2.陰陽師と元神父
放課後の賑わいが遠くなったころ。
夕闇迫る写真部で、ジュリアとエレナは宿題をしていた。正しくは、ジュリアがエレナに勉強を教えていた。エレナはペン尻を口元に思考を巡らせ、はたとしてペンを走らせる。
京はそんな様子をのんびりと見ていた。穏やかな瞳はそっと、カーテンの向こうに流れる。まるでそこに誰かが潜んでいるかのように。
宿題を終えたエレナは、すっきりとした顔で鞄にノートをおさめた。
「ゴハンたち、遅いね。宿題終わっちゃった」
それにジュリアが待ったをかけた。
「エレナ、予習がまだよ。教科書を広げて、わかるよう説明するから」
「うへえ、ありがとうジュリア」
そんなこんなで手作りクッキーが半分減ったころ、ようやくゴハン達がドアを開けた。
「準備完了! ったく、コキ使ってくれちゃうんだから」とゴハン。
ネクタイを緩めるパンは、うんざりな溜息一つ。どうもかなりの力仕事だったようで、珍しく額に汗が滲んでいた。
エレナとジュリアがよしきたと立ち上がる。
「2人ともお疲れさま! 京くん、ジュリアのお腹をお願いね」とエレナ。
ジュリアは凛と京を見た。
「幽霊屋敷の件で貴方の実力はわかってるわ、借りは返してもらうわよ」
それに京は穏やかに眉根をかき、ちらと窓を見る。
「ちょい待ち、客人がおる。……出てこんか、小僧」
エレナ達がふと顔を上げた瞬間、流れるように窓が開いた。
風と共にひらりと部室に飛び込んだのは、黒づくめの青年だった。ミステリアスで艶やかな黒髪が、夕日に鈍く光る。アジア人ならではの切れ長の瞳には、漆黒の闇が宿っていた。病人のように色白で、パールホワイトのネクタイ以外は革手袋にいたるまで全身黒づくめだ。平たく言えば、いかにも殺し屋だった。殺し屋こと黒金は服を軽くはたき、フンと鼻を鳴らす。
ジュリアがちょっと驚いて、噛み潰すように呟いた。
「貴方、遊園地モルガーニャランドのチュロス男……!」
それにエレナがジュリアを見て、黒金を見て、またジュリアを見た。
「えっ! サムソン先生とのデートに付きまとって、チュロスを不味そうにモリモリ食べてた黒い護衛ってあの人のこと?」
2人の様子にゴハンは頬をかいて、「えーと、黒い人。何の用? チュロスはないけど」。
そんな場で、京はあっけらかんと黒金に笑顔を向けた。
「敵やないよ、お互い。なぁ、黒金くん」
黒金はいつかみた不気味な少年を睨みつけた。初対面ではないとはいえ、なぜ名前を知っているのかと目で物を言う。そして舌打ちひとつ、まるで悪魔の王子のように椅子に腰を落とし、大きく足を組んだ。
「君、高速道路で目が合った事があるな。黒でもなく白でもないガキめ……。妙な術を送ってきやがって、オレに何の用だ」
黒金が突き出した拳から、握りつぶされた京の形代が落ちる。京はおっとりと小首を傾げて見せた。その小馬鹿めいた笑みに悪意はなく、きゅうと細められた目は不気味な狐狸のようだ。
「現状お察しで来たんやろ? 元神父の黒金、白でも黒でもある者よ」
こめかみを指でおさえた元神父・黒金は、くだらなげに鼻を鳴らした。
「そういう君こそ人間をやめたか、白でも黒でもない化け物め。オレは忙しいんだよ」
続けてちらとエレナ達をみて「おい、君ら。こんな化け物とツルむと災いが降りかかるぞ」
綺麗な見た目を裏切る低い声音に、エレナはちょっと驚いた。一同が、怪訝に京と黒金を見た。そうは言われても黒づくめのお前こそ、といった面で。静観していたパンだったが、微妙な空気にそれとなく切り出す。
「京は信頼できる陰陽師だ、少なくとも素性の知れない貴様よりはな。さぞ場数を踏んでいると見受けるが?」
黒金は百も承知にパンを横目見た。かなりの色男だが、随分と気取った野郎だなと思いながら。
「名をとられたか、情けない野郎共だ。こいつの術はどこからともなく内に入り、さも仲間のようにふるまうものだ。このガキとのきっかけを思い出してみろ、それまでの思い出すらないはずだ」
その瞬間のことだ。京と黒金を除いた全員の動きがぴたりと止まったのは。信じられない事に、まるで動画を停止したかのように、全員が動かなくなった。
空間や夕日の光すら、切り取ったかのように静寂だった。マネキン状態のエレナ達に、黒金がぎょっと京を見る。
京は子どもっぽく口をとがらせてみせた。
「やめーや、術がとけてまうやんけ」
黒金は京を睨みつけた。「何を企んでいる」と刺すようにドスをきかせて。これまでいくつもの修羅場を越えてきた黒金だったが、京ほどの不気味な存在は初めてのことだった。
ぞっとするほど静寂な部室で、ふと京の含み笑いがくつくつと時を打つ。
「……お琴の村を開拓したんはイルミナ系列企業やった。イルミナは奸計をもって神域を穢した。神罰を下すは当然の理」
そういって、まっすぐにエレナを指し、穏やかに続けた。
「この子が16になったから、代償にもらいにきた。でもラエティーシャって子がな、エレナだけは連れていかんといてってお願いしてきたんや。せやから幽霊屋敷で手打ちとした。それに黒金、お前にはちょうどええやろと思うてな」
黒金は聞き逃しを確認するかのように眉をひそめた。
「イルミナとそこの金髪のガキ、なんの関係がある」と。
しかし京は応えなかった。ヒトの形をした何かのように、きゅうと目を細め返す。
「荒らしてくれるな、人ン子よ。羽虫1匹払うことなど造作もないぞ」
いつまでそうしていたろう。嫌な間だった。少なくとも黒金にとっては、化け物の舌に乗った気分だった。正しくはそうだったのかもしれない。この形代を掴んだ時点で、黒金も術中にあったのだから。ガキだからと甘く見ていたと思う事すら、京は掌握しているようだった。
「……さて」
京が手を叩いた瞬間、あたりが一瞬にして夜に切り替わる。エレナ達は、まるでさっきまで普通に会話していたかのように動き出した。ぞっと息をのむ黒金に構わず、京はひょうひょうと続けた。
「ジュリアちゃんの腹には、悪魔でも鬼でもないモノがおる。それを僕と黒金とで、禊祓いして取り除くんや。ジュリアちゃんの腹痛はそれで治る」
黒金は一気に息を吐いた。水中から顔を出したかのようなそれに、エレナ達がぎょっとする。
「黒金くんどうしたの? 大丈夫?」
黒金は、ハンカチを差し出すエレナの手を払って気付いた。脂汗が、顎を伝っていたことに。
「……わかった。協力してやる」
京を見据え、吐き気をおさえるように言うしかできなかった。
……・……
雲ひとつない澄んだ夜。しかし月明りがあるにもかかわらず空は異様に深く、深海よりも暗かった。
闇夜に包まれたプールサイドは、墓地のような静寂に包まれていた。
ゴハンとパンの下準備あって、紐に囲まれたプールには清水がたっぷりとはられていた。墨のように暗いそこに月がぽっかりと映っている。プールサイドの四方には荒塩がてんこもりにされていて、何やら呪文が書かれた金属の棒が刺さっていた。儀式を行う京の厳かな声が響く。京はふと6歩あゆみ、プールサイドに一礼した。
映画のセットのように様変わりしたプールに、エレナは感心に一瞥する。
(すっごい、なんだかここだけ空気が違うみたい……)
エレナはちらと周りを見た。ゴハンとパンは思いのほか、のんびりとしていた。しかし声を潜ませ、じっと黒金を見ている。一方の黒金は、草でできた松明の煙をあちこちに撒いていた。まるでバーベキューの準備を嫌がる子どものような面だ。
エレナはふと、黒金をレンズごしに視てみた。おだやかにゆらめく虹色の先……黒金はなんてことない、普通の人間だった。その瞬間ちらと視線があった気がしたが、黒金がエレナを気に留める様子は一切なかった。
シャワー室で水浴びを終えたジュリアが、バスタオル1枚でエレナの隣につく。お清めとやらを終えたジュリアに、エレナはやっと口元の手を降ろした。
「……映画みたいでどきどきするね」
ジュリアは軽く肩をすくめ返し、「不気味だと思うけど、エレナって変なところで平気よね」。
ちょうどその時、松明を振り消した黒金がそばまできた。十字架を額と眉に当てもって、何やらガラスの瓶を適当に並べていく。エレナはそれとなく覗き込んだ。
「なにそれ、水?」
黒金はちらりともエレナを見ずに言った。
「花の蜜を用いた特殊な水だ。万一があっても、これをぶっかけりゃ死にゃしねえ」
エレナは興味津々に感心に瓶を見る。燻製したような薄い香りに目をまたたかせる。
「へー。……ちょっと飲んでみたい。どんな味?」
そこでやっと黒金はエレナを見た。ゴミカスでも見下ろすような目で、「さっきからちょこまか鬱陶しいんだよ、邪魔すんな」。
しかしエレナはなぜか、黒金から敵意を微塵も感じないことに心の内で驚いた。素直にうんうん頷いて、ジュリアの元に戻る。
「邪魔だって怒られちゃった」
軽く舌を見せたエレナに、ジュリアは眉を上げて腕を組んだ。まったく怖いもの知らずねと鼻でため息をつく。
「ミシェルがいなくてよかったわね。彼女が今のを聞いてたら、黒金くんをプールに蹴り落としてるわよ」
まじないを終えた京が、そそとジュリアに歩み寄る。
「ジュリアちゃんの胎のモノは、魂にまで癒着しとる。せやから精神世界……いわば夢の中で根っこを断ち切らなあかん。初めての試みやからどうなるかわからんけど、まぁ黒金くんもおるから大丈夫やろ」
エレナは突飛な発言にまばたきした。
「えっ夢の中に行くの?」
ちょうど準備を終えた黒金が、小さくため息をついた。
「御託はいい、とっととやるぞ」
一同、大きく頷いた。
まず京が服を脱いで、すっぽんぽんになった。黒金が脱ぐのも同時だった。突如脱ぎ始めた2人に、エレナはギャッと声を上げて背を向ける。ジュリアはエレナの肩をそっと抱いてパンにまかせた。
「エレナ、そこに座ってて。30分もしないうちに終わるらしいから」
エレナをうけとったパンが、静かに言い添えた。
「脱ぐのはシンクロ率を上げるためだろう。羊水の再現が水だ。下手な装備は帰ってこれなくなる」
エレナが助けを請う目でパンを見る。パンは諭すように続けた。
「本来は神託を得るための儀式だ。俺が知っている内容とはかなり違うが、京のことだ。何とかするのだろう」
無造作に脱ぎ捨てられたブランドの服を足元に、黒金の細く引き締まった体があらわになる。鋼のような肉体は相当な場数を物語っていた。
「ちょっとは隠しなさいよ、デリカシーないわね」とジュリアが黒金を睨むも、清々しいほど無視だ。
マッパの黒金は気を揉んでいた。本来ならば夜明け前の霊山に巫女だけでやるような代物を、京は夜の学園のプールで、野郎2人でやるとほざく。おまけにろくに清めてもいないし、片方の自分は異教徒ときたものだ。色んな意味で何が起こるかわからない。
だが眼前の京はどういうわけが、神々の恩恵をうけているのがよくわかる。京が無茶をしようも、まるで孫を愛でる祖父母のような底ぬけの慈愛がまとっているのだ。
それが逆に気の毒にも感じた。そういう力がどんな運命を辿るか、黒金はよく知っている。
「よし、準備でけたな」
確認するようにうなずいた京は、顎で黒金に指図する。
「黒金くんは、ジュリアちゃん運んでな」
軽く言って、そのままプールに足をつける。つけて、そのまま滑り込むように水の中へと消えた。
態度のでかい京に、黒金は若干イラついた。べらべら喋りながらやるようなものではないのだ。しかし京はまるで銭湯にでも行く風情で先を行く。遅れをとるのは嫌だった。
(ええいままよ)
黒金は口の中でそう呟き、ジュリアを抱えプールに降りた。
驚くことに底はなく、引きずり込まれるように落ちていく。まるで宇宙に放り出されたかのようだった……。




