準備
バタバタと書類を片付け、卒業準備を始めた。
卒業論文は形だけ。
就職先決まってて落第させられないと言われたから。
先生の口調だと内定を貰った先で卒論の必要性が変わるみたいに聞こえて納得出来なかった。
それでもこれから入社までの半年でしなきゃいけない事はたくさんある。
卒論に費やす時間を他に回せるんだと無理やり自分を納得させた。
どこから内定を貰ったか、おちゃらけて言う人も中にはいたけど、大半の学生は言わなかった。
私も就職の斡旋をしてくれた学生課の先生だけにしか言わなかった。
年末に単位数を確認したら足りてたので、後は卒業を待つだけになった。
私に中嶋くんと絡みたくないから講義を休んだ意識は無かったけと、後から思えば無意識にあったのかも。
「どこに決まったんだ」
そう聞かれるのを避けたい気持ちが、残りの講義を欠席させたんだと思う。
クリスマスが終わってゆうこちゃんに電話したら、就職が決まったばかりでバタバタしていた。
「部屋が決まったらまた連絡するね」
「ゴメン。2月の初めには落ち着くから、スーツ買わないで待ってて」
「うん」
年明けから卒業までの約2ヶ月半、私はあちこちの教室に通いながら部屋探しを始めた。
年が明けてすぐ、母親からは振り込まれていたので、そのお金で部屋と引っ越しを済ませよう、と決めた。
不思議とさっぱりしてた。
母親に会って、微かに残ってた母親への思慕も全部投げ捨てたからかも。
母親が捨てるなら私も捨ててやる。
別に自棄になってたわけじゃない、と思いたい。
部屋を決める前に会社の採用係に電話して聞いたら、半年は本社で研修だと教えてくれた。
それならと会社に近い部屋を探したけど家賃が高くて、仕方無く少し乗り換え増えても家賃が安い場所を探した。
そして見付けたのがワンルーム50000円の物件。
乗り換え乗り換えで通勤時間は掛かるけど家賃の安さは魅力だった。
近くに安いスーパーもあるし買い物も困らない。
借りると決めて交渉したら、不動産から保証人協会を紹介されて、何とか部屋を借りる事が出来た。
今は敷金礼金無料とかの物件あるのに、あの部屋は違ってたのがちょっと損した気分。
引っ越しが決まってから母親に電話して、出る話を事務的にした。
これが最後って気持ちはもう無くなっている。
寂しさは少しあるけど、母親への執着は消えていた。
「おなた田舎へ行ったんですってね。叔母さんから電話が来て嫌味を言われたわよ。私の再婚の話も息子が産まれた話もしたと言うじゃない。どう言うつもりなの」
切ろうとした所に言われてつい笑ってしまった。
「まさか話してないとは思わなかったから、叔母さんに『葬式にも来ないで』って怒られたから『聞いてない』って言ったの。それでお母さんの『再婚』と別に住んでる話をしたの」
「あなたが里に話したせいで息子が将来受け取る遺産が無くなるかもしれないのよ」
言われてる意味が分からなくて聞き返しても興奮していて理解出来る会話にならなかった。
気になって仕方無いので翌日田舎に戻った。
祖父母に母親の話をすると母方の叔母を呼んでくれて、その叔母が母方の祖父母の遺産の整理と分配の相談をしている、と話してくれた。
「じじばばはお前を可愛がっていたからな、都会に連れて行ったきり顔を見せない母親を怒ってたのよ。なんで遺産は母親の分をお前に贈与すると決めておった」
「私に?」
驚きの話でビックリしたけど、怒るよりそんなに弟が可愛いのかと悲しくなる。
「あいつは大金だと思ってるようだが税金引かれれば良いとこ70あるか無いかじゃろうな」
「…70万?」
「田舎だで安いでな、お陰で相続の費用も少ないで助かったわ」
叔母さんは全部終わったら知らせると言ってくれた。
「いらない」
就職が決まった話しと、遺産は放棄する話しをしたら『それはあのアホ垂れのせいか』って怒ってくれたのが救いだった。
金額がいくらでも私が受け取ればこの先ずっと言われて恨まれる。
分かりきってて受け取る馬鹿なんか居ない。
「わしらの遺産も似たようなもんだがお前にちっと遺すからな腐らずに都会で働くんだぞ」
「うん」
叔母さんが遺産の額を母親に伝えておくと言ってくれたので任せた。
引っ越しを終えてからゆうこちゃんに電話した。
翌日早速ゆうこちゃんが遊びに来て、思いがけない情報をくれた。
「こうバスで出れば、ここから地下鉄で1本だよ」
「へ?」
ゆうこちゃんがスマホでバスの路線を出して教えてくれて、覚悟していた通勤時間が40分に短縮された。
「友達がここの手前に住んでてこのバスを利用してるから知ってるんだ」
ゆうこちゃんの言い方でピン、ときた。
「ゆうこちゃん、彼氏でしょ」
「まだ彼氏未満。お互い就職したらねって話してる」
やっぱり、って思った。
ゆうこちゃんが選ぶ人だから、きっと無口だけど自分をちゃんと持ってる人だ。
タイプってあるのかな?
ゆうこちゃんが『良いね』って言うタレントや俳優はみんな無口で、雰囲気が源太に良く似ていた。
「応援するからね」
嬉しい話で会話も弾む。
「ゆうこちゃん良いこと続きだね。仕事も希望してた所に入社決まったし、私の事みたいに嬉しい」
「みずきもこれからだよ。社会人になったら出会いも増えるから、この年末には彼氏紹介されそう」
ゆうこちゃんがちゃかして笑った。
「彼氏はいらないけど友達は欲しいかな」
ゆうこちゃんから視線を外して言った。
「それならまず身だしなみだよ。人間第一印象が大事なんだからね」
ゆうこちゃんはテーブルにスタイル画を何枚も広げて私に選ばせた。
「大人しめなのだけ選ぶか、少し冒険しなよ」
「会社の空気見てからじゃなきゃ冒険は無理だよ」
怖じ気付く私に肩をすくめてゆうこちゃんはスタイル画をしまった。
「秋にまた聞くよ」
「うん」
「スーツは3月の半ばには届けるよ。てかさ、卒業式は袴着るの?」
「着ないよ。ゆうこちゃんのスーツ着る予定」
「嘘でしょ」
ゆうこちゃんが素で驚いていた。
「駄目かな」
驚かれて不安になった。
「嬉しいけど、それで良いの?」
「うん」
不安が顔に出てたんだと思う。
ゆうこちゃんが明るく言った。
「そんなに気に入ってくれたんだね。入社式のスーツはもっと良いの作るからね」
これで後は卒業を待つばかり、そう思っていた私に追い討ちがきた。
普段スマホ何て時間を見るか調べものをするかだから解約されてるのに気付くのが遅れた。
ゆうこちゃんと会ったばかりなのに、1週間もしないで訪ねてきたゆうこちゃんは私の顔を見て玄関にしゃがみこんだ。
冬なのに汗をかいてて、バス停から走ってきたって一目で分かった。
「良かった…みずきの見せて」
息切れしながら手のスマホを指して聞いてくる。
不思議に思いながらも部屋にあげてスマホを渡すと真剣な顔で少し触ってから言ってきた。
「契約者はお父さん?お母さん?」
「分からない。渡されたのはお母さんからだけど」
「みずきのスマホ契約解除されてるよ。今朝色の事で確認の電話したらさ」
ゆうこちゃんは怒った顔でスマホから流れるアナウンスを聞かせてきた。
「…嘘」
ショックだった。
頭の中が真っ白になって、『私が田舎で言ったから?』それが頭の中をぐるぐると回っていた。
「急いで新しいスマホ契約しないと駄目だよ」
ゆうこちゃんががらくたになったスマホを戻してきた。
「なんで…」
「会社からの連絡とか全部これじゃないの?」
「あっ…」
呆然と手の中のスマホを見下ろした。
「解約するとか一言も無かったの?」
「…無かった」
ゆうこちゃんに田舎であった事を話したら大きくため息を付かれた。
「おばさんらしいね。昔からみずきが言う事聞かないと実力行使に出てたじゃん。これもそれだよ」
何も返せなくて下を向いた。
憎まれてるのか、って気持ちとそんなに弟が可愛いのか、と思う気持ちが私の中でぐちゃぐちゃになっていた。
「とりまスマホ買い直すよ」
ゆうこちゃんに急かされてショップに行って新規で買った。
身分証明と言われて保険証を出したけど住んでる場所と記載の住所が違うから大変だった。