4.あなたの助けが必要よ
木陰に身を隠すエレナは気をもんで、改めて廃屋を見た。地獄の入口のようなドアは次の獲物を待っている。
あの中に、ジュリアがいるのだ。
できれば、正気になったサムソンと元気なジュリアが出てきてほしかった。
はやし立てるような雨音だけがエレナにささやきかける。呼応するように、嫌な予感はどんどん膨らんでいった。
エレナはどうしようもなく、その場にかがんだ。自身の膝の雫をじっと見る。
「私にもっと力があれば、ジュリアをこの手で守れるのに……」
そう口の中でつぶやいたときだった。
──── チリン。
雨音ではない、かすかな音がひとつ。
周囲に耳をすませる。やがてしばらくして、雨音に紛れチリンとまた1つ。耳覚えのある鈴の音だ。
「……チビの鈴の音?」
エレナは呟いてハッとした。サムソンが猫用キャリーバッグにチビを捕らえていたことを思い出す。
今度は立ち上がって耳を澄ませた。チリン、チリン。間違いない、チビの鈴の音だった。
(音がきこえるのは……こっち?)
エレナは両手に耳をあてたまま、そそと廃屋の横にまわった。
やや狭い横庭には、錆びて鎖がちぎれたブランコが片足をついている。まるでホラーゲームのタイトル絵のような不気味さだ。
ぞっとする間もなく鈴の音がまた1つ。それは、廃屋の裏口からだった。もう耳当ては必要なかった。
音のする裏口は斧で叩き割られたかのようにボロボロで、とうにその役割を終えている。
雨音がやけにうるさく感じる。チリンと音が、またひとつ。
(この音、すごく近い。チビがすぐそこにいるのね……)
エレナは唾をのんだ。大きく息を吸ってレンズを握りしめ、1歩また1歩とおそるおそる踏み出す。
裏口の隙間をのぞき込む。穴の開いた床、手摺の朽ちた階段があった。人の気配は全くない。ちょうど死角の部屋から、鈴の音だけが響いている。
エレナはふと気付いた。裏口マットに紛れて、小さな光るものが1つ。
それはジュリアのイヤリングだった。サムソン先生の手作りだと笑っていたジュリアが目に浮かぶ。
エレナは祈るように手に包んでから、ポケットにイヤリングをおさめた。
思い浮かぶはジュリアとの思い出だった。初めてジュリアに会った時、こわかったこと。スマホをぶっこわされたけど、一緒にいっぱい遊んだこと。
恋の話に花を咲かせ、一緒にアップルパイを作った日のこと……いっしょに遊んだ、かけがえのない日々。
たくさんの思い出が、小さな勇気を炊きつける。
エレナは深く深呼吸をして、日本ニンジャのように裏口から中に入っていった
中は意外にも、家らしい雰囲気だった。
バネが飛び出したソファに、古ぼけたブラウン管TVがエレナを反射する。廃れた本棚の前には猫用キャリーバッグが横たわっていて、そばのカーペットで黒い綿毛が揺れていた。
エレナは思わず声をあげそうになった。黒い綿毛ことチビが、一心不乱に爪を研いでいたからだ。
チビはエレナを見るや否や、ニャンと可愛い声をあげて駆け寄った。
(よかった、チビ。無事だったのね!)
エレナはチビをそっとすくって手に包む。チビは小鳥のように軽く、手の中で微かに震えていた。鼻はすっかり湿っていて、エレナの人差し指を冷たく冷やす。それでも細い鼻息は熱いほどだ。
……・……
暗闇の廃墟は、まるで迷路のようだった。
最後のドアを蹴り飛ばしたパンが、舐めるように銃口を流す。むっと籠った血の臭い、そして眼前の光景に銃を握り直した。
血みどろのベッドに腰かける白衣のブロンド、サムソンの目がMIBを見る。
白衣を血に染めたサムソンの手にはナイフが握られていて、暗闇でもわかるほど真っ青な顔をしていた。
かつての穏やかな面影は消え失せ、頬は涙で濡れている。
ナイフを突き立てられた幼女は、腕をだらんと垂れ下げていた。
緑の髪……北条ジュリアだ。ジュリアは血だるまで、肌は茹ですぎた肉のように白い。
遅かったか、とゴハンは内心舌打ちした。
「……よーう、サムソン先生」
ゴハンは銃をホルスターに差し、長年会ってなかった兄弟のように、親しみを込めた声をかける。
「こんなとこで仕事サボって何やってんだよ?」
サムソンはナイフを引き抜き、やおら立ち上がった。
あきらかに警察ではない風貌の2人組に小さく呟く。「……誰だ、君たちは」と。
その目の光に正気をみたパンが、ちらとゴハンを見る。ゴハンはフンと鼻で笑い返すだけだ。
「さあな? 当ててみな」
軽く言って、拳を振り上げ飛び掛かった。
チビを確保したエレナは、じっと耳を澄ませた。何かが吹っ飛んだ音とともに、天井から小さな埃が落ちる。
おそらくMIBかサムソンだろうと踏んだエレナは、そっと後ずさった。
(このままジュリアを探す……? いえ、先にチビを車に保護してから、……)
エレナの思考を断つように、突如大きな音が響き渡った。今度はTVをフルスイングで投げ飛ばしたような破壊音だ。
取っ組み合いの音が次々響き渡る。上で何かあったのだ! おっかなびっくり外に転がり出たエレナが、大きく踏みとどまる。
(に、逃げちゃダメ! レンズの光でサムソン先生を正気にもどさないと!)
中に戻ろうとした時だった。胸元のレンズがきらりと光る。
『エレナ、車内で待つことを推奨します』
穏やかなAの声に、エレナがレンズに訴える。
「A! サムソン先生はジュリアを傷つけるような人じゃないの、きっと偽物よ! レンズの光を当てないと!」
Aは応えない。穏やかなレンズの虹色が水面のように揺れるだけだった。
エレナは懇願するように、レンズに声をかけた。
「A……お願い、みんなを助けたいの! あなたの助けが必要よ」
『わかりました、エレナ。安全なルートを予測案内します』
エレナは大きく頷いて、うんと廃屋を見上げた。




