表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十二刻のクロノス ~時間魔法から始まる時々~  作者: 鏡花
第一章「青き目覚め」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/26

第10話「雪解けの刃」

町を発って三日目、道は次第に険しくなっていった。


平坦だった街道は、いつしか山間部へと差し掛かり、両側に切り立った崖が迫るようになっていた。空気も、日を追うごとに冷たくなっていく。北へ向かうというのは、季節を遡るようなものなのかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら、俺は重い荷を背負い直した。


道中、時折すれ違う旅人の数も、目に見えて減っていった。この先に何があるのか、聞いてみても、皆一様に首を横に振るだけだった。「あの山を越えた先には、何もない」――そう言う者もいれば、「昔、何かの遺跡があったと聞いたことがある」と、曖昧な記憶を語る者もいた。


「この辺りから、雪が積もり始めますね」


ユキが、足元に薄く積もった雪を見つめながら呟いた。彼女の白い髪が、周囲の雪景色に溶け込むようにして揺れている。


「思ったより早いな。まだ本格的な冬でもないのに」


「山は、下界より早く冬が来るものです」


事も無げに言うユキに、俺は苦笑した。逃避行の中で、彼女なりに培ってきた知識なのだろう。こういう時、彼女の方が場慣れしていることに、時折驚かされる。


野営には、これまでよりも一層の注意が必要になった。薪を集め、風を防ぐ場所を選び、体を冷やさないよう工夫を重ねる。慣れない山歩きに、体力の消耗も激しかった。それでも、二人で分担しながら準備を進めるうちに、それなりのコツも掴めてきていた。


三日目の夜、いつものように火を(おこ)し、遅い夕食を取っていたときだった。


「――クロさん」


ユキの声が、鋭く尖った。反射的に顔を上げると、彼女の視線の先、闇の中に、複数の人影があった。焚き火の淡い光の外側、闇に沈んだ場所に、いくつもの気配が息を潜めていた。


「な……!」


慌てて立ち上がった瞬間、影の一つが、矢のような速さでこちらに踏み込んできた。反応する間もなく、鋭い殺気が肌を刺した。


「《3時・停止》!」


咄嗟(とっさ)に叫んだ。世界から音が消え、迫っていた影が空中で静止する。この数ヶ月の訓練で、発動までの速度は格段に上がっていた。それでも、体への負担は変わらない。


静止した世界の中、俺は素早くユキの手を引き、その場から距離を取った。時が動き出すと同時に、先ほどまで俺たちがいた場所に、鈍い光を放つ刃が振り下ろされた。土が(えぐ)れ、鋭い音が山中に響き渡った。


「――くっ!」


膝から力が抜けそうになるのを、歯を食いしばって堪える。まだだ。まだ、倒れるわけにはいかない。


「囲まれています……!」


ユキの声に、周囲を見回すと、闇の中から次々と人影が現れていた。数は、以前村を襲ってきた者たちよりも、明らかに多い。統率の取れた動き、隙のない構え。素人目にも、只者ではないとわかった。全員が同じ意匠の外套を纏い、まるで訓練された部隊のように、無駄のない包囲網を築いていく。


心臓が、痛いくらいに早鐘を打っていた。以前の襲撃とは、明らかに規模も練度も違う。これでは、以前のように村の男衆の助けを借りることもできない。


「探したぞ、白い巫女」


低い声が、闇の中から響いた。一団の中でも、一際存在感を放つ、大柄な男が前に進み出る。左目を縦に裂く、古い刀傷。そして、その首元には――鎖に繋がれた、壊れた時計のような金属盤が下がっていた。針のない文字盤が、焚き火の光を受けて、鈍く光る。


――あの光だ。昨夜、宿の窓の下で、月光を鈍く弾いていたもの。あのとき軒下に立っていた影は、この男だったのか。


「ガルム様。包囲、完了しています」


部下の一人が、短くそう報告した。ガルム、と呼ばれた男は、頷きもしなかった。ただ静かに、俺たちを――いや、正確にはユキだけを、見ていた。


「夜分に済まないな。俺はガルム。しがない、狩人だ」


口調だけは、まるで行商人のように丁寧だった。だが、その目には、どんな感情も浮かんでいない。獲物の数を数える、それだけの目だ。纏う気配だけで、これまで何人もの命を奪ってきたのだと、嫌でも理解させられた。


「……狩人が、人を狩るのか」


「依頼があればな。仕事に貴賤(きせん)はない」


淡々と、当たり前のことのように男は言った。


「大人しく渡してもらおう、その娘を。傷はつけるなと言われている。……今のところは、な」


「――ッ」


ユキが、俺の服の裾を、強く握りしめるのがわかった。震える手。それでも、逃げようとはしない、その強さに、胸を打たれた。冷たい夜風が、二人の間を吹き抜けていった。


「渡すわけないだろ」


即座に答えた俺に、ガルムは笑いもしなかった。ただ、僅かに首を傾げる。


「小僧。お前に個人的な恨みはない。退け。……三つ数える」


(あざけ)りすらない、その静かな声が、何よりも恐ろしかった。この男にとって、俺の命は、数えるほどの価値もないのだ。


「やってみなきゃ、わからないだろ」


強がりだった。だが、退くわけにはいかなかった。手のひらに滲む汗を、握りしめた拳の中で誤魔化す。


「一つ」


ガルムが、目配せをする。それを合図に、周囲の影たちが、一斉に動き出した。数える気など、最初からなかったらしい。


「《1時・加速》!」


自らの動きを加速させ、真っ先に踏み込んできた一人の攻撃を(かわ)す。だが、多勢に無勢だった。左右から迫る刃を、すべて(さば)ききれるはずもない。


「クロさん、後ろ!」


ユキの叫びに、振り向く間もなく、背中に鋭い痛みが走った。空気を切り裂く音が、耳元をかすめていった。


「――ぐぁッ!」


浅い傷で済んだのは、幸運としか言いようがなかった。それでも、激痛に視界が歪む。膝をつきそうになる体を、無理やり奮い立たせた。傷口から流れる血の熱さだけが、やけに鮮明に感じられた。


「クロさん!」


ユキが、悲鳴のような声を上げる。だが、敵の狙いはあくまでユキ自身であり、俺はただ、彼女に辿り着くのを阻む障害物でしかなかった。


(このままじゃ……)


頭の中で、冷静な部分が警鐘を鳴らしていた。このままでは、囲まれ、いずれ力尽きる。使える手札は、限られている。だが、迷っている時間はなかった。周囲を囲む敵の数を、素早く目で数える。少なくとも、六人以上はいる。


視界の端で、ユキが小さく息を呑むのが見えた。彼女を、これ以上危険に晒すわけにはいかない。たとえどんな代償を払うことになっても。


「――《8時・反転》!」


まだ一度も、実戦で試したことのない力だった。だが、今使わなければ、次はない。頭の奥に眠っていたその力の名前を、ほとんど衝動的に呼び起こしていた。


賭けだった。振り下ろされた刃が、来た軌道をそのままなぞるように、引き戻される。まるで、その一瞬の時間だけが巻き戻されたかのように。斬りかかってきた男自身が、驚愕(きょうがく)の表情を浮かべたまま、自らの刃に引きずられて体勢を崩した。


「な、に……!?」


未知の力に、敵の陣形に僅かな乱れが生じる。


その乱れの中で、ただ一人、ガルムだけが動かなかった。


男は、首元の壊れた時計盤を、指先で一度だけ撫でた。そして初めて、その声に、僅かな熱が混じった。


「……時の理。報告は、本当だったか」


低い呟きが、なぜか耳に届いた。時の理。この男は――俺の力が何なのか、知っている。


「予定変更だ」


ガルムが、部下たちに向けて、静かに告げた。


「小僧も殺すな。生かして押さえろ。……『塔』の方々が、欲しがる」


塔。聞いたこともない言葉だった。だが、その一言を口にしたときだけ、ガルムの部下たちの間に、明らかな緊張が走ったのがわかった。


考えている余裕はなかった。その隙を逃さず、ユキの手を引いて、崖際の狭い岩陰へと駆け込んだ。心臓が、まだ激しく脈打っていた。


「はぁ、はぁ……」


呼吸が、まるで整わない。使ったばかりの《8時・反転》の反動が、これまでにない重さでのしかかってくる。視界がぐらつき、立っているのがやっとだった。全身の関節が、軋むように痛んだ。


「クロさん、傷が」


「大丈夫、だ……それより」


言葉を続けようとした瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。まるで、体そのものが「これ以上は許さない」と、悲鳴を上げているかのようだった。視界の端が、ちかちかと明滅している。


(まずい……このままじゃ)


意識が、朦朧(もうろう)としてくる。もう一度力を使えば、今度こそ倒れてしまうかもしれない。それでも、ここで倒れれば、ユキを守れない。


「クロさん、しっかりしてください……!」


ユキの声が、遠くに聞こえる。霞む視界の中、彼女の白い髪が、闇の中でも淡く光っているのが見えた。


「私が、あなたを守ります」


決意を込めたその声に、驚いて顔を上げた。ユキが、震える手で、地面に落ちていた小さな石を拾い上げる。恐怖に強張った顔をしていても、その目だけは、まっすぐにこちらを見つめていた。


「無茶、するな……」


「クロさんだって、いつも無茶してるじゃないですか」


不敵な笑みを浮かべたユキの姿に、これまで見たことのない強さが宿っていた。


その時だった。


「終わらせろ」


急かすでもない、低く静かな声が、岩陰の向こうから聞こえた。ガルムの声だ。怒鳴り声よりも、その平坦さの方が、よほど背筋を凍らせた。迫る足音。もう時間がない。


「クロさん、立てますか」


「ああ……何とか」


朦朧とする意識を叱咤(しった)し、なんとか立ち上がる。もう、これ以上、時間の力を使う余裕はなかった。だとすれば――残された手段は、一つしかない。


「氷の魔法なら、まだ使える」


震える指先に、意識を集中させる。時間の力ほどの消耗はない。これなら、まだ戦える。


岩陰から飛び出す。その瞬間、隣からユキの投げた石が、先頭の男の額をしたたかに打った。男が怯んだ――その一瞬で、十分だった。


迫りくる敵の足元を、一斉に凍らせる。


「うわ、あぁッ!?」


足を取られ、次々と体勢を崩す男たち。氷の魔法なら、これまで何百回と使い慣れている。消耗も少なく、精密なコントロールも利く。その隙をついて、俺たちは崖沿いの細い道を、一気に駆け抜けた。


背後で、部下たちの怒号が上がった。だが、それを断ち切るように、あの静かな声が響いた。


「――追うな」


ガルムの一言で、足音がぴたりと止んだのが、風に乗って伝わってきた。


「北への道は、一本しかない」


逃げながら、俺の耳は、その言葉の断片を確かに拾っていた。追うな。そして――北。


足場の悪い雪道を、ユキの手を引きながら必死に走った。何度も転びそうになりながら、それでも足を止めるわけにはいかなかった。息が切れ、肺が痛み、視界の端が白く点滅する。それでも、走った。


どれほど走っただろうか。息が上がり、限界を超えた頃、ようやく追手の気配が完全に消えた。


「……はぁ、はぁ……大丈夫、か」


「はい……クロさんこそ」


倒れ込むようにして、二人でその場に座り込んだ。荒い呼吸だけが、しばらくの間、静かな山中に響いていた。


「……ガルム、って呼ばれてたな。あの男」


ようやく息が整った頃、ぽつりと呟いた。これまでの追手とは、明らかに何かが違った。俺たちを見る目も、あの妙な余裕も。


「はい。……それに、最後に言っていました。『北』って」


ユキの声には、隠しきれない緊張があった。


「ああ。……俺たちの行き先を、読まれてるのかもしれない」


口にした瞬間、背中の傷とは別の冷たさが、じわりと広がった。追われているのではない。もしかしたら――泳がされている。


「それと、『塔』とか言ってたな。聞き覚えあるか」


「いいえ。……でも、あの人たちの様子だと、ただの雇い主、という感じではありませんでした」


「同感だ。あいつは、俺の力を見ても、ほとんど驚かなかった。それどころか――『報告は本当だったか』って」


つまり、奴らは最初から、俺の力のことをある程度知っていて動いている。ユキだけじゃない。俺自身も、もう「探される側」なのだ。


「奴らは、ただの傭兵(ようへい)や私兵じゃない。もっと、はっきりとした目的を持って動いてる」


「そう、ですね……」


不安げに俯くユキの肩に、そっと手を置いた。雪明かりの中、彼女の白い髪が、微かに震えているのがわかった。


「大丈夫だ。何とかする」


以前と同じ言葉を、もう一度口にする。根拠のない、けれど、譲れない決意だった。上ずりそうな声を抑え込むように、努めて力強く言い切った。


「はい。……信じてます」


小さく頷くユキの表情に、微かな安堵の色が浮かんだ。その表情を見て、俺自身も、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。


その夜は、これ以上進む体力も気力も残っていなかった。傷の手当てを済ませ、僅かな距離を移動した先で、身を寄せ合うようにして夜を明かした。冷え切った体に、互いの体温だけが、かろうじての救いだった。


翌朝、目覚めたときには、体中に鈍い痛みが残っていた。だが、命があるだけ、まだましだった。背中の傷は、ユキが持っていた薬草のおかげで、思ったよりも早く血が止まっていた。


「北の遺跡まで、もう少しの辛抱だな」


「はい」


短い言葉の中に、互いへの信頼が滲んでいた。


険しい山道を見上げながら、俺は改めて、これから待ち受ける道のりの厳しさを噛み締めていた。ただの逃避行ではない。もっと大きな何か――『塔』と呼ばれる何かが、俺たちを、本気で狙っている。


そして、あのガルムという男。首から下げていた、針のない時計盤。あれが何を意味するのか、確かめる術はまだない。ただ、あの男が「時の理」という言葉を、まるで見慣れたものを呼ぶように口にしたことだけが、頭から離れなかった。


「クロさん」


歩き出そうとした俺に、ユキが静かに声をかけた。


「昨日は、ありがとうございました。それと……ごめんなさい。私のせいで、また危険な目に」


「その話は、もう終わったはずだろ」


「はい。……でも、何度でも、伝えたいんです」


真剣な表情でそう言うユキに、俺は小さく頷いた。


「わかった。……こっちこそ、守ってくれてありがとうな。あの石、ちゃんと役に立ってた」


冗談めかして言うと、ユキは少し照れくさそうに笑った。


「あれくらいしか、できませんでしたから」


「十分だ。あの一瞬、お前が動いてくれたから、体勢を立て直せた」


それは、決してお世辞ではなかった。あの絶望的な状況の中、震えながらも前に踏み出した彼女の姿は、確かに俺の背中を押してくれていた。


それでも、ここで足を止めるわけにはいかなかった。


雪を踏みしめ、俺たちは再び、北への道を歩き出した。行く手には、まだ見ぬ遺跡と、そこに眠る何かが待っている。それが希望なのか、絶望なのか、今はまだわからない。


ただ、一つだけ確かなことがある。あの狩人は、また必ず、俺たちの前に現れる。あの静かな声が「追うな」と言ったのは、見逃したからじゃない。狩りを、まだ終わらせる気がないからだ。


隣を歩くユキの手を、無意識に、少しだけ強く握った。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)             

         ☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
主人公のクロが振るう時間魔術の多様さに目を引かれました。 全部使いこなすのはリスク含め大変そうですが、戦い方が実に多種多様に広がるのはワクワクしますね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ