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十二刻のクロノス ~時間魔法から始まる時々~  作者: 鏡花
第二章「消えぬ影」

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第29話「水晶の色」

試験の日の朝は、憎らしいほどの晴天だった。


「ほら、二人とも。忘れ物はないね。番号札、筆記具、昼の弁当」


「ある。……三回目だぞ、その確認」


「いいんだよ、何回だって。あたしはね、こう見えて、送り出す側ってのが初めてなのさ」


サナは、俺とユキの襟元を順に直し、最後に、ぽんと二人の背中を叩いた。


「行っといで、姉弟。……大丈夫。あんたたちは、この十日、やれることを全部やった」


「……行ってきます」


「行って、きます!」


宿を出て、朝の大通りを、学院へと歩く。同じ方向へ向かう志願者たちの姿が、通りのあちこちにあった。誰もが、緊張を顔に貼りつけて、口数少なく歩いていた。


俺たちも、その中の二人だった。目的こそ違えど、この試験に落ちれば先がないのは、皆と同じだ。


「……手、冷たくなってますよ、サヌス」


隣で、ユキ――キオネが、小さく笑った。人前用の偽名は、もう舌に馴染んでいる。


「姉さんこそ、さっきから同じ頁ばっか開いてるだろ、それ」


「……お互い様、でしたね」


顔を見合わせて、少しだけ笑った。強張っていた肩から、ほんの少し、力が抜けた。


学院の講堂前には、志願者たちが番号順に整列させられていた。


「これより、適性検査を行う! 番号を呼ばれた者から、順に前へ!」


試験官の声が、朝の空気を震わせた。


隣に並んだ志願者の少年が、青い顔で、ぶつぶつと詠唱の練習を繰り返している。その向こうでは、少女が胸の前で、お守りらしき小さな袋を握りしめていた。皆、この日のために、それぞれの何かを賭けて、ここに立っている。


適性検査。魔力の質と属性を視る、最初の関門だ。


講堂の中央には、台座に載った、人の頭ほどの水晶球が据えられていた。志願者が手を(かざ)すと、その者の属性に応じた色が、水晶の中に灯る仕組みだという。


「番号十二! 前へ!」


呼ばれた志願者の少年が、緊張の面持ちで水晶に手を翳す。数拍の間の後――水晶の中心に、(だいだい)の光が、ぼうっと灯った。


「火の適性、中位! 次!」


「番号十三!」


次の少女の手の下では、水晶は淡い緑に光った。風の適性、下位。その次は土。その次は、光らずに終わって、志願者の男は青い顔で列に戻った。属性なし。それでも学科で受かる道はあると、ヴォルフは言っていたが――当人の落胆は、見ていて痛いほどだった。


順番が、近づいてくる。


俺は、腹の底で、自分に言い聞かせ続けていた。


――氷だけだ。氷だけを、思え。


十二の刻には、指一本、触れるな。水晶が何を「視る」のかは、わからない。だが、万一にも、あの力の色が水晶に浮かんだら、その瞬間に全部が終わる。


「番号三十一! 前へ!」


俺の、番号だった。


一歩ずつ、台座へ歩く。試験官たちの視線が、肌を刺す。その列の端に――一人、目つきの違う男がいた。試験官の制服を着てはいるが、書類も持たず、ただ、志願者の顔だけを順に眺めている。灰色の外套を、肩に羽織った男だった。


見るな。考えるな。俺は、ただの田舎者だ。


水晶に、手を翳した。


冷たい硝子(がらす)の感触より先に、体の奥で、十二の刻が、微かに身じろぎするのがわかった。


――駄目だ。眠ってろ。


氷。村の井戸。凍った桶の水。ヴェスの冬の朝。何百回と繰り返した、あの慣れた冷たさだけを、指先に思い浮かべる。


数拍の、永遠のような間。


水晶の中心に――薄青の光が、静かに灯った。


「……氷の適性、中位! 次!」


膝から力が抜けそうになるのを、堪えて列に戻った。よし。中位。上等だ。「合格する程度に優秀で、記憶に残らない程度に平凡」。サナの特訓どおりの位置に、収まってくれた。


だが、本当の山場は、次だった。


「番号三十二! 前へ!」


ユキの、番号。


白い頭巾の少女が、台座の前に立つ。俺は、固唾(かたず)を呑んで見守ることしか、できなかった。


彼女の力は、封じの力。この国の属性のどれでもない。水晶が、何と答えるか――それは、ヴォルフにも、俺たちにも、予想がつかなかった。昨夜、三人で立てた筋書きは、こうだ。何も出なければ「属性なし」で学科に賭ける。妙な色が出たら――そのときは、その場で考えるしかない、と。筋書きと呼ぶには、あまりに心細い筋書きだった。


ユキが、手を翳す。


翳した指先が、微かに震えているのが、離れた列からでもわかった。


水晶は――沈黙した。


一拍。二拍。三拍。何の色も、灯らない。


見守る志願者たちの間に、気の毒そうな空気が流れた。ああ、また属性なしか、という空気。それでいい。そのまま、何も映さず終わってくれ。


「属性なし、か? 次――」


試験官が言いかけた、そのとき。


水晶の奥の奥で、何かが、ちらりと(またた)いた。


色、と呼んでいいのかもわからない、光。白よりもなお白い、雪の底のような、ほんの一粒の(きら)めき。それは灯ったそばから溶けるように消えて、水晶は、また沈黙に戻った。


講堂が、僅かに、ざわついた。


「……ふむ。今のは」


試験官の一人が、首を傾げて、記録係と何かを言い交わす。俺の心臓は、早鐘を通り越して、止まりかけていた。まずい。まずい、まずい――


「氷の適性、微弱、と記録しておけ。雪国の生まれなら、たまにある。芯まで冷えた血の色だ。……次!」


年かさの試験官の、鶴の一声だった。


ユキは、深々と一礼して、列に戻ってきた。すれ違いざまに見えたその顔は、紙のように白かった。俺は、列の中で、彼女の袖に、そっと指先だけで触れた。大丈夫だ、と伝わるように。


――ただ。


列に戻る間際、視界の端で、あの灰色の外套の男が、手元の帳面に、何かを書き留めたのが見えた。


昼を挟んで、午後は学科試験だった。


昼休み、講堂裏の芝生で弁当を広げながら、俺たちは、午前の「あれ」の話を、声を殺して交わした。


「……びっくり、しました。あんな光、自分でも初めてで」


「水晶に、封じの力の欠片(かけら)が映ったのかもな。……けど、試験官の爺さんが『雪国の血』で流してくれた。助かった」


「はい。……ただ」


ユキの声が、一段、低くなった。


「あの、灰色の外套の人。私のとき、何かを書き留めていました」


「……見てたか」


「サヌスのときも、じっと見ていました。あの人だけ、他の試験官と、見ている場所が違う気がします」


同じことを、感じていたらしい。管理局の息がかかった者が紛れている、というヴォルフの警告。あの男が、それなのか。確かめる術はないが、警戒に、越したことはなかった。


「午後は、大丈夫だ。学科で妙な力は出ようがない。……姉さんの独壇場だろ」


「ふふ。……はい。任せてください」


これについては、書くことがあまりない。ユキが、強かった。


配られた問題用紙に、彼女は水を得た魚のように筆を走らせ、見直しを二周して、なお時間を余らせていた。終了の鐘が鳴ったとき、その顔には、隠しきれない充実の色が浮かんでいた。丸暗記と言っていたが、あれはもう、暗記の顔ではなかった。


俺はといえば、歴史の年号で三問ほど溺れかけたが、ユキの夜語りのおかげで、なんとか泳ぎ切った。三百年前の王朝交代の(くだり)が出たときは、夜の宿で聞いた彼女の声が、そのまま耳元で再生された。


そして、最後の実技試験。


演習場に並べられた的を、指定の位置から魔法で撃つ。単純な試験だが、ここが「強く見せない」訓練の、本番だった。


「番号三十一、前へ! 属性、氷!」


指定位置に立つ。的までは、二十歩ほど。以前なら遠いと感じた距離は、今の俺には、庭先も同然だった。だからこそ、だ。


詠唱を、わざと長く。狙いを、わざと甘く。


一射目。氷の(つぶて)は、的の縁を(かす)って、割れた。


二射目。中心のやや下。


三射目――ここだけは、当てる。的の中心で、氷が砕けて、白い飛沫(しぶき)が散った。


「三射二中、一射掠り! 中の上! 次!」


完璧、だった。サナが見ていたら、満点をくれただろう。受かりそうで、記憶には残らない。狙いどおりの、平凡な好成績。的の前の雪だまりに散った氷の欠片さえ、志願者らしい不揃いな大きさに割れてくれていた。


――のはず、だった。


「……番号三十一。待て」


低い声が、俺を呼び止めた。


あの、灰色の外套の男だった。帳面を手に、ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。


「今の三射目。詠唱の途中で、(ふし)を一つ、飛ばしたな。なぜだ」


心臓が、跳ねた。


飛ばした。確かに、飛ばした。三射目、当てにいった瞬間、体に染みついた実戦の癖が、無駄な節を勝手に端折(はしょ)ったのだ。並の試験官なら、聞き流す程度の――だが、聞き流さない耳が、ここにあった。


「あ……えっと、その」


言葉に、詰まった。まずい。何か言え。田舎者らしい、何かを――


「――お時間です、試験官殿」


涼やかな声が、割って入った。


書類の束を抱えた、係の在校生だった。一分の隙もない制服。伏し目がちの、静かな(たたず)まい。


ガイア。


「実技の枠が、押しています。次の組の入場が、もう始まりますので」


「……ふん」


灰色の外套の男は、俺の顔を、もう一度だけ、じっと見た。それから、帳面を閉じ、興味を失ったように背を向けた。


「行け。……次!」


列に戻る俺と、書類を抱えて歩き去るガイアは、一度も、目を合わせなかった。


偶然か。それとも。


あの生徒は、俺の窮地を、正確に見ていた。そして、割って入る口実として、これ以上ないほど自然な一言を、これ以上ないほど完璧な瞬間に、置いていった。偶然にしては、出来すぎている。だが、助けられた、と喜ぶには――あの「秒針が、一つ、飛ぶ」の声が、耳の奥に残りすぎていた。


敵なのか。味方なのか。それとも、そのどちらでもない、何かなのか。


考える間もなく、試験は流れ、気づけば、すべての日程が終わっていた。


発表は、三日後だった。


その三日間の長さといったら、言い表しようがないほどだった。サナは「じたばたしても結果は変わらないよ」と笑っていたが、そういう本人が、発表の朝は誰よりも早く目を覚まして、誰よりも先に宿の階段を降りていた。


掲示板の前の人だかりは、悲鳴と歓声が入り混じって、渦を巻いていた。


番号を見つけた者が飛び上がり、見つけられなかった者が、その場に座り込む。列で見かけた顔ぶれの、明暗が分かれていく。畑を売ってもらったと言っていた少年は――いた。番号の前で、声を上げて泣いていた。よかった、と、素直に思った。


「あった……三十一番、あります! サヌス、ありました!」


「三十二番は……あった。姉さんのもある!」


人混みの中で、俺とユキは、番号の並びを三度も確かめ合った。間違いない。二人とも、受かった。


「やった……やりました……!」


「ああ。……姉さんの学科、たぶん相当な点だったぞ」


人前なので、控えめに。それでも、握り合った手の熱だけは、隠しようがなかった。


その夜は、サナが宿の女将と結託して、ささやかな祝いの膳を並べてくれた。鶏の丸焼きに、豆の煮込み、それから、東市場の一番の屋台の焼き菓子まで。


「入学、おめでとさん。……ここからが、本番だけどね」


「ああ。わかってる」


「けど、今夜だけは、ただの祝いだ。難しい顔は明日から。……ほら、キオネ、あんたもっとお食べ。学科の点数分くらいはね」


「ふふ……いただきます」


囲む膳の温かさに、束の間、目的も偽名も忘れそうになる夜だった。ミオに、長老に、里の皆に、この報せを届けられたら――ふと過ぎった思いは、口には出さず、胸に仕舞った。連絡の線は、まだ、繋がっていない。


祝いの席がお開きになり、部屋に戻ると、扉の下に、学院からの分厚い封筒が差し込まれていた。


入学の案内。寮の割り当て。制服の採寸日。事務的な書類を、一枚ずつ(あらた)めていく。


その、一番底に。


印字ではない、手書きの小さなカードが、一枚、紛れ込んでいた。


学院の公印も、差出人の署名もない。ただ、上質な白いカードに、流れるような、綺麗な文字だけが並んでいた。


『ご入学、おめでとうございます。


よい「時」を。


――技術研究会』

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