EP 6
泥濘の遭遇戦(魔改造兵器の咆哮)
じっとりとした熱帯の雨が、ジャングルの葉を叩き始めた。
ビルマとインドの国境地帯。第15軍が構築した『前進陣地』の最前線となる塹壕の中で、坂上真一(牟田口)は、粗悪な現地のタバコ葉を紙で巻き、火をつけていた。
「……不味いな。タイヤの焦げた臭いがする」
紫煙を吐き出しながら、坂上は独りごちた。
不味いが、ニコチンが脳のシナプスを強制的に起動させる。
この焦げた臭いは、彼にとってひどく懐かしいものだった。
広島・呉。まだ彼が何者でもなく、ただ血の気の多い若者たち数百人を束ねる「暴走族の総長」だった頃。深夜の国道に漂っていた、アスファルトとゴムの焼ける匂い。
(あの頃は、気合と暴力だけで何でも解決できると思っていた。……馬鹿なガキだった)
若気の至りで背中に「阿吽の仁王像」を彫り込んだ不良少年は、やがて「暴力だけでは何も守れない」と悟り、猛勉強の末に自衛隊という国家最大の暴力装置へと身を投じた。
イージス艦の艦長として数千億円の兵器を操り、市ヶ谷の統合幕僚監部・防衛計画部(J5)で、背広を着た官僚や政治家と渡り合う「冷徹なエリート」へと成り上がったのだ。
呉の不良が持つ『圧倒的な暴力の統率力』と、J5が持つ『冷酷なまでの論理的計算』。
その二つを併せ持つ「怪物」が今、昭和のジャングルに潜んでいる。イギリス軍はまだ、その真の恐ろしさを知らない。
「閣下。前方3キロの監視哨より有線電話! 『敵影あり』。……少数ですが、動きが尋常ではありません。足音一つ立てず、密林に溶け込むように接近中です」
傍らの久野村参謀長が、緊張で声を上ずらせた。
「……来たか。大英帝国の誇る、最強の山岳猟兵(グルカ兵)め」
史実において、日本兵を最も震え上がらせたネパール出身の戦闘集団。彼らが振るう湾曲した短剣(ククリ刀)の前に、無謀なバンザイ突撃を仕掛けた日本兵は次々と首を刈られたのだ。
「全小隊、射撃準備。だが、俺が命令するまで一発たりとも撃つな。……敵を『キルゾーン(十字砲火陣)』のど真ん中まで引きずり込め」
坂上の声は、J5の会議室にいる時のように冷徹で、静かだった。
だが、その命令を聞いた前線の兵士たちの背筋に、ビリッと電流のような『凄み』が走る。有無を言わさぬ、逆らえば殺されると本能で理解させる絶対者の声。
雨が強まる中、グルカ兵の先遣隊およそ五十名が、泥濘の斜面を音もなく滑り降りてきた。
彼らの目に映っていたのは、無造作に積まれた土嚢と、隙だらけに見える日本軍の散兵線である。
(馬鹿なイエローモンキー共め。こんなジャングルで陣地など構築できるものか)
グルカ兵の分隊長は、ククリ刀を引き抜き、部下たちに「突撃」のハンドサインを出した。
彼らは一気に泥を蹴立て、日本軍の塹壕へと肉薄する。
距離、わずか十メートル。
その時、ぬかるみに足を取られた若い日本兵が、塹壕から半身を乗り出してしまう形になった。
「シッ!」という鋭い呼気と共に、グルカ兵が獣のように跳躍し、ククリ刀を振り下ろす。
史実であれば、泥にまみれた日本兵のボルトアクション小銃は作動不良を起こし、そのまま首を撥ねられていた場面だ。
だが、若い日本兵の腰には、兵器廠で坂上自らが改修を命じた『十四年式拳銃』が帯びられていた。
泥まみれの太い指が、広げられた『特製の用心金』にスッと入り込む。
ゴム樹液でシーリングされた機関部は、ジャングルの泥を完全に弾き返していた。
――パンッ!! パンッ!!
連続した破裂音。
至近距離から放たれた8ミリ弾が、空中に躍り出ていたグルカ兵の胸板を正確に撃ち抜いた。
ドサリ、と泥の上に巨体が崩れ落ちる。
「……よし。システムの作動は完璧だ」
塹壕の奥でその光景を望遠鏡で確認し、坂上はくわえていた粗悪なタバコをブーツの底で踏み消した。
そして、イージス艦のCIC(戦闘指揮所)で対空ミサイルの発射ボタンを押す時と全く同じ、無機質なトーンで命じた。
「――撃て(ファイア)」
直後。
ジャングルの静寂は、魔改造された兵器たちの怒号によってズタズタに引き裂かれた。
ダダダダダダダダダダダッ!!!
擬装網の下から、数丁の『九九式軽機関銃』が一斉に火を噴いた。
給弾不良の元凶だった不要な部品を取り払い、徹底的な泥対策を施されたそれらは、まるで現代の機関銃のように滑らかに、そして凶悪に弾幕を張り巡らせる。
「な、なんだこの弾幕は!? 日本軍の機関銃はすぐ壊れるはずでは……!」
グルカ兵たちがパニックに陥る。
彼らが飛び込んだのは、「隙だらけの散兵線」などではなかった。坂上が現代の防衛戦術を用いて緻密に計算した、全方位からの射線が交差する『死の空間』の中央だったのだ。
左右からの十字砲火。
前進も後退も許されない泥の海で、大英帝国の精鋭たちは、防衛省J5出身のアーキテクトが設計した「巨大な肉挽き機」に巻き込まれ、次々と泥に沈んでいく。
「リヤカー部隊! 第一銃座へ予備弾薬箱を! 撃ち続けろ! 敵に息をさせるな!」
佐藤師団長の声が響く。弾薬の残量を気にせず、システマチックに補給が続く日本軍の陣地は、もはや要塞そのものだった。
わずか十数分。
一方的な殲滅戦は終わりを告げた。
生き残った数名のグルカ兵は、悪鬼を見るような目で日本軍の陣地を振り返りながら、ジャングルの奥へと逃げ去っていった。
「……撃ち方、待て」
坂上の声が響くと、ピタリと銃撃が止む。
硝煙の立ち込める泥濘には、数十の敵兵が倒れ伏していた。
対する日本軍の死者は……ゼロである。
「か、勝った……」
「俺たち、かすり傷一つ負わずに、あのイギリス軍の精鋭を……!」
兵士たちの間に、どよめきが広がる。
精神論で突撃し、仲間が次々と死んでいくのが「当たり前」だった彼らにとって、この『完璧な勝利』は、魔法を見せられたかのような衝撃だった。
「閣下……!」
泥だらけの佐藤師団長が、興奮冷めやらぬ顔で坂上の前に進み出た。
その手には、鹵獲したイギリス兵の背嚢から見つけた、見慣れないブリキの平たい缶が握られている。
「敵の将校から、こんなものを鹵獲しました。文字が読めませんが、おそらく煙草かと」
坂上の目の色が変わった。
受け取ったブリキ缶には、水夫の絵と共に『Player's Navy Cut』と印字されている。
大英帝国が支給する、最高級のバージニア葉を使った本物のタバコだ。
坂上は、太い指で缶を開け、一本を抜き取った。
マッチを擦り、火をつける。
深く、深く肺に吸い込み……そして、紫煙をゆっくりと夜空に向かって吐き出した。
「――――あぁ。五臓六腑に染み渡る」
芳醇な煙草の香りが、硝煙の匂いと混ざり合う。
その恍惚とした、しかし底知れぬ凄みを持った横顔は、大日本帝国陸軍の中将というより、完全に『裏社会を牛耳るドン』のそれであった。
「……閣下。敵の主力は、この先、間違いなく報復のために全軍を挙げてこの陣地を攻め落としに来るでしょう」
佐藤が、気を引き締めるように尋ねる。
「来させておけ」
坂上は、タバコを指に挟んだまま、不敵に笑った。
その瞳の奥には、呉の暴走族総長の獰猛さと、イージス艦長の冷酷な計算が、完全に融合して輝いていた。
「準備運動にもならん。……イギリス軍に教えてやれ。誰のシマで喧嘩を売っているのかをな」
その、軍人らしからぬドス黒い言葉を聞いた瞬間。
佐藤師団長と久野村参謀長は、背筋を凍らせながらも、この絶対的な「覇王」に一生ついていくことを、魂の底から誓っていた。




