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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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闇に落ちる

 宿に戻ってみると入口を抜けた先のあまり広いとはいえないロビーにはソファに座る数人の宿泊客たちの姿があった。彼らは気にならない程度のささやかな声量で会話をしており、その言葉の端々からこれからの予定について話しあっている行商人であることが窺えた。


 カウンターに立っていた店主はこちらに気がつくと申し訳なさそうに頭を下げながら声をかけてきた。


「ホワイトガーデンさん、少しお話があるんですが……」


「今日は泊まれそうにないか?」


「はあ、いま家内が話を聞きに行ってましてそれによってということにはなるんですが……なにしろこんなふうに避難勧告が出ることなんて大嵐でもなけりゃ滅多にないことでして……」


 何度も宿泊しているうちに彼とはすっかり顔馴染みになっていた。毎朝泊まることになるかどうかわからないといって宿を出ているが、帰ってくるとかならずいつも使っている部屋を空けておいてくれていたりと気を遣ってもらっていた。


「じゃあ出ていくことにするよ。こっちのことは気にしないでいいから」


「すみません、もちろん宿泊代は返金しますので」


 そう言ってすぐにレジを開けお金をトレーに乗せて差しだしてきた。客商売なので安易に追いだすことはできないが、後ろにいた商人たちもその気配は察しているらしくぶつくさと文句めいたことを言いながらもどこか仕方ないといったような様子で避難客を乗せて運賃を稼ごうかと話をしている。


 部屋に行ってみるとアイリスはベッドの中で眠っていた。いまもまだ鳴り響いている鐘が窓の外から遠い過去の記憶のようにぼやけた音として部屋の中に反響しており、呼吸に合わせて上下する毛布に手をかけた。


「アイリス」


 そっと呼びかけると背を向けていたアイリスが微かに肩を強張らせ、ゆっくりとこちらに振り向いて不安そうに見上げてくる。その瞳に意識はしっかりと定まっていて寝ぼけている様子はなく眠っていたわけではなかったようだ。


「どうしたの……?」


「今日はここに泊まれないから宿を出よう。あの音聞こえてただろ? 避難勧告が出てるんだ」


「……大丈夫か?」


 後ろから気遣わしげにヴィオラが声をかけ、アイリスは身体を起こすと毛布の上に視線を向けたままなにも答えずに浮かない顔でうつむいていた。ヴィオラは小さくため息をついて腰に手を当てながら訊ねた。


「だがユーリ、今夜はどこに泊まるんだ?」


「軍の官舎に泊めてもらえないか頼んでみよう。向こうも追い返したりしないと思う」


「そうか……」


 隣のベッドの上に置いてあった鞄を掴むと、その中には財布と魔導書などと一緒に使い古された雑巾のようにくたびれたナーガの服が入っていた。持ち物の管理はすべてナーガに任せていたため彼女の性格を表すように中身は適当に詰めこんだという感じで、まったく整頓されておらず荷物同士が不必要に場所を取っていた。


「あの、ナーガちゃんは……? ……大丈夫、なんだよね?」


「……心配いらないよ。あいつのことは病院の先生に任せておけばいい」


 少しのあいだ服を見つめていたユーリはそう答えながらしわを伸ばして服を丁寧にたたみ直すと忘れものがないか部屋を見回して荷物をしまっていった。


「アイリス」


「なに……?」


「一緒に戦ってくれるかどうかもう一度よく考えておいてくれ。どうしても嫌だったらそれでもいい。気持ちはよくわかってるつもりだから」


「嫌だって言ったらどうするの……?」


「そのときは戦いが終わるまで小旅行にでも行ってもらうことになるだろうな」


「あたしのことじゃ、なくてっ……」


「いまはアイリスの話をしてるんだ。俺たちのことは心配いらない。自分のことだけ考えろ」


「……」


「そんな思い詰めた顔しなくてもいいんだよ。別にお前一人いてもいなくてもそう変わらないんだから」


「うん……」


 いつものような元気はなくアイリスは小さな声でそう答えるとベッドを抜けだし、ハンガーにかけてあった真紅のドレスに袖を通すと胸の部分をリボンで結んで留めた。慌てていたせいもありエーデルワイスは持っていたままで、アイリスはベルトを回すと留め金に聖剣を固定した。


 ユーリたちは宿をあとにすると中央広場からまっすぐ町の出口まで伸びた緩い勾配の坂道に通りの途中から合流し軍の施設に向かった。


 先ほどよりは少なくなったものの辺りの住宅街から聖堂へと向かう人通りは途絶えていない。誰もが不吉な未来を予感した深刻そうな表情を浮かべていたが、断片的に耳に届く話し声はまるで他人事のようにどこか現実味のない響きを伴っていた。


 道路を照らす妖精灯の明かりは普段よりも少なく等間隔で設置された街灯はいくつか飛び越えて点々と淡い光を放っていた。いつもは魔導士が灯して回っているが彼女たちの仕事でないのは明白だった。


 軍の人間であれば兵士たちも身体強化を使用するために魔力の訓練をしているが、専門ではないせいで魔力の濃度が薄く光量が微弱だからだ。


 おまけに急務に追われたせいかすべて灯して回っている余裕がなかったらしく、振り返ったアンスリムの町並みはかろうじてその存在を暗闇の中に浮かび上がらせていた。


 夜の帳が下りた空に月明かりはなく徐々に天候は傾きつつある。微かな肌寒さを引き連れた海風に背を向けてユーリたちは先を急いだ。

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