第33話「招待状」
噂が学院を駆け抜けたのは、面会日の翌朝だった。
「――なあ、聞いたか、サヌス」
朝の並木道で合流するなり、ロイが、いつになく声を潜めた。こいつが声を潜めるところを、初めて見た。
「二年の先輩が、一人、いなくなったんだってさ。学院は『家庭の事情で帰省』って言ってるらしいけど……同じ寮の連中は、誰も信じてない」
「……なんで」
「荷物が、そのまま残ってるんだと。着替えも、教本も、財布まで。帰省する奴が、財布置いてくかよ」
サナの報せの通りだった。隠しても、生徒の目と口までは、塞げない。噂は尾ひれをつけながら、朝のうちに学院中へ広がっていった。教室では、授業の合間ごとに、あちこちで頭が寄り集まった。曰く、夜の中庭で泣き声を聞いた。曰く、消えたのは一人じゃないらしい。曰く、王都では前から人が消えていて、学院もついに、と。
尾ひれの中に、時々、本物の骨が混じっているから、噂というのは侮れない。俺は、驚く係の顔を保ちながら、耳だけを、そばだて続けた。
そして、昼には、尾ひれどころではない話が、俺たちの耳に届いた。
食堂の隅。ロイが、「すげえ話仕入れてきた」と、消えた先輩と同じ寮棟だという二年生を、わざわざ連れてきたのだ。人懐こさの塊のようなこいつは、入学十日足らずで、もう上級生にまで顔が利くらしい。恐るべき人脈だった。そして今日ばかりは、その人脈が、金脈だった。
二年生は、青い顔で、こう言った。
「あいつが消えた晩……見た奴が、いるんだ。消灯の後、あいつが独りで、中庭を横切っていくのを。……古い塔屋の方へ、歩いてくのをさ」
古い、塔屋。
禁書区画。
膝の上で、拳を握った。声も、表情も、動かすな。俺はただの、噂話に驚いている新入生だ。
「それとな……これは、あんまり言いふらすなよ」
二年生は、さらに声を落とした。
「あいつ、消える少し前に、妙な誘いをもらったって、自慢してたんだ。……『技術研究会』って会から。上等なカードでさ。『よい「時」を』とか、書いてあったって」
心臓が、一度、大きく軋んだ。
隣の卓で、ユキが、スープの匙を持ったまま、完全に止まっているのが、視界の端に見えた。
よい「時」を。技術研究会。
――俺たちの入学書類の底に入っていた、あのカードと、同じだ。
「技術研究会って、なんだよ、それ」
ロイが、首を捻った。二年生も、首を横に振る。
「知らねえ。おれも初めて聞いた。時計だか歯車だかの研究をしてる会だとか、あいつは言ってたけど……そんな会、掲示板で見たこともねえよ。……なあ、気味悪くねえか。誰も知らない会から誘われて、その後に、消えるなんてさ」
気味が悪いどころの話ではなかった。だが俺は、「へえ、怖いな」と、間の抜けた相槌を打つことしか、できなかった。寮の机に仕舞ってあるはずの、あのカードの角が、肌を刺している気がした。
放課後、中庭の隅のベンチ。姉が弟の勉強を見る、いつもの偽装の形で、俺たちは、声を殺して話した。
「……整理、しますね」
ユキの声は、落ち着いていた。落ち着かせて、いた。
「消えた二年の先輩は、技術研究会のカードを受け取っていた。消えた夜、禁書区画の方へ歩いていくのを見られている。……そして、私たちも、同じカードを受け取っています」
「ああ。……カードは、勧誘なんかじゃなかった。順番待ちの、札だったのかもしれない」
口にすると、背筋の寒さが、輪郭を持った。
乗らない、騒がない、観察する。あの方針は、正しかった。だが、状況が変わった。カードは、無視していれば済むものではなく――受け取った者が、消える前触れかもしれないのだ。
「一つだけ、引っかかることも、あります」
ユキが、指を一本、立てた。
「先輩は、カードを『自慢して』いました。つまり、隠していなかった。……私たちのカードは、書類の底に、こっそり入っていました。同じ会からのカードなのに、渡し方が、違います」
「……確かに。先輩には堂々と、俺たちには、こっそりと」
「その違いに意味があるのか、ないのか。それも、まだわかりません。……わからないことが、また一つ、増えましたね」
わからないことを、わからないまま、正確に数えておく。彼女もすっかり、記録者の目になっていた。
「サナさんに、報せましょう。面会日を待たずに」
「ああ。言伝の仕組みの、出番だ」
「それと……もう一つ、確かめたいことが」
ユキは、少しだけ言い淀んで、続けた。
「ガイアさんは、どちら側なんでしょう」
それは、俺もずっと、考えていたことだった。
「あの徽章を着けている。カードの説明もした。技術研究会の側の人間なのは、たぶん間違いない。……けど」
「けど、試験のとき、サヌスを助けました」
「ああ。それに、消えた先輩の話と、あの人の様子が、どうにも繋がらない。人を消す側の人間が、返却期限の心配なんてするか?」
「……ふふ。それは、確かに」
張り詰めていたユキの口元が、少しだけ、緩んだ。笑いごとではないのだが、俺も、少しだけ肩の力が抜けた。
「結論は、保留だ。敵とも、味方とも決めつけない。……けど、あの人が『秒針』の言葉で俺に何かを伝えようとしたのだとしたら、それが何だったのかは、いずれ確かめないとな」
「はい。……順番に、いきましょう。まずは、サナさんへの報せです」
その足で、俺は届け出上の「買い出し」を使って外出し、商人宿の女将に、取り決め通りの形で言葉を預けた。表向きは、姉弟の保護者への他愛ない伝言。だがその中に、俺たちだけの符牒で、カードの件を織り込んだ。
返事は、翌日の夕方、女将からの「届け物」として学院に届いた。
小さな包みの中身は、干し肉と、行商の送り状。門衛はろくに検めもしなかった。保護者から食い盛りの姉弟への差し入れなんて、この学院では日に何件もある、ありふれた荷物だ。
送り状を装った紙片には、サナの字で、こう書かれていた。
『品定めは続けている。例の刻限、店に動きはまだない。そちらの新しい取引の話、承知した。取引相手の顔は、見ておくものだ。ただし、荷は軽く。店主は、いつでも近くにいる』
三度、読み返して、意味を噛み砕いた。
四時五十五分の張り込みは、空振りが続いている。カードの件は了解した。相手の正体は、見ておく価値がある。ただし、深入りはするな。――あたしが、近くで張っている。
行商の言葉に紛れさせて、必要なことが、全部入っている。この符牒の文面を考えるサナの顔を思い浮かべると、少しだけ、笑えた。そして、最後の一文の頼もしさが、腹の底を、静かに温めた。店主は、いつでも近くにいる。
「……許可、ですね。慎重に、という条件つきの」
「ああ。サナも、カードの糸を手繰るしかないって判断だ」
とはいえ、手繰ろうにも、糸の先が見えなかった。技術研究会の部室は、存在しない。部員も、わからない。わかっているのは、ガイアの襟元の徽章と、カードが二枚――俺たちに届いたものと、消えた先輩に届いたというもの。それだけだ。こちらから接触する術が、ないのだ。
――そう、思っていた。
その夜。
監視を終えて帳面をつけていた俺は、記録の並びに、ふと、目を留めた。
灯りがともった夜を、帳面の日付で数え直す。最初の夜。三日おいて、二度目。そして、今夜。
「……三日、おきだ」
規則性。灯りは、三日おきの夜に、ともっている。偶然にしては、揃いすぎている。誰かが、決まった周期で、あの閉じた区画に通っている。
見つけた瞬間、指先が、微かに熱くなった。九割の日常の陰で、毎晩コツコツと重ねてきた記録が、初めて、形のある答えを返してくれた。サナの言った通りだ。答えは、焦って掴みに行くものじゃない。積んだ記録の上に、向こうから降りてくる。
なら、次に灯りがともるのは――十三日の夜。
三日後だ。
帳面にそう書きつけた、翌日の放課後のことだった。
授業を終えて寮の部屋に戻った俺は、扉を開けて、その場に、凍りついた。
机の上に、それは、置かれていた。
白い、上質なカード。見覚えのある、流れるような達筆。
鍵は、かけていた。今朝、出がけに確かめた。窓の鍵も、内側から下りたままだ。埃の積もり方にも、荷物の位置にも、人の出入りした跡は、何一つない。まるで、カードだけが、時間の隙間から滲み出てきたかのように。
――この部屋には、鍵じゃ防げない何かが、出入りできる。
初日の夜の、あの二つ目の秒針の音が、耳の奥に、蘇った。ロイの言った、代々の噂。角部屋は、夜中に、かちかちと鳴る。あれは、梁の音なんかじゃない。この部屋は、最初から、「そういう場所」だったのだ。
震えそうになる指先で、カードを摘まみ上げ、文面を、読んだ。
『歓迎の集いへ、ご招待いたします。
十三日の夜、消灯の鐘ののち。
旧鐘楼にて、お待ちしております。
――技術研究会』
十三日の夜。
次に、禁書区画に灯りがともるはずの、あの夜だった。
偶然のはずが、ない。招待の夜と、灯りの夜が、重なっている。つまり、あの灯りの主と、この招待の主は――同じか、少なくとも、繋がっている。
そして、招かれた場所の旧鐘楼は、確か、あの塔屋のすぐ隣だ。
夕食の席で、ユキと目が合った瞬間、わかった。彼女の方も、同じだ。西棟の、鍵のかかった部屋の机に、同じカードが置かれていたという。
「……行くんですか」
食堂の喧騒に紛れて、ユキが、囁いた。
「行かない、という手もあります。カードを受け取った先輩は、消えました。これは、罠かもしれません」
「ああ。罠かもしれない。……けど」
俺は、胸元の、止まった懐中時計の重みを、服の上から確かめた。
「逃げ回って泳がされるのは、もう、やめたんだ。罠なら罠で、張った奴の顔が見える。それに――向こうは、俺たちの部屋に、鍵を開けずに入れる。今さら逃げても、隠れる場所なんて、最初からないのかもしれない」
「……はい。私も、同じ考えです」
ユキは、静かに頷いた。その目に、怯えの色は、もうなかった。この数ヶ月で、彼女は何度も、逃げるか向き合うかの分かれ道に立ち、そのたびに、向き合う方を選んできた。今夜のこれも、その一つに過ぎないという顔だった。
「二人で、行きましょう。両輪で」
「ああ。……サナには、決行の言伝を出しておく。集いとやらの間、外で張っててもらう」
翌日、俺たちは、細かい段取りを詰めた。
集合は、消灯の鐘の後、旧鐘楼へ渡る中庭の、東の生け垣の陰。ユキは西棟の一階の、建てつけの緩い窓から出る(同室の子は、一度眠ったら朝まで起きないそうだ)。持ち物は、身軽に。チョークだけは、筆箱から出して、俺のポケットへ。もしはぐれたら、印を描いて場所を報せる。ミオの導きの流儀を、今度は俺たちが使う番だった。
「怖く、ないですか」
段取りの最後に、ユキが、ふと聞いた。
「怖いよ。……けど、独りで怖がってた頃よりは、ずっとましだ」
「……ふふ。同じことを、言おうと思ってました」
そして――十三日の、夜が来た。
その日の授業の中身は、正直、ほとんど覚えていない。ロイの昼飯の話に相槌を打ち、ユキとすれ違いざまに小さく頷き合い、いつも通りの顔で、いつも通りの一日を演じ切った。九割の日常。今夜ばかりは、その九割が、ひどく長かった。
消灯の鐘が、鳴り終わる。
寮の廊下から、足音が絶え、話し声が止み、建物が眠りに落ちていく。俺は、制服の上に暗い色の上着を重ね、ポケットの中のチョークの位置を、指で確かめた。それから、里でミオの足運びを盗み見て覚えた、「音を立てない歩き方」を、頭の中で一度、なぞった。踵から、そっと。床板の端を、踏む。
窓の外。約束のように、あの塔屋の窓に、橙の灯りが、ぽつりと、ともった。
三日おき、四度目の灯り。……ただ、早い。記録より、一刻は早い。
灯りの主は、今夜も、あそこにいる。そして俺たちは、その膝元の旧鐘楼へ、招かれている。
深呼吸を、一つ。
胸元の止まった時計に、片手で触れた。じいさん。行ってくる。その言伝の意味も、この夜の先で、わかる気がするんだ。
俺は、部屋の扉に手をかけ――音もなく、夜の廊下へと、滑り出た。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)
☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆




