偽りを捨てて
軍の施設が連なる敷地への門の前には詰めかけた数十人ほどの住民たちが人だかりをつくっていた。その向こうでは軍の職員や兵士たちがなだめるように聖堂へ行くよう説明をしており、彼らも反発するように詳しい状況と今後の対応について口々に大声で疑問を投げかけている。
今度の避難勧告に対しある程度踏みこんだ説明が成されたらしく聞こえてくる喧噪の中には魔王という単語が何度か飛びだしていた。この混乱がすぐに収まるようには思えず中に入るのは難しそうだった。
「彼らが帰るまで待っているしかなさそうだな……」
騒ぎを眺めていたヴィオラもそれをすぐに悟ったようでため息混じりに呟いて中央広場の方へ顔を向ける。
いまは少しでも早く転生者の襲撃に備え対策を練らなければならない。聖堂から他の住民が押し寄せてくるかもしれないしここでのんびり引き上げるのを待っているわけにはいかなかった。
「こっそり忍びこむか」
「……え、なに言ってるのユーリくん」
「どこか壁を乗り越えられそうなところ探すぞ」
「ちょ、ちょっとちょっと……! だめだって……!」
困った様子でアイリスが咎めるように言い、助けを求めるようにヴィオラへ目を向けたが彼女は仕方ないといった感じで苦笑いを浮かべて肩を竦めただけだった。
引き止めようとするアイリスを無視して壁伝いに敷地の外周をぐるりと回っているとすぐに裏手へよじ登れそうな場所を見つけることができた。敷地と町の外壁とのあいだが狭い通路になっておりそこに馬車が連なって停められている。
ここなら人目につく心配もない。外壁は三メートルほどの高さがあったが馬車を足がかりにすれば簡単に乗り越えられそうだった。
「ねえ、怒られるよ……? ここって警察署みたいな場所なんでしょ……?」
荷台に上がって踏みぬいてしまわないように幌の骨組みが通っている場所を触って確かめているとアイリスが躊躇ったように言う。
「大丈夫だって、いいからついてこいよ」
「ヴィオラー……この子ちょっと倫理感が欠けてるんだけどー……」
「彼らも人手不足で困っているんだ。事情を話せばわかってくれるさ」
「そうかなぁ……」
「気にすんな、別に悪いことするつもりじゃないんだから。ほら」
ユーリは馬車を足場にして壁に手をかけてよじ登るとアイリスに手を差し伸べた。彼女は狼狽えたようにこちらを見上げていたが、やがて小さくため息をつくと馬車を伝ってユーリの手を掴んだ。
そのまま引き寄せて壁を掴ませるとよじ登ってきたアイリスはおっかなびっくり壁の下に目を落としていた。
「高い……」
「いちいち躊躇わないと前に進めないのかお前は」
「足元暗くて怖いんだもん、しょうがないでしょっ……? 先に行ってもらっていい……?」
「ヴィオラ、一人で登れるか?」
「ああ、心配いらない」
うなずき返すとユーリは先に飛び降りた。立ち上がって手の汚れをはたき落としていると頭上から不安げにアイリスが訊ねてくる。
「大丈夫……?」
「平気だって。怖いならぶら下がって降りてくるなり──」
振り返ってアイリスを見上げると壁の上で屈んでいるせいでスカートの中が丸見えになっていた。周りが薄暗いせいでほとんど見えなかったがきっとそこには桜が咲いていた。
「すればいいだろ」
「どうしたの急に口ごもっちゃって……あ、やだっ!」
はっとしたアイリスが慌ててワンピースの裾を押さえながら膝を閉じる。けれど体勢的に見えていることに変化はなかった。
「いま覗いてたでしょっ!」
「覗いてねえよ」
「うそつき! 変態、えっち! えっち!!」
「短い服着てる方が悪いんだろ。さっさと降りてこないとずっと見てるからな」
「さいってー! ばかじゃないの! やなんだけどー!!」
「早くしておくれ……」
壁の向こうから呆れたヴィオラの声が飛び越えてくる。おそらく顔を真っ赤にしていたアイリスは短く堪えるように声を漏らすと意を決したように飛び降りた。
だがうまく支えきれず着地に失敗してべちゃりと地面に転び、それに続いてヴィオラが壁の向こうから顔を覗かせると軽やかに飛び越えてきた。
「うぅ、パンツ見られた……」
「見えてるわけないだろ、こんなに真っ暗なのに」
「ほんと……?」
「ほんとだよ」
「……真っ赤な下着とか派手な女だなとか思わなかった」
「この世界ではピンク色っていうんだよ」
「やっぱ見えてたんじゃない! しかもまあまあはっきり!」
「二人とも、あまり騒ぐと面倒なことに……」
「いい!? あっちの世界ではあんたみたいなのむっつりスケベっていうのよ!」
「こっちだって見るつもりがあったわけじゃないし先に降りろって言ったのもアイリスだろ。スカートやめればいいじゃんそこまで言うなら」
「お金ないんだもん仕方ないでしょ!? 買ってよ! チェックのショートパンツがいい! グレーの!!」
「おい、そこでなにしてるんだ!」
屋敷についていた窓明かりの一つから黒い人影が顔を覗かせ怒鳴り声を挙げたのはそのときだった。あれだけ大騒ぎしていたせいで続けざまに他の窓からもいくつかの人影が現れていく。
「ひゃっ、ごご、ごめんなさいっ……!」
「よじ登ってきたのかっ……!? おい、誰か行ってくれ、侵入者だ!」
「ああ、どうしようユーリくんあの、あれっ……どうしようっ……」
「呼ぶ手間省けてラッキーとか思うだろ普通」
「思うわけないでしょ!」
そうこうしているうちに制服を着た数人の職員たちが飛んできてユーリたちはあえなく身柄を拘束された。抵抗はしなかったが背中で手を捻じり上げられてしまい、アイリスは慌てすぎて言葉にならない言い訳を繰り返していた。
アイリスもヴィオラも預けずにいた剣を装備したままだ。無断で持ちこんだことを疑っているせいか職員たちはこちらを睨みつけながら警棒を手にしていた。
「いったいなにが目的だ?」
「怪しい者じゃありません。依頼を受けて今日の調査に同行した魔導士です。今後の対策について話をお伺いしようと思ったんですが、入口で住民のみなさんが押しかけていたものですから」
「依頼を……? こちらでは伺っていないが対策会議についての要請も受けているのか?」
「はい。マリーさんに言っていただけると伝わると思います」
制服を着た男はそれを聞いて判断に迷った様子で少しのあいだユーリを見ていたが、やがて仲間の一人に声をかけると確認してくるように言った。
そして拘束されたまましばらく待っているとさっきの男に連れられてマリーがやってきた。
「タロウさん……なにをしてるんですかっ……」
彼女はこちらを見るなりとても疲れた表情に呆れを滲ませながら厳しい口調で咎めるように言った。それから気がついたように彼らへ拘束を解くよう促しようやく解放されて自由になったユーリへ厳しい目を向けてくる。
「あなたにご依頼したのは調査の件だけでここまでは頼んでいませんっ。わかっているんですか、こんな方法で忍びこむなんて犯罪ですよ……!?」
「しょうがないだろ、表であんな騒ぎになってるんだから」
「しょうがないって……!」
まったく悪びれた様子もないユーリに感情的になって言い返そうとして、彼女は咄嗟に言葉を飲みこむと小さくため息をつきながら眼鏡のブリッジを中指で持ち上げた。
「……お気持ちはありがたいですがこのようなことをされては困ります。いまはこちらもいろいろなことに手を回している余裕がないんです」
「だからこっちから来たんだ。魔導士が無力化されていまは対策すら立てられない状態なんじゃないのか?」
「ですから他の町へ応援の要請をしているところなんです。それに魔力を奪われたのはあなたも同じでしょう? もうしばらくしたら避難船が出港しますからそれに乗って避難してください。このことは不問にしますので」
「用事があるのは俺の方なんだよ」
「タロウさんが……?」
「俺の名前はタロウじゃない」
吹き抜けた風が彼女の髪の毛をさらい、マリーはそれを押さえながら怪訝そうに眉をひそめて首を傾げた。
「ユーリ・ホワイトガーデンだ」




