妖精の蝕み
町へ到着するとナーガはすぐに軍が管理する医療施設へ運ばれた。災害などの緊急時以外には基本的に一般には開放されることのない場所だが、目立った身体的以上は見られず魔力を奪われたことがなんらかの要因となって症状を招いているという疑いが浮上したためだ。
そこは主に魔力に関する症状への治療が行われる特別な病棟だった。厳重に閉ざされた扉の向こうはフェアリーが入りこまないよう対策が施されており関係者以外は立ち入ることができない。ここから先は完全に魔導術に関するあらゆる事象から隔絶された空間が広がっているのだ。
ユーリは預かっていた杖を傍らに立てかけてベンチに座ったまま板張りの廊下を見つめて治療が終わるのを待ち続けた。
窓から差しこんだ夕日が廊下を茜色に染めていた。扉の向こうからはなんの物音も聞こえてこない。その代わりに外から海風に乗って届いてくるアンスリムのざわめきがまるで別の世界での出来事のように現実感のない音として小さく反響していた。
ヴィオラは少し離れた廊下の途中で窓辺から夕暮れが訪れたアンスリムの町並みを間違い探しでもするようにじっと見つめ、隣に座ってうつむいていたアイリスは息が詰まる沈黙に耐えかねたように顔を上げるとユーリへ振り向いた。
「あの、ユーリくん……いったいなにがあったの……?」
「……魔力を奪われたんだ」
床を見つめたままユーリは答えた。その言葉だけで納得できなかったアイリスが続きを催促するように困り顔で首を傾げたが、ユーリはなにも答えずに首を振っただけだった。
魔力がなくなれば人は死に至る。スタミナと同じで魔力も意識的にやったところですべて使い果たすことはできないが、過度な魔導術の使用によって身体に負担をかけすぎた場合や外敵な要因で無理やり魔力を放出させられたときなどに運悪く死んでしまう事例もあった。
魔力。たぶんあのランタンに魔力を奪われたことになにか関係がある。けれどそれが直接的な原因だとは思えなかった。
これまであの転生者の手によって魔力を奪われた魔導士たちの中で死傷者が出たという話は聞いていないしあの場所にいた魔導士たちも不調を口にした者は誰もいない。
なぜナーガだけだったんだろう。医療に知識のないユーリにはわかるはずもなかったが頭の中ではその答えだけをひたすらに探し求めていた。
「あの、ユーリくん……」
「……ん?」
「ナーガちゃんのこと、なんだけど……」
だが、アイリスはそう言ったところで不意に話すべき言葉を忘れたように黙りこんでしまった。促すようにユーリが顔を向けると戸惑ったように微かに視線を彷徨わせ気まずげに目を伏せて首を振った。夕日を受けてきらきらと輝く金色の髪をユーリはただぼんやりと眺めていた。
やがて病棟の扉が開いて医師が出てくるとユーリたちも立ち上がって出迎えた。白衣を着た白髪の混じった四十代ほどの男だった。
「あの、ナーガの様子は……?」
「なんとも言えない状態です。いろいろと検査をしてみたのですが……原因を突き止めることができませんでした。身体の異常はないようですがもっと施設の整った病院で精密な検査をしないことには……」
「……そうですか」
「ご家族の方は?」
「……いません。知りあいは俺たちだけです」
「ナーガちゃん、大丈夫なんですか……?」
「意識もはっきりしてますしいまのところ命に別状はないでしょう。……ただ、少し特殊なケースのようで慎重に観察を続ける必要はあると思います」
「あの、会わせてもらえませんかっ……?」
「申し訳ありませんがそれはできません。お気持ちはお察ししますが……わたしたちがついておりますのでどうかご安心ください」
「……お願いします」
「それで、ナーガさんのことでお伺いしたいことがあるんですがよろしいでしょうか……?」
医師が少し言いづらそうに口ごもりながらヴィオラに目を向けた。
「ユーリ、わたしたちは先に泊まるところを探してくる。聞いておいてくれるか?」
「……ああ」
そう言ってうなずくとヴィオラは不安げな表情で事の成り行きを見守っていたアイリスの背中を押し廊下を歩いていった。
医師はそこから少し離れたところにあった診察室へユーリを案内した。簡易ベッドとキャビネットと机が置いてあり、その奥にカーテンの仕切りがあるごく一般的な診察室だ。促された椅子へ腰を下ろしたユーリはすぐに本題を切りだした。
「なんですか、話って」
「ナーガさんが変わった体質をお持ちなのはご存知ですよね?」
「はい」
「そのことに関しての話なんですが……魔導術の知識はお持ちでしょうか?」
「……はい、僕も魔導士なので」
「そうですか……では、ナーガさんは日頃からなんらかの魔導術を使用していませんでしたか?」
「いえ……そういう素振りはありませんでした」
「これまでに大量の魔力を必要とする魔導術を使用した経験は?」
「……ないと思います。本人も魔導術の知識がないと言っていたので」
「いままでに一度もありませんでしたか?」
「長いつきあいではないのでそこまではわかりません。ですが、意識して魔導術を使ったことは一度もないはずです」
「そうですか……」
医師は背もたれに身体を預けるとひじ掛けに腕を乗せて重々しい表情で呟いた。現代でも魔力が人にもたらす影響については解明されていない部分が多く存在している。ナーガの身になにが起こっているのか原因はわからなかったようだがなにかしら思い当たるものがあったみたいだった。
「それがなにか関係あるんですか……?」
「ここではしっかりと調べることができなかったので直接関係があるかどうかはっきりと断言することはできません。そして、これから私がお話することもあくまでそういう可能性があるということだけ頭に入れておいていただきたいんですが……」
そこで医師は一度口をつぐむと言うべきかどうか迷うように目を背けた。そうして少しのあいだ沈黙したまま、やがて小さなため息と共にこちらへ向き直るとユーリの目を真剣な眼差しで見つめた。
「ナーガさんの血液から異常な量のフェアリーが検出されました。もしも体内で結晶化していることが原因ならいずれ重大な障害を引き起こすかもしれません」
「結晶……あいつに……?」
ユーリは真っ先に病院側の手違いを疑っていた。
フェアリーには魔力と結びつこうとする性質がある。魔導術の解放でフェアリーが減少していくのもエネルギーを使い果たし殻になってしまったフェアリーが本来不要である魔力を内部に吸収してしまうからだ。
そのため魔導術を解放させる際に杖を介さなければ魔力の放出経路から殻になったフェアリーが流入し体内の魔力と結合してしまう。そうして結晶化したフェアリーは人体に悪影響を及ぼしフェアリクス病として様々な症状を引き起こしていく。
ユーリがフェアリクス病にかかっているのも杖を用いることなく魔導術を使い続けたせいだ。同じことがナーガに起きているかもしれないと医師は言っている。
だがナーガが魔導術を使っている様子はまったくなかった。おかしな力を使ってはいるもののそれは決して魔導術の類ではない。体内で結晶化しているだなんてあり得なかった。
「なにかの間違いじゃないんですか……?」
「先ほどまで魔導術の使用を伴う作業をされていたということなので一時的に数値が上昇しているだけなのかもしれません。ですが……どちらにしても早急に検査をした方がよいと思います」
もしもそれが本当なら大変なことだった。重度のフェアリクス病患者は専門の医療施設への入院が国によって義務づけられている。そこへ収容された者が退院したという話は聞いたことがなく、一度入ってしまえば一生そこから出ることはないというのが一般的な認識でもあった。
「わかり、ました……」
呆然としたまま呟く。ユーリは重苦しい雰囲気から逃れるように頭を下げると部屋をあとにした。




