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99話 ドアを開けたら……



「結婚しよう」


 ドアを開けたら、エルヴィスさんが何食わぬ顔でそう言った。


――はい?


 反射的にドアを閉める。

 深呼吸。


……今、なんて言った?


 結婚しよう、って聞こえた気がするけれど――いや、まさかね。

 だってプロポーズだよ?

 そんな雑にするものなの?


 信じられず、もう一度おそるおそるドアを開ける。


「ただいま帰りました」


 何事もなかったように中に入ると、彼は肩を落としていた。

 そして、悲しそうに私を見つめる。


「なぜだ?」

「はい?」

「なぜドアを閉めた?」


 一拍おいて、


「プロポーズが、欲しかったんだろう?」

「そうですけど……順序ってものがあるんです」


 率直に否定したかったけれど、ちゃんと話し合わないといけない。


 価値観について。


「つまりダメなのか?」


 彼の瞳が揺れる。

――あ、無理だ。


「ダメ、ではないです。嬉しいです。えーと……ふつつか者ですが、末長くよろしくお願いします」


 受け入れてしまう。


 感動も、なにもなかった。

 彼らしいと言えば、らしいけど。


「こちらこそ。では正式に婚約――」

「その前に、これからのことをちゃんと話し合いませんか?」


 告白の余韻に浸る間もなく、先へ進もうとする彼の袖をつかむ。

 足を止め、きょとんとこちらを見る彼。


「これからの話?」

「はい。エルヴィスさんは、私との結婚生活に不安はないんですか?」

「ああ、まったくない」


 即答だった。


 嬉しいけれど――逆に不安になる。


 彼は、私のことをちゃんと理解しているんだろうか?

 思えば、本当の私生活ってまだ見せていない気がする。

 片付けは嫌い。

 休日は着替えもせず、ゲームとアニメ三昧。

 食事はお菓子で済ませることもある。

……まだ、化けの皮は剥がれていない。


 考えれば考えるほど、ダメなところしか見当たらない。


「穂香はあるのか?」

「はい。私、エルヴィスさんが思っているよりずっとダメダメ人間なんです。だから――」

「確かに穂香の私生活は体たらくではあるが、問題ない」

「あっ……」


 すでに化けの皮は剥がされていたようです。

 然とばかりに答える彼を、今度は私が見上げる。


 私のことを、私以上に分かってる?


「それでもいいんですか?」

「もちろんだ。すべて愛していると言ってるだろう?」


 確信に満ちた眼差しで、私を見つめる。

 突然すぎて、心臓の音が高鳴りだし、体温も上がる。 

 プロポーズよりも破壊力抜群だ。


「……ずるいです」


 ここで愛しているは反則技だ。 

 そんなこと言われたらよくないのに、すべてがどうでもいいと思ってしまう。


 何回それで私は流された?


「そうだな。だが、もっと話し合おう。出来るだけ穂香の不安を取り除きたい」


 でも彼はそれで終わらせる気はなく、

 自ら歩み寄ろうとしてくれた瞬間――

 腑に落ちた。


 あ、私この人となら、結婚生活でもやっていける。


 そう思えた。


「ありがとうございます。では、コーヒーを入れますね?」


 心が軽くなり、足を弾ませキッチンへと向かう。


 例のマグカップを使う絶好のチャンス。


「そうだな。なら俺は、さっき買ってきたケーキを用意する」

「わざわざ買ってきてくれたんですね? 嬉しいです」


 さらに嬉しいサプライズ。

 なんでそれをプロポーズに使わなかったのかは謎だけれど、

 意外とまめなんだよね、そういうとこ。




「これだけは譲れないことはありますか?」


 恋人と夫婦の違いについて軽く話した上で、もう一度聞いてみる。


「穂香にすべて合わせる。ではダメなんだろう?」


 少しは分かってくれた――?


「はい。私だって、エルヴィスさんがくつろげる家庭を作りたいですからね?」

「穂香がいれば……」


 分かってくれてなかった。


「ならエルヴィスさんの本を、全部燃やしてもいいんですね?」

「……よくない。読書の時間も欲しい」


 血管をピクピクさせながら、最終手段を切り出すと、肩を落とし、悲しげに本音を語る。

 それが彼の譲れないこと。

 ほっとした私は、ようやくフォークを手に取る。


 ウサギの砂糖菓子が乗ったチョコケーキ。

 少し食べるのは惜しいけれど、この子は食べられるためにここにきた。


――しかし。


「だが、穂香は俺が嫌がることをしない」


 カタン


 あまりのことに、フォークを落とす。


 ……話が進まない。

 でも。

 それでも良いかもね。


 とりあえずケーキを食べよう。



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