EP 6
コヒマの陽動(猛将・佐藤の突進)
インパール平原の縁を覆い尽くす、ドラム缶と生木が放つドス黒い煙幕。
空を飛ぶイギリス軍の爆撃機から完全に視界を奪い、凄まじい防空の盾となったこの「環境兵器」には、実はもう一つの、さらに恐るべき『真の目的』が隠されていた。
「……手品の基本だ。観客の視線を、派手な煙と炎に釘付けにしておく」
煙幕の最前線から少し離れた、偽装網に覆われたジャングルの獣道。
坂上真一(牟田口)は、出撃の時を待つ第31師団の将兵たちを見渡し、ニヤリと笑った。
「その間に、背後に隠していた『本命の刃』を、敵の喉元に突きつける。……佐藤。お前の師団(若い衆)の腹の具合はどうだ」
「ハッ! イギリス製の高級コンビーフと白米で、兵たちの胃袋も士気もはち切れんばかりであります!」
佐藤賢了師団長が、獰猛な笑みを浮かべて軍刀の柄を叩いた。
彼の背後に整列する第31師団――およそ一万五千の兵士たちの姿は、史実のインパール作戦を知る者が見れば、腰を抜かして驚愕するだろう。
痩せこけた幽鬼のような姿はどこにもない。分厚い筋肉、血色の良い顔、そして足元には、グリスアップされ泥対策が完璧に施された『高機動型リヤカー』が何百台も連なっている。荷台には、弾薬と食料、そして奪い取った特効薬が山のように積まれていた。
「いいか、お前らの目標は目の前のインパールじゃねぇ」
坂上は、地図の北側――インパールとインド本土を繋ぐ唯一の補給路にして、絶対の要衝を指差した。
「北の『コヒマ』だ。……インパールのスリムが、正面の煙幕と泥沼に気を取られている隙に、ジャングルを北上してコヒマの守備隊を急襲しろ。そして、インド本土からの補給線を物理的にへし折ってこい」
「承知いたしました! 閣下(総長)の引いた完璧な兵站線があれば、ジャングルの行軍などピクニックも同然! コヒマの敵陣、三日で粉砕してご覧に入れます!」
「頼んだぞ。……大英帝国の命綱、きっちり断ち切ってこい」
坂上の号令と共に、猛将・佐藤率いる第31師団は、黒煙のカーテンの裏側を縫うようにして、恐るべき速度で北上を開始した。
* * *
数日後。インパール北方の要衝、コヒマ。
ここを守備するイギリス軍の駐屯地では、兵士たちが暢気にティータイムを楽しんでいた。
「インパール本隊からの無線の通りだな。日本軍は平原の入り口で煙幕を張り、完全に膠着状態に陥っているらしい」
「ああ。戦車も飛行機も使えない泥仕合だ。……まあ、我々には関係のない話だがな。ジャングルを何十キロも迂回して、このコヒマまで攻めてこれる体力など、あの飢えた野蛮人どもに残っているはずが――」
イギリス兵が、紅茶の入ったカップを口に運ぼうとした、その時。
ズガァァァァァァンッ!!!
突如として、駐屯地の正門が、凄まじい砲撃によって木端微塵に吹き飛ばされた。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
「馬鹿な! 日本軍の大砲だと!? こんな山奥まで、重火器を運んでこれるわけが……ッ!」
混乱するイギリス兵たちの視界に飛び込んできたのは、彼らの常識を完全に破壊する光景だった。
ジャングルの奥から、無数の日本兵が怒涛の如く雪崩れ込んでくる。
それも、飢餓でふらつく歩兵ではない。
何人もの兵士が息を合わせて引く『改造リヤカー』には、分解された九四式山砲や重機関銃が載せられ、瞬く間に組み立てられては、圧倒的な弾幕を駐屯地へと浴びせかけていた。
「ヒャッハー!! イギリスの坊ちゃん共、ティータイムは終わりだぜ!!」
「コンビーフの恩返しだ! たっぷり鉛玉を喰らわせてやる!」
血気盛んな日本兵たちの突撃は、完全に一方的な蹂躙であった。
カロリーを満たし、病魔の恐怖から解放された彼らの体力は、インパールの安全圏で油断しきっていたコヒマ守備隊を物理的に凌駕していたのだ。
「ひぃっ! ば、化け物だ! 奴ら、なんでこんなに元気なんだ!?」
イギリス軍の将校が、パニックを起こして拳銃を抜こうとする。
「――遅ぇッ!!」
その将校の懐に、猛獣のような速度で一人の男が踏み込んだ。
第31師団長、佐藤賢了である。
白刃が一閃。軍刀が、将校の拳銃ごと右腕を叩き斬り、そのままの勢いで司令部のテントを真っ二つに引き裂いた。
「我らは、牟田口司令官閣下の名において、この地を接収する!!」
佐藤が、血塗られた軍刀を天に掲げて咆哮した。
「抵抗する者は斬る! 降伏するなら、命と……ついでにその紅茶の残りだけは保証してやろう!!」
その悪鬼のごとき猛将の姿と、無尽蔵の弾薬で迫る日本兵の包囲を前に、コヒマ守備隊は完全に戦意を喪失した。
戦闘開始からわずか数時間。史実において、日本軍が数万の餓死者を出しながらついに落とせなかった「コヒマの要衝」は、あっけなく、そして完全に日本軍の手に落ちたのであった。
* * *
「……なんだと? もう一度言え」
インパール市街地、第14軍司令部。
スリム中将は、受話器を握りしめたまま、全身の血の気が引いていくのを感じていた。
「コ、コヒマが陥落しました! 正面の煙幕はただの陽動! 日本軍の主力一個師団が、完全な補給線を維持したまま北のジャングルを迂回し、我々の背後を突いたのです!!」
通信将校が、泣きそうな声で絶叫する。
「インド本土からの陸路は、完全に遮断されました。……我々は、インパールに『閉じ込められた』のです!!」
ガチャン、と。
スリムの手から受話器が滑り落ち、床に転がった。
史実において、日本軍を苦しめた最大の要因。それは「補給線の欠如」による飢餓と孤立であった。
だが今、イージス艦長の引いた盤面において、その『地獄のベクトル』は完全に反転したのだ。
(……ムタグチ。初めから、これが狙いだったのか)
スリムは、ガタガタと震える手で顔を覆った。
インパールに集結させた大英帝国の十数万の兵力。それは、補給線が健在であってこそ意味を持つ。
陸路を絶たれ、空からの補給も(坂上の対空トラップによって)ままならない今、インパールにいる数万のイギリス兵は、ただの「食料を消費する巨大な胃袋の群れ」へと成り下がった。
数万の兵士が、孤立した都市で、餓死の恐怖に怯えながら死を待つ。
それはまさに、スリムが日本軍に味わわせようとしていた地獄そのものであった。
「……完全に、包囲された」
大英帝国の名将は、薄暗い司令室の天井を仰ぎ見た。
インパール平原に張り巡らされた見えない「絞め殺しの輪」が、ギリギリと音を立てて、大英帝国の首を締め上げ始めていた。




