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十二刻のクロノス ~時間魔法から始まる時々~  作者: 鏡花
第一章「青き目覚め」

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第4話「白い髪の少女」

精霊から力を受け継いでから、半年が過ぎた。


十二の刻――そう頭の中で呼んでいる時間魔法は、少しずつ制御できるようになっていた。もっとも、扱えるのはまだ《1時・加速》と《3時・停止》、それに《6時・修復》の三つだけだ。他の力は、名前と気配だけがわかっていて、まだ引き出し方すらわからない。


それに何より、使うたびに体が重くなる。特に《3時・停止》は、数秒使うだけで丸一日寝込むほどの消耗を強いてくる。精霊が「対価がいる」と言っていた意味を、身をもって思い知らされる日々だった。


それでも、あの日々に比べれば、随分と落ち着いた。流れ込んでくる精霊の記憶にも、ある程度は線を引けるようになった。誰にも打ち明けられない秘密を抱えながらも、村での暮らしは表面上、以前と変わらず続いていた。朝は畑を手伝い、昼はトマスと他愛のない話をし、夜になると人目を避けて森の奥で密かに力を試す。そんな日々の繰り返しだった。


そんなある日の夕暮れ、村の外れの雑木林(ぞうきばやし)で、俺はそれを見つけた。


「……大丈夫か」


最初、目に入ったのは、木漏れ日の下に広がる、淡い光のようなものだった。


近づいてよく見ると、それは倒れている少女の髪だった。


白い、というより――初雪をそのまま紡いで、糸にしたような色だった。夕暮れの赤い光の中でも、その髪だけは色に染まりきらず、どこまでも清らかな白さを保っている。


「……おい、聞こえるか」


慌てて駆け寄り、膝をつく。年の頃は俺と同じくらいだろう。粗末な布を纏い、頬には泥と、殴られたような痕がある。呼吸は浅く、意識がない。周囲には争った形跡――折れた木の枝、地面に残る引きずったような跡があった。


胸の奥が、ざわりと騒いだ。


この光景に、覚えがある。


――違う。これは記憶じゃない。あの、いつか見た滅びの景色でもない。ただの直感だ。けれど、その直感は痛いほど強く「この子を放っておいてはいけない」と告げていた。


迷っている時間はなかった。俺は少女を背負い、家まで運んだ。背負った瞬間、その体はひどく軽かった。まるで壊れ物を運んでいるような、そんな緊張感があった。


幸い、両親は薬草の知識がある人たちだった。母は少女の傷を見るなり、驚いた顔をしながらも手当てを始めた。父は村の外までの足取りを気にして、周囲を見回りに行った。


「こんな綺麗な髪の子、見たことないねえ……」


手当てをしながら、母がぽつりとこぼした。俺も、内心で頷いていた。


三日後、少女は目を覚ました。


「……ここ、は」


かすれた声。ぼんやりと開いた瞳は、淡い灰色をしていた。まるで曇り空を映したような、静かな色。白い髪との対比で、その瞳の色がより儚く、より頼りなく見えた。


「俺の家だ。雑木林で倒れてた。怪我、酷かったから」


少女は数秒、こちらをじっと見つめた後、小さく頭を下げた。乱れていた髪が、その動きに合わせて、さらりと肩から滑り落ちた。


「……ありがとう、ございます」


おっとりとした、けれどどこか(かす)れた声だった。名前を尋ねると、少女は少し戸惑うように視線を落とし、それから小さく答えた。


「……ユキ、と呼んでください」


本当の名前かどうかはわからなかった。けれど、それ以上踏み込むことはしなかった。彼女の纏う雰囲気には、触れてほしくない何かが、確かにあったから。


――ユキ。彼女の髪の色そのままの名だと思った。あるいは、本名を隠すための、その場しのぎの名前なのかもしれない。それでも、その名前は不思議なくらい、彼女によく似合っていた。


ユキは、自分がどこから来たのか、なぜあんな場所で倒れていたのかを、多くは語らなかった。ただ、村や町を転々としながら、追われるように生きてきたということだけは、ぽつりぽつりと零れる言葉の端々から伝わってきた。


村では、すぐに噂が広まった。「クロの家に、見たこともないほど綺麗な白髪の娘が転がり込んだ」――そんな話が、あっという間に伝わっていった。


「なあクロ、本当なのか? めちゃくちゃ綺麗な子拾ったって」


トマスが目を輝かせながら詰め寄ってきたのは、ユキが目覚めてからすぐのことだった。


「拾ったって言い方はやめろ。行き倒れてたのを助けただけだ」


「いいから会わせろって! 村中の噂になってるんだぞ」


困りながらも、渋々ユキを紹介すると、トマスは彼女の髪を見た瞬間、明らかに言葉を失っていた。しばらく(ほう)けたように見つめた後、我に返ったように「す、すげえ髪だな……」と呟いたのを、俺はよく覚えている。


ユキ本人は、そうした視線に慣れていないのか、居心地悪そうに俯いていた。綺麗だと騒がれることは、彼女にとって必ずしも嬉しいものではないらしい。むしろ、注目を浴びるたびに、体を縮こまらせるような素振りを見せた。


その理由を、俺はまだ知らなかった。ただ、綺麗なものには綺麗なりの生きづらさがあるのかもしれないと、漠然と感じていた。


そんなある日、井戸端でユキが水を汲もうと苦労しているのを見かけた。


「貸してみろ」


指先で水面に触れると、薄い氷の膜がすっと広がり、(おけ)の水が凍りつかない程度にほんの少しだけ冷やされる。夏場によくやる、ちょっとした手品のようなものだ。


「……今の」


ユキが目を丸くして俺の手元を見つめていた。


「氷の魔法だ。この村じゃ、そこまで珍しいもんじゃない」


「初めて見ました。こんなに綺麗な魔法……」


ユキは水面に浮かぶ薄氷を、興味深そうに指先でつついていた。その表情には、恐れも気味悪さも一切なく、ただ純粋な驚きと好奇心だけがあった。


「怖くないのか? こういう、普通じゃない力」


思わずそう尋ねると、ユキは不思議そうに首を傾げた。


「怖い、ですか? だって、これはクロさんの一部でしょう? 誰かを傷つけるためじゃなくて、こうして誰かのために使っている力を、怖がる理由なんてありません」


まっすぐに俺を見つめるその瞳には、一点の曇りもなかった。灰色の瞳が、水面に反射する陽光を受けて、微かに輝いて見える。


あまりにまっすぐな答えに、一瞬言葉に詰まった。


村の誰もが「便利な力」として当たり前に受け入れてくれる氷の魔法。だが、それとは別に俺が抱えている、もうひとつの力――時間の魔法は、もし誰かに知られれば、こんな風に純粋に受け入れてもらえるとは、到底思えなかった。


それでも、ユキのその言葉は、ほんの少しだけ、俺の中に凝り固まっていた恐れを緩めてくれた気がした。力そのものに良いも悪いもない。それをどう使うか、誰のために使うか。それだけが、本当は大事なことなのかもしれない。


「……お前、変わってるって、よく言われないか」


「よく言われます。でも、それを言うならクロさんもですよ」


くすりと笑うユキの表情には、出会ったばかりの頃には見られなかった柔らかさが滲んでいた。


それから数週間、ユキは少しずつ、村の暮らしに馴染んでいった。とはいえ、いつまでもこの村に留まれるわけではないことは、お互い薄々わかっていた。それでも、その事実に触れることを、俺もユキも、意図的に避けているようなところがあった。まるで、その話題に触れた瞬間、この穏やかな時間そのものが壊れてしまうとでも思っているかのように。


夕食の支度を手伝い、洗濯物を干し、時折トマスたちとも他愛のない話を交わすようになったユキは、日を追うごとに、少しずつ表情が柔らかくなっていった。それでも、ふとした瞬間に見せる、遠くを見るような寂しげな目だけは、変わらないままだった。


傷が癒えるにつれて、ユキは少しずつ、家の手伝いをするようになった。洗濯物を干すとき、風になびく白い髪を、俺はつい目で追ってしまっていた。


ある朝、母がユキの髪を丁寧に()いてやっている光景を見かけた。


「まったく、こんなに絡まって……痛くないかい?」


「……大丈夫、です」


木の(くし)が通るたびに、白い髪がさらさらと流れ落ちていく。光の当たり方によって、白にも、淡い銀にも見える、不思議な色合いだった。ユキは最初こそ緊張した面持ちだったが、次第に肩の力を抜き、目を細めて心地よさそうにしていた。


「こんな風に、誰かに髪を触ってもらったの、久しぶりで……」


ぽつりと零れた呟きに、母は何も聞かなかったふりをして、ただ優しく髪を梳き続けていた。その光景を、俺は少し離れた場所から眺めていた。誰かに髪を触られることすら久しぶりだという言葉の重みを、うまく受け止めきれないまま。


けれど、その美しさの裏側に、深い孤独が張り付いていることにも、俺は次第に気づいていった。


ユキは、誰かと目を合わせることが少なかった。褒め言葉をかけられても、素直に受け取ることをせず、どこか怯えたように視線を逸らす。まるで、優しさを向けられることに慣れていない――いや、優しさの後には何か悪いことが起きると、身をもって学んでしまったかのような反応だった。


「……ここにいても、いいんですか」


ある夜、月明かりの下で、ユキがそう尋ねてきた。声には、期待よりも諦めに近い響きがあった。誰かに拒絶されることに、慣れてしまっているような。


「いいに決まってる」


即答した俺に、ユキは驚いたように目を丸くした。それから、ゆっくりと――本当にゆっくりと、頬を緩めた。


「……ふふ。クロさんは、変わってますね」


「そうか?」


「普通、素性もわからない人間を、そう簡単には受け入れません」


「別に、素性なんてどうでもいい。今、目の前で困ってる奴を放っておけないだけだ」


そう言いながら、俺はふと、この半年間のことを思い出していた。誰にも打ち明けられない秘密を抱え、恐怖に呑まれそうになりながらも、それでも一歩ずつ前に進んできた日々のことを。


「それに」


少し間を置いて、俺は続けた。


「秘密とか、素性とか、そういうのを抱えてる奴の気持ちくらい、多少はわかるつもりだ」


その言葉に、ユキの瞳が、微かに揺れた気がした。


「……クロさんにも、何か秘密が?」


「まあな。今は、まだ話せないけど」


正直に答えると、ユキはしばらく黙り込んだ後、小さく呟いた。


「……あなたみたいな人が、いてくれたらいいのに」


その声には、単なる感謝以上の、もっと複雑な感情が滲んでいるように聞こえた。羨望(せんぼう)なのか、諦めなのか、あるいは――ほんの僅かな、期待なのか。


その言葉の意味を、このときの俺はまだ深く考えなかった。ただ、月明かりに照らされたユキの横顔が、ひどく綺麗で――そして、ひどく寂しそうに見えたことだけを、覚えている。


風が吹き、ユキの白い髪がふわりと舞い上がった。まるで粉雪が舞い散るような、儚い光景だった。


「綺麗だな」


思わず零れた言葉に、ユキがはっとしたように顔を上げた。


「……え?」


「いや……その、髪。月の光を浴びてると、なんというか、独特の輝き方をするんだな、と思って」


慌てて言葉を付け足す。深い意味はなかった――というのは、半分は本当で、半分は照れ隠しだった。ただ純粋に、目の前の光景があまりに美しくて、言葉が先にこぼれてしまっただけだ。


ユキは一瞬、驚いたように目を見開いた後、頬をほんのりと赤らめた。


「……そんな風に言われたの、初めてです」


「そうか?」


「みんな、怖がるか、気味悪がるか……どちらかでした。こんな髪の色、普通じゃないから」


その言葉に、胸がちくりと痛んだ。彼女がこれまで、どれほどの視線に晒され、どれほどの言葉を投げつけられてきたのか。想像するだけで、やるせない気持ちになる。


「普通じゃないから何だ。綺麗なものは綺麗だろ」


ぶっきらぼうに言い切ると、ユキはしばらく呆然とした後、堪えきれないというように、小さく吹き出した。


「……ふふ、あはは。クロさんは、本当に変わってます」


「悪いか」


「いいえ。……嬉しい、です」


小さく零したその声には、これまでのどんな言葉よりも、素直な温かさが込められていた。


そう言って笑うユキの顔は、それまで見た中で一番、屈託のないものだった。白い髪が、笑顔の輪郭に沿って柔らかく揺れる。まるで、長い間閉ざされていた何かが、ほんの少しだけ開いたような、そんな瞬間だった。


俺は知らなかった。


この出会いが、いつか瓦礫(がれき)の中で泣いていた、あの少女の姿へと繋がっていくことを。


そして、ユキという名前もまた、彼女が背負う本当の秘密の、ほんの入り口に過ぎないということを。


それでも、この夜だけは――何も知らないまま、ただ、目の前の小さな笑顔を守れたことが、素直に嬉しかった。


穏やかな夜風が、二人の間を静かに吹き抜けていく。白い髪が、月光の中でゆっくりと揺れ続けていた。


その夜遅く、自室に戻ってからも、俺はしばらく寝付けなかった。窓の外に浮かぶ月を眺めながら、今日の出来事を何度も反芻(はんすう)する。


ユキの笑った顔。風に舞う白い髪。そして、あの言葉――「力そのものに良いも悪いもない」という、まっすぐな言葉。


思えば、あの未来視で見た少女も、瓦礫の中で膝を抱え、白い髪を汚しながら泣いていた。あのときは、遠すぎて顔かたちまでは判別できなかったが、今こうしてユキと過ごす時間が増えるほど、あの光景の記憶が、じわりと胸の奥で(うず)くようになっていた。


――まさか、な。


浮かんだ想像を、俺は慌てて打ち消した。考えすぎだ。この世界に、白い髪の人間がユキ一人しかいないわけじゃない。それに、あの未来がいつ、どこで起きるのかすら、まだ何もわかっていない。


それでも、拭いきれない予感が、胸の奥にちりちりと残り続けていた。まるで小さな(とげ)が刺さったまま、抜けきらずにいるかのように。


もし、あの光景の中にいたのが、本当にユキだったとしたら。


そのとき俺は、彼女を――そして、この世界を、守り切れるのだろうか。


答えの出ない問いを抱えたまま、俺はゆっくりと(まぶた)を閉じた。窓の外では、変わらず静かな月が、村全体を優しく照らし続けていた。いつか、この穏やかな夜が、当たり前でなくなる日が来るかもしれない。それでも今はまだ、この小さな幸せを、大切に抱きしめていたいと思った。


いつかこの白い髪の少女と、本当の意味で向き合う日が来るのだろう。彼女が抱える秘密も、俺自身が抱える時間の力の秘密も、いつまでも隠し通せるものではないはずだ。それでも、今はまだ、その日を先延ばしにしていたかった。


窓辺に射す月明かりが、部屋の隅までゆっくりと満ちていく。遠くで、風に揺れる木々の音がした。まるでこの村全体が、束の間の平穏を分け合っているかのような、そんな静かな夜だった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

クロとユキの旅は、まだ始まったばかりです。

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― 新着の感想 ―
序盤の緊張感の後の、すごく良い息抜きになっていますね。ユキは明らかに「ビジョンの少女」として設定されている感じがします。かなり前から仕組まれていた展開だと強く感じますが、それでも効果的に描かれていると…
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