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十二刻のクロノス ~時間魔法から始まる時々~  作者: 鏡花
第一章「青き目覚め」

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第5話「追う影」

平穏は、思っていたよりもずっと早く終わりを迎えた。


ユキが村に来てから、二ヶ月が過ぎた頃だった。その日はいつも通り、畑仕事を終えた俺とユキが、井戸端で水を汲んでいた。


「クロさん、今日の夕食は何にしましょうか」


「特に何でも……」


答えかけた瞬間、ユキの表情が、ふっと固まった。


「……ユキ?」


彼女の視線の先を追うと、村の入り口の方に、見慣れない人影が数人、立っているのが見えた。黒っぽい外套(がいとう)を纏い、顔を深く隠した男たちだった。旅装束にしては、あまりに統率が取れすぎている。まるで、訓練された兵か、それに近い何かのようだった。


歩き方一つとっても、村を訪れる行商人や旅人とは明らかに違う。無駄のない動き、周囲を油断なく見回す視線。彼らが村の外れの家々を一軒ずつ順に見て回っている様子が、遠目にもはっきりとわかった。何かを――いや、誰かを、探している動きだった。


ユキの顔から、みるみる血の気が引いていく。(おけ)を持つ手が、小刻みに震えていた。


「……知り合いか」


小さく尋ねると、ユキは唇を噛み締めたまま、かすかに頷いた。それだけで、状況の重さが伝わってきた。


「昔、私を……ずっと、探していた人たちです」


絞り出すような声だった。それ以上は言葉にならないようで、ユキはただ俯き、震え続けていた。


「家に戻るぞ」


彼女の手を引き、人目につかない裏道を通って、急いで家へと戻った。心臓が、嫌な速さで脈打っている。


家に着くと、母と父に事情を手短に説明した。両親は一瞬顔を見合わせたが、すぐに頷いた。


「ひとまず、裏の物置に隠れてもらおう。あそこなら、そう簡単には見つからない」


父の判断は早かった。ユキを物置の奥、古い農具の陰に隠すと、俺たちは何食わぬ顔で、いつも通りの夕食の支度を始めた。


だが、内心は穏やかではなかった。あの男たちが、本当にユキを探しに来たのだとしたら――そして、もし見つかってしまったら。


想像するだけで、指先が冷たくなった。鍋をかき混ぜる手が、いつもよりずっと重く感じられる。物置の方をちらちらと気にする母の視線に、俺も同じ不安を抱えていることに気づかされた。


こんな時、あの精霊が背負ってきた記憶の断片が、ふと脳裏をよぎった。何百年もの間、守りたいものを守るために戦い続け、それでも救えなかった者たちがいたという、あの重い記憶。もしここで俺が何もできなければ、同じような後悔を、俺自身が背負うことになるのかもしれない。


そんな想像を、慌てて頭の隅に押しやった。今はまだ、何も起きていない。悪い想像ばかりを膨らませても、仕方がない。


案の定、日が暮れる頃、家の戸を叩く音がした。


「失礼する。この村で、白い髪の娘を見なかったか」


低く、抑揚のない声だった。父が対応に出ると、外套の男が淡々と尋ねてくる言葉が、薄い壁越しに聞こえてきた。


「白い髪の娘、ですか……いや、そんな娘はこの村にはいませんね」


父の声は、驚くほど落ち着いていた。日頃、無骨で口数の少ない父が、こんな風に平然と嘘をつけるとは、正直思っていなかった。


「そうか。もし見かけたら、街道沿いの詰所まで報せてくれ。相応の礼はする」


「わかりました」


やり取りはそれだけで終わり、やがて男たちの気配が遠ざかっていった。


だが、俺の中の不安は、少しも消えなかった。


その夜、物置からこっそり抜け出したユキと、俺は二人で庭先に座り込んでいた。月明かりの下、ユキの顔は、いつもよりずっと青ざめて見えた。


「……ごめんなさい」


消え入りそうな声で、ユキが呟いた。


「こんな厄介事に、巻き込んでしまって」


「謝るなよ。俺が勝手に、お前を助けたいと思っただけだ」


「でも……このままだと、クロさんや、ご両親にまで危険が及びます。私は、もう」


「もう、何だ」


強く問い返すと、ユキは言葉を詰まらせた。しばらくの沈黙の後、絞り出すように答える。


「……出ていった方が、いいのかもしれません」


その言葉に、胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。


「駄目だ」


即座に、言葉が口をついて出た。自分でも驚くほど、強い口調だった。拳を固く握りしめながら、それでも視線だけは逸らさなかった。


「お前一人で、どこに行くつもりだ。あんな連中に追われながら、また倒れて、次に助けてくれる奴がいなかったらどうする」


「それでも……」


「それでも、じゃない」


ユキの言葉を遮り、俺はまっすぐに彼女を見据えた。


「怖いんだろう。俺たちを巻き込むのが。だったら、なおさら、一人で抱え込むな」


その言葉に、ユキの瞳が大きく揺れた。灰色の瞳に、月明かりが映り込み、微かに潤んで見える。


「……どうして、そこまで」


「理由なんて、いちいち考えてない。ただ――」


言葉を探しながら、俺は自分の中にある感情を、正直に言葉にしようとした。


「お前が笑ってる方が、いいと思っただけだ」


不器用な言葉だったと思う。それでも、ユキはしばらく呆然とした後、堪えきれないというように、涙をこぼした。声を殺しながら、肩を震わせて泣くその姿は、あの未来視で見た光景と、どこか重なって見えた。


だが今は、彼女はたった一人じゃない。


「大丈夫だ。何とかする」


根拠のない言葉だった。それでも、口にしたことで、自分自身の中の何かが、少しだけ固まった気がした。


その夜遅く、事態は急変した。


物音に気づいて飛び起きた俺が窓の外を見ると、庭先に、昼間見た外套の男たちの姿があった。数は三人。松明(たいまつ)も持たず、闇に紛れるようにして家に近づいてきている。


「――嘘、だろ」


昼間の受け答えを、疑われたのかもしれない。あるいは、最初から確信を持って戻ってきたのか。理由はわからないが、状況は最悪だった。


「クロ、逃げるぞ! ユキを連れて裏から――」


父が叫んだ瞬間、玄関の戸が乱暴に蹴破られた。


「大人しく、娘を出せ」


冷たい声。抜き身の剣を手にした男が、土間に立っている。


「そんな娘は――」


「嘘をつくな。監視していた。娘は確かにこの家にいる」


言い逃れは、もう通用しなかった。父が身構え、母がユキを庇うように前に出る。だが、相手は明らかに武装した戦闘のプロだ。素人の抵抗など、何の役にも立たない。


「クロさん、私が――」


「駄目だ」


飛び出そうとするユキの腕を掴み、強引に自分の後ろへ下がらせる。


心臓が、痛いくらいに鳴っていた。氷の魔法程度で、武装した男に敵うはずがない。


なら――もう一つの、あの力だ。


使えば、正体が知られる。それでも。


「……仕方ない、か」


小さく呟き、右手を前に構えた。


男の一人が、剣を振りかぶって踏み込んでくる。刃が、月明かりを受けて鈍く光った。


「――《3時・停止》」


視界から、音が消えた。振り下ろされた剣が、空中でぴたりと静止する。男の表情も、驚愕(きょうがく)の形のまま固まっていた。


静止した世界の中、震える足を叱咤(しった)し、剣を持つ男の手首を思い切り蹴り飛ばす。


時が動き出した。男の悲鳴と、剣が地面に転がる音が響く。


「な……何が起きた……!?」


残りの二人が、明らかに動揺していた。だが、こちらもすでに限界だった。視界が霞み、膝から力が抜けていく。


「クロさん!」


崩れ落ちそうになった俺を、ユキが慌てて支えてくれた。


「逃げ、ろ……」


(かす)れた声で、それだけ伝えるのが精一杯だった。頭の芯が鈍く痛む。指先の感覚が、遠い。


歯を食いしばり、萎えかけた膝に力を込めた。


だが、ユキは首を横に振った。


「嫌です。もう、一人で逃げたりしません」


驚いて顔を上げる。ユキの瞳には、これまで見たことのない、強い意志の光が宿っていた。


「あなたが、守ってくれたから。今度は、私が」


言うが早いか、ユキは倒れていた男の剣を拾い上げ、迫る敵の前に立ちはだかった。剣を握る手つきは、明らかに素人のそれだ。なのに、足の運びと重心の置き方だけは、まるで型に嵌まっているかのように揺るがない。ただの逃げ惑う少女ではない、何かを感じさせる立ち姿だった。


残りの二人のうち一人が、苛立たしげに舌打ちし、ユキに斬りかかった。


剣同士がぶつかる、硬い音。ユキの体が、大きく後ろに弾かれる。


「――ッ!」


倒れ込む白い髪に、一瞬、あの瓦礫(がれき)の光景が重なった。


――させるか。


「――《3時・停止》!」


限界を超えて、再び力を発動させる。全身の血が逆流するような激痛。構うものか。


静止した世界の中、残る力を振り絞り、剣を振り上げたままの男に肩からぶつかった。


時が動き出す。男が体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。


「クロさん……!」


「まだ、大丈夫だ……」


強がりだった。視界は霞み、立っているのがやっとだった。


その拮抗(きっこう)を破ったのは、騒ぎに気づいて駆けつけてきた村の男衆だった。松明と農具を手にした彼らの姿に、先頭の男が小さく舌打ちした。


「引くぞ。……我々の任は、騒ぎを広げることではない」


低い声でそう言い残し、男は最後に一度だけ、俺を見た。外套の陰からのぞく目が、値踏みするように、じっとこちらを射抜く。娘ではなく、俺を。


背筋に、冷たいものが走った。


男たちは、闇の中へと撤退していった。だが、これで終わりではないことは、誰の目にも明らかだった。あの目は、見たものを必ず持ち帰る目だ。ユキのことだけじゃない。俺の、この力のことも。


静けさが戻った庭先で、遅れて、震えが来た。


もう一度力を使っていたら、意識を保てていたかどうか。素人の俺が、武装した連中に立ち向かうなんて、無謀だったのかもしれない。それでも――誰も欠けずに、この夜を(しの)げた。今は、それだけで十分だった。


松明を手にした男衆の視線が、ふと、俺の上で止まった。一人、また一人。……そうか。夜着のまま飛び出した俺は、頭巾を被っていない。半年間隠し続けてきた青い髪が、火明かりの下に、隠しようもなく晒されていた。


「……クロ、その力は」


事態が収まった後、父が静かに尋ねてきた。隠しきれなかった。もう、隠す意味もないのかもしれない。


「時間を、操る力だ。詳しいことは、俺にもよくわかってない」


正直に打ち明けると、父はしばらく黙り込んだ後、ただ一言、こう言った。


「そうか。……よく、一人で抱えてきたな」


その言葉に、張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ気がした。喉の奥が熱くなり、視界が微かに滲む。


隣で成り行きを見守っていた母が、駆け寄ってきて、俺とユキを同時に抱きしめた。


「二人とも、無事でよかった……! 本当に、無事で……」


涙混じりの声には、安堵と、それ以上の深い心配がこもっていた。母の腕の温もりに包まれながら、俺はようやく、肩の力が抜けていくのを感じた。


「ごめん、ずっと黙ってて」


「馬鹿だね、あんたは。そんなこと、今はどうでもいいんだよ」


叱るような、それでいてどこまでも優しい声だった。


秘密は、もう完全には隠しきれない。ユキの正体も、俺の力も、これから否応なく明るみに出ていくのだろう。それは、これまで積み上げてきた平穏な日常が、確実に形を変えていくということでもある。


それでも――もう、一人で抱え込む必要はない。


朝焼けが差し込み始めた空の下、俺とユキは、疲れ切った顔のまま、確かに互いの存在を支えにしていた。


この夜を境に、俺たちの穏やかな日々は、静かに終わりを告げ始めていた。


それでも、と俺は思う。終わってしまうのが穏やかな日常だけなら、それはきっと、新しい何かが始まる合図でもあるのだと。まだ何も解決してはいない。ユキを追う者たちの正体も、目的も、何一つわかっていない。ただ、隠し事のない、たった一つの朝を、俺たちは迎えていた。窓の外、朝焼けに染まる空を見上げながら、俺は静かに、これから始まるであろう長い戦いの気配を感じ取っていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
ユキに向き合うクロの言葉が、どこか懐かしく、そして温かく胸に響きました。 家族とユキを守るため、自身の正体がバレることも気にしないクロの執念。 ユキのただ守られるだけではない強い意志も素敵です! ク…
五話目まで読ませていただきました。面白いですね。 これからユキと一緒に冒険や戦闘がはじまるのだろうなとわくわくしながら、☆をつけさせていただきました♪
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