34話 肯定者
大地が泣き叫ぶような蒼の奔流が、無い野の周囲で膨れ上がっていく。
(大井死の気が感じられない……やられたか)
「ククク……鬱陶しい見張りも消えた事だ……存分にやろう」
翔馬は思わず声を失った。
「な……なんだよ……この気の量……ッ?」
田野が震える。
「あれは……何なんだ………!?」
無い野の背後で、黒蒼色の渦が蠢く。
見慣れた“蒼”とは明らかに別格の圧力――生命を潰し尽くす気配。
「ここからが本番だ……」
そこへ、ちょうどFが駆け込んできた。
「はぁ……はぁ……まに……あっ――」
Fの声が途中で止まる。
無い野の周囲に立つだけで、呼吸が止まりそうな重圧。
「……これは……やばいね」
Fの顔からいつものふざけた笑みが完全に消えた。
その眼が“本能的恐怖”を訴えている。
次に無闘がを颯爽と飛び込んできた。
「おい!!お前ら無事――」
声の途中で、無闘の足がピタリと止まる。
無い野の体に纏う異質な蒼黒。
その“質”も“密度”も、たった数日前の修行時を遥かに上回っていた。
無闘は喉を震わせる。
「……マジかよ」
(やらかした……MODEを温存しておけば……でも大井死を倒すにはあれしか……!)
無い野がゆっくりと顔を上げる。
瞳は無色。
まるで世界そのものを拒絶するような虚無。
「行くぞ……下界人共」
瞬間、世界が反転した。
蒼が爆ぜ、大地が歪む。
無い野の体が変わり始める。
蒼の気が黒へ、そして黒蒼へ混ざり合い濁る。
次に存在そのものがひっくり返るような変質。
無闘が息を呑む。
「あれは……反転じゃねえ……!!」
無い野の声が響く。
「MODE 終点……!!!」
大気が悲鳴をあげた。
蒼と闇が絡み合い、無い野の肉体が“異形”へと進化する。
完全な調律。
それは“才能の怪物”が辿り着いた領域。
MODE終点・マジキチ野。
与志野は膝が震えた。
「な……んだよ……あれ……勝てる訳……ねぇだろ……」
花野が叫ぶ。
「翔馬君!!下がって!!あの圧……!!近づくだけでやばい!!」
無闘が歯を食いしばる。
「クソッ……無い野……まさかこんなに………!!」
絶望の影が翔馬達を飲み込もうとした、その時――
Fが一歩、前に出た。
「……皆んな、ちょっと離れてて」
その声は震えていなかった。
静かで、覚悟を決めた声だった。
無闘が叫ぶ。
「やめろF!!アイツの蒼の気の総量が見えねえのか!!」
しかしFは振り返らない。
「それは違うよ……無闘。
今ここで私がやらないと……全員死ぬ。」
Fが無い野の正面に立つ。
「肯定して……無闘」
「馬鹿……出来る訳ねえだろ!死ぬぞ!」
無い野は異質なオーラを放ちながらFを見下ろした。
「この気を見て尚立ち向かうか……」
轟音が走る。
だが――
Fは、その“殺気の塊”を真正面から受け止めた。
「はあ?全然怖く無いし」
Fの瞳から“蒼”が立ち上がる。
無闘が凍り付いた。
「F……お前……」
Fが深く息を吸い――
静かに、しかし確実に言い放つ。
「――“MODE反転”」
蒼がFを包み込む。
翔馬達はその変貌を見届けるしかなかった。
「無闘……!!何なんだよ……あの技……!!」
「MODE……肉体を蒼の気に適応できる様に作り替える技……!Fは使い切るつもりだ……ここで!!」
Fが変貌を遂げる。
「全ての力を!!」
──
十数年前。
夕暮れ、何処かの小さな公園。
オレンジ色の光が遊具を長く染め、砂場の影がゆっくりと伸びていた。
子供達の笑い声がまだあちこちから聞こえている。
「お母さん!」
幼い少女が、弾むような足取りで母親の元へ駆け寄る。
頬は赤く、息は少し弾んでいた。
母親はしゃがみ込み、その小さな体を優しく抱きしめる。
「さあ、たくさん遊んで疲れたでしょ。
今日はもう帰りましょうね」
少女は首を横に振った。
「違うよ!私まだ元気いっぱい!」
両手を広げ、ぴょんぴょんと跳ねる。
母親は苦笑しながら立ち上がる。
「はいはい……ほら、おいで」
そう言って手を差し出す。
少女はその手を握った。
小さな指が、母親の指に絡む。
二人はゆっくりと公園を後にした。
帰り道。
少女はふと後ろを振り返る。
そこでは、同年代くらいの少女達がまだ遊び続けていた。
鬼ごっこをしているのか、楽しそうに追いかけ合っている。
その笑い声が、少し遠くから聞こえた。
少女は立ち止まる。
「……ねぇお母さん……」
母親が振り向く。
「ん?」
少女は少しだけ俯きながら言った。
「私もあんな風に……皆んなと遊びたいなぁ」
母親は一瞬だけ黙る。
夕焼けの光が、その表情を静かに染めた。
そして優しく微笑む。
「……そうね。いつか〜〜ちゃんにも良いお友達が出来ると良いわね」
少女は少し嬉しそうに頷いた。
二人は再び歩き出す。
やがて小さな家の前に辿り着いた。
玄関の前。
母親はカバンから鍵を取り出す。
「はい、到着」
「違うよ!家に入ったら到着!」
「フフ……そうだね」
カチャ。
鍵が差し込まれ、回る。
ドアがゆっくりと開く。
――その瞬間だった。
暗闇の奥から、突然手が伸びた。
ガシッ!!
母親の腕を強く掴む。
「っ!?」
そのまま凄まじい力で――
ズルッ……!!
玄関の奥へと引きずり込まれる。
一瞬の出来事だった。
悲鳴を上げる暇すら無かった。
母親の体は暗闇の中へ消える。
ドアが揺れ、静まり返る。
「お母さん……?」
少女はぽつりと呟く。
何が起きたのか理解できない。
数秒の沈黙。
その時――
ギィ……
玄関のドアが、再びゆっくりと開いた。
夕焼けの光が家の奥へ差し込む。
薄暗い廊下。
床。
そこには――
倒れている母親の姿。
そしてその周囲に立つ、複数の人影。
少女は動けなかった。
視線はさらに奥へ向く。
廊下の先。
そこには一人の男が倒れていた。
父親だった。
目は見開かれたまま。
服には――
べったりと、赤いものが付いていた。
夕焼けの光がそれを照らす。
赤は、より濃く見えた。
玄関に立つ少女の小さな影だけが、長く床へ伸びていた。
──
ゴォォォォォ……!!
凄まじい蒼の気がFを包み込む。
だが膨大な蒼の気はどこかFと調和し混ざり合っている。
「MODE反転……肯定者F。」
無い野がわずかに目を細めた。
(下界人がMODEを……しかもあの量の蒼の気を完璧にコントロールしている……)
「なるほど……お前も多少の才は持ち合わせているようだな……少しは楽しめそうだ」
Fは無い野の真っ直ぐ前に立ったまま、笑った。
「そうだね……楽しませてあげる」
共に才を持つ者のシンパシー。
2人の蒼の気が混じり合い弾けた。
「失望させるなよ」
「うん、させない」




