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89話 メシア、ぶち切れる


「……アーロン、逃げよう」


 絶体絶命のピンチ。

 捕まるわけにはいかず、アーロンの手を取る。


 魔術で煙幕を張る。

 これならシステムは何も言わない。


「は、小賢しい真似をしやがって」


 怪訝そうな声が上がる。

 私たちは声と逆方向へ走り出した。

 だが――


「こんなの子供だましだ」

「え、嘘?」


 煙幕が弾け飛ぶ。拳だ。

 ネイロのこめかみがくっきりと浮かび上がり、目はぎらついている。

 逆効果だった。


《警告 戦闘禁止》


「撫子、大丈夫だ。オレがやるから、後ろに下がっていろ」

「分かった」


 悔しいけれど、今は従うしかない。

 数歩下がり、結界を張る。

 そもそも技術があっても、能力がなければ戦闘なんて無理。


《正解》


 二人がにらみ合い、同時に動き出す。

 拳がぶつかる乾いた音。

 アーロンの一撃が頬をかすめるが、ネイロは笑う。

 次の瞬間、アーロンの肋に拳がめり込む。

 鈍い音がして、息が乱れる。

 それでも踏み込み攻撃を仕掛けるけれど、軽やかにかわされるだけ。

 一方、ネイロは流れるように急所を正確に打ち抜いていく。

 アーロンは顔をしかめ、足がふらつく。

 徐々に追い詰められている。


 格が違う。

 このままでは危ない。

 結界を解き、加勢しようとした瞬間――


「待ってました」

「え?」


 ネイロの標的が、私へと変わる。

 炎を宿した二つの拳が、一直線に迫る。


 間に合わない。

 避けられても一発。

 二発目は確実に来る。

 それでも防御姿勢を取ろうとした瞬間――


 目の前に壁が立った。


 バァン。


 血が舞う。


 二発目。

 さらに大量の血飛沫が。


「さすがメシアの護りし戦士。自ら死を選ぶとはな」


 ネイロの小馬鹿にした声に、アーロンは信じられない発言をする。


「あ、当たり前だろう……撫子、逃げろ。……こっから先は死んでも通させねぇから」


 死を覚悟した戦士の台詞。


《警告 戦闘禁止》


 あんなにエルヴィスさんの考えを否定していたくせに。

 そんな言葉を、アーロンの口から聞きたくなかった。


《警告 戦闘禁止》

《護りし戦士の替えは、いくらでもいます。捨て駒です》


 は?


 無機質な声が、余計に癇に障る。


 ブチ。


 何かが切れた。

 もう、我慢の限界。


「黙れ」


 私はあんたの言いなりになんか、ならない。


 アーロンも

 リチャードも

 クロさんも

 テキサス様も

 エルヴィスさんも


 みんな、私の大切な仲間。

 替えなんてきかない。


 護りし戦士がメシアを護り死ぬ役割だと言うなら、

 そんな役割、私の代で終わらせてやる。


 私が護りし戦士を、護る。


《警告、警告。危険危険!!》


 視界が真っ赤に染まる。警告音が鳴り響く。


 うっさい!


 拳を振り上げ、叩きつける。


 バキーン。


 システムが砕け散る。

 ノイズが走る。


《システム……エ、ラア……》


 最後に言い残し、警告音も消えた。

 久しぶりに静寂が訪れると、身体がふっと軽くなる。

 力が身体中に巡る。

 もとの私だ。

 システムからようやく解き放たれた。


 おかえり、私。


「なんだよこいつ? 女の前で偉そうに粋がっていた癖にもうノックダウンか? 情けねぇ」


 フッと我に返ると、ネイロの嘲り声。

 視界に入るのは、気絶したまま私を庇うアーロン。


「女、残念だったな?」


 勝ち誇った笑みで私を見つめ、アーロンを投げ捨てる。


 ドーン。


 衝撃音が響く。

 怒りが、再び湧き上がる。


「よわっちいのが、護りし戦士で――」


 みつけた。

 私の怒りの矛先♪


 口角が上がるのが分かった。

 息を吐き、深く吸い込む。

 一歩前に踏み込む。

 すべての想いを拳に乗せる。


 バチーン。


 余裕ぶっているネイロの顔面へ叩き込む。

 骨の軋む酷い音。

 ネイロが吹き飛び、床に崩れ落ちる。


 殴った衝撃で拳がピリつき、血が滲む。

 これが他人を殴った代償。


 それでも――


 苛立ちがすっと消える。


「……なんだ。あんたも大したことないじゃん」


 白目をむき、泡を吹いて失神しているネイロに、にっこり笑い止めの一言。

 聞こえてないと思うけれど、それでいい。


「……撫子、やるじゃん」


 どこからともなく、微かにアーロンの声が聞こえた。

 視線を変えるとうっすらと目を開け、力なくブイサインを掲げている。


 しぶとい奴め。



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