(6)明るい未来予想図
この作品は、Web拍手お礼SSとして2013.02.09~02.14に掲載後、こちらに再収載したものです。
「綾乃さん、味付けはどうかしら?」
「はい、とっても美味しいです! 祐司さんのお母さんもお姉さんも、お料理上手ですね」
「まあな」
お世辞抜きで誉めていると分かる綾乃の笑顔に、祐司は思わず苦笑した。そして準備を整えている間に綾乃とより一層意気投合したらしい蓉子が、益々機嫌良く料理を盛ってある皿を勧める。
「あら、嬉しい。準備した甲斐があったわ。どんどん食べてね」
「はい。ここに来る途中で軽く運動して来ましたので、おなかが空いてしまって。お代わりしても宜しいですか?」
「そんな事遠慮しないで。たくさんあるんだから」
そこで孝司が箸を止め、何気なく尋ねてきた。
「綾乃ちゃん、来る途中で軽く運動って、何をしてきたの?」
「駅からの道すがら立ち寄ったグラウンドで、思い切り打たせて貰って来ました」
「康太がコーチしてるだろ」
祐司が補足説明を入れ、自分達兄弟もかつて所属していた野球チームの存在を思い出した孝司は、納得した様に頷いた。
「……ああ、なるほどね。『思い切り打って来た』んだ」
「はい。あのピッチャーの子、球威とコントロールはまだまだですけど、センスは良いですからこれからどんどん伸びますよ。将来が楽しみですね?」
「そうだな」
そうして上機嫌で再び料理を食べ始めた綾乃を横目で見ながら、孝司は祐司に体を寄せ、自分達だけが聞こえる程度の小声で囁いた。
「……何? まさか綾乃ちゃん、あの貴史をボロボロに打ち負かして来ちゃったとか?」
「成り行き上、そうなった」
「うわ、それ知ったら監督泣くぜ? 貴史の事『久々に祐司以上の力量の奴に出会えた』って喜んでたのに」
「…………」
そこでグラウンドを立ち去る時、最後に目にしたマウンドに四つん這いになっていた少年の姿を思い出した祐司は、再度密かに詫びを入れた。すると蓉子が唐突に声を上げる。
「そうだわ! 綾乃さん。どうせなら晩御飯も食べて、家に泊まっていかない? 明日は月曜だけど、このまま出勤しても大丈夫でしょう?」
「え?」
「母さん! いきなり無茶な事を言うな!」
綾乃は当惑して固まり、祐司は母親を叱りつけたが、蓉子は不思議そうに話を続けた。
「だって私、綾乃さんともっとお話したくて。お勤め先が文具メーカーなんだから、仕事道具とかを持って出勤する必要は無いから、大丈夫でしょう?」
「全然大丈夫じゃないぞ! 普段着で出勤できるか! 近くの畑に作業着で出るのとはわけが違うんだぞ?」
「偶には良いんじゃない? 最近巷ではクールビズとか緩い格好が流行ってるんでしょう?」
「あれは夏で、今は春だ!」
「時期を先取りって事で、大目に見て貰えないの?」
「本気で怒るぞ……」
二人の言い合いにどう対処すれば良いのか分からず綾乃はうろたえたが、竜司と孝司は慣れたもので黙々と食べ続けた。しかしそこで蓉子が、妥協案らしき物を口にする。
「じゃあ綾乃さんが居てくれれば良いから、祐司は帰って良いわ。綾乃さんはスーツじゃなくても大丈夫そうだしね。だから祐司。帰る前に駅前まで行って、出勤するのにおかしくない程度の、綾乃さん用の服とパジャマと下着一式を買って来てくれない?」
「は?」
「何でだ?」
立て板に水の如く言われた内容を咄嗟に理解できず、綾乃と祐司は目を丸くした。すると蓉子がさも当然の様に説明した。
「え? だって泊まって貰うのに、綾乃さんの着替えが無いと困るじゃない? 付き合ってるんだから服や下着のサイズとかは分かってるでしょう? 祐司が買い物に行っている間、女同士で仲良くお話ししてるから」
「サイズ……」
「え? 綾乃さん、どうかしたの?」
「…………」
蓉子の台詞を耳にするなりピキッと固まり、問いかけられた事を契機に綾乃の顔が真っ赤になった。それを見て蓉子達が逆に驚いていると、祐司が溜め息を吐いてから、有無を言わせぬ口調で宣言する。
「……母さん、俺達は帰るから。今度またゆっくり来るよ」
「蓉子」
祐司に加えて竜司からも目配せを受け、蓉子は慌ててその場を取り繕った。
「あ……、そ、そうね。良く考えてみたら、お客様用の布団を打ち直しに出してたんだわ。嫌だわ、私ったらうっかりして。ごめんなさいね? 綾乃さん」
「……いえ」
不自然な位笑顔を振り撒く蓉子と、赤い顔のままの綾乃を見ながら、孝司は再び祐司に囁いた。
「……何? 祐司。まさか綾乃ちゃんに、指一本触れてないわけじゃ無いよな?」
「そんなわけあるか。ただ……、綾乃はまだその手の話にあまり慣れて無いし、他にも色々と……」
そう言って不自然に言葉を濁した祐司に、孝司が精一杯の励ましの言葉をかける。
「……頑張れ、兄貴」
「だからどうして、こういう時だけ兄貴呼ばわりするんだ、お前は」
そんな風に一部波乱に満ちた食事も終わり、その頃には綾乃もいつもの調子を取り戻して、礼儀正しく挨拶をした。
「ごちそうさまでした。美味しく頂きました」
「こちらこそたくさん食べて貰って嬉しいわ。今お茶を淹れるから、居間で少し待っててね」
「はい」
そうして椅子から立ち上がった綾乃と祐司だったが、流しに向かおうとしていた蓉子が振り向き、ある提案をしてきた。
「どうせだから、今のうちに祐司の部屋でも見て来ない? 今、物置代わりにしてるんだけど、祐司が居た頃そのままにしてあるから。綾乃さんが来ると思ってお掃除しておいたし」
「良いんですか?」
興味津々の顔付きで見上げてきた綾乃に、祐司は小さく笑って頷く。
「俺は構わない。じゃあ案内するか?」
「はい」
そうして二人で廊下に出て行くのを見送ってから、蓉子は笑いを堪えつつ夫と息子に同意を求めた。
「ふふっ……、礼儀正しいし、返事は良いし、可愛いお嬢さんね?」
「全くだな。祐司の奴も落ち着いたみたいだし、お前もそろそろ」
「祐司を引き合いに出すのは勘弁してくれよ。こういうのは縁だろ? それはそうと、母さん。祐司の部屋、昨日掃除してたっけ?」
孝司が些か強引に話題を変えた感じがしないでも無かったが、蓉子は素直にそれに答えた。
「掃除したのは一昨日だけど」
「え? じゃあ俺が昨日居間に有った物をあそこに片付けた後、あの部屋を片付けたのか?」
「え? 私、孝司が居間から運びながら、祐司の部屋の物も片付けてくれたと思ってたけど?」
「拙い!」
親子三人で顔を見合わせ、現状を理解した孝司は血相を変え、椅子を倒しながら立ち上がった。そのまま台所を出て廊下を走り、階段を駆け上がりながら絶叫する。
「ちょっと待った祐司! 部屋に入るのは止めろ!!」
「じゃあお邪魔します」
「ああ。……おい、孝司。何を騒いでるんだ。客の前で騒々しいぞ」
孝司が階段を駆け上がったまさにその時、奥の部屋のドアを開けて綾乃が中に入った所だった。そのドアノブを掴みながら祐司は顔を顰めて孝司を窘めたが、そこで孝司が衝撃の事実を口にする。
「その部屋は本当に以前のままで、下に有った物も取り敢えず入れてあるんだ!」
「え!? 綾乃!」
「………………」
慌ててドアを思い切り引き開け、中に足を踏み入れた祐司だったが、先に入った綾乃が部屋を見回して呆然と立ち竦んでいるのを認めて、本気で頭を抱えた。
小学校から高校時代までの、各野球大会でのトロフィーや賞状ユニフォーム姿の集合写真などが幾つも飾ってある他、マリーンズの応援グッズ、サイン入り色紙やボールなどが所狭しと並べられていては、とても言い逃れや弁解をする雰囲気では無かった。
そんな静寂が漂う室内で、少ししてから綾乃がゆっくり振り返って口を開く。
「……祐司さん?」
「何だ?」
「野球……、やってたんですね」
「……ああ、昔な」
今更言い逃れをするつもりは毛頭無く、祐司は慎重に綾乃の台詞に応じた。
「凄いですね。県大会優勝ですか……。私、県大会決勝戦で、惜敗しまして……」
「いや、そこまで行けば立派なものだと思うが」
「この前お会いした皆さんとチームメイトで、マリーンズの応援団に入ってたんですよね? ああ、ひょっとして、今も入っているんでしょうか?」
「えっと……、仕事が忙しくなって、何年か前に抜けてはいるんだが……」
そこで涙目になった綾乃が、いきなり祐司のシャツの胸元を掴みつつ盛大に叱りつけた。
「そんな大事な事、どうして最初に正直に言ってくれなかったんですかぁぁっ!」
「嘘をついてて悪かった。綾乃がカープの応援に行くのを楽しみにしてたから、つい言いそびれて……」
項垂れて弁解すると、綾乃が益々泣き喚き始める。
「だって! きっと球場で、祐司さんが昔の仲間の皆さんに白眼視されてましたよ? 爪弾きですよ? 村八分ですよ? 私のせいで、祐司さんにそんな肩身の狭い思いをさせてしまったなんてっ……」
そこまで言って祐司にしがみついてぐすぐすと泣き出した綾乃を、祐司は穏やかな口調で宥めた。
「いや、大丈夫。連中はそんな心の狭い人間じゃないから。ほら、ここに来る途中でも、銀至や康太は普通に綾乃に接してくれてただろう?」
「それは……、そうですが……」
「球場でも確かにちょっと嫌味は言われたが、困った奴だな位の扱いで、綾乃には黙っててくれたし」
「そう、ですね……」
「だから綾乃が気にする事は無いから」
辛抱強く祐司が言い聞かせると、やっと納得したように綾乃が顔を上げ、手で涙を拭き取った。
「……分かりました」
「それなら良かった」
「じゃあ、今度マリーンズの試合がある時に、球場に連れて行って下さい」
「え? どうして?」
急に話題が変わった事で祐司は戸惑ったが、綾乃は平然と理由を説明した。
「だって祐司さんはマリーンズのファンなんでしょう? だから一緒に応援します。そして他のお友達にもちゃんと紹介して欲しいです。駄目ですか?」
真剣な顔で問い返された祐司は、嬉しそうに請け負った。
「そうだな。じゃあ今度また球場に連れて行くから」
「あ、でも、日本シリーズ戦でカープとマリーンズのカードの時は、私はカープを応援しますので、席は分かれて座りましょうね?」
ニコニコと提案された内容に、祐司は本気で面食らった。
「……は? 日本シリーズ?」
「はい。そう言いましたけど。どうかしたんですか? 変な顔をして」
不思議そうに首を傾げた綾乃に、祐司が確認を入れる。
「カープとマリーンズで?」
「はい。そうですよ?」
「そのカード……。ちょっと無理じゃないか?」
祐司が思わずそんな本音を漏らした途端、綾乃が祐司を盛大に叱りつけた。
「祐司さん!! 何を言ってるんですか! 最初から諦めてたら何も出来ないんですよ!? 私は死ぬまでに絶対、カープが日本シリーズを制覇するのを見届けると心に決めてるんです! 祐司さんは違うんですか!?」
「ごめん。悪かった。俺もマリーンズが優勝する所は見たい」
綾乃の主張を認めて軽く頭を下げた祐司に、綾乃は満面の笑みで頷いた。
「でしょう? だからこのカードが実現する様に、二人で一生応援していきましょうね? 勿論パ・リーグではマリーンズを応援していきますから」
「ああ……」
「あ、でも子供はカープファンにして良いですよね?」
「え?」
急に思い付いた様に問い掛けられ、その内容に祐司が固まっていると、綾乃が控え目に主張してきた。
「だって関東圏だと、圧倒的にカープファンが少ないですから、少しでも人数を増やしたいんです。駄目ですか?」
そんな事を上目遣いで言われてしまった祐司は、一瞬固まってから辛うじて声を絞り出した。
「……いや、綾乃の好きな様にして良い」
「良かった! 祐司さんならきっとそう言ってくれると思ってました。できれば家族で私設応援団作りたいなぁ。小さい頃からの、私の夢なんですよね……」
「…………」
両手を握り締めつつ嬉しそうに長年の夢を語る綾乃を、祐司は表情を消して無言で見下ろす。そこまで確認してから、開け放ったドアの陰からこっそり室内の様子を窺っていた孝司は、足音を立てずに静かに後退した。
それに従い息子の後から二階に上がって来ていた竜司と蓉子も、そろそろと階段を下りて一階に戻り、上の二人に話し声が聞こえない場所まで来た事を確認してから、苦笑の表情を見合わせる。
「取り敢えず、何とか上手く纏まったみたいだな」
「やっぱり可愛いわぁ、綾乃さん」
「あれ絶対、自分が言ってる意味分かって無いよな。要は『一生二人一緒にカープとマリーンズを応援していく』って事で、あの雰囲気だとプロポーズとかしてないけど、その前に添い遂げる気満々じゃないか」
そして再度親子三人で顔を見合わせ、小さく噴き出す。
「家族で応援団って……、何人孫を産んでくれるつもりなのかしらね?」
「絶対本人は、そんな事意図したつもりじゃ無いのがおかしいな」
「一番笑えるのは、祐司がすっかり丸め込まれてる所だろ? あれは絶対尻に敷かれるな」
「あら、もう敷かれているんじゃない?」
「それが夫婦円満の秘訣だろう。結構な事じゃないか」
そうして二階で心ゆくまで野球談議をした二人が一階に戻って来ると、他の三人から笑いを堪える表情で迎えられる事になったのだった。
(完)
タイトルの『色に染まる』の所は、綾乃と祐司どちらにも当てはまるつもりで書きました。まだまだ自然体の綾乃に祐司が振り回されそうですが、取り敢えずここで終わりにしたいと思います。
お付き合い頂きありがとうございました。




