと……?」
「ああ。だから取引だ、スリム」
坂上は、ゆっくりと立ち上がり、その巨大な体躯でスリムを見下ろした。
背中の『阿吽の仁王像』が見えざる威圧感を放ち、部屋の空気が重く歪む。
「今すぐ全軍に武装解除を命じろ。インパールを無血開城しろ。そうすれば、十万の兵士の命と、彼らが日本へ帰るまでの食い扶持くらいは保証してやる」
それは、慈悲ではない。
圧倒的な強者が、敗者に対して突きつける、絶対的な『管理通告』であった。
「……もし、断れば?」
スリムが、最後の意地で問い返す。
坂上は、ニヤリと獰猛に笑い、鉄パイプを肩に担いだ。
「その時は、お前が餓死するまで、この部屋で俺がタバコを吸い続けてやるよ。……外では、腹を空かせたお前の部下たちが、暴動を起こして共食いを始めるだろうがな」
「…………ッ!!」
スリムの膝が、ガクガクと震え始めた。
物理的な暴力と、逃げ場のない論理的詰将棋。
目の前にいるのは、野蛮人ではない。大英帝国の誇る騎士道精神や常識が一切通用しない、現代から来た『理性の化け物』なのだと、スリムは完全に理解した。
「……チェックメイトだ。スリム」
坂上の宣告が、司令官室に響き渡った。
大英帝国の名将のプライドが、音を立てて砕け散った瞬間であった。




