2.君はイルミナの何なんだ?
「ゴハン早く着替えなよー、バスがでちゃうよ?」
エレナは鞄を肩にかけ、PCを打つゴハンに声を投げた。ゴハンはのんびりしたもので、デスクのノートパソコンを指先でちょいと指す。
「先に行っといてくんない? 俺チャン、昨夜の報告書を上に送んなきゃいけないのよん」
エレナは慣れたもので、軽く頷いた。靴を履きもって、レインコートに袖を通す。
「じゃあ、また学園で。報告書、頑張ってね!」
黒金はそれとなく、エレナの後に続いた。それはあまりに自然で、誰も違和感を感じなかった。
ゆっくり降りるエレベータで、エレナはちらと黒金を見た。どうしていつも黒い手袋とサングラスをつけているのかな? とつぶさに思う。思ってそれとなく、エレナが口火を切った。
「あの……ジュリアの件、協力してくれてありがとう。お礼言えてなかったなって思って」
黒金は返さない。エレナを小石とも思ってないようだった。それでもエレナは、なぜか黒金がちゃんと話をきいているのがわかった。
おもむろにスマホを取り出したエレナは、黒金に振ってみせた。
「ねえ、黒金くん。連絡先を交換しようよ」
黒金は舌打ちひとつ。ようやくエレナをじろりと睨み落とした。
「君はイルミナの何なんだ?」
黒金の問いに、エレナはぎょっと驚いて、咎められたかのように言い淀んだ。
「……父親がイルミナ生命工学研究所に勤めてたの、それだけよ」
黒金の眉がピクリと動く。イルミナの戦闘員ミリアム、そして研究者のサムソン。そしてジュリア。布石はすべてイルミナへと繋がっていく。
イルミナが影で世界銀行や連邦政府をも掌握しているのは裏の世界では常識だ。黒金も例外なく、イルミナの強大さは充分に理解していた。ましてやここセリオンはイルミナの舌の上だ。関わるべきではないと、長年の経験が警告を鳴らす。
「誰から聞いたかしらないけど、誰にも言わないで」
黒金の思考を遮るように、エレナが呟いた。
「もう身近な人がいなくなるのは嫌なの。黒金くんはジュリアを助けてくれたいい人だから」
エレナの伏せられた睫毛が揺れる。無垢な子どもの目、迷いし子羊の目だった。
黒金はちょっと考えて、軽く頷いた。
「真犯人だの北条家虐殺事件だの……そんなもんオレに関係ねえし、心底どうでもいい。勝手にやってろ」
そう煙たげに言いつつも、スマホをポケットから抜いて連絡先を交換してやったのだった。
駐輪場に出たエレナが、自転車に乗ろうとした時だった。
黒金の「おい」という声に顔をあげてすぐ、軽く投げられたバイクのヘルメットを受け取る。エレナは目を丸くして、顔を上げた。
「えっ……もしかして、乗せてってくれるの?」
「雨の中、チャリでバス停まで走りたいなら好きにしろ」
エレナは黒金の優しさに笑顔を返した。言葉は逐一キツいし棘もあるのに、なぜか全く怖くないのだから。
「ありがとう! 学園までよろしくね」
エレナは言って、黒金の背を追ったのだった。
……・……
こちこちと時計の針が時を刻む。
報告書制作に、ゴハンはうんざりしていた。
任務といえば毎日、北条ジュリアとエレナの日常報告を送り続けるだけ。もしかして体よく飛ばされたのではと思うほどの閑職だ。
エレナの飲み残した紅茶を一口、ぼんやりとエンターキーを押す。
画面に〔送信完了〕の文字が出たときのこと。ふとゴハンのスマホが震えた。ケツのポケットからスマホを抜いたゴハンは耳に当て、ハイハイと頭をかく。ふと、かく手の動きが止まった。
「……なんだって?」
アーロンのひっくりかえったような情けない声が返る。
『だから、サムソン先生が北条ジュリアちゃんを連れて消えたんです~っ!』
ゴハンは気抜けに、迷子をなだめるような声でスマホに囁いた。
「あのさ~、アーロンは知んないだろうけど、あの2人はイイ仲なんだよ。デートもしょっちゅうなんだから」
アーロンはかぶせるように『違うんです! 今朝、院長室に辞職願が』。
ゴハンがまばたきひとつ、スマホを耳に当て直す。
「サムソン先生が辞職? どういうことだよ」
ゴハンの耳に、アーロンの狼狽した声が返った。
『じ……実は、サムソン先生は、10年前の北条家虐殺事件の犯人なんです。北条ジュリアちゃんは事件の唯一の生き残りで……そのことで、ずっと相談を受けてまして……』
ゴハンは絶句に言葉がでなかった。頬の内側に舌を押し付け足を組み、じっと耳に集中する。
(北条家虐殺事件の白いスーツ男が、サムソン・ハワードだと? そんな重要な情報をなぜ黙っていたんだ、このでくのぼうは!)
でくのぼうことアーロンは〔 工作員としてイルミナに椅子をもつ 〕同胞だ。
しかしゴハンは、アーロンがグレイシア・D・リドナーを妊娠させた件で、情に流されやすい男だと心の内で見切りをつけていた。そういう野郎は組織には向かないし、情に流され往々にして裏切るものだと。そしてその片鱗が、今まさに如実に表れていた。
ゴハンの心内知らず、アーロンは続けた。
『昨夜サムソン先生は、強い睡眠薬も効かなくなってきたと僕に相談してきました。もっと強い薬を処方したのですが……今朝、北条ジュリアちゃんを連れて行方不明になったんです。ただの連絡つかずならいいのですが、……辞職願もあって嫌な予感がします。どうか隠密に調べていただけませんか?』
なにが隠密にだとゴハンは内心舌打ちひとつ、軽く承諾した。
「OKOK! サムソンとジュリアの居場所を調べるんだな。わかった、すぐ出るよ」
通話を切ってすぐ、ゴハンは舌打ちした。
もしかして体よく飛ばされたのではと思うほどの閑職……もしかしたらその真逆ではないかと影が差す。
「……テレマ研究施設の時といい、どうも臭うな。……どいつもこいつも」
ゴハンはひとりごち、着替え一式が入ったトランクを掴んで家をあとにした。
……・……
鈍色の空から、生ぬるい雨が落ちる。
「黒金くん、送ってくれてありがとう!」
返事代わりにエンジンを噴かせた黒金が、とっとと行けと顎で物を言う。エレナは大きく手を振って、正門をくぐった。
黒金はその背を見送って、ちらと視線を後ろにやった。白いベントレーが停まっている。
ミラーにジュリア手作りのチャームがぶら下がっている、サムソンの車だ。エンジンはかけっぱなしで、静かに運転手を待っていた。
黒金は仕事柄、それとなく中の様子を伺ってみた。後部座席では、北条ジュリアがぐっすり眠っていた。
エレナは安堵の息をついた。
見張りの先生は職員室に戻ってはいるが、各教室の賑やかな声が聞こえる。始業時間には余裕で間に合ったようだった。
(あーよかった! HRに間に合えばこっちのものよ)
靴箱前でレインコートを脱いだエレナがふと、雨音に紛れる妙な声に耳をすます。
〔ゥァオ! フーッ!! アオー!〕
その謎の音はすぐにわかった。猫の威嚇の声だ。それもかなり怒っているようだ。
とっさに思い浮かぶはチビだった。輪をかけて威嚇は大きくなる。エレナは驚きまま、鞄をその場にそっと置いて、鳴き声のする方へ駆けていった。
校舎の影から現れた人物に、エレナはまばたきひとつ。
海色の綺麗な碧眼、朝日のようなプラチナブロンド……現れたのは、サムソン先生だった。
サムソン先生は傘もささず、小脇に猫用キャリーバッグを抱えている。
猫用キャリーバッグでは、チビが目いっぱい体を膨らませ、ピンボールのように大暴れしていた。
「あっサムソン先生」エレナは思わず声をあげた。「どうしたんですか? チビを抱えて」
ふとエレナに気付いたサムソン先生が、笑顔で手を挙げ挨拶をした。およそ必死でチビを捕まえたのだろう、ひっかき傷が痛々しい。
エレナはちょっと屈んで、猫用キャリーバッグに声をかけた。
「どうしたのチビ? サムソン先生のこと大好きなのに、そんなに怒って珍しい」
エレナはふと顔をあげた。「動物病院に連れて行くんですか?」
サムソン先生は応えない。雨ざらしまま、笑顔でエレナを見つめている。
異様なそれが、どこか薄気味悪く感じた。その笑顔のまま、エレナに歩み寄る。エレナは思わず1歩あとずさった。
サムソン先生は張り付いた笑みまま、ぽんとエレナの肩に手を置いた。うんと屈み、耳元で囁く。
「10年前の北条家虐殺事件の真犯人は、僕なんだ」
「……えっ」
「僕なんだよ。全員殺した」
静かな間があった。
サムソンが、北条家虐殺事件の真犯人……その言葉が、糸を絡ませたようにこんがらがる。
湧き上がるは、北条家虐殺事件のニュースだった。
無残に惨殺された北条一家、その唯一の生き残りであるジュリアのことを。
雨の音がうるさかった。チビの威嚇が静寂を裂くように響く。サムソンは笑顔のままだ。
エレナは信じられないものを見るように、首を横に振った。
「えっ? そ……そんな、ど……どうして……」
そのとたん、サムソンの顔から笑顔が消え失せる。断ったかのように冷酷な表情で、エレナを見下ろした。
エレナは心底ぞっとした。心臓を雑巾絞りされたような感覚と共に、一気に総毛だつ。
「トリリオン研究所の電動知性体フィロフィシスの破壊、テレマ研究施設でのカブル奪還……」
サムソンはゆっくり踏みつけるように言って、静かに締めくくった。
「こそこそ嗅ぎ回っている蠅どもに伝えろ。ガキの遊びとしてこれまで目をつぶってやっていたが、邪魔をするなら話は別だ。これ以上は、お互い望まない結果になる」
エレナは心臓を鷲掴みにされた気持ちだった。
サムソン先生は、MIBのこともすべてお見通しなのだ!
愕然とするエレナのわきを過ぎ、サムソンの足音とチビの声が遠くなっていく。
エレナは、足が縫い付けたように動かなかった。こわくてこわくて動けなかった。
雨露とは違う、熱い汗が静かに背中を伝っていた。




