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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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痛みの中で

「魔力が……!? そんな、まさかっ……」


「驚いてるひまがあったら早く逃げろ!」


 ユーリは足元で青ざめているルルーナの腕を掴んで立ち上がらせながら無意識に手のひらを見下ろして愕然としていたマリーへ怒鳴りつけた。突然の事態は彼女から魔導士らしい落ち着きと気丈さを消し去り、マリーは狼狽えたままユーリと周りとを見回してからようやく馬車まで走るように指示を出した。


 一気に辺りは騒然となり慌ただしく魔導士たちが駆けだしていく混乱状態の中でユーリはナーガが休んでいる木陰の方へ振り返った。


「ナーガっ……」


 ほんの一瞬だけ頭の中が空白になり心臓の鼓動が強烈に胸を打つ。ナーガが地面に膝を突いたまま胸を押さえていた。


 慌てて駆け寄りその肩に触れると熱があるのか体温がとても高くなっており、ナーガは額に汗を浮かべ目を閉じたまま苦痛を堪えるようにうつむいていた。苦しげな吐息が口元から零れ、息を詰まらせるたびに胸をぎゅっと抑えつけて肩を強張らせていた。


「ナーガ……! しっかりしろナーガっ!」


「魔王、さま……」


 小さく絞りだすようにか細い声で呟きながら呼びかけに応じてナーガが弱々しい表情でこちらを見上げてくる。なぜかその瞳が真紅に光っていた。


「お前っ……」


 ユーリは思わず息を飲みながら、すぐに気がついてつらそうに顔を伏せようとした肩を抱きかかえた。体重が重すぎて一緒になって倒れてしまいそうになるのをなんとか踏ん張って支えているとユアリィたちと共にそばに来てしゃがんだヴィオラが反対側から支えながらナーガの顔を覗きこんだ。


「ナーガ、どこか痛むのか?」


「っ……」


 声を出す気力もないのか息を詰まらせたまま首を振る。このままじゃまずい。早くしないと大変なことになってしまう。それはまるで自分とは違う誰かが遠いところで思っているようなぼんやりとした焦燥感だった。


「ユーリくんっ!」


 不意に木々の向こうから上ずったアイリスの声に呼びかけられこちらを探して右往左往する足音が聞こえてきた。


 乗り物酔いは回復したらしく声色はしっかりとしていたが彼女の声が聞こえたのは馬車があった方角からではなかった。追いかけてこようとして森に入ったまましばらく迷っていたみたいだ。


「アイリス、ここだ!」


 その声に安堵したようにもう一度ユーリの名を呟いていたアイリスはこちらへやってくるなり大きく目を見開いた。


「えっ、ナーガちゃん……!? なんでっ……怪我したの……!?」


 わたわたと慌てたようにナーガを見下ろして周りを見回して無意味に視線を彷徨わせるアイリスの手にはエーデルワイスが握りしめられていた。そしてすぐに用事を思いだしたようにユーリへ必死な顔で捲し立てる。


「あの、魔物っ、魔物の気配がしたの! いまもしてるの! 急に魔物の気配がしたから、みんなが心配になって! 魔物いなかった!?」


「魔物だって……?」


「ねえ早く逃げようよ他の人はどこ行ったの!?」


 途端にヴィオラたちの表情にも緊張感が走り、ユーリはすぐに後ろへ振り返った。ビュイスが言っていた転生者が生みだす魔物。ランタンはその場に留まったまま不気味なほどの静寂の中で森の景色に浮かび上がっている。


「大変っ、早く馬車まで戻りましょう! それにナーガさんも医者に診せないと……! ユアリィ、馬を連れてきて!」


「わかった……!」


 うなずいたユアリィが走りだしていく。ルルーナがナーガの後ろからお腹に腕を回して抱きかかえようとしたところでユーリは手で制して止めた。


「馬車まで走れ! アイリスも一緒に行くんだ!」


「なぜですかっ、いまは少しでも早くナーガさんを町へ連れていかないと……!」


「いいから行け! お前らの魔力までなくなったらどうすんだよ!」


「なにっ? 魔力って、どういうことっ? ナーガちゃん魔物にやられちゃったんじゃないの!?」


「ルルーナ、任せたぞ!」


「……アイリスさん、ついてきてください!」


 困惑するアイリスの手を引いてルルーナが駆けだしていく。慌てふためくアイリスの声が徐々に遠ざかっていき耳元でナーガの苦しげな息遣いだけがしていた。


「ユーリ、支えられるか?」


 走っていく二人を見送りながら余計なことは喋らずに冷静な口調でヴィオラが言う。


「俺たちだけじゃ無理だ。……ごめんな、ナーガ。悪いけど少しだけ頑張ってくれないか……?」


「っ……はい……」


 ぎゅっと目を瞑ったまま掠れた声で呟いてゆっくりとナーガが立ち上がる。そばに落ちていた杖を拾って彼女の重たい身体を必死で支えながらユーリたちは歩きだした。


 できることなら大勢の手を借りてすぐにでもナーガを医者のところへ連れていきたかった。けれどいま一番優先しなくてはならないのはできるだけ多くの戦力を残しておくことだ。


 これが最善の選択だと思う。いや、こうしなくちゃならなかったはずだ。この遅れでもしもナーガの身になにかが起きたとしても、そのせいで転生者に立ち向かえる戦力を失ってしまえば結果は同じだ。


 そう言い聞かせでもしないとこんな状態のナーガに無理をさせている罪悪感で押し潰されてしまいそうだった。


「ナーガ、ゆっくりでいいから。俺もヴィオラも急いでない。自分のペースでいいから、つらくなったらすぐに言えよ……?」


 肩に回した腕が巨大な金属の塊を乗せているかのように重たくのしかかってくる。ナーガはほんの微かにうなずきながら薄い氷の上を割ってしまわないか確かめるように一歩一歩とても慎重に歩いていた。


 時折発作のように断続的に声を詰まらせ、そのたびに歩く足を止めて身体を強張らせているのが肩越しに伝わってくる。


 いまにも力尽きて倒れてしまいそうなナーガの弱りきった姿を見ているだけで、なにもできず言葉をかけることしかできない自分の無力さに胸の奥が締めつけられるように痛んだ。


「魔王、様っ……」


 すると、ナーガが小さな声でうわ言のように呟いた。


「なんだ……?」


「そんなお顔を、なさらないでください……ナーガは……っ……大丈夫ですから……」


 こちらを見ることもなく。けれどナーガにはそれが見透かせているように悲痛な声だった。ユーリはなにも言えないまま小さくばらばらになってしまいそうな心をしっかりと押し留めようとした。


 決して不安や焦燥を表に出すことはなく言い聞かせるようにヴィオラに励ましの言葉をかけられながら少しずつ馬車を目指していく。


 アイリスが言っていた魔物が現れることはなく、時間をかけて道を進んでいるうちにようやく森の出口まで戻ってくることができた。心配そうに馬車のそばで待っていたユアリィたちがすぐに駆けつけてきたが、アイリスはエーデルワイスを握りしめてその場に立ち止まったまま浮かない顔でナーガを見ているだけだった。


 そうして四人がかりでナーガを支えて馬車まで連れていったが重すぎて馬に乗せることはできそうになかった。ナーガもそこまでの体力が残っておらず支えられながら荷台によじ登るのがやっとで疲れきったようにそこで倒れてしまう。


 そこではじめてナーガの体重が普通ではないことを知ったユアリィたちは怪訝そうに驚きを露わにしていたが事細かく理由を訊ねることもなく馬車に飛び乗った。他の魔導士たちの乗った馬車は平原の向こうの方で待機しておりマリーが様子を窺うように立っているのが小さく見えた。


「行くぞアイリス!」


 ユーリは脱いだ上着を枕代わりにしてナーガの頭の下に差しこむと後ろに振り返って呼びかけた。アイリスは顔を上げると戸惑った様子でこちらを見て、それからエーデルワイスを見下ろして迷うように鞘に戻すと馬車に乗った。


「ナーガちゃん、急いで町へ連れてくから頑張って!」


 そう言ってユアリィが荷台に振り返り手綱を握ったルルーナが馬を走らせ動きだしていく。


 ナーガは胸を押さえたまま身体を小さく丸めて苦痛を堪えるような声を漏らしていた。額に浮かび上がった汗を拭ってもすぐに滲み、マント越しからでもその身体がじっとりと汗ばんでいるのがわかった。


「すぐに医者に診せてやるから安心しろ。吐き気や痛みはないか?」


 手首に触れて脈を取りながら穏やかな口調で訊ねたヴィオラにナーガは小さくうなずいていた。心配をさせないためにうそを言っているだけなのかもしれなかった。だが意識ははっきりとしており呼吸にもそれほど目立った乱れがない。


「ユーリ、いままででナーガに変わったことはなかったか?」


「なかったと思う……けど、俺もこいつとはそんなに長く一緒にいたわけじゃないから……なあ、なにか心臓の病気とかじゃないよな……?」


「見たところその兆候はない。気持ちはわかるが少し落ち着け。お前が取り乱すとナーガが不安になるだろう?」


「でもっ……」


「ナーガは大丈夫だよ。さっきそう言ってたじゃないか」


 困ったような顔で口元へ微かに微笑を浮かべながらヴィオラがぽんと肩に手を乗せる。


「だからユーリはそれを信じて手を握ってやっててくれ」


 そんな言葉で安心できるわけがなかった。けれど他に力になれることもない。汗ばんだ手を取るとナーガは微かに力をこめようとして、けれど握り返してくることはなくそっと目を開いて真紅の光の中にユーリの戸惑った表情を映しこんだ。


「ご心配、なさらないでくださいっ……つらいわけでは、ありませんから……」


「……こんなときに強がり言ってんじゃねえよ」


「本当です……でも、手を握っていてくださると、嬉しいです……」


 そう言ってナーガはほんの少しだけ口元に笑みを浮かべた。ユーリは両手で包みこむようにナーガの手を握りしめるとぎゅっと目を閉じた。

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