35話 手を取る
共に才を持つ者のシンパシー。
二人の蒼の気が混じり合い弾けた。
「失望させるなよ」
「うん、させない」
ドドドドドドドドド……!!
大気が裂ける音がした。
まるで空そのものが、二人の存在を拒絶しているかのようだった。
無い野の蒼黒が木々を呑み込み、Fの蒼がその中で静かに脈打つ。
互いの蒼がぶつかり合う前から“世界の側”が悲鳴を上げている。
「どうなってんだ……あれ……Fから凄え蒼の気が……!」
与志野達が茫然とFの変貌を見つめる。
「凄いな……下界人があそこまでの気を……」
「ああ……」
花野と当て野も驚きながら変化を見ていた。
次の瞬間――。
ドンッ!!!!
ぶつかった、というより世界が抉れた。
二人の影は肉体を持つ生物とは思えない速度で交差し、その軌跡に残った蒼黒の線が大地を焦がす。
足場が、衝撃で波のようにうねる。
Fの視界に無い野の拳が迫る。
一撃一撃が音より速く、そして重い。
Fはその拳を手のひら、前腕、肩で受け流し、流した勢いをそのままカウンターへ変換した。
カウンターが無い野の胸部に激突する。
だが無い野は自身全体を蒼鎧で包み攻撃を無効化していた。
(カウンター型か……相性は良くないが……まあ良いハンデだな)
(何て分厚い蒼鎧……攻撃が効かない!集中攻撃で一点をぶち抜くしかないか……!!)
無い野の膝蹴りをFが片手で逸らすと、地面がその衝撃だけで砕け飛んだ。
無い野が低く笑う。
「受け流し……どこまで持つかな!?」
すぐに両腕を振りかぶって蒼黒を噴出させる。
Fの足元が爆ぜたように凹み、蒼黒の衝撃が迫る。
「フン!!!」
Fは紙一重で横回転して避け――
避けた勢いのまま拳を鳩尾へ叩き込む。
バギィン!
空気が割れた。
「……ッ!!」
無い野が一歩、後ろへ下がる。
だが顔に痛みはない。ただ楽しげに笑うだけ。
「予想以上だな……Fとか言ったか、面白い!」
無い野の周囲が蒼黒の嵐へ変わる。
彼が一歩踏み出すたび、風景が歪んだ。
(……!?見えずら──)
次の瞬間、Fの腹へ拳が刺さる。
ドゴッッッ!!!!
「グッ!!」
Fの体が地面を転がり、土煙が舞い上がった。
だがFは、転がりながら無い野の追撃の位置を読み、受け身を取る。
ドッッ!!
(躱されたか……)
無い野の拳があった場所――
ほんの一瞬前までFの頭があった位置。
(攻撃重すぎ……ちゃんとガードしてもダメージ喰らう……!)
Fが体勢を整える。
息は荒いが、瞳は冷静。
むしろ相手の動きに馴染んできてすらいる。
「上手く避けるもんだな……だが分かった。
このまま手数を増やせばお前はいつか崩れる。」
無い野が腕を開き、蒼黒が噴き上がる。
(……来る!!)
その瞬間――
Fの周囲の空気が重くなった。
“存在圧”がFの内臓を締め付ける。
ズドドドドドドッ!!!!
嵐のような連撃。
拳、肘、膝、蹴り、肩、頭――
全てが一瞬のうちに殺意の軌跡を描く。
Fは受け流す。
腕で、指先で、足で、体捌きで、呼吸で、歩幅で。
全てを読み、最低限の動きで殺す。
だが“量”が違う。
受け流しても、受け流しても、次の一撃が容赦なく押し寄せる。
Fの腕の皮膚が擦れて裂け、蒼の気に混じり血が飛び散った。
「ぐっ……!」
Fが初めて苦鳴を漏らす。
無い野は笑う。
「ハハッ!!もっとだ!!もっと楽しませろ!!」
更に速度を上げる。
もう完全に視認不可能。
ただ世界が黒い線で裂けていくのが見えるだけ。
無闘はFが押される中ただ立ち尽くすしかなかった。
「クソ……!このままじゃ……!」
Fの頬に蒼黒の衝撃が掠め、血が飛ぶ。
──
「こいつで間違いないな」
低い男の声が聞こえた。
「ああ……驚いたな……報告通りだ、微弱だが蒼の気が感じられる」
別の声が続く。
少女には意味の分からない言葉だった。
「下界人と神界人の混血の末裔か……気持ち悪い」
冷たい声。
その言葉の意味を理解する前に、少女の意識は揺らいでいた。
(お母さん……?お父さん……?どこ……?)
視界がぼやける。
夕焼けの光。
倒れた母親。
赤く染まった父親の服。
その光景がぐちゃぐちゃに混ざり、頭の中で崩れていく。
少女は必死に手を動かした。
床を這うように。
小さな指が、冷たい床を擦る。
「……おかあ……さん……」
声はかすれていた。
手を伸ばす。
あと少しで母親の服に触れそうだった。
だが――
ガシッ。
誰かに腕を掴まれた。
そのまま体が持ち上げられる。
「よし、ずらかるぞ」
低い声。
少女の手は空を掴んだまま震えていた。
指先は、何も触れていない。
母親には――
もう届かなかった。
視界が暗くなっていく。
夕焼けが遠ざかる。
声も、音も、全てが遠くなっていく。
そして――
暗闇。
完全な闇。
どれくらい時間が経ったのか分からない。
少女が目を覚ます。
まぶたをゆっくり開く。
視界に映ったのは、見知らぬ天井だった。
薄汚れた、ひび割れた天井。
ぼんやりとした黄色い電灯が揺れている。
少女はゆっくりと体を起こした。
ギシ……
小さな音が鳴る。
体の下には小汚いベッドがあった。
硬く、薄いマット。
部屋は狭い。
窓は無い。
コンクリートの壁。
部屋の隅には古びたトイレ。
それ以外、何も無かった。
静まり返っている。
外の音は一切聞こえない。
少女は辺りを見回す。
「ここ……どこ……?」
声が震えていた。
胸の奥がざわつく。
嫌な予感だけが膨らんでいく。
少女はベッドから降りた。
裸足の足が冷たい床に触れる。
ふらつきながら扉へ近づく。
取っ手を掴み、引く。
ガチャ。
開かない。
もう一度。
ガチャ。
やはり開かない。
鍵が掛かっていた。
少女の手がゆっくりと離れる。
「……お母さんは……?」
小さく呟く。
返事は無かった。
部屋の中には少女一人だけ。
静かな沈黙が、重く広がっていた。
──
(右、左、下、上、下……!!)
呼吸する間もない無い野の連続攻撃。
(下、上、左、上、下……!!)
距離を取り、Fが拳を構える。
次の瞬間。
無い野の拳が真正面から迫る。
普通なら防御が間に合わない距離。
しかしFは微笑む。
「……!?」
「ここでしょ……!!!」
横へスライドし、無い野の肘の角度・肩の入り方・軸足の位置――
全てから最速の逃げ道を割り出した。
拳が空を切る。
無い野の瞳が一瞬だけ見開かれた。
(今のを……避けた……?)
その隙に、Fのカウンター。
「そんでここ!!」
ゴッ!!!
拳が無い野の脇腹を撃ち抜き、無い野の体がわずかに浮いた。
「……!!」
地面と蒼鎧、その両方がその衝撃で亀裂を走らせる。
亜里野達が息を吞んだ。
「当てた……!攻撃が通ってる!」
「嘘だろ……あの無い野相手に……!」
無い野が口角を上げる。
「……いまのは少し効いたぞ」
そして――
一度距離を取り、深く息を吸った。
翔馬が青ざめる。
「おい……嘘だろ……」
「やめろ無い野ぉ!!!」
無い野は無闘の声など聞こえていない。
背中から蒼黒が溢れ、髪が逆立ち、皮膚が黒蒼の紋様に染まり、眼が虚空色に変わる。
(何だ……?何かまた来る!)
Fがその気配に震える。
「これは……!あの野郎一気に決めるつもりだ!」
無い野が口を開く。
「中々に良かったぞ……F。」
「あんたまさか……!」
そして――
「──“Final Form”」
天が割れた。
大気が蒼黒に染まり、視界が震え始める。
無い野は圧倒的な蒼黒の量を一気に“燃やし始めた”。
Fの膝が一瞬、地面へ沈む。
(っ……重……っ……圧やば……!!)
だが、それでも立つ。
「来い……無い野……」
無い野は不気味に微笑んだ。
「……終幕だ。」
──
痛い。
「やめてよ!痛いよ!」
「暴れるな!」
痛い。
「ヒカル様……どうですか?」
「素晴らしい……下界人ながら確かに蒼の気が混ざっている……親の方は反応皆無……やはり才能というものか……」
痛い。
「少し痛いが我慢してくれ……実験体Fちゃん。」
「ギャァァァァァ!!!」
痛い。
永遠にも感じる苦痛の時間。
どうすれば良いのか分からない。
痛みは彼女の心を蝕み、徐々に精神を破壊していった。
どのくらい時間が経っただろう。
彼女がその痛みに声すら上げなくなった頃。
突然部屋のドアが開いた。
眩しい外には一人の女性が立っている。
だが荒み切った少女は怯える事すら出来ず、ただ茫然とその女性を見つめていた。
「おいで」
その女性は静かに手を差し出す。
精神が破壊された筈の少女がその手を取ったのは、女性の姿が、仕草が母親と酷似していたからなのか。
それとも、まだ探していたのか。
もう二度と取れる事はない母親の手を。
少女の指先が、震えながらゆっくりと持ち上がる。
力の入らないその手は宙をさまよい、やがて女性の手に触れた。
温かい。
それだけで、少女の身体から力が抜けた。
女性はその小さな手を優しく握ると、少女をゆっくりと立ち上がらせる。
「もう大丈夫」
その言葉が本当なのかどうか、少女には分からなかった。
だが。
その声は――
どこか、母親の声に似ていた。
少女は何も言わない。
ただ女性に手を引かれるまま、部屋の外へと歩き出した。
暗い部屋から一歩外へ出た瞬間、強い光が視界に流れ込む。
長い間暗闇にいた目には眩しすぎて、少女は思わず目を細めた。
廊下の先には、さらに光が続いている。
女性は振り返り、少女を見て微笑んだ。
「行こう」
その言葉に、少女はただ小さく頷いた。
そして――
二人は静かに歩き出した。
──
無い野の姿が消え、空間が破れ、蒼黒の裂け目がFへ伸びる。
Fは蒼鎧を全開で構え――
「ッッ!!」
防御が砕ける音がした。
(……師匠……ごめん……)
Fの腕が折れ、肋骨が軋み、臓器が震え、視界が白に染まる。
ズドォォォォォォン!!!!
蒼黒の奔流がFを包み込み、一瞬で体を吹き飛ばした。
地面を何十メートルも転がり、岩壁に叩きつけられ、ようやく止まる。
Fの体はもう動かない。
無闘が叫ぶ。
「F――――ッッ!!!」
翔馬達がボロボロのFに駆け寄る。
「F!生きてるか!返事しろ!」
翔馬が震える声で呟く。
「F……そんな……」
無い野は静かにFの元へ歩く。
その歩みには怒りも嘲笑もない。
ただ無機物を見るような、そんな瞳。
Fの前で足を止め、小さく呟く。
「強かったよ、下界人にしてはな」
そして顔を上げ、翔馬を見つめる。
「さて……次は――お前の番だ、亜里野翔馬。」
世界が凍りついた。




