61話 執事
それは古びた教室だった。
黒板はひび割れ、窓から差し込む光だけが埃を照らしている。
急遽建て直された仮校舎だからだろう。
黒板も机も古く、昔の物を使い回しているのだと分かる。
「何だよ……誰もいないじゃん」
田野がそう呟く。
翔馬は教室の中央に立ったまま、違和感を拭えずにいた。
(確かに……ここに来たはずだ)
あの小さな背中。
確かな気配。
だが――
「……消えた?」
――カチャ。
突如教室の隅にあった掃除用具入れの扉が、内側から静かに開いた。
「……え?」
ギィィィィ………
まるで“元から開く予定だった”かのように。
中から現れたのは、一人の男だった。
黒を基調とした仕立ての良い服。
屋敷の執事を思わせる端正な佇まい。
背筋は一本の線のように伸び、無駄な動きが一切ない。
年齢は分からない。
若くも見え、老成しても見える。
何故掃除用具入れの中に入っていたのか。
自分達がここに来るのが分かっていたのか。
翔馬達が考えていたことはそんな事ではなかった。
(こいつ……強い!)
圧倒的強者。
自分達より数段格上。
「おや……驚かせてしまいましたかな」
男は胸に手を当て、わずかに一礼する。
その仕草は完璧だった。
だが、礼をされているはずなのに翔馬の背中を冷たい汗が伝う。
「初めまして、私は――」
男は微笑み淡々と告げる。
「七天神、多死Ross様にお仕えする者でございます」
瞬間。
翔馬と田野は同時に構えた。
男からは神の気が滲み出し、教室の床の埃が舞う。
(七天神って……神界の精鋭部隊……!)
「願ってもない……お前らから接触してくるとはな」
翔馬が低く言う。
男はただ静かに頷いた。
「はい、本日は招待に参りました」
声には一切の軽さがない。
「………招待?」
「我が主、多死Ross様はこう仰せでした」
男は一歩、前に出る。
――たった一歩。
それだけで、
翔馬達の本能が警鐘を鳴らす。
「『下界を戦場に変えるか』あるいは――」
男の目が細くなる。
「『こちらで、正式に遊ぶか』」
その“遊ぶ”という言葉が、
冗談ではないと、誰にでも分かった。
「神界七天神トーナメント。
十年に一度、代々多死Ross様の一族が開催する催し物です、優勝者には――」
男は穏やかに微笑む。
「七天神直属の部下という、名誉ある席をご用意しております」
田野が息を呑む。
「そのトーナメントに……俺達が出る……?」
「……拒否権は?」
翔馬が問う。
男は一瞬、考える素振りを見せてから――
丁寧に首を振った。
「恐れながら」
その声は終始変わらない。
「ございません」
教室の空気が凍りつく。
「参加されない場合、
下界そのものが“会場”となるだけでございます」
男は再び一礼した。
「ご安心ください。
どちらを選ばれても――」
顔を上げ、静かに告げる。
「必ず"死ぬほど"楽しめますので」
数秒の沈黙の後、
翔馬はゆっくりと息を吐き告げた。
「……分かった。
俺たちは――参加する」
男の表情は一切変わらなかった。
だが、教室の空気がわずかに緩む。
「ご英断にございます」
男は満足げに頷き、再び丁寧に口を開いた。
「では、神界七天神トーナメントの概要を」
男は指を一本立てる。
「本大会は、五対五の勝ち残り形式」
静かな声が教室に響く。
「一人が敗れればその方は脱落。
最後に一人でも残っていた側の勝利となります」
田野が眉をひそめる。
「団体戦か……」
「左様でございます」
男は肯定する。
「なお、神界中より腕自慢が集いますため、
本来であれば予選を設けておりますが――」
そこで男は一度言葉を切った。
そして、翔馬を真っ直ぐに見据える。
「皆様には、その必要がございません」
空気が再び張り詰めた。
「多死Ross様のご判断により、
本戦からの出場となります」
「……随分買われたもんだな」
翔馬が低く呟く。
男は否定せずただ静かに微笑んだ。
「大会の開催は――十日後」
そう告げると、男は踵を返す。
「後日、改めてお迎えに上がります」
再び掃除用具入れへ向かいながら、
最後に振り返り、こう付け加えた。
「それまでに――」
その声は変わらず穏やかだった。
「出場する五名を、お決めください」
男は一礼しゆっくりと掃除用具入れの中へ入り、扉を閉めた。
田野が恐る恐るその用具入れに近づき、扉を開けるが中に入っていたのは掃除用具のみ。
「……無闘達が言ってる神界への入り口って……もしかしてここ?」
翔馬は小さく息を吐いた。
「……十日、か」
短いようで、あまりにも重い猶予だった。
一方――西校舎、トイレ。
ひび割れたタイルに、水滴が落ちる音だけが響いていた。
「……いるね」
Fが低く呟く。
フンペチも無言で頷き、壁に背を預けたまま気配を探る。
個室の奥。
確かに、何かが潜んでいる。
「出てきてよ、恥ずかしがり屋さん」
Fが一歩、前に出た瞬間。
ガタッッ。
突如奥から何かが倒れるかの様な物音がした。
「……ッ!?」
現れたのは――
血まみれの男だった。
服は裂け、身体中に無数の傷。
床に滴る血が赤黒く広がっている。
「……抹殺斗……!?」
Fが信じられないものを見るように呟く。
フンペチも言葉を失った。
「抹殺斗さん……!?この傷は……!?」
抹殺斗はかろうじて生きている状態だった。
「……ぉ……お前ら……か……」
声は掠れている。
「大丈夫ですか!?一体誰が……!?」
フンペチが問い詰める。
一瞬、抹殺斗の口元が歪んだ。
「……執事……」
「……え?」
「……執事が……俺を……引きずって……ここまで……人間じゃ……な……い……」
抹殺斗の目がFを捉える。
「執事……?一体どういう……」
「だから……嫌だったんだ……こんな事に……首突っ込むのは……」
「抹殺斗さん……!しっかり……!」
フンペチが抹殺斗を支える。
抹殺斗はその声に目を向けた。
「……悪いな……また……一人にさせる……」
それだけ言うと抹殺斗の目は徐々に閉じていく。
「抹殺斗さん――!」
フンペチが呼びかけるが抹殺斗はもう焦点の合わない目で天井を見ていた。
「……何で……」
沈黙。
トイレに残ったのは、
水滴の音と、死体だけだった。




