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十二刻のクロノス ~時間魔法から始まる時々~  作者: 鏡花
第一章「青き目覚め」

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第8話「知らない町」

二日目の夕暮れ、俺たちは初めての町に辿り着いた。街道の向こうに見えてきた城壁と家々の屋根の連なりを目にしたとき、旅の疲れも一瞬忘れるほどの高揚感があった。


村とは比べ物にならない規模だった。石造りの家々が並び、大通りには様々な店が軒を連ねている。行き交う人々の数も、服装の種類も、村では見たことのないものばかりだった。荷馬車の車輪が石畳を鳴らす音、露店の店主たちの威勢のいい呼び込み、遠くから漂ってくる香辛料の匂い――そのすべてが、これまで知っていた世界の狭さを、否応なく実感させた。


「……すごい、ですね」


ユキが、目を丸くしながら呟いた。彼女もまた、こうした規模の町を、これまでの逃避行の中で見てきたはずだ。それでも、その反応には、素直な驚きが滲んでいた。


「お前も、こういう町を見たことあるんじゃないのか」


「見たことは、あります。でも、こうして……ゆっくりと景色を見て歩くのは、久しぶりかもしれません」


その言葉に、胸の奥が僅かに(きし)んだ。彼女がこれまで、どれほど気の休まらない日々を過ごしてきたのか、改めて思い知らされる。


大通りを歩きながら、俺たちはまず、今夜の宿を探すことにした。手持ちの路銀は限られている。あまり高い宿は選べない。


途中、市場を通りかかると、色とりどりの果物や、見たこともない香辛料、金属細工の道具などが所狭しと並んでいた。村では手に入らないものばかりで、ついつい足を止めて見入ってしまう。


「クロさん、あれ」


ユキが指差した先には、ずらりと並んだ書物の露店があった。古びた装丁の本から、比較的新しそうな冊子まで、様々な種類が積まれている。


近づいてみると、店主らしき白髪の老人が、椅子に座って居眠りをしていた。並べられた本の背表紙には、見慣れない言語で書かれたものも多く、この町が交易の要所であることを窺わせた。長旅で疲れているのか、老人の寝息は深く、声をかけるのも(はばか)られるほどだった。


「後で寄ってみるか」


「はい」


老人を起こすのは気が引けたので、その場は軽く一瞥(いちべつ)するだけに留め、俺たちは宿探しを優先することにした。それでも、あの露店に、何か手がかりになる本が眠っているかもしれないという予感は、頭の片隅に残り続けていた。


そんな会話を交わしながらも、周囲の視線に、時折ちくりとした痛みを感じた。ユキの白い髪は、この町でも十分に人目を引くようで、すれ違う人々が、驚いたように振り返る様子が何度もあった。


「気にするな」


小声で伝えると、ユキは小さく頷いた。半年前に比べれば、そうした視線への耐性も、少しはついてきたのかもしれない。それでも、完全に慣れることは、きっとないのだろう。


「あそこなんか、良さそうじゃないか」


看板に「旅人亭」と書かれた、こぢんまりとした宿を見つけ、中に入る。宿の主人らしき恰幅(かっぷく)の良い女性が、愛想よく出迎えてくれた。


「お二人様かい? 相部屋でよければ、手頃な値段で泊まれるよ」


「お願いします」


手続きを済ませ、簡単な荷物を部屋に置くと、俺たちは早速、情報収集のために宿の食堂へと降りた。夕食時ということもあり、食堂には多くの旅人や地元の住人たちが集まっていた。


席に着くなり、いくつかの視線が、ユキの方に集まるのを感じた。物珍しそうにこちらを見る客、ひそひそと何か囁き合う者たち。以前のユキなら、そうした視線に俯いて縮こまっていたはずだ。


「大丈夫か」


小声で尋ねると、ユキは小さく首を横に振った。


「……大丈夫です。前より、ずっと」


強がりではなく、本当にそう思っているような、落ち着いた声だった。それでも、テーブルの下で、彼女の手が微かに震えていることに、俺は気づいていた。だから、さりげなく、その手に自分の手を重ねた。


「気にすんな。俺がついてる」


短い言葉だったが、ユキは驚いたように目を見開いた後、小さく頷いた。強張(こわば)っていた肩から、少しだけ力が抜けるのがわかった。周囲のざわめきも、先ほどまでとは違って、それほど気にならなくなっていた。


「時間を操る力について、何か知らないか聞いて回るのは、さすがに目立ちすぎるよな」


小声でユキに相談すると、彼女も頷いた。


「そうですね。まずは、世間話から探るのがいいと思います」


食堂の隅、比較的静かな席に陣取り、俺たちは周囲の会話に耳を澄ませた。旅の情報交換は、こうした食堂が一番だと、父から聞いたことがある。


「――そういえば、聞いたか。北の方で、また『時渡りの民』の噂が出てるらしいぞ」


不意に、隣の卓から聞こえてきた言葉に、思わず息を呑んだ。


「時渡りの民、ですか?」


ユキが、小さく聞き返すように呟いた。俺も、その言葉には覚えがなかった。


聞き耳を立てていると、話していたのは、旅慣れた様子の商人風の男二人だった。


「ああ、大昔の伝承さ。時間そのものを操る力を持った、人ならざる一族がいたって話だ。ずいぶん昔に滅んだとか、いや今も隠れ潜んでるとか、色々な説があるがな」


「そんな与太話(よたばなし)、本気にしてるのかよ」


「与太話で片付けるには、最近、妙な噂が多すぎるんだよなぁ。北方の街道で、武装した連中が何かを探し回ってるって話、お前も聞いてるだろ」


その言葉に、心臓が跳ねた。


「ああ、あれか。貴族の私兵が、逃げた奴隷でも追ってるんじゃないかって、もっぱらの噂だが」


「奴隷にしちゃ、随分と本腰入れて探してるって話だぜ。しかも、動いてるのは一つの街道だけじゃない。西の方でも、似たような連中が目撃されてるらしい」


「随分と広範囲だな。よっぽど大事な探し物なのか」


「さあな。……ただ、こういう話が広まるときは、大抵ろくなことにならないもんだ」


商人たちは、それ以上その話題を深掘りすることなく、他の世間話へと移っていった。だが、俺の中では、聞いたばかりの情報が、ぐるぐると渦を巻いていた。


一つの街道だけでなく、複数の場所で追手が動いている――もしそれが事実だとすれば、ユキを探す組織は、想像していたよりもずっと大きな規模を持っているのかもしれない。


――時渡りの民。


長老が語っていた「時間を司る人ならざる者たち」の伝承と、どこか重なる話だった。もしかしたら、精霊もまた、その一族に連なる存在だったのかもしれない。


食事を終えた後、部屋に戻ってから、俺はユキと今後の方針について話し合った。


「その『時渡りの民』について、もっと詳しく調べてみる価値はありそうだな」


「はい。それに、私を追っている人たちのことも……」


ユキの声には、僅かな緊張が滲んでいた。


「あの商人たちの言い方だと、まだ俺たちの正体まではバレてなさそうだ。だけど、油断はできないな」


「そうですね……」


「明日、さっきの書物の露店に行ってみよう。それと、この町に学者や、物知りの人間がいないか、宿の主人にも聞いてみるか」


「はい。私も、何か力になれることがあれば」


ユキの言葉に、俺は小さく頷いた。二人で調べることで、一人では見えなかったものが見えてくるかもしれない。そう思うと、漠然とした不安の中にも、僅かな前向きさが芽生えてくるのを感じた。


しばらく黙り込んだ後、ユキが、意を決したように口を開いた。


「クロさん。私、少しずつでいいので、自分のことを話そうと思います。ずっと隠していても、あなたと一緒に進んでいく上で、限界があると思うので」


その言葉に、驚いて顔を上げた。


「無理しなくていいんだぞ。話せるようになったときでいい」


「いいえ。……今、話したいんです」


ユキの声には、これまでにない、静かな覚悟のようなものが滲んでいた。窓辺に座る彼女の白い髪が、月明かりを受けて淡く光っている。その横顔は、緊張と同時に、どこか吹っ切れたような表情をしていた。長い沈黙の末、ようやく踏み出した一歩なのだと、その様子から伝わってきた。


ユキは、一度深呼吸をしてから、静かに語り始めた。


「私は元々、ある小さな国の生まれです。国自体は、もうずっと昔に滅んでしまいましたが……その国には、代々『白い巫女』と呼ばれる役割を持つ者が、一人だけ生まれる習わしがありました」


「白い巫女?」


「はい。生まれつき白い髪を持つ者が、その役目を継ぐんです。詳しい理由は、私自身、はっきりとはわかりません。ただ、その役割を継いだ者は、ある特殊な力に目覚めるとされていました」


「特殊な、力……」


「物心つく前から、私は『いずれ来るべき時のために』と、周囲の大人たちに繰り返し言われて育ちました。何のためなのか、何が来るのか、誰も詳しくは教えてくれないまま」


ユキの声が、僅かに震えた。


「国が滅んだ日のことは、正直、あまりよく覚えていません。ただ、周りの大人たちが、私を守るためだと言って、必死に逃がしてくれたことだけは、覚えています」


「それから、ずっと一人で?」


「はい。時々、親切な人に助けられたこともありました。でも、長くは一緒にいられませんでした。私を(かくま)うことが、その人たちにとって、危険なことだと知っていたから」


その言葉に、これまで彼女が転々としてきた理由が、ようやく形を持って理解できた気がした。誰かに助けられるたびに、その優しさが(あだ)となって降りかかることを恐れ、自ら距離を置いてきたのだろう。


ユキは、そこで一度、言葉を切った。まだ全てを話す覚悟までは、決まっていないのかもしれない。膝の上で握られた手が、微かに震えている。


「……ごめんなさい。今は、ここまでにさせてください。まだ、うまく言葉にできない部分もあって」


「いや、十分だ。話してくれて、ありがとう」


無理に聞き出そうとは思わなかった。彼女が自分の意志で、少しずつ話してくれるようになったこと自体が、大きな一歩なのだと感じていた。積み重ねてきた信頼の分だけ、こうして心を開いてくれるのだと思うと、胸の奥が温かくなった。


その夜、寝台に横になりながら、俺は今日聞いた話を、頭の中で整理していた。


時渡りの民。白い巫女。そして、精霊から受け継いだ、十二の刻。


それぞれがどう繋がっているのか、まだ何も見えてこない。それでも、少しずつ、点と点が繋がり始めているような、そんな予感があった。


ユキが「白い巫女」として育てられたということは、彼女自身にも、何らかの特殊な力が眠っている可能性がある。それが今のところ表に出ていないのは、まだ目覚めていないからなのか、それとも、何か別の理由があるのか。


隣の寝台では、ユキがすでに寝息を立てていた。今日、長年抱えてきた秘密の一端を口にしたことで、少しは肩の荷が軽くなったのかもしれない。穏やかな寝顔を見つめながら、俺はこれからのことを考えた。


明日はまず、あの書物の露店を訪ねてみよう。あの店主なら、時渡りの民について何か知っているかもしれないし、宿の主人に、この町の学者や物知りのことを尋ねてみるのもいい。そんな算段を組み立てながら、俺はゆっくりと(まぶた)を閉じた。石畳を歩く足音、遠くの酒場から漏れる笑い声――村の静けさとはまるで違う、生きた町の鼓動を聞くうちに、意識は少しずつ溶けていった。


――その夜、夢を見た。古い祭壇の前に立つ、白い髪の後ろ姿。呼びかけようとしても声は出ず、その人影が振り返る寸前で、景色は闇に呑まれた。


翌朝目覚めたときには、旅の疲れも幾分か和らいでいた。窓から差し込む朝日に照らされたユキの白い髪が、昨夜見た夢のことを一瞬忘れさせるほど、穏やかに輝いていた。今日という日が、この旅にとって、どんな一歩になるのか。それはまだ、誰にもわからなかった。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
Xの企画より拝読いたしました 少年クロと少女ユキが共に行動していくうちに絆が芽生えているようで、その描写が特に良かったです 世界や二人の能力の秘密など、謎が明かされていく展開に期待です
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