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『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』  作者: 月神世一


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EP 5

スリム将軍の困惑

 インド北東部、マニプール州の州都インパール。

 イギリス第14軍の司令部が置かれたこの街は、チンドウィン川のジャングルとは打って変わり、強固なコンクリート建築と充実した補給物資、そして快適な空調に守られていた。

 司令官室。

 第14軍司令官、ウィリアム・スリム中将は、最高級のダージリンティーの香りを楽しみながら、デスクに広げられた地図を眺めていた。

「……愚かだな。実に愚かだ。大日本帝国陸軍というのは」

 スリムは、ティーカップを置きながら、同席している幕僚たちに向かって冷ややかに微笑んだ。

「彼らの第15軍司令官、レンヤ・ムタグチ……。諜報部からのプロファイリングによれば、彼は極端な精神論者であり、補給ロジスティクスという近代戦の基本を全く理解していない狂人だという。事実、彼らは牛や羊に荷物を引かせ、このアラカン山脈を越えるという正気の沙汰とは思えない計画を立てている」

 幕僚たちから、失笑が漏れる。

 彼らイギリス軍は、圧倒的な航空戦力と物量を持っている。しかしスリムは、あえてジャングルの中で日本軍を迎え撃つ「防御的遅滞戦術」を採用していた。

「我々は動く必要はない。日本軍が川を越え、道なき山道を登り、補給線が極限まで伸び切ったところを空から叩く。あとは、飢えと病が勝手に彼らをすり潰してくれる。……我々は、餓死していく彼らの白骨の横を通り過ぎて、ビルマを奪還すればいいだけだ」

 スリムの戦術は完璧だった。

 相手が「補給を無視して突撃してくる猪武者」である限り、この罠は絶対に破られない。史実のインパール作戦は、まさにこのスリムの冷徹な計算通りに推移し、日本軍は壊滅したのだ。

 だが。

 司令官室のドアが乱暴にノックされ、情報参謀が血相を変えて飛び込んできた瞬間から、大英帝国の「完璧な勝利の方程式」は狂い始めた。

「スリム閣下! モスキート(高高度偵察機)から、チンドウィン川東岸の最新の航空写真が届きました! 至急、ご覧ください!」

「慌てるな。ムタグチの軍が、泥にまみれて川を渡り始めたか?」

 スリムは余裕の笑みを崩さず、差し出された白黒の写真を受け取った。

 ルーペ(拡大鏡)を目に当て、写真を覗き込む。

 そして。

「…………は?」

 スリムの動きが、完全に凍りついた。

 ティーカップを持ち上げようとしていた手が止まり、その顔から、一切の血の気が引き去っていく。

「閣下……? いかがなされました?」

 異常な沈黙に、幕僚たちが顔を見合わせる。

「……渡っていない」

 スリムの声は、かすれていた。

「日本軍が、川を渡っていない……! 山にも入っていないぞ! どういうことだこれは!」

 スリムは写真をデスクに叩きつけた。

 そこに写っていたのは、スリムが予想していた「無防備に川を渡る日本兵の群れ」や、「牛を連れて山道を彷徨う大部隊」ではなかった。

 川の手前。ジャングルの輪郭に沿うように、不自然な土の隆起と、幾何学的な線が引かれている。

 巧妙に擬装網カモフラージュで隠されているが、スリムほどの軍人であれば、それが何を意味しているか一瞬で理解できた。

「……重機関銃の射線を計算し尽くした、千鳥配置のトーチカ群。……その後方には、弾薬と食料の備蓄拠点ハブと思われる巨大な地下壕の入り口。……そして、それらを結ぶ、完璧に整備された補給用の交通壕ルートだと……!?」

 スリムは、信じられないものを見る目で、写真を凝視し続けた。

 それは、「バンザイ突撃」しか能がないと思っていた野蛮な日本軍が築き上げたとは到底思えない、近代的な『縦深防御陣地ディフェンス・イン・デプス』であった。

 第一次世界大戦の泥沼の塹壕戦を経験し、さらに現代の合理性を加味したような、極めて洗練された、無駄のない死の要塞。

「馬鹿な……! ムタグチは狂人ではなかったのか!? 『精神力で前進せよ』と喚く無能な将軍ではなかったのか!」

「か、閣下! 諜報によれば、ムタグチ司令官から大本営への報告では『インパール方面を制圧し、必勝の陣形を維持する』と……!」

「騙されたッ!!」

 スリムは激昂し、デスクを拳で叩き割らんばかりに殴りつけた。ガチャン、とティーカップが跳ねて床に落ち、粉々に砕け散る。

「あの報告は東京(政治家)の目を誤魔化すためのフェイクだ! 奴の真の狙いはインパールの攻略ではない。我々イギリス軍を、あの要塞化されたジャングルに『引きずり込む』ことだ!」

 冷や汗が、スリムの額を滝のように流れ落ちていた。

 盤面ボードが、完全にひっくり返されたのだ。

 日本軍は動かない。

 強固な防衛陣地の中に引きこもり、十分な食料と弾薬を蓄えながら、イギリス軍が「痺れを切らして攻撃してくる」のを、重機関銃の照準器越しに待ち構えている。

「もし我々が、あの要塞を正面から攻撃すれば……重火器の十字砲火キルゾーンの餌食になり、莫大な犠牲を払うことになる。だが、もし攻撃せずに膠着状態となれば……!」

「……雨季モンスーンが、来ます」

 幕僚の一人が、絶望的な声で呟いた。

「そうだ。雨季が来れば、我が軍の誇る戦車シャーマンも装甲車も、すべて泥濘に沈んで鉄屑と化す。機動力を奪われた我々は、あの鉄壁の陣地に籠もる日本軍を前に、身動き一つ取れなくなる……!」

 攻めれば地獄。待っても地獄。

 スリムが日本軍に対して仕掛けたはずの「補給線の罠」が、そっくりそのまま、巨大な鏡で反射されたかのようにイギリス軍に跳ね返ってきていた。

 スリムは、窓の外を見た。

 はるか東、アラカン山脈の向こう側にいる、見知らぬ敵将の姿を幻視する。

(……誰だ? あの陣地の設計図アーキテクチャを描いたのは。日本軍の中に、これほど冷徹に補給ロジスティクスと防衛を計算できる、化け物のような指揮官がいるというのか……?)

 スリムの背筋に、軍人としての本能的な恐怖が這い上がっていた。

 大日本帝国陸軍・第15軍司令官、牟田口廉也。

 その皮を被った「正体不明の理性の怪物(坂上真一)」の影に、大英帝国の誇る名将は、ただ一人、底知れぬ戦慄を覚えていた。

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