EP 7
絞め殺しの輪(反転する飢餓と、死神の夜這い)
「……食料の備蓄は、もってあと二週間。弾薬の補充は絶望的です」
インパール市街地、イギリス第14軍地下司令部。
副官スティーブンスの報告は、まるで死刑宣告のように冷たく、薄暗い部屋に響き渡った。
北の要衝・コヒマが、わずか三日で陥落した。
インド本土からの陸路は完全に遮断され、インパール平原に展開していたイギリス軍およそ十万の将兵は、完璧な『陸の孤島』へと閉じ込められたのだ。
「空からの落下傘補給は不可能なのか!?」
スリム中将が、充血した目でデスクを叩く。
「不可能です! 日本軍がジャングルの縁で焚き続けている『巨大な煙幕』と、正確無比な対空陣地のせいで、輸送機が近づけません。……昨日もダコタ輸送機が三機、煙の中から飛んできた対空砲火の『置き撃ち』の餌食になりました」
スティーブンスは、絶望に顔を歪めた。
空も、陸も、完全に塞がれた。
「……馬鹿な。十万の軍勢だぞ」
スリムは、震える手で頭を抱えた。
「十万の胃袋が、毎日どれだけのカロリーを消費するか……計算するまでもない。このままでは、一ヶ月も経たずに全軍が飢えと病で崩壊する」
史実において、日本軍の『インパール作戦』を崩壊させた最大の要因。
それはイギリス軍の火力ではなく、無謀な兵站が生み出した「餓死」と「マラリア」であった。
しかし今、現代の防衛省J5出身のアーキテクト(坂上真一)が盤面を支配したことで、その『白骨街道』のベクトルは、完全に大英帝国へと裏返っていた。
「……我々が、ジャングルの野蛮人どもに『兵糧攻め』にされているというのか……ッ!」
大英帝国の誇る名将は、胃を握り潰されるような恐怖と屈辱に、ギリッと奥歯を噛み割らんばかりに食いしばった。
* * *
一方、インパール市街を見下ろす丘陵地帯。
第15軍の前線観測所では、坂上真一(牟田口)が、イギリス軍から奪った最高級のコーヒーを優雅に啜っていた。
「……インパール市内の灯りが、極端に減りましたな」
双眼鏡を覗いていた久野村参謀長が、冷笑を浮かべて報告する。
「発電用の重油をケチり始めた証拠です。無線も、暗号をかける余裕すらないのか、平文で『食料を送れ』『配給のビスケットが減った』と泣き言ばかりが飛び交っております」
「当然だ。十万の兵隊を養う兵站線をぶった切られたんだ。今頃スリムの坊ちゃんは、電卓を叩いて胃に穴を開けてるだろうよ」
坂上は、マグカップを置き、プレイヤーズのタバコに火を点けた。
紫煙を吐き出しながら、眼下に広がる巨大な都市――インパールを見下ろす。
敵は完全に袋のネズミだ。このまま数ヶ月包囲を続ければ、イギリス軍は一発の弾丸も撃つことなく、飢えと内乱で自滅する。
……だが。
「……さて。包囲網は完成したが、このまま『待ち』に入るのは下策だな」
坂上の言葉に、久野村が怪訝な顔をした。
「下策、でありますか? しかし、放っておけば敵は勝手に餓死します。味方の血を流す必要はどこにも……」
「馬鹿野郎。戦争ってのはな、勝った後の『採算』まで計算してやるもんだ」
坂上は、J5のエリート官僚としての冷徹な目で、インパールのインフラ施設を指差した。
「あそこには、イギリスが莫大なカネをかけて整備した飛行場、道路、そして通信施設がある。……十万の兵隊が数ヶ月にわたって市街地で暴動を起こし、飢えと疫病が蔓延すれば、あの街は完全に『死の都』になる。インドの民間人(現地人)も巻き添えだ」
「あ……」
「俺たちは、大東亜共栄圏だのインド独立だのという『建前』を背負ってここまで来たんだ。戦後処理を考えれば、インパールの街と現地のインフラは、無傷で手に入れるに越したことはない」
防衛計画部で、数千億円の予算と国防の未来を設計してきた男にとって、無駄に時間をかけて価値のある都市を灰燼に帰すなど、愚の骨頂であった。
「それに……俺のタバコとコーヒーの在庫も、数ヶ月はもたねぇからな」
坂上は、ヤンキーのような獰猛な笑みを浮かべ、傍らに立てかけてあった『鉄パイプ』を手に取った。
「か、閣下! まさか……!?」
久野村が血相を変える。
「十万の飢えたネズミの相手をする必要はない。戦争を一番安上がり(低コスト)で終わらせる方法は、いつの時代も同じだ」
坂上は、分厚い軍用外套を羽織り、鉄パイプを肩に担いだ。
「――『敵の親玉』の首だけを、物理的に引っこ抜く」
その言葉と共に、背後の暗がりから、顔に泥を塗った五十人の精鋭たち――かつて重砲陣地をたった十数分で壊滅させた、元ヤンキーや極道上がりの『決死隊』が音もなく姿を現した。
「へへっ……総長(閣下)。準備は万端ですぜ。インパールのど真ん中、スリムの寝首を掻き切るってんでしょう?」
元・浅草のヤクザである分隊長が、血に飢えた獣のようにククリ刀を舐める。
「ああ。これより、インパール市街地・第14軍司令部への『夜這い』を決行する」
坂上は、咥えていたタバコをブーツの底で踏み消した。
「大英帝国の誇りごと、あの名将の心をへし折ってやる。……ついてこい、野郎ども」
雨季が明け、星月夜となったインパール平原。
最強の防衛システムを構築した現代の「理性の化け物」は今、その理性ゆえの最も暴力的な解決手段――『敵将への直接暗殺(斬首作戦)』へと、静かに歩みを進め始めた。




