ヒマワリ畑で再起して(2/2)
(シャーロット様……一体何をしていらっしゃるのだろう?)
その日の夜。風呂から上がったバスティアンは、落ち着かない気持ちで自室のベッドに腰かけていた。
(昼食どころか夕食の席にも現われないで……。聞いたところによれば、お姉ちゃんと何かしているらしいが……)
ガールズトークということなのだろうか。バスティアンは二人の会話内容を想像してみる。
『実は最近気になっている方がいて……』
『えー、誰誰?』
『バスティアン様です』
『わあ! 二人ともお似合いだもんね!』
(そんな! お似合いだなんて!)
バスティアンはベッドの上を転げ回った。
(も、もしかして、明日にでもシャーロット様がわたしに愛の告白をしてくださるんじゃないだろうか!? そんなことになったらこの背中から羽が生えて、わたしは一番星よりも高く飛び上がってしまうかもしれない!)
その時、ドアにノックの音がした。「バスティアン様、シャーロットです」と鈴の鳴るような可憐な声がする。バスティアンの金の瞳が輝きを帯びた。
(シャーロット様! まさかこんなに早くいらっしゃるとは! ど、どうしよう……! 手が震えてきた……!)
バスティアンははやる思いでドアを開ける。扉の向こうには麗しの女神の姿があった。
心なしか、シャーロットは緊張しているようだった。そんなに固くならなくてもいいのに、とバスティアンは思う。返事は「喜んでお受けいたします!」以外にないのだから。
「実は……バスティアン様にプレゼントがありまして」
入室すると、こちらが椅子を勧める間もなくシャーロットが切り出す。バスティアンはニヤけないように必死だった。
(分かっていますとも。あなたの愛をくださるのですよね?)
「バスティアン様に、私の半分を差し上げたいのです」
「シャーロット様の半分?」
どういうことだろうとバスティアンは訝しむ。
(半分を差し上げたい? シャーロット様を……わたしにくれる? ……ああ、ひょっとして!)
バスティアンは雷に打たれたような衝撃を覚えた。
(シャーロット様は……よ、夜這いに来たのか! なんて大胆なんだ!)
バスティアンは慌てふためいた。先ほど入浴を済ませたばかりで本当に良かった。それでも、大急ぎで後ずさってシャーロットから距離を取る。
「いけません! シャーロット様は汚れ無き純情な乙女なのです! それをわたしごときに軽々しく身を任せるなんて!」
「……バスティアン様、何故服を脱ぎ始めたのですか?」
シャーロットの冷静な声にハッとなる。知らず知らずの内にナイトガウンの胸元をはだけて、逞しい肉体を露出させていたのだ。
バスティアンはすぐに夜着の合わせ目を元に戻した。
「す、すみません。体は正直なもので……」
「はあ……?」
シャーロットは何のことだか分からないようだ。バスティアンは恥ずかしくなってしまう。どうやら彼女は夜這いに来たのではないらしい。
(それもそうだな……。シャーロット様のような高貴なお方が、そうおいそれとはしたない真似をするはずがない……。いや、わたしとしては、はしたない真似をしていただいたとしても全く構わなかったのだが……)
「それで……何の用でしたか?」
「……すぐに分かります」
シャーロットがバスティアンとの距離を詰める。その手がバスティアンの頬に触れた。
(これは……キス!?)
バスティアンは即座に目を閉じた。
(やはりシャーロット様は愛の告白にいらっしゃったのか! いいですとも! お好きなだけ口付けてください!)
だが、バスティアンの唇には何も触れなかった。代わりに、体が温かなものに包まれるような感覚を覚える。
(何だろう……これは)
こんな体験は生まれて初めてだ。何かが自分の体の中に宿ったような気がした。たとえて言うなら、「新しい命」だろうか。
(まさか、わたしは妊娠してしまったのか!? シャーロット様の聖なる力でこの体に別の命が吹き込まれたんだ! ありがとうございます、シャーロット様! 必ず元気な赤子を産んでみせます!)
「目を開けてください、バスティアン様」
シャーロットに囁かれ、バスティアンは目を開いた。今回ばかりは、シャーロットが女神ではなく聖母に見える。
「どうでしょう。何か変わりましたか?」
「はい、母性を感じています」
バスティアンはまだ平たい自分の腹を撫でた。
「父……母? とにかく、親になるというのは、こういう感覚なのですね……」
「え、親、ですか」
シャーロットは面食らったような顔になる。
「ど、どうしましょう。私、何か失敗したかもしれません。そんな術をかけた覚えはないのですが……」
「……そうなのですか?」
おくるみに包まれた我が子を抱いているところを想像していたバスティアンは、目を瞬かせる。
「では、シャーロット様は一体何をしてくださったのです?」
「バスティアン様に魔法を与えました」
「魔法……?」
何のことだかよく分からず、バスティアンはきょとんとした。
「私の魔力の半分をバスティアン様に流し込んだのです。やり方は、お姉ちゃんに教えてもらいました。こうすれば、バスティアン様も魔法が使えるようになると思ったから」
「ちょ、ちょっと待ってください」
バスティアンは口元を押さえる。
「何をおっしゃっているのですか? わたしが魔法を使えるように……?」
「試してみましょう」
シャーロットがバスティアンの困惑を断ち切るような口調で言った。
「魔法を使うのです、バスティアン様」
「そんな……」
できるわけがない。だって、自分には魔力が無いのだから。
そう言いたかったけれど、シャーロットの真剣なオリーブ色の瞳を見て言葉は喉の奥へ引っ込んでいく。
代わりに口から出てきたのは、震え声の詠唱だった。
「……花よ」
バスティアンはシャーロットが魔力を得た時に、城中を花まみれにしたことを思い出していた。右の手のひらを上に向け、そこに意識を集中させる。
するとどうだろう。瞬く間に手の上に大きな花が出現したではないか。
「まあ! ヒマワリ!」
シャーロットが弾んだ声を出した。
「成功です、バスティアン様! バスティアン様は魔力を得たのですよ!」
(わたしが……魔力を?)
バスティアンは手のひらに載る黄金の花を見つめた。これを出したのが自分だということがすぐには信じられない。
「花よ……」
バスティアンはもう一度呟いた。
「花よ、花よ、花よ」
天井からヒマワリの花弁が降り注ぐ。バスティアンの瞳と同じ金色の花びらが床に降り積もっていった。
バスティアンは膝から崩れ落ちる。
「シャーロット様っ……!」
胸が詰まって何も言えない。バスティアンは両手で顔を覆って泣き出した。
「何故ですか……! どうしてわたしなんかのために、これほどのことを……!」
「そんなにご自分を卑下なさらないで」
シャーロットが優しくバスティアンの肩を撫でた。
「私の魔力はあまりにも強すぎるのです。この身に余る力なのですよ。魔力が半分になっても、まだ普通の人の何倍もの力が残っているんですから。だから、それをバスティアン様と分かち合ったところで、あなたが気に病む必要などないのですよ」
シャーロットが微笑む。
光り輝くような慈愛と献身。あまりの神々しさに、魔力をもらったのが申し訳ないなどという気持ちすら湧いてこなくなる。これは女神からの贈り物なのだ。一介の人間にその受け取りを拒否する権利などない。
「わたし……は……」
魔力が無いと蔑まれてきたこれまでの年月が、シャーロットの放つ温かな光で溶けるように消えてゆく。
思い違いなどではなかった。バスティアンは間違いなく新しい命を得たのだ。
魔力が絶対的価値を持つこの王国で魔法に目覚めた。それはすなわち、彼が以前とは別人になったという意味に他ならないのだから。
シャーロットからの愛を吹き込まれたことにより、哀れな廃太子でしかなかったバスティアンは生まれ変わったのである。
「シャーロット様……わたしはあなたのものです」
バスティアンは深く頭を垂れた。
「この新しい生はあなたからいただいたもの。ですから、シャーロット様のお好きなようになさってください」
「では、これからはもっとご自分に自信を持ってくれると嬉しいです」
シャーロットはバスティアンの顎を掬い、上を向かせた。バスティアンは陶然と女神を見つめる。太陽に恋い焦がれるヒマワリもこんな気持ちなのだろうか。
「バスティアン様は魅力的な方なのですから。そのことをどうか忘れないでほしいのです」
「わたしに魅力など……」
自己否定的なセリフが出てきそうになったが、バスティアンは口を閉ざした。シャーロットはこんな言葉を聞きたくないだろうと思ったのだ。
(わたしでも、なれるのだろうか。もっと前向きで、誇り高いバスティアン・ミースに……)
なれる、と断言できないのが自分の悪いところだ。
だが、明日はどうだろう? 明後日は? やはり「なれない」と思っているのだろうか?
(未来のことなど分からない。けれど、シャーロット様と一緒なら……)
彼女の傍にいればもっと違った自分を見つけられる。こうして魔力を得たように違う生を生きられる。そんな気がした。
バスティアンの心臓の鼓動が早まる。彼女の傍らで新たな生き方を発見したい。今度は自分の力でそれを成し遂げてみせる。それはきっと可能なことだとバスティアンは思うことにした。
「わたしに魅力があるとしたら……それはあなたという光に照らし出されることによって初めて日の目を見るもの」
バスティアンは情熱を込めた目でシャーロットを見つめた。
「シャーロット様の永久の輝きがこの胸に宿り続ける限り、わたしは自らを貶めないように努力し続けると誓いましょう」
「……ふふ。バスティアン様ったら、相変わらず持って回った言い方をするのですから」
シャーロットが柔らかく笑った。
「そうですね。今すぐには変われなくても、いつかは胸を張って堂々と生きるバスティアン様の姿を私に見せてください」
「もちろんです」
バスティアンは断言した。その瞬間、この誓いは現実のものとなるだろうと彼は確信する。
だって、シャーロットは女神。信仰対象の前で嘘を吐くことなど、あってはならないことなのだから。




