3.少年ミリアム
目覚めると、濃い曇天だった。
まるで写真のように動かぬそれに、黒金は自身が仰向けで寝ている事に気付く。
そこにふとジュリアが顔を覗かせた。やっと起きたか、という顔だ。
黒金はネクタイをゆるめ、老人のようにゆっくりと上半身を起こした。
頭は重く、二日酔いか寝過ぎの感覚に似ていた。体も泳ぎ疲れたかのようにだるい。
「……ここが、北条ジュリアの精神世界か」
そこは地平線まで続く、荒野のど真ん中だった。不気味なほど静かなのに、空からもの恐ろしいなにかが監視しているような感覚がある。
怪訝に空を見上げる黒金を横目、京が顎でジュリアをさした。ジュリアはじっと地平線の先を射抜くように見つめている。
「こっちよ」
ジュリアは夢ならではのひらめきまま、歩を進めた。黒金も京も、黙ってそれに続いていく。
鉛のように重く冷たい空気が肺を満たしていた。
まったく足が棒になりそうなほど歩いていた。
やがて次第に、最初こそぽつぽつと会話を交わしていく。
「……で、白いスーツ男にホイホイ釣られて幽霊屋敷にか」
そう返す黒金に、ジュリアは堅く頷いた。迷いひとつないジュリアの声が荒野に通る。
「北条家虐殺事件の真犯人は、白いスーツ男よ。警察も誰もあてにならなかった。誰も裁けないから、私がやるだけ。腹痛がなくなれば、もっと効率よく犯人捜しに取り組めるわ」
京はちらと黒金をみた。黒金はじろりと京を睨み返すだけだった。
さてと京が先を仰いだ。
針の孔ほどちいさな点ひとつ。点はどんどん大きくなり、巨大な森が眼前に広がる。
いつの間にか月どころか星ひとつない不気味な闇が、一行を静かに見下ろしていた。ジュリアは溜息一つ、肩越しに振り返った。
「……ここよ。でもそれ以上はわからない。ここ、ということがわかるだけ」
黒金はふむと森に目を凝らした。
よく目を凝らせば闇夜の奥に、ぽつんと隔離された大きな戸建てがあることがうかがえる。
うっそうと茂った森をくりぬいたかのように存在する戸建ては、まるでホラーゲームの幽霊屋敷のようだ。
「そこにジュリアちゃんのお腹に寄生しとるモノがおる」
京はそう言って、口元に扇子をやって笑う仕草をしてみせた。その目は黒金を見たままだ。
黒金は舌打ちひとつ、じろりと京を睨んだ。正しくは、京のかたちをした式神に。
黒金は一杯食わされた気分だった。部室に乗り込んだ時点で既に、こいつは本物の京が放った式神だったのだ。
式神は術者の力が弱いと、逆に術者を喰らい飲むほどの力をもつ。それを実体化させ、あろうことか喋らせここまで使役させる京に、黒金は関わり合いになるべきではないと心の内で思った。きっとそれすらも、見透かされているだろうが。
「……あの家、見覚えがある」とジュリア。
ふと黒金の目が、戸建ての大窓に集中した。
「おい、あれ───」
言葉尻が消えた黒金の視線の先に、ジュリアが目を奪われる。2人の視線は窓の奥にくらいついた。
陸上火薬のような銃声がいくつも響く。戸建ての中は、血の惨劇だった。
……・……
耳をつんざくような銃声と、風のような血しぶき。
血なまぐさい死の臭いが鼻腔を貫く。薬莢がいくつも血に落ち、やがて不気味な静寂へと変わった。
血だまりの中心で、白いスーツを真っ赤に染めた少年が、力なく銃口を降ろす。
少年は細い肩で呼吸をし、頬の血を拭った。足元に転がる遺体に奥歯を噛む。
「臭い……またこの臭いだ。パパの中にあった金属片と同じ……変な臭い。黒い臭い、薬みたいな臭いがする」
どういうわけか黒金達の視野が映画のようにズームアップし、2人は少年の視野になった。
2人は白いスーツの少年が、〔若き日のミリアム〕だとつぶさに理解した。
そして現状が、〔ジュリア暗殺の刺客を、間一髪で防いだ〕ということも。
少年ミリアムは痛手を負っていたが、エキゾチックならではに瞬時に再生する。
綺麗になった自らの手を見て何を思うか、黒金達にはわからない。その手首にはいかにも子ども向けの、大きいビーズの腕輪があった。
横たわる遺体は、ジュリアの両親だった〔イルミナの育成員〕達だ。
そしてジュリアの姉妹たちは、〔ジュリアの量産型クローン〕達だと目覚めるように理解できた。
(これはミリアムの過去か)
黒金がつぶさに思う。ふと、ジュリアの思念が黒金に流れこんできた。愕然とするジュリアの胸の内が手に取るようにわかる。
それはまるで脳みそを直接触れられたかのような感覚だった。
少年ミリアムは、横たわる刺客を蹴った。激闘に敗れた刺客は、少年ミリアムと同じ白いスーツを着ている。
それを見た黒金がふと呟いた。
(……白いスーツは、イルミナの戦闘着だ。どうしてジュリアをめぐって潰し合うんだ?)
その言葉に、ジュリアがぎょっとした。おそらく隣にいるであろう黒金の意識に声を投げる。
(白いスーツが、イルミナの戦闘着? そんなはずないわ。先生はイルミナが運営する、聖イルミナ医院の院長なのよ)
(どこの組織も一枚岩じゃねえよ。それにここは君の夢の中だろ、なぜミリアムの記憶が存在している)
その時だった。
黒い大きな犬ことビッグメンが、最後の刺客の頭をかみ砕き、少年ミリアムに駆け寄る。
少年ミリアムは優しく、その頭を血まみれの手で撫でてやった。
「……ありがとうビッグ。ごめんよ、君には血の味を覚えさせたくなかった」
ビッグメンは嬉しそうに尻尾を振る。傷まみれの体は痛ましい限りだが、ゆっくりと再生していた。
奥の部屋では、若き日のサムソンがうずくまっていた。あたりは血の海で、サムソンのすすり泣きが静かに響いている。
「また、……また、守れなかった……」
その腕の中には、今と見目変わらぬジュリアが眠っていた。しかし全身は紙の様に白く、明らかにこと切れている。
ジュリアの溢れた臓物をかき集めたのか、サムソンもペンキをかぶったかのように真っ赤だ。
少年ミリアムはどうということなく歩み寄って、サムソンに目線を合わせた。
「めそめそ泣くなよサムソン。ジュリアの血はまだ温かい。ぼくの半身を与えれば、ジュリアは再生できる。ぼくはエキゾチックだから」
サムソンはゆっくり首を横に振り、嗚咽に涙を流す。
「ミリアム……でも、でもそんなことすれば、君は君じゃなくなってしまう」
その懺悔にも似た涙に、少年ミリアムはかぶりをふった。
「パパが死んだ時、そばにいてくれたのはサムソンだ。やッと恩返しができるんだぜ」
言って、糸が切れたように首を垂れたミリアムの口から、半透明のナメクジのようなものが零れた。
溢れるそれは幼児の腕ほど太く、滑り込むようにジュリアの破けた腹へ潜り込んでいく。
半ばで切り上げた少年ミリアムは、残りを呑み込んだ。
もう半分を腹におさめたジュリアはたちまち傷が失せ、頬に命の赤みがさしていく。
「ぼくがジュリアに半分寄生している間は安全だ。刺客どもも検知できないさ」
サムソンの肩を叩いた少年ミリアムはそう言って、できるかぎりの笑顔をむけてやった。
黒金とジュリアは、意識が少年ミリアムから引き剥がれたことを知った。
それはあまりに衝撃的で、うんと突き飛ばされたかのような感覚に二、三歩後ずさる。
戸建ては最初に見た時と同じで、しんと静まり返っているだけだ。
「北条家虐殺事件の真犯人は、イルミナの刺客たちか」
やや興味なさげに呟く黒金に、ジュリアは愕然に首を横に振った。
「……そんな……家族も偽物だったなんて、ミリアムのことも……先生はそんなこと、一言も……」
あきらかに動揺に揺れるジュリアに、黒金はうんざりに頭をかいた。
京は2人の様子を黙ってい見ていた。黒金の知ったことかという態度は、微塵も隠す気は無いらしい。
戸建てのドアがふと開く。中から現れたのは、少年ミリアムだった。
女の子のような可憐な容姿だが、血染めの白スーツは幽霊屋敷の男を彷彿とさせる。眼前のミリアムに黒金が驚き、ジュリアは足が縫い付けたように動かなかった。
少年ミリアムがちらとジュリアを横目見た。
「そんなビビんなよ。本体は今は鞍替え中だ。……おかげでこっちに意識を集めることができた」
ミリアムが軽く言って、真っ先に指をさしたのは京だった。
「おい妙なガキ。オレとジュリアを引き剥がすな。オレがいるからジュリアは怪我を負わないし、危険なエイリアンを見分けることができるンだよ」
そこでやっと、ジュリアの唇が震えるように動いた。
「……どうして黙ってたの、何年も……私のお腹の中にいたって」
ミリアムは呆れかえったように両手を広げて見せた。
「お前は馬鹿か? お前が下手打って首謀者にこの事実が流れたら、お前もサムソンも消されるだろうが」
流れるように歩み寄り、銃口を向けるかのように人差し指を挿す。
「だからオレはお前の身体が欲しかッた。完全体になりゃサムソンを守れるし、お前も少なくとも死にャしねーからだ。でも予想よりずッと早く、イルミナが動き始めている」
ミリアムがちらと黒金を見た。静観していた黒金の視線がちらと動く。
「黒金、お前の取り立てはサタンも小便を漏らすんだろ?」
当然のように頷いた黒金にミリアムは少し笑って、泡のように消えていった。
黒金はのぼっていく泡を見送る。その拳が硬く握られていることは、誰にもわからなかった。
「目が覚めたら、ミリアムを探さないと」
ジュリアの誓いにも似た呟きに、京が大きく頷いた。
仕切り直すように、両袖に手を突っ込んで背筋をピンと伸ばす。ジュリアをしゃんと見て、はっきりと告げた。
「さて。北条家虐殺事件の真犯人は、イルミナの刺客やった。そんで腹痛の原因は、先の【少年ミリアム】よ。
少年ミリアムは引き剥がさんとく。幽霊屋敷の礼はここまで、ちゅうこっちゃ」
ジュリアはしっかりと頷いた。それはこれまでにない、光のある目だ。
「ええ。ありがと。あとはミリアムに直接訊くわ」
それに京がツイと指先を右から左へとやる。それが何かはわからなかったが、ジュリアの体がとたん泡のようにわきはじめた。帰るのだと理解したジュリアは声を上げる間もなく、泡のように消えていった。
「ほな僕らも帰ろか」
京の声が軽く響く。響いて、世界は暗くなった。
「ッぶはっ!」
黒金は水面から飛び出し、呼吸にあえいで宙に手を伸ばした。
ゴハンは水面を見渡した。見渡して、自らの額をパチンと叩く。視線の先に浮かぶは京の依り代だ。
「うっそ、また式神だったのかよ!? 京のやつ、魔法使いじゃねーの?」
ゴハン達の声が聞こえた気がしたが、黒金はそれどころではなかった。
氷のように身体が冷えきっているせいか、地上はまるでサウナだった。やっと掴んだプールの淵は、まるで鉄板のように熱い。
パンに一気に引き上げられた黒金は、腹の底から水を吐いた。どういうわけか、感覚的には逆に引きずり込まれたかのようだった。
くそ、と立ち上がろうとして眩暈に地面に伏せる。立ってるのか逆立ちしてるのかすらわからなかった。
「どうだった」
パンの声がくぐもってきこえる。心配している様子は1㎜も感じられぬ声音だ。
黒金は「返事できるわけないだろこのバカ野郎が」と思った。
生ぬるい水を吐ききって、今度は寒気が襲ってきた。歯の根も合わぬほど震えが止まらず、バスタオルをかきいだく。
穏やかに眠るジュリアを拭いていたエレナは、黒金の様子に立ち上がった。
「だ、大丈夫かな黒金くん……、あっ」
エレナはさっき黒金が置いていた瓶を手に取る。終わったらこれを飲むか、ぶっかけりゃ死にゃしねえとかいってた瓶だ。
瓶を手に、エレナは転がるように黒金に駆け寄る。そして勢いまま、瓶の中身を黒金にぶっかけてやった。
ゴハンが「エレナちゃん、何してんの?」とあっけに声を上げる。
エレナはちょっとたじろいだものの、黒金が用意した瓶を印籠のように見せた。
「黒金くんが、これをかけたら死なないって!」
2人をよそに、黒金は酸素ボンベをつけたダイバーのように呼吸を取り戻した。呼吸は一気に落ち着いたようで、効果は抜群だ。
エレナは黒金をのぞき込んだ。ゴハンも覗き込んだ。出し抜けにパンが覗き込む。
「「大丈夫?」」
黒金は苦虫をミキサーに回し一気に飲み込んだような苦々しい声で、宙に呟いた。
「……ゃる……」
エレナが耳をすまし「えっなんて?」。
「境京め、あいつは平気だろうが……こっちは神通力をごっそり持っていかれた……、療養費、がっつり請求してやる……!」
一同、顔を上げて見合った。
「元気そうだね」




