第35話:『もう、お帰りなさいとは言いませんわ』
「……ああ、エリアナ……。……来、てくれたのか……」
黄金の粉雪が舞い落ちる更地で、泥にまみれたジュリアン様が、震える指先を私へと伸ばしました。
かつての王太子の威厳など、もう微塵も残っていません。魔王の力を喰らい、逆にその力に焼き尽くされた彼の肌は、ひび割れた陶器のように無惨な色を晒していました。
「……私の、エリアナ……。すまなかった……。……お前が、お前だけが正しかったんだ……」
ゼフィロス様が、私の肩を抱く手に力を込めました。
彼の右腕からは、今もなお「虚無」の黒い熱が立ち上り、ジュリアン様という存在そのものをこの世から消し去ろうと疼いています。
けれど、私はそっと陛下の手に自分の手を重ね、制しました。
「……陛下。……この方は、消す価値すらありませんわ」
私は、陛下の氷の道を一歩ずつ歩み、泥の中に横たわるジュリアン様の前で足を止めました。
ドレスの裾すら触れさせたくない――そんな私の気配を察したのか、ジュリアン様は必死に顔を上げ、涙と泥に汚れた瞳で私を見上げました。
「エリアナ……。……お前がいれば、この国は……いや、この土地はまた蘇る。……お前の料理があれば、私はまた……あの頃のように、美味しく食事ができるんだ。……だから、戻ってきてくれ。……『ただいま』と言わせてくれ……」
まあ。……おーっほっほっほ!
なんて、なんて厚かましく、不味そうなお言葉かしら!
「ジュリアン殿下。……貴方はまだ、自分が『メニューを選べる立場』にいると思っていらっしゃいますの?」
私は扇を広げ、冷たい冬の月のような微笑みを浮かべました。
腰の木ベラが、彼の放つ卑屈な「甘え」を拒絶するように、カチリと硬い音を立てました。
「お忘れですか? 貴方は私を『無能』と呼び、私の作ったスープをこの泥の中に捨てましたわ。……貴方が捨てたのは、私の料理だけではありません。……貴方の『未来』そのものを、貴方自身がドブに捨てたのです」
「ち、違う……! あれはフィオナに唆されて……!」
「いいえ。……唆されたのは、貴方の心がそれほどまでに『軽かった』からですわ。……陛下は、私が雪山で死にかけていた時、迷わず私を抱き上げてくださいました。……貴方が『毒』と呼んだ私の力を、陛下は『至宝』だと、自らの『心臓』だと仰ってくださった」
私は振り返り、後ろで堂々と私を待つゼフィロス様を見つめました。
陛下は何も言わず、ただ深く、暗いけれど確かな愛に満ちた瞳で私を受け止めてくださいました。
「ジュリアン殿下。……貴方には、お似合いの席が用意されていますわ。……これから永遠に、味のしない泥を噛み締め、私が陛下のために作る『幸福の香り』を、遠い牢獄の壁越しに嗅ぎ続けなさいな。……それが、貴方への最後のおもてなしです」
「待て! 行かないでくれ! エリアナ! 私は……、私はお前の、婚約者だったんだろう……!?」
縋り付こうとする彼の指先が、陛下の作った氷の壁に阻まれました。
私は立ち去る間際、一度だけ、冷徹な一喝を投げかけました。
「……おーっほっほっほ! 殿下、一つだけ言い忘れていましたわ。……あの日、私が厨房の勝手口を閉めた時、貴方の帰る場所はもう、この世界のどこにもなくなったのです」
私は一歩、彼に背を向けました。
「――もう、お帰りなさいとは言いませんわ」
その言葉を最後に、背後でジュリアン様が獣のような、あるいは壊れた玩具のような絶叫を上げましたが、私は一度も振り返りませんでした。
セリーナさんが馬車のドアを開け、恭しく一礼しました。
「お嬢様。……お掃除、完璧に完了いたしましたわ。……帝国へ、お帰りになりましょう」
「ええ。……陛下、お腹が空きましたわ。……帰ったら、一番に温かいスープを作らせてくださいな」
ゼフィロス様が、私の腰を引き寄せ、その耳元に深く、甘い口づけを落としました。
「……ああ。……お前の作るものなら、何でもいい。……ただ、これからは私以外の奴には、一口たりとも分け与えるなよ」
馬車が動き出し、更地となった王国を後にします。
王国の崩壊。王太子の幽閉。偽聖女の消滅。
すべてが片付いたはずの、その空に――。
ジュリアンが魔王の種として生み出した最後の黒い煙が、消えることなく、意思を持つように北の空へと流れていきました。
海の向こう。……まだエリアナの祝福を知らない、強欲な美食の国々がひしめく新大陸の方角へ。
第2章・第2部、完結。
けれど、エリアナ様の木ベラが次に振るわれる舞台は、すでに世界を飲み込もうと動き始めていたのでした。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございますわ!
「もう、お帰りなさいとは言いませんわ」……!
おーっほっほっほ! あの冷徹な最後通牒、わたくし書いていて最高にスカッといたしましたわ!
第1話で泥を浴びせられ、絶望の中で閉ざされたあの扉を、今度はエリアナ様が自らの意思で、内側から永遠に閉ざす。
これで、彼女を縛り付けていた忌々しい過去は、本当の意味で粉砕されましたわね。
復讐劇としての物語は、ここで美しく、そして残酷な幕引きを迎えます。
エリアナ様と陛下の絆、そして王国の末路……ひとつの「正解」に辿り着いた余韻に、今はどっぷりと浸ってくださいませ。
……ですが、皆様。
王国の残骸から立ち上り、北の空へと消えていった「あの不気味な煙」が気になりませんか?
海の向こう、まだエリアナ様の祝福を知らない強欲な国々が、手ぐすね引いて待っている予感がいたしますの。
この物語が、エリアナ様が「世界の女帝」として戴冠する真のフィナーレまで続くかどうかは、ひとえに皆様の声援にかかっておりますわ!
「もっと彼女の無双が見たい!」「陛下の溺愛の続きを!」と思ってくださる愛しの読者の皆様。
ぜひ、【ブックマーク】と【評価(★★★★★)】で、その熱い想いを届けてくださいませ。
皆様の星ひとつ、声ひとつが、エリアナ様の木ベラに次なる奇跡を宿す魔法になるのですから。
また次の食卓でお会いできることを、わたくし、心より願っておりますわ! おーっほっほっほ!




