4.約束の指、赤い糸
街の明かりが賑やかな、トリプリシティの一角。若者がごった返すドーナツ屋のネオンが派手に輝いていた。
賑やかな店内でお茶を交わすは、エレナ一行と陰陽師の境京だ。
ドリンクで喉を潤したエレナが、やや興奮気味に京に食いついた。
「ねえ、京くんは陰陽師なんでしょ? 恋愛占いとかもできるの?」
添うように桜蘭が「あら、私も興味がありますわ」と、頬におっとり手を添える。ミシェルは興味なさげに笑って、ちらとジュリアを見た。ジュリアはリスのようにドーナツをかじっている。
「ジュリア、賑やかでごめんね。ゆっくり話したかったろ」
ミシェルの苦々しい笑みに、ジュリアは静かに首を横に振った。ジュリアはこう見えてとても楽しんでいるとわかるのはエレナくらいだろう。
まぁまぁと両手で場をおさえた京は、さておき抹茶ラテを一口。
「できるよ。占ったろ」
老木の器に浮かぶは、赤い針1本。京はそれを細い溜息に吹いてみせた。針は扇風機のように軽やかに回って、羅針盤のように先を定める。京は眉を上げ、フムと肘をついた。
「んー……桜蘭ちゃんは……結婚はせぇへんかもなあ。自分の気持ちに素直になりや」
それに桜蘭があらまあと口元に手をやった。
「意外だね」とやや面食らってエレナ。桜蘭はいかにも幸せそうな家庭を築きそうな清廉淑女だからだ。桜蘭はちょっと残念そうに笑って返す。占い結果を全く気にしてないようだった。
続いて京が木の器に手をかざし、空中で撫でるように手を回す。不思議と針が動いて、また同じように止まった。
京は軽く頷いた。
「ほうほう、ミシェルちゃんはじきに—————」
ミシェルが京の言葉を断つように「やめて、興味ないよ」と指を立てる。京は百も承知に笑って流した。
そしてもう一度、空中で撫でるように手を回し、不思議な羅針盤が方位を定める。
「エレナちゃんはもう縁ができとる。子どももできる、初子は女や」
それは桜蘭の時とは違い、確信的な断言だった。婚約者のいるエレナは、なんとも言えない面持ちで頷き返す。ミシェルが「おかわりは?」と話題をそらすようにカップを揺らした。
その時だった。ふと遠雷のような音が響き、一同顔を上げる。遠雷はあっという間に、雷のような暴力的な爆音となって響き渡った。公道向けではない爆音オブ爆音で暴力的な唸りを轟かせるは、改造バイクだ。店内でくつろぐ客もエレナ達も、何事かと窓の外を見る。
爆音バイクにまたがるは、ノーヘルのトラエだった。3連ラッパのエアホーンが陽気にパラリラと鳴る。尻についてた仲間のバイクが、別れを告げて散り散りに走っていく。呆然とする一行横目、バイクのケツが大きく弧を描き、トラエはドーナツ屋の駐車スペースに着いた。
「誰よ、バカを呼んだの」とジュリアが言いもってエレナを見る。
エレナはちょっとバツが悪そうに、弁解に両掌を見せた。
「ええと、呼んだわけじゃないの。どこにいるってメールがきて————」
エレナが言い終わる前に、ドーナツ屋のドアが開いた。
トラエは一直線にエレナ達のデスクに歩み寄る。どんと片手をついて、カップがおっかなびっくり揺れた。盛大なドヤ顔でかっこつけたトラエは、親指を外に指して見せる。
「よォ、ミシェル。ちょっと面貸せよ」
…
「ええ? 自主退学したの? これからどうするんだよ」
ドーナツ屋を背に、ミシェルはバイクに腰かけるトラエに目を白黒させた。トラエは小さな溜息ひとつ、悔いも後悔もない様子で返す。
「引き抜きっていうか、親父の仕事を継ぐことになった。色々とやることがあッてな」
親父の仕事、それにミシェルは息をのんでトラエの続きを待つ。幼馴染のトラエは、これまで見たことのない目をしていた。
トラエはミシェルをまっすぐみた。ミシェルと初めて会ったのは、イルミナの中庭だった。体中が喜びで湧き上がるかのような、不思議な使命感が沸きあがったことを思い出す。真っ暗な世界で、ミシェルだけが天使のように輝いていたのだ。それは今も同じだった。屋上からミシェルを目で追うのが好きだった。その感情の意味に蓋をして、トラエは笑んで見せる。
「忘れンなよ、オレはいつだってミシェルの味方だからな」
ついと出された小指に、ミシェルは当然のように小指を絡ませ返す。指きりげんまんを終えてふと、ミシェルは当然のように約束した自分にやや驚いた。
トラエのバイクのテールランプが消えても、ミシェルはずっと小指を包んでいた。心の奥底を燻るような感情の名前がなんなのか、ミシェルはまったくわからなかった。
……
パウダールームで髪を整えるエレナは、鏡越しに隣のジュリアを見た。
ジュリアはビューラーを軽く当てている。お人形のような長い睫毛が蝶のように動いた。
「トラエくんと幼馴染なんて、ミシェルも大変ね」
「小さい頃から知ってるから、できの悪い弟みたいって言ってたよ」とエレナ。
メイクポーチを閉じたジュリアは、あらまと軽く眉をあげた。
「随分面倒見がいいのね、変な男にひっかからなきゃいいけど」
鮮やかな緑髪の隙間から、きらりとイヤリングが光る。サムソン先生手作りのイヤリングだ。
「いいなあ、ジュリアは。サムソン先生とラブラブだから、運命の相手を占う必要ないもん」
そう言って、秘密の取引のようにジュリアに耳打ちした。
「好きな人と両想いになるってどんなかんじ? ち……チューとかするの? レモン味ってほんと?」
頬を赤くするエレナに、ジュリアは思わず笑った。
「焦らなくても、エレナもそのうち恋人ができるわよ。見た目や肩書じゃなくて、お互い心から寄り添えることができる存在がね」
エレナは夏休みの宿題を後回しにしたツケを食らったように、うなだれて首を振った。
「……えー…全然イメージわかないー」
「貴方には婚約者がいるものね」とジュリア。
こと交際経験のないエレナは不服に頷いた。恋というのは恋愛映画のように互いに惹かれ合い、めくるめくときめきあってこそだろうと。
それを承知に、ジュリアは言い添えた。
「運命の相手の前では、年齢も人種も性別も1つの目安に過ぎないの。人生ひっくりかえるっていうのかしら。家柄とか婚約者とか、今までのすべてをなげうってでも添い遂げたくなるんだから」
まるで映画の台詞みたいだとエレナは思った。そうだったらどんなに素敵かと思う反面、愛し合うジュリア達は確固たる存在証明だとも。エレナは胸いっぱいに深呼吸した。
「……京くんは、私はもう誰かと縁ができてるって言ってた」
ジュリアはそらみたことかと小指を振ってみせ、「じゃあ、あとは手繰り寄せるだけね」と笑みを返す。
「手繰り寄せるって、何を?」
「赤い糸よ」
2人はふと見合って、声を潜ませ笑ったのだった。
……・……
アーロンは、静かにグレアの個室を開けた。
ベッドでお腹をさすっていたグレアが、花咲くように笑顔を向ける。
「アーロン、お疲れさま。トラエは?」
「ご機嫌で帰っていきましたよ。ほんと、ウィングにそっくりで」
言ってアーロンが、やれやれと隣に腰を落とした。グレアは嬉し気に、アーロンに手を重ねる。
「ねえアーロン、今度みんなで食事をしましょう? きっと仲良くなれるわ」
アーロンは爽やかな笑顔を返し、穏やかに首を横に振った。
「いえ、転院後は君と会う事はありません。僕の恩返しは終わりましたから」
グレアは一瞬、何を言われたかわからなかった。確かめるように、伺うように目を眩し気に眇める。
「……転院? もう会わないって、どういう事?」と。
少し、妙な間があった。アーロンが少し困ったように頬をかく。
「一般研究生のグレアがトラエくんを守り続けるには、上層部である僕の既得権が必要だった。それだけの話です。トラエくんもイルミナの管轄から逃れた今、もう恋人ごっこは必要ないじゃないですか」
そう言って腕時計に目を落とし、まるで仕事を終えたかのように席を立つ。
「そうじゃなくて! アーロン」グレアが遮り、アーロンの袖を掴んだ。
「あなたと何年一緒にいると思ってるの? 嘘をつく時の癖くらいわかるわ」
アイスブルーの瞳がアーロンを射抜くように見つめた。同時、袖を掴む手に力が入る。それは、長い間だった。
「……本当に、もう会えないんですよ、グレア」
諦めに近い声で、アーロンの声が静かに響いた。
「これ以上僕といれば、君たちが危険なんです。それじゃ意味がありません、……ウィングに顔向けできない」
言って、袖にかかった手を掴む。その細い薬指に光るいびつな形のリングに、唸るように俯いた。
「あなたはあの人への恩返しに私を抱いたの? あの人はもういない。私が何より辛い時、隣でずっと支えてくれたのはあなたよ」
アーロンは返さない。
「答えてちょうだい、アーロン。私達の絆が嘘でないのなら」
「……僕は好きでもない人を抱けるほど器用じゃありません」
囁くように呟くアーロンに、グレアがきっぱりと返す。
「ええ、私もよ」と。
「……僕は君みたいに強くない……」
「ええそうね、あなたは私がいないとダメな人よ。私もそう、私たちは2人で1つだもの」
「じゃあその指輪はなんだよ」
アーロンが噛み潰すように地面に呟いた。掴んだ手に力がこもる。
グレアの薬指に光る指輪の前では、どんな愛の言葉も灰だった。その薬指の指輪を、疎ましく思ったことがないといえば嘘になる。
最初は関係できるだけでよかった。でも想いはすぐに溢れてしまった。もっと早くに想いを告げていれば、何かが変わっていたのかもしれない。隣に、いれたかもしれない。
こうなってしまうのが一番怖かったはずなのに。いっそ綺麗に終われたらと思う反面、どうか気付いてほしかった。周囲を騙すために並べ連ねた愛の言葉たちが、嘘でないことも。
グレアは微動だにせず、アーロンを真っ直ぐ見つめる。心の底まで見透かされた気分に、アーロンは奥歯を噛み俯いた。
「ねぇアーロン。私はあなたが思っているほど器用ではないし、強くもないのよ。あなたが背負う大きな何かを、私が気付いてないと思う? ……あなたのポケットの中の想いが、どれほどのものかずっと待ってるのに」
その言葉にアーロンが顔を上げた。碧眼に光る涙に、グレアが微笑む。そして、まるで結婚指輪を待つ花嫁のように、左手をアーロンに向けた。いびつな銀の指輪が月に光り、アーロンが奥歯をかたく噛む。
ゆっくりとその指輪を抜き、そばのナイトテーブルに置いた。グレアは承知にアーロンを見つめる。
アーロンは胸ポケットに手を入れた。ずっと渡せなかった金のリングを、そっとグレアの薬指に通す。そして、真っ直ぐ見合った。
「……任務を終えたら、きっと迎えに行く。お腹の子に、ちゃんとパパだって胸をはって言えるように」
その言葉に、グレアの笑顔に影が差し、涙が光る。とたん虚勢が消え、しがみつくようにアーロンに抱きついた。
「あなたは嘘をつくのが、本当に下手……」
噛み殺すようなグレアの声、熱い涙が肩を濡らす。アーロンは奥歯をかんで、愛するグレアを抱きしめた。抱きしめて、生まれて初めて心から泣いた。




