第一話 追放理由は、役立たずです
「こいつを追放する」
会議が始まって三十秒で、結論が出た。
エナ・フェルクの手元の議事録には、まだ日付しか書かれていない。インクが乾くより先に議題が片づくのは、書記になって半年で初めてのことだった。
壁の時計は十六時十八分を指している。
四半期末の即日所属変更は十七時で締め切られるから、残りは四十二分。
昼過ぎに課長から、揉めそうなのが一件あるから時間を見てやってくれ、と回されたときは、今日はもう帰れないものと半分諦めていた。
追放会議というのは、たいてい長い。
まず誰かが怒鳴り、誰かが言い返し、話は今回の件から去年の分け前へ、去年の分け前から誰が誰の背中を何回守ったかへと、どんどん遡っていく。その場で決着しない種類の話ほど、人はなぜか熱心にやりたがる。
第三会議室の椅子が先月一脚減ったのも、たぶんそういう会議のせいだ。理由は聞いていないし、聞きたくもない。
ところが今日は、申請者が最初から結論を持ってきていた。
「異議はありますか」
エナは向かいの席へ訊いた。
追放される側の男は、腕を組んだまま背もたれに体を預けている。足元には、口紐を固く結んだ旅嚢がひとつ転がっていた。会議に持ってくるには、少し大きすぎる荷物だった。
「追放されることに?」
「はい」
「ない」
トール・グレンは、天気でも訊かれたような調子で答えた。
隣のダイン・ローデルが、ほら見ろとでも言いたげに顎を少し上げる。
上位パーティー《銀狼の牙》のリーダーで、ギルドの奥に引っこんでいるエナでも名前くらいは知っている剣士だ。
人の話を最後まで聞かずに頷く癖があるらしく、さっきからエナが言い終わる前に三回は頷いている。
エナは顔に出さないまま、机の下で靴の先をそっと伸ばした。
助かった、と思う。
四十二分あれば、書類を整えて、双方の確認印をもらって、地下書庫へ回してもまだ余る。
余れば定時に上がれる。定時に上がれば、大通りの角の焼き菓子屋に間に合う。
昨日から胡桃の焼き菓子が値引きになっていて、あれは十八時を過ぎると棚から消えるのだ。
ペン立ての陰には、昨日その店でもらった値引き札が挟んである。胡桃の絵が刷られた、手のひらの半分ほどの紙だ。
他人の人間関係より、今のエナにはそちらのほうがよほど切実だった。
「では、申請書を確認します」
ダインが差し出した紙を受け取り、上から順に目を通していく。
パーティー名、構成人数五名、対象者トール・グレン。
申請区分の欄では、除名の二文字が丸で囲まれていた。一度囲んだ上からもう一度なぞったらしく、そこだけ線がやけに太い。
エナは右端の開示欄に、ほとんど手癖で判を押した。
加入審査時開示
除名された者が別の隊へ移るとき、前の隊がつけた理由は、審査する側へそのまま見せられる。理由を伏せたまま移籍すれば、同じ揉め事が別の隊でもう一度起きるからだ。
理屈は分かるし、この判を押した回数ももう数えていない。
それから理由欄に目を落として、ペンが止まった。
戦闘貢献なし。役立たずにつき除名
短い。
短いのはいいことだ。三枚にわたって恨み言を書き連ねてくる申請者より、書記としてはずっとありがたい。
紙の一番下には、小さな注意書きがある。
除名理由欄には、確認可能な事実のみを記載すること
これまで扱った除名申請には、無断欠勤三回だの、報酬の持ち逃げだの、依頼中の命令違反だのと、何を確かめればいいのかが、最初から書いてあった。日付と記録を照らせば、それで済んだ。
役立たず、は初めてだった。
注意書きの下が、記録書記の署名欄で、まだ空いている。
最後にここへ入るのは、エナ自身の名前だ。
頭の中で、焼き菓子屋の棚が少しだけ遠ざかった。
「どうした」
ダインが言った。
「確認したいところが、一つ」
「何だ」
エナは申請書を机に戻し、注意書きのあたりを指先で二度叩いた。
ダインの視線が指を追って下へ降り、降りきってから、理由欄まで戻ってくる。
「役立たずだ」
「はい。読みました」
「じゃあ何を確認する」
眉間に薄く皺が寄った。
怒っている顔ではない。終わったと思って片づけかけた皿を、もう一度テーブルに戻された顔だ。
気持ちは分かる、とエナは思う。こっちも片づけかけていた。
「役立たず、の根拠をお願いします」
会議室が静かになった。
ダインはエナを見て、申請書を見て、もう一度エナを見た。
トールは組んでいた腕をほどきかけて、途中でやめた。
「……根拠?」
「記録に残せるものを、一件ずつ」
「いくらでもある」
答えは早かった。
ダインは椅子に深く座り直し、指を一本立てる。
「まず火力がない。前に出ない。人に細かいことばっかり言う。勝てそうな相手でもすぐ撤退だ。依頼は選り好みするし、酒場じゃ空気を悪くする」
「最後のは、戦闘記録に関係ありますか」
「ない」
「では外します」
「そういうところだよ」
吐き捨てるような声だった。
一瞬、自分のことかと思った。視線の先を確かめると、ダインが睨んでいるのはトールのほうだった。
「俺のことだ」
トールが言った。
「分かっています」
「今、ちょっと自分のことだと思ったろ」
「思っていません」
「間があった」
エナは返事をせず、会議用の下書きの紙を一枚引き寄せた。
白い紙の一行目に、ダインの言った順で書く。
火力不足
書いてから、ペン先が止まった。少し考えて、横に一本線を引く。
「なんで消す」
「不足だと、何と比べて足りないのかが書けないので」
「は?」
さっきより半音高い声だった。
エナは消した行のすぐ下に書き直す。
討伐数
「戦闘記録を確認します」
「見なくても分かるだろ。こいつが一番少ない」
「でしたら、すぐ終わります」
言いながら、壁際の記録箱へ手を伸ばした。
銀狼の牙、過去一年分。
持ち上げた瞬間、腕がほんの少し沈んだ。
嫌な重さだった。書類が重い日は、だいたい帰りも遅くなる。半年の書記生活でエナが手に入れた、数少ない確かな教訓だ。
箱を机に下ろすと、トールが壁の時計へ目をやった。
一度だけ見て、それから何事もなかったように腕を組み直す。
十六時二十四分。
残り三十六分。
エナは一番上の戦闘記録を開いた。
最初の頁は去年の秋、岩場での討伐。討伐数、使った回復薬、持ち帰った素材と、欄は几帳面な字で埋まっている。几帳面すぎて、ちょっと腹が立つくらいだ。
負傷者の欄には、軽傷一。任務継続。
次の頁は、なし。
その次も、なし。
そこだけ、ずいぶん書くことのない隊だった。
エナは特に気にも留めず、討伐数の欄へ指を戻した。




