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十二刻のクロノス ~時間魔法から始まる時々~  作者: 鏡花
第二章「消えぬ影」

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第28話「図書室の少年」

「――針のない、時計盤、ねえ」


宿に戻って一部始終を話すと、サナは、行商の荷を解く手を止めて、低く(うな)った。


「ガルムの首元のあれと、同じ意匠ってことかい」


「小さかったけど、間違いない。丸い盤に、針がなかった。……それに、すれ違った瞬間、俺の中の刻が、(うず)いた。時計塔のときと似てるけど、もっと小さくて、鋭い感じだ」


「学院の生徒が、塔の関係者……ヴォルフさんの言っていた『ろくでもないもの』は、そのことだったんでしょうか」


ユキの問いに、答えられる者は、いなかった。わかっているのは、ヴォルフの警告が、その日のうちに形になって現れた、ということだけだった。


「一つ、確かめておきたいんだけどね」


サナが、真顔になった。


「その生徒、あんたの正体に、気づいた素振りは」


「……なかった、と思う。振り返りもしなかったし、歩調も乱れなかった。ただ……」


すれ違った、あの一瞬の疼き。あれが俺にだけ起きたことなのか、それとも、向こうにも「何か」が伝わったのか。確かめる(すべ)は、なかった。


「気づかれてないなら、それでよし。気づかれてたなら――試験までの十日の間に、必ず何かを仕掛けてくる。どっちにしろ、あたしたちがやることは同じさ。……日常を、完璧に演じること」


「で、どうするんだい。調べるのかい、その生徒」


「……いや。試験までは、深追いしない」


迷いは、あった。だが、答えは決めていた。宿までの帰り道、ずっと考え続けて、出した答えだった。


「今の俺たちは、ただの志願者だ。学院に入る前に怪しまれたら、全部が終わる。調べるのは、中に入ってからでも遅くない。……十日、我慢する」


「ほう。焦って突っ込むかと思ったら」


「誰かさんの教育の賜物(たまもの)だよ。……点で受けて、点で返す、だろ」


「はっ。言うようになったね」


そうして、試験までの十日間が、始まった。


俺の日課は、朝の鍛錬と、氷魔法の「調整」だった。


「はい、やり直し! 今の氷壁、厚すぎ! 田舎の神童レベルまで、あと三割削りな!」


「難しいんだよ、手加減の方が……!」


宿の裏の空き地で、サナの特訓は続いていた。ただし、今回の課題は、これまでと真逆――強く見せない訓練だった。


適性検査で目立ちすぎれば、詮索(せんさく)を招く。かといって弱すぎれば、落ちる。「合格する程度に優秀で、記憶に残らない程度に平凡」という、(さじ)加減の芸当を、体に叩き込む十日間だった。


「あんたの氷は、独学のくせに筋が良すぎる。実戦を(くぐ)った奴の魔法は、匂いでわかるんだよ。試験官が並の相手なら誤魔化せるけど……管理局の息がかかった奴が紛れてたら、一発だ」


「……具体的には、どうすれば」


「無駄を足しな。詠唱をわざと長く、狙いをわざと甘く。発動のたびに、ちょっと自信なさそうに眉を寄せる。……そう、それ! 今の顔、実に受かりそうで受からなそうだよ!」


「褒められてる気が、まったくしない……」


不思議な訓練だった。強くなるための鍛錬は、これまで散々やってきた。だが、弱く「在る」ための鍛錬は、初めてだった。そして、これが存外に、難しい。この数ヶ月の逃避行で体に染みついた、最短で、最小で、確実に――という癖を、一つずつ、意識して(ほど)いていく作業だった。


「ま、悪いことばかりじゃないよ。手を抜く技術ってのは、裏を返せば、力の出力を細かく刻む技術だ。器の使い方が、うまくなる。……あんたの言う『器を広げる』の、遠回りな稽古だと思いな」


サナの言葉は、いつも通り、乱暴なようでいて、的を()ていた。


一方のユキは、部屋の隅に小さな机を借りて、朝から晩まで、教本に(かじ)りついていた。


教本は、サナが古書店で(あがな)ってきた、型落ちの受験用のものだ。ヴォルフに借りる案もあったが、「接触は最小限に」の原則で見送った。あの老学者に、これ以上の危険を背負わせるわけにはいかなかった。


「歴史と地理は、だいぶ頭に入りました。算学も、たぶん。……ただ、魔法理論だけは、どうしても」


「そりゃそうさ。あんたの力は、そもそもこの国の理論の外にあるんだから」


「なので、丸暗記です。理解は、あきらめました」


きっぱり言い切って、ユキはまた教本に戻っていく。その横顔は、悲壮というより、どこか楽しげだった。


夜、俺が鍛錬から戻ると、彼女は決まって、覚えたばかりの歴史を聞かせてくれた。三百年前の王朝の交代。五十年前の大火と、都の再建。話し上手というわけでもないのに、彼女の語る歴史は、なぜだか耳に残った。楽しんで覚えた知識は、人に渡るときも温度を持つのだと、初めて知った。


「……なんだか、嬉しそうだな」


「わかりますか?」


ユキは、頁をめくる手を止めずに、ふふ、と笑った。


「私、机に向かって勉強するの、初めてなんです。逃げてばかりの十年でしたから。……追われて覚えることじゃなくて、自分のために覚えることが、こんなに楽しいなんて、知りませんでした」


その一言は、胸の深いところに、静かに落ちた。


偽りの名前で、偽りの身分で、目的のための受験。それでも――この十日間の彼女は、ただの、試験勉強に励む十二歳の少女だった。それが無性に、守りたいものの形に見えた。


五日目の夕方には、息抜きと称して、三人で東市場へ出た。


「あ。……ありました、あの屋台」


ミオが力説していた、例の焼き菓子の屋台だ。焼きたての生地に(あん)がたっぷり入ったそれは、噂に(たが)わず、ほっぺたが落ちるほど旨かった。


「……これは、確かに一番だ」


「ミオちゃん、正しかったですね。三番目の屋台と、食べ比べてみますか?」


「けちなおじさんの餡を確かめに行くのかい? あんたたちも物好きだね」


笑いながら、三番目の屋台のものも買って食べた。……本当に、餡が少なかった。三人で顔を見合わせて、こらえきれずに吹き出した。


「ミオに手紙で教えてやろう。『検証の結果、あなたは正しかった』って」


「ふふ。喜びます、絶対」


手紙は、まだ出せていない。印が消された今、里との連絡の線を、どう安全に引き直すか。サナが行商の伝手で慎重に道を探っている最中だった。それでも、伝えたい土産話が増えていくこと自体が、なんだか、悪くなかった。


そして、八日目。


学院から、志願者向けの「施設案内日」の報せが届いた。試験前に、講堂や図書室の一般区画を見学できるのだという。


「行くべきだね。試験当日に迷わないよう、動線を頭に入れときな。……ついでに、例の生徒のことも、遠目でいいから面が拝めりゃ上等だ」


「深追いはしない。……見るだけだ」


案内日の学院は、志願者でごった返していた。


講堂、演習場、食堂。係の生徒に引率されて、志願者の群れがぞろぞろと巡っていく。演習場では、在校生の模範演技として、風の魔法使いが的を次々と射抜いてみせ、志願者たちから歓声が上がった。


「すっげえ……あれが学院生か……」


「おれ、あんなの勝てる気しねえよ……」


隣を歩く志願者たちの、素直な感嘆。俺は曖昧に頷きながら、内心で、サナの採点を思い出していた。――あの風使い、詠唱が三拍も無駄に長い。実戦なら、二射目の前に潰されてる。


……駄目だ、この思考が顔に出る。俺は慌てて、「田舎から出てきて圧倒されている志願者」の顔を作り直した。強く見せない訓練の成果を、こんなところで試されるとは思わなかった。


その最後に案内されたのが、図書室の一般閲覧区画だった。


高い天井まで届く書架の列。梯子(はしご)のかかった壁面の棚。紙と革と、微かな(かび)の匂い。学院の禁書区画とは別棟の、誰でも入れる区画だというが、それでも蔵書の数は、去年の冬に見た資料室の比ではなかった。天窓から差す光の帯の中を、埃が、ゆっくりと舞っていた。


「すごい……この本、全部、読めるようになるんですね」


ユキの目が、輝いていた。彼女はきっと、入学したら、試験勉強どころではない勢いでここに入り浸るのだろう。十年分の「読めなかった本」を、取り返すみたいに。


見学の自由時間、俺は一人、書架の間を歩いていた。ユキは歴史書の棚に張りつき、他の志願者たちも、思い思いに散っている。高い書架の列は、迷路のようで、数歩も入れば、人の声が遠くなった。紙の匂いと、静けさだけの世界だった。


魔法理論の棚の前で、足を止めた。背表紙を、目で追う。属性魔法概論。詠唱構造の基礎。この中のどこかに、俺の力の端っこにでも触れる本は、あるだろうか――


「――お探し物ですか」


静かな声が、すぐ(そば)でした。


心臓が、跳ねた。同時に、体の奥で、刻が――ざわりと、(とげ)のように疼いた。


足音は、聞こえなかった。この静けさの中で、人が真後ろに立つまで、俺が気配に気づかないなんてことが、あるだろうか。


振り向くより先に、わかった。


あの生徒が、そこに立っていた。


分厚い本を数冊、腕に抱えて。あの日と同じ、一分の隙もない制服姿で。伏し目がちだった目は、今は、まっすぐにこちらを見ていた。灰味(はいみ)がかった、静かな目だった。


「……いえ。見学で、その、見て回ってただけです」


声が、上ずらないよう、腹に力を入れた。ただの志願者。ただの田舎者。何も知らない、サヌスとして。


「そうですか。志願者の方でしたか」


生徒は、柔らかく微笑(ほほえ)んだ。年頃は、俺と同じくらい。物腰は丁寧で、声は穏やかで――なのに、目の奥だけが、少しも笑っていなかった。


「魔法理論の棚を見る志願者は、珍しい。皆さん、大抵は実技の攻略本を探しに行くので」


「……田舎者なもので。何を読めばいいかも、わからなくて」


「ふふ。正直な方だ」


生徒は、書架に目を移し、細い指で背表紙を一冊、すっと抜き出した。


「でしたら、これを。『属性魔法の成り立ち』。古い本ですが、この国の魔法理論の骨組みが、一番わかりやすく書いてあります」


「……ありがとう、ございます」


受け取った本は、ずしりと重かった。親切だ。どこまでも、親切だった。物腰も、声も、選書の的確さも。なのに、この違和感は、なんだ。


……ああ、そうか。


目線だ。この生徒は、さっきから一度も、俺の「顔」を見ていない。見ているのは、もっと奥――皮膚の下の、俺という入れ物の中身を、検分するような目線だった。


「時計は、お好きですか」


「……え?」


唐突な問いに、声が裏返りかけた。生徒は、自分の襟元を、指先で軽く示した。丸い盤。針のない、時計。


「よく、見ていらしたので。これ、学院の技術研究会の徽章(きしょう)なんです。時計機構の研究をしている集まりで」


「あ……いや、その。珍しい意匠だったから、つい」


「ええ。針がないのは、変でしょう? 『完成した時計に、針はいらない』……創設者の言葉だそうです。私も、意味はよくわからないのですが」


技術研究会。徽章。創設者の言葉。


すらすらと出てくる説明は、どこまでも自然で、検証のしようがなかった。本当のことかもしれない。全部、嘘かもしれない。


生徒は、腕の本を抱え直した。


「私はガイアといいます。図書委員をしています。入学されたら、また会えるでしょう」


「……サヌスです。東部から来ました」


「サヌスさん。良い名前ですね」


ガイアと名乗った生徒は、丁寧に一礼して、書架の向こうへと歩き出した。


終わった。……やり過ごせた、のか?


手の中の重い本を抱えたまま、詰めていた息を、そっと吐き出しかけた、そのときだった。


数歩先で、足音が、止まった。


ガイアは、こちらに背を向けたまま、本の頁をぱらりと一枚めくり――世間話の続きのような、なんでもない調子で、言った。


「そういえば。不思議なことがあるんです、サヌスさん」


「……なん、でしょう」


「私、癖でして。人と話すとき、いつも頭の中で、秒を数えているんです。子供の頃からずっと。狂ったことは、一度もありません」


頁を、また一枚、めくる音。書架の谷間の静けさの中で、その乾いた音だけが、やけに大きく響いた。俺は、動けなかった。抱えた本の重さだけが、腕の中で、現実の感触を保っていた。


「なのに――あなたとすれ違うと、秒針が、一つ、飛ぶ」


ここまで読んでくださりありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
ほんっと情景描写が素敵すぎて、没頭して読んじゃいます。 また時の力の設定も素敵で時計の十二針それぞれに時に関する能力があるとは、目から鱗でした。自分の中の中二病が疼きます。
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