96 訪問する前の待ち合わせ
響の相原家来訪から次の日のできごと。
午後も昼食を取り終えて直ぐの時間。
住宅街の休日正午近くということもあり、人影はまばらだった。
外食店もあるが、暑い日が続くためか家で食事を取っている人が多いのだろう。
この日、花菜は多少のおめかしをして響と待ち合わせをしていた。
昨日は我が家だったため、恋人を迎え入れるにしても限度があった。
今日は初めて訪れるお宅への訪問である。
失礼の無いようにと、気合を入れてきた。
待ち合わせといっても、響宅の前で本人が出てくるのを待つだけである。
花菜は暑気を避けるため、合鍵でエントランスまで入っていた。
メッセージも送信しているので、直に出てくるだろう。
「やっほー花菜、お待たせ」
「やっほーだよ、響ちゃん」
今日の響は落ち着いたワンピース姿で、花菜のイメージする活動的な響とは異なっていた。
だが、響が言う通り花菜の中でなにかが高まるものを感じている。
こういった衣服を、響がいつの間に買い込んでいるのだろうかと花菜は疑問に思っていた。
響はこのような衣服を、それ程所持していないように聞いていたのだ。
花菜の好みかもしれないからと、わざわざ買い漁っているということになる。
恋人が自分色に染まろうとしている行為は、嬉しいような恥ずかしいような複雑な心模様であった。
今度一緒に買い物に行ったら服を選んで欲しいとまで言われているのである。
服に関しておざなりだった響が、物凄い心境の変化であった。
そして、その原因が自分であるというのが、なんとも面映ゆい。
「響ちゃん、今日も素敵だね……」
「なに言ってるのさ。花菜の方がかわいいよ」
花菜は恋人の素敵だと思ったことは、なにはなくとも言葉にしようと口に出していた。
こういう行為が大事なのだと思っている。
花菜としては、響は花菜のことをかわいいと言い過ぎな気はしているが。
「う~ん……」
「なに? どうしたの響ちゃん?」
先程から、響が花菜のことをマジマジと見詰めてくる。
花菜は響の顔が間近で見詰め返すことになり、ドギマギしてしまう。
「いや、あまりにもかわいいからキスしたいんだよ。でも、メイクが崩れるからできないなって。残念すぎない?」
「お外ではやめようね! TPO!」
「そう? 軽い挨拶のキスもダメ?」
「ダメです!」
響は最近別れ際などに、頬にキスを落としてくるようになった。
だが、それは誰も見ていない場所だからだ。
今のような公共の場所でされると、花菜としても恥ずかしさを通り越してしまう。
浮かれ過ぎたカップルみたいで、居た堪れなさもあった。
「こんなかわいい花菜を人に見せるとか、我慢ならないから家でゆっくりしない?」
「もう響ちゃんは……。都さんはともかく、凪乃さんにお断りのご連絡するのは忍びないでしょ?」
「そっかぁ、そうだよね」
響の独占欲丸出しの提案に対して多少の照れはあったものの、花菜は今日の目的を口にして説得する。
これに対して響は、あっさりと引き下がった。
本日は都と凪乃、二人に会いに行く約束をしているのである。
凪乃は二人に初めて実際会えることを楽しみにしているであろうし、急に行けなくなりましたでは示しもつかなかった。
だが響と花菜の二人は、都のことを考えている素振りは見せる様子はなかった。
「姉さんだけならなぁ、このままブッチしても自業自得で済むけど。花菜と凪乃さんのためだからね。行こうか」
「そうだよぉ。凪乃さんの安寧のためにも、私達は馳せ参じないといけないの」
「そこは、キチンと自分の安寧のためも入れようよ」
「はい……。おっしゃる通りです……」
花菜は昨日のようなイベントごとがあれば忘れられるが、響の帰郷に合わせて挨拶に伺うのに今から緊張しているのを日頃から隠し切れないほどなのである。
心を同じくしているであろう凪乃と不安を共有することで、心の安寧を得なければならないのだ。
「思ったんだけど。凪乃さん大人っぽいし、花菜みたいにオロオロしてるかな?」
「私程取り乱してなくても、不安な気持ちはあるはずだよ!」
「確かに、気持ちが同程度である必要はないか」
凪乃は芳川家の両親への挨拶に対する不安から花菜の同道を乞うた過去がある。
不安に思う気持ちは少なからずあるであろうことが、そのことからも伺える。
スマホのビデオ通話だったので、花菜は子細に表情が見えたわけではないのだが。
「それに凪乃さんは都さんの恋人としての先輩として、個人的にお話も伺いたいよ」
「なるほど、花菜ってそういう同士的な人間が居なかったわけか。いや、あれ? 姉さんは?」
「都さんは、なんか聞ける雰囲気じゃなかった」
「ええっ……。姉さんって、私のことでどんだけ花菜に頼りっきりだったのさ……」
都と響と仲直りをするために通話で相談されている際は、ほとんど花菜が慰める存在であった。
花菜から凪乃との仲を質問できるような空気感ではなかったのだ。
「あの後は、響ちゃんと凪乃さんが恐いのか連絡もそんなに無いよ」
「まぁ、ダブルで浮気を疑われたらね……。それでも少しは連絡してくる辺り、律儀な性格ではあるんだ」
都からの愛は重いらしいが、その凪乃が疑う程度だったらしいのだから余程目に余る行動だったのだろう。
響からは、そもそも信用が無い。
「私の慰めが無くなって生活に張りが無いっておっしゃってたから、怒られた方がいいですよとは言っておいた」
「人の恋人をなんだと思ってるんだよ、あのバカ姉……」
花菜との通話は、都にとって一種の癒し効果があったのかもしれない。
それでも年下に弱みを曝け出して許しを乞う様は、花菜としてもどうかと思われるのだが。
花菜は女神でもなんでも無いのである。
「とにかく、そろそろ出ようか」
「そうだねぇ、ご近所さんだから直ぐに着いちゃうけど」
都と凪乃、二人が住んでいる場所までは程々に近い。
元々都の勤め先に便がよい住居に、響が引っ越しをする予定だったのだ。
凪乃と暮らすために住まいを移したとて、それが遠くなるはずがなかった。
凪乃の都合もあるかもしれないが、そこは問題無かったらしい。
「それじゃ、ほら」
そう言って、響が手を差し伸べてきた。
花菜には、それが手を繋ごうとしているのが分かった。
「いや、ダメだよ響ちゃん。今回はこの前みたいに遠出してるわけでも、変装してるわけでもないんだよ。我慢して」
「ええっ……」
響の住居は、学校の側なのだ。
夏休みの今、誰と鉢合わせするか分からない。
二人で歩ているだけなら、休みに偶然会った目的地が同じな相原さんと芳川さんで押し通れる算段である。
同じ建屋で偶然が重なったと言い張っても、中に入ってしまえば部屋の号数まで同じかは外からは分からないのだ。
「花菜の手……」
「今日は我慢の日だよ」
「耐えられるかなぁ?」
「本当に自信無さそうなのやめようよぉ……」
今の花菜とスキンシップしたくてうずうずしている響には……いきなり抱き付いてきそうな、そんな危険性があった。
覚えたての待てをしている大型犬のような、そんな不安さである。
「昨日はちゃんと、おすまししてたじゃない……」
「それは、昨日の分もあるってことだよ」
「なるほど?」
響は今日も合算すると、二日間花菜と触れ合えないことになってしまう。
響の言葉を借りるなら、花菜成分が足りなくなってしまうのだろう。
「じゃあ、明日はスキンシップ多めでも大丈夫だから」
「本当?」
「待って。そんなに鋭い目で見詰めないで。多少、多少ね? 少し多めね?」
花菜が仕方がないので、明日に少しぐらいスキンシップを多めに取ってもいいかなと考えた。
こんなことを言ってはいるが、花菜とて響とは手を繋ぎたかったのだ。
それに触れ合えなくて寂しいのは、なにも響ばかりではない。
だが花菜が少し気を許した途端、響の目が信じられないぐらい鋭くなった。
なにか自分が想定している以上のことが起きると悟った花菜は、思わず待ったをかける。
それは、命の危機に近いものがあった。
「多少……。多少か……。分かった!」
「うーん。なんだか、分かってもらってない気がする」
分かってもらえなかった気がするのだが、この場は響の元気のよい返事に免じてスルーすることにした。
具体的には、響の多少と花菜の多少に誤差があるように感じられた。
だが花菜は、明日の自分に丸投げしようと考えたのだ。
響も少しは落ち着いているかもしれないと考えたのだ。
相原花菜は楽観主義者ではなく、現実主義者である。
だが、希望は捨てないと決めたのだ。
その希望を教えてくれたのは、目の前に居る響ではないか。
愛しい人が教えてくれた希望の光。
それが今でも胸に灯っていて。
ただただ信じて、明日に歩んで行くのだろう。
このとき、花菜は思いもよらなかった。
あんなことになるなんて。




