99 反動
花菜と響は夏休みに入ってからというもの、基本的に響の部屋で夏休みの宿題を消化に勤しんだりする予定であった。
その合間を縫って、お出掛けの用事を消化するのである。
昨日、一昨日と二人で相原宅、都と凪乃宅にお邪魔したので、一旦の休憩タイムとして響の部屋で過ごしていた。
それに今日は響にスキンシップを我慢させた分、多めにしてもよいと発言してしまった日でもあるのだ。
その言葉からか、花菜は二人の時間を過ごしながらも少し響を警戒する気持ちがあった。
だが響の態度はいつまで経ってもいつも通りだったので、花菜は気が抜けてしまっていた。
だが、その魔の手は休憩時間にやってくるのだった。
「花~菜」
「ひぐっ……」
現在花菜は響に後から抱きすくめられて、耳元で囁かれていた。
丁度響が開いた足の間に、花菜が居るような状態である。
響の方が身長が高いので、程よくスッポリと収まってしまっている。
花菜は腹部と肩に回された響の腕のお陰で、身動きが取れない。
花菜は確かに二日間を響にスキンシップが少な目な日々を過ごさせた分、次の日は多めにしてもよいと発言してしまった。
今、その発言の報いを受けている。
花菜は響の声に弱い上に、最近分かってきたが耳も弱い。
ダブルで弱点を突かれる形になって、早々に参ってしまいそうになっていた。
先程まで二人でいつも通り、夏休みの課題を消化していたはずである。
少し休憩しようという話になった途端、響が急に距離を詰めてきたのだ。
「花菜の匂い、大好き……」
響はそう呟くと、花菜のうなじの辺りに顔を埋めてくる。
花菜は日頃触れられないような場所に響の吐息がかかり、ゾクゾクとした感触が湧き上がってくる。
これが響が言っていた、花菜吸いというものだろうか。
存分に自らの体臭を嗅がれてしまって、恥ずかしさが高まる。
いつものようにお互いが抱きしめる形ではなく、後方から抱きすくめられる形になっているので響の匂いを直接感じることができない。
一方的に吸われてしまっている。
「響ちゃん……。ちょっと……もう少し、控えめに……」
「無理無理」
そう言うと、響は花菜の髪を掻き分けて首筋に口付けを落とした。
「ひゃうっ!」
予想だにしていなかった響の唇の感触に驚いた花菜が、思わず声を上げてしまう。
「ふぅん……」
響はその声に興味深いといった感じの反応を見せながら、続けざまにチュッと音をさせながら首筋キスをする。
「ううっ……」
「花菜、かわいい……。もっとしていい?」
「恥ずかしいよぉ……」
響が花菜への確認を、耳元で囁いてくる。
どうやら、響が自分が好き勝手するのではなく恋人からの了承が欲しいようだった。
なんなら、花菜からのおねだりでも期待しているのだろうか。
「していぃい?」
「分かったよぉ……。でも、跡とか付けないでね……?」
「フフッ、残念。ただの許可だったら、付けたのに」
「絶対やると思ったぁ……」
本気ともつかない言葉であったが、響ならやるという確信があった。
独占欲の塊である響である、キスマークの一つや二つ花菜に刻みたがるのは目に見えていた。
日中隠すことはなんとかなるが、家で隠し通すのは無理がある。
母親に見付かったら、恰好の標的にされてしまうことは火を見るより明らかであった。
「好きだよ、花菜」
宣言通り、響が花菜の首筋に口付けを落とす。
花菜は引き続きゾクゾクした感覚に身を捩りたくなるのだが、響がガッシリと抱きしめていてそれを許してくれない。
むしろ、腕の中でたじろぐ花菜を楽しんでいる様子であった。
「わっ、私もっ……。私も響ちゃんのこと大好き……!」
腕の中で花菜ができることは、精一杯囁かれる愛に対して響に応える言葉を返すことぐらいであった。
そうでもしないと、おかしくなってしまいそうだったのだ。
「嬉しいよ、花菜」
響は首筋に落としていた口付けを中断して、花菜の耳元で囁く。
響が好きだ、響の声が好きだと、花菜は刷り込まれている。
これだけで、頭がクラクラとしてくる。
「花菜」
そうこうしていると、響が顔を花菜の肩に埋めて頬ずりしてきた。
響の髪の香りがフワッと花菜の鼻孔を擽る。
まるでマーキングされているような、自分は響の物だと主張されているような仕草に思わずドキドキしてしまう。
「花菜ぁ、好き、好き、だ~い好き」
響は逆側に回ると、同じように花菜の肩に顔を埋めて囁いてきた。
ただ左右を違えただけだというのに、新鮮な刺激に感じて花菜の身体がビクリと跳ねそうになった。
囁かれる声、直接ではないにしろ香る響の匂い、そして抱きすくめられることで感じる響の体温。
なにもかもが、言い知れない多幸感を運んでくる。
それと共に、花菜は自分の理性がガリガリと削られていくのが分かる。
「響ちゃん……好き……」
花菜の口から蕩け切ったような声音が漏れる。
このとき花菜は、既に響に酔いしれて我を失いかけていた。
「花菜……私だけの花菜……」
響は陶酔した瞳でそう呟くと、花菜の耳に口付ける。
「ひゃっ……!」
唐突な耳の感覚と、耳朶を叩く間近なリップ音で花菜は驚きの声を上げる。
「私も花菜だけのものだよ? 花菜のしたいことなら、なんでも叶えてあげる。なんでも言って?」
「私の……したいこと……?」
響のそれは悪魔の誘いにも似た囁きだった。
花菜はこのとき、恋人の間では隠しごとはしないという約束を思い出していた。
「私……私はぁ……」
「花菜は?」
響と結ばれたことによって、花菜は諦めていた全てを夢想している。
正直許容量が追い付いていない。
だが今思い描いていることは、ひどく単純なことでもあった。
「どうしたいの?」
言いながら、響は口付けていた花菜の耳たぶを食んだ。
「ひっ、そんな……!」
新たな感触に、戸惑いの声。
「ほぅら? 花菜ぁ?」
響からの誘いは止まらない。
「私ぃ……私は……」
そう、相原花菜は。
もっと、芳川響と一つに溶け合いたい。
もっと響に自分に触れていて欲しい。
もっと、もっと、もっと、もっと。
深く、深く、深く、深く。
この感情は、渇望に近い。
「響ちゃんにぃ……」
「私に?」
「もっとぉ……」
「もっと? どうして欲しい? なにして欲しい?」
ここで響は、抱きしめる力を強める。
花菜は求められている強さをヒシヒシと感じて、響から伝わる力に心地よさを感じていた。
「さ、触って欲しい……」
「どこを?」
「ど、どこ……?」
「ほら、具体的に言ってみて?」
花菜はそのときになって、ふと自身の身体を見下ろした。
具体的な場所を思い浮かべて、陶酔していた気持ちより羞恥の心が勝り始める。
そして、今まで自分はなにを口にしていたのかと気付いた。
その途端、耳まで真っ赤に紅潮し始めた。
「ひっ、ひぐっ……。いっ、言えない……」
「言えないような場所なんだ」
「ちっ、ちがっ……。そっ、そうじゃなくてぇ……」
「だったら、言えるよねぇ?」
「響ちゃんの意地悪ぅ……」
響の言うことをなにも否定できず、花菜は言い繕うことしかできなかった。
花菜は響に目を向けると、ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべているのが見えた。
そのときになり、自分は理性を溶かされて思考を誘導させられていたことを悟る。
もう少しで、花菜は危ないことを口走るところであった。
「恋人で隠しごとは無しだよ、花菜」
「言える範囲は、でしょ⁉」
「これはね。言える範囲だよ」
「やだぁ!」
花菜は響の腕の中で、嫌々をする。
響は相当体幹がいいのか、花菜がジタバタしてもビクともしなかった。
「私は花菜に触れて欲しいところ、言えるよ?」
「言わなくていいよぉ! 言わないでくださいぃ!」
「そう? 残念だなぁ……。花菜、私の胸は揉むだけじゃ済まないんじゃないの?」
「それは勢いで言ってしまいましたぁ! 申し訳ございません!」
これは、花菜が響に怒った際に口から出てしまった言葉である。
もう、無かったことにはできない。
「なにをするのかなぁ?」
「ひいいぃ! 言えません! 追及しないでくださいぃ!」
「ええぇ~。隠しごと~?」
先程から響はおちゃらけた風に言うが、確かに花菜の耳元で聞こえるので相変わらず心臓に悪い状況は続行していた。
追及される言葉と合わさり、現状の花菜は二重に心臓に悪かった。
「ほぅら! もう休憩終わりぃ! 離してぇ!」
「まだ二日分の埋め合わせ、足りないよ……。もうちょっとだけ、花菜吸わせて?」
響はそう言うと、花菜の髪を掻き分けて深く息を吸い込む。
花菜は羞恥に染まっていた心が、更に濃くなっていくのを感じる。
花菜は響が自分のことをいい香りだと言っているのを信じられずにいた。
だが、流石にこれだけ吸われていると信じざるを得ない。
羞恥もあるが、響の望みでもあるので止めることはしないでいた。
そして花菜自身、響に同じことをしたいという欲求があるのだ。
「も、もうちょっとだけだからね……」
「ありがとう、花菜」
花菜は捩っていた身体の力を解くと、響に身体を委ねた。
恥ずかしさの中にも、心地よい安心感を感じる。
今度は響の声と体温にのぼせてしまわないように、心をしっかりと持ちながら。
本当は、少し残念な気持ちを心に忍ばせつつ。
いつもより長い二人の休憩時間は、続いていった。
イチャイチャするだけで一話が終わった……?
えっ、本当に?
正気か?




