3.ラエティーシャ
小さなノックが響く。
山小屋の木の扉が、うんと軋んだ音をたてた。ドアベルの乾いた音と共に、薄暗い小屋に一筋の光が射す。木机に並ぶ茶色い小瓶たち、そして緑色の瓶が光を返した。
老婆は逆光のヒトを見た。
「こ……こんにちは」
それはなんとも心もとない、小さなメスの子どもだった。そして遠くの黒い影2つ、どうやらMIBが来たようだ。
「何の用だい。悪いけど今日で閉店だよ」
アロマの香り爽やかに、エレナは老婆をみた。
近くで見ても、エイリアンだなんて到底思えないほどに人間だ。白い筋がいくつも入ったブラウンの髪は、縛られた古い毛糸のようだった。年輪のように刻まれた皺が人生を物語る。流れる皺はうんと皺を作っている。しゃがれ声の棘からして、どうも歓迎されてはいないようだ。
エレナは一歩踏み込み、木の扉を背に老婆の顔色を伺った。
「ええと……MIBのお使いできたの。母星……? に、帰還するんでしょう? 私が送るの」
それに老婆は大きなため息をついて応えた。傍の窓を閉め、緊張の残るエレナを横目に鍵をかける。
「随分と遅かったね。……あんたにそれができると?」
「ええ、きっと……たぶん」
老婆はレンズに目を細めた。
「外の黒塗りの車……ARの情報管理科MIBだね。フン、戦争屋め。こんな子どもを使いによこすなんて」
その吐き捨てるかのような独り言ちに、棒立ちのエレナは無意識にズボンを掴んでいた。まるで叱られている子どものようだったが、何かを掴んでないと不安だったのだ。
老婆は顎で奥の部屋へと促した。奥の部屋は小奇麗なリビングだった。生活感の溢れるそこは、古い本や不思議な小瓶があるものの、クッキーのような甘い香りがした。
「さて……」
老婆が一声出した瞬間、TVのチャンネルを替えたかの如く、水色の異形のエイリアンへと変貌を遂げる。レンズで視た薄い水色の肌、つるりとした頭、青暗く落ちくぼんだ瞳……エイリアンその姿に切り替わる。
とたんエレナは素っ頓狂な悲鳴をあげ、電撃が走ったかのように尻もちをついた。
「ひっ……うひゃ~!」
レンズでエイリアンだとわかっていても、昨夜のバケモノの恐怖が反芻される。震えて落ちたライトが転がり、ソファの足に派手にぶつかった。
水色のエイリアンが、小鹿のように震えるエレナを睨み落とす。
「なんだい、とって食いやしないよ! 地球に落ちてから長いんだ。生まれたてのあんたより、ず~っと地球に慣れてるさね」
澄んだ瑞々しい声音でそう言って、エイリアンは大きな手をエレナに広げた。
「レンズも白だろう、まったく情けない子だね。とっとと立ちな!」
エレナは震える息を大きく吸って、恐々とその手をとった。エイリアンの大きな手はひんやりとしていて、しっとりと潤っていた。だけどそれで、急に気持ちが落ち着いた。
生き物なのだ、そして言葉が通じる。それは動物園のライオンや猿より、ずっと安心できた。
エイリアンの青黒い唇が動く。小さな歯が魚のようだった。
「あたしはラエティーシャ。あんたは」
「エレナ……。エレナ・モーガン……」
エレナはラエティーシャをまっすぐ見て、そう言いもって立ち上がった。
ふと、壁に掛けられた写真に目が行く。それには若き日の老婆と、エレナほどの年頃の娘が写っていた。
それにはたとした。MIBからは、レンズを当てて母星に帰すよう言われたが、人数を聞いていなかったことに気付く。
「あの、ラエティーシャさん。この写真の子も一緒に母星へ送ればいいの?」
その言葉に、ラエティーシャの動きが止まった。本当にぴたりと止まったので、エレナはやや驚いて首をかしげる。
「どうか、したの……?」
もしかして触れてはいけない話題だったのだろうか。だがラエティーシャはすぐに踵を返した。ハーブが浮かんだガラスの水差しを手に、肩越しにエレナに振り返る。
「何ボーッとしてんだい。そこの棚からカップと皿を出しとくれ」
「えっ?」
「クッキーだよ! 早くしな」
エレナは小刻みに頷き、慌てて棚の扉を開けた。皿もカップも、2つずつしかなかった。
エレナの素っ頓狂な悲鳴からしばらく。気をもんだMIBは、そそと山小屋近くの生垣の影に腰を落としていた。
「えらく長いな、何をやっている……?」
なんだかんだで心配しているパンに、ゴハンはちょっと笑って山小屋を仰ぎ見た。
「なんかさ、いいにおいがしない? 窓からちょっと覗こうぜ」
MIBが軍隊の潜入訓練よろしく、音もなく山小屋の窓もとに背をつける。簡素な窓は年期が入っていて、耳をすませば声が丸聞こえだった。カップにスプーンが当たる音が聞こえる……
焼きたてのクッキーをおいしくいただいたエレナは、ハーブティーを一口。隣で貴婦人のようにハーブティーを飲むラエティーシャを見上げた。
「わかったわ。でも、もらっていいの?」
ラエティーシャは軽く笑んで、カップをソーサ―に置いた。
「もちろんさエレナ」
そういって、傍らの紙袋から綺麗な瓶を取り出した。ガラスの蓋のゴムパッキンが抜ける音が響く。そこに手を突っ込んだラエティーシャは、真っ白いクリームを両手にとり、そっとエレナにつけた。
「この特製クリームは、エレナに合わせてようく調合したからね。スミレと、ジャスミンと、梨と、鈴蘭のエッセンスを混ぜ込んである。それと、まじないを少し……」
ラエティーシャの滑らかな肌と、クリームのいい香りにエレナは目を閉じ、うんと深呼吸した。
「……~わぁ、とてもいい匂い! ありがとう、ラエティーシャさん」
そのやりとりに、ゴハンとパンは目をあわせぱちくり。まるで孫とおばあちゃんだ。2人は手元の銃を懐にしまい、示し合わせたかのようにその場に座り込んだ。エレナ達の声がきこえる。
「私にも、あんたほどの子どもがいたんだ。背丈も重さも、ちょうど同じほど」
過去形のそれに、エレナが言葉を失った。ラエティーシャは優しくエレナの頬を撫でる。
「あの子が死んだこの星で死のうと思ったけど、それはまた新たな宇宙の歪みを生んでしまう。それだけは、あっちゃいけないんだ。あの子のような被害者をもう出さないためにも。……帰還を決断するには、時間というものがかかったけどね」
ラエティーシャはそう言って、写真立てに目を細めた。写真の女の子は弾けるような笑みで、若き日のラエティーシャに抱き着いている。幸せいっぱいの、愛溢れる写真だ。
「……優しい子だった。でも、地球に来る前にくらった宇宙の歪みで、死んだんだ」
「宇宙の歪み?」
ラエティーシャは唸るように俯いた。
「時空嵐のようなものさ。戦争があってね。命からがら地球に不時着したものの、宇宙の歪みを受けすぎてどんどん弱って……」
エレナはラエティーシャの横顔をみつめていた。落ちくぼんだ瞳の奥に、星のように光る涙がみえる。
「どれだけあの子のビジョン(写真)を並べても、虚しいだけ。あの子はもういない。アストラル体(魂)自体が分散されてしまったから……転生しようが会えないんだ、もう二度と」
俯くラエティーシャの目から、壊れた蛇口のように涙が落ちる。ラエティーシャの膝にやったエレナの手に、大粒の温かい涙が落ちた。
大きなラエティーシャの身体は、まるで寒さに震えるようだった。まな板のように大きな手で、震えるように顔を覆う。
「……この涙が、私の愛。あの子にできるたったひとつの、愛なんだよ……」
ラエティーシャのうわずった声が、涙に変わっていく。エレナはからだを折るラエティーシャの背に手をやり、そっとさすった。
子を亡くした母親の哀しみは、子どもの立場のエレナには到底理解のできないものだった。だけどその身を刺すような哀しみは痛いほど、エレナの胸を締め付ける。
鼻がつんとして、エレナの目の奥が熱くなった。喉は焼石が詰まったかのようだ。熱い涙が頬に流れるも、エレナは構わずラエティーシャの背をさすった。
「……私も、ママとパパがいないの。私がうんと小さい頃、事故で……死んじゃったのよ」
痛く裏返った声が涙にぬれる。エレナは震えるように深呼吸し、想いを固く続けた。
「ラエティーシャさん、もう泣かないで……あなたが泣くなら、その子はもっと悲しいわ。だって、あなたの事が大好きだったんでしょう?」
無垢な声に、MIBは黙って地面を見ていた。
「……事故、ね」
ゴハンが蚊ほどに呟き、目を伏せる。パンは応えなかった。帽子を深く被り、腕を組みすくめる。
ラエティーシャは、エレナの痛いほどの想いにたまらず両腕を広げた。
「どうして……、お泣きでないよ。寂しいんだね……おいで」
エレナは泣きつく子どものように、ラエティーシャの胸に飛び込んだ。
いつまでそうしていたろう、ラエティーシャにはエレナのこれまでのすべてが視えていた。
エレナがどれほどの血と、残虐な無念をうけたか。そして、これから先に起こるであろう事も。
「……そう、あんた……そうかい。……優しい子だね。穢れのない無垢な子だ。私たちはエレナのような魂が大好きさ」
大きな手がエレナの頭を優しくなでる。エレナの熱い涙がラエティーシャを濡らした。顔をあげると、ラエティーシャの柔らかな笑顔が返る。長い指が、エレナの涙を優しくぬぐった。
エレナも笑みを返した。笑ってほしかったし、ラエティーシャ笑ってくれたことが何より嬉しかったからだ。
ラエティーシャの声音にもう棘はなかった。慈愛に満ちた声が優しくエレナに告げる。
「この悲しみの惑星は戦争と血まみれだけど、子どもは驚くほど清らかだ。最後にエレナに会えて嬉しいよ。ありがとうね」
★
空高く、鳥が自由に飛んでいた。まるで空を泳ぐかのようだった。ゴハンはふと視線を落とした。パンは帽子を深く被ったままだ。
こいつはこういう節があるな、とゴハンは思った。攻撃的な割に、変なところで打たれ弱いのだ。きっとエレナを疑った自分に腹がたっているんだろうと。
不器用なやつ、と心の中で呟いた時……
窓が一瞬、カメラのフラッシュのように光を放った。煙突や小屋の隙間から、細かな金色の粒子があふれ、空高く消えていく。
「終わったみたいだね」とゴハン。
その声を合図にパンがうなだれるように顔をあげた。
山小屋の木の扉が、うんと軋んだ音をたてた。のっそり顔を出したエレナの目は真っ赤だった。ゴハンたちに気付き、ちょっと驚いて目元の涙をぬぐう。
そして、切なさと嬉しさが入り混じったような、綺麗な笑顔をMIBに向けた。
「……終わったわ」と。
パンは頷くしかできなかった。余裕な笑みを返すほど不粋ではなかったし、エレナの涙を尊重したかったからだ。だけどゴハンは大げさに両手を広げてみせ、称えるようにエレナの肩を抱く。
「おッ疲れ~、エレナちゃん! 大手柄! 俺チャン感動よ」
「やだもう、気安く抱きとめないでよ! そういうのは彼女にやって!」
ゴハンを押しのけるエレナに、パンが肩の荷がおりたような小さい溜息をつく。そして、エレナが持っていた紙袋たちを指さした。
「その荷物は?」
エレナはやりとげた笑みまま、紙袋を広げてみせた。
「手書きレシピをもらったの。あと、手料理やオイルとか、石鹸とかも。まだ中にあるのよ、全部くれるんだって」
言って、中へと促した。
こざっぱりした室内には段ボール数個と、いくつもの大きな鉢植えがあった。エレナがそれらを指さして、パンを見上げる。
「……ね、鉢のハーブたちを、庭に植え替えてあげてもいい?」
パンがはたとエレナを見る。エレナはまっすぐパンを見ていた。
「ラエティーシャさんと約束したの。お願い」
パンはエレナのよどみない瞳に、一瞬言葉に詰まった。この純粋無垢な瞳に、裏も罪もないのだと。その瞬間、自分がいかに汚れきった存在かを叩きつけられた気持ちにもなった。払拭するように、エレナに笑顔をつくってみせる。
「……ああ。力仕事は任せておけ」
エレナはパンの初めて見せた優しい笑みに、どきんとした。ハンサムだとは常々思っていたが、こうも間近で笑顔を向けられると、その完璧な美しさを改めて実感する。
赤くなる頬を意識しないよう、エレナは「ありがとう」と笑みを返したのだった。
……・……
夕暮れを背に走る車内で、窓を開けたエレナは風を感じていた。緑深い風は次第に街のにおいになっていく。ラエティーシャが苦手と言っていた、酸っぱくて苦いにおいに。
「なんなんだろう……この気持ち。寂しいとは違うの。でも、胸がまだ苦しい」
「達成感だね~」と助手席からゴハン。ううん、とエレナは思った。
「疲れたろう、今日は早く寝るといい」と運転席からパン。そうじゃないのよ、とエレナは思った。
夕日の熱と夜の冷たさを感じながら、エレナは今日の事を絶対忘れないでおこうと思った。
この目に焼き付けて、心に刻みつけて……ラエティーシャの優しさを、愛を、残したものすべてを大事にしようと誓った。
「ありがとう、ラエティーシャさん」
エレナはそう、口の中でつぶやいたのだった。




