93 響の相原家のご挨拶
人が住んでいる家というのは、その家独特の香りであったり雰囲気がある。
響は相原家の長い間愛着を持って住んでいたのが分かる、家の空気が好きだった。
相原家に上がると、響はリビングに通される。
リビングはテレビに対して、ローテーブルと多人数掛けのソファが置かれている。
響はL字になっている入口から見て奥側に座るよう促された。
丁度角になっている頂点部分である。
どうやら、主役として花菜の両親が挟み込む形で迎え入れるようだった。
そのことは花菜は知らないのか、なにも言わずに今は母親と一緒にお茶を入れに行っている。
現在は、花菜の父親と響だけがリビングに残っている状態になっていた。
響としても初対面の恋人の父親ということもあってか、いささかの緊張があった。
会うのが楽しみだというのは本当なのだが、いきなり二人きりとなると話は別である。
「芳川さん、今の内に改めて……お礼を言わせて欲しいんだ」
「お礼、ですか?」
「家内がお世話になってるだろう? あの人は、あの年で中々にお茶目な人だから。なにか苦労をかけたりしていないかい?」
「いえ、そんな。楽しくお話しさせていただいていますよ」
「それならよかった」
話の切り出しは、花菜の母親の話題であった。
響は現在もメッセージでやり取りを続けている。
花菜を撮影した写真を響が送り、その見返りとして花菜の昔の写真を返信されるという間柄である。
もちろん、響が知らない過去の花菜の話で盛り上がったりもしていた。
花菜は恥ずかしい話を本日しないで欲しいと言っていたが、既にその話題はメッセージで親と繋がった瞬間から始まっていたのである。
響は既に花菜が何歳までおねしょをしていたか知っている。
自分の知らない花菜のことを知るのは、もちろん嬉しかった。
これを花菜に伝えてしまうと止められそうなので、現在花菜の母親と結託して黙している。
「あとは、花菜ちゃんが居ない内に」
「花菜さんが?」
「あの子を救ってくれてありがとう」
「そんな……」
花菜の父親が、花菜に関して感謝を告げてきた。
それも、響に対して救うなどと大そうな内容である。
響は花菜が自身のことを両親にどこまで詳しく話したかまでは聞いていない。
だが本人が居ない内にということは、響は花菜が話していない内容なのかもしれないと考えていた。
「花菜ちゃんは、昔も強い子だった。だけど、今はもっと強い子になった。でも、それは親から見てて少し危なかったしかったんだ……」
引っ込み思案だった花菜は、決して弱い子供ではなかった。
響に誘われて遊ぶ際も、物怖じはしなかった。
父親がもっと強い子になったと言っているのは、響と別れてから強くなろうとしてからのことなのだろう。
確かに、昔の花菜が今の花菜へ移り変わっていく様は親から見たらハラハラしたかもしれない。
「特に高校に入ってからは、顕著だった気がするなぁ。時々、思い詰めたような顔をしていて……。本人も気付いてなかったろうね」
だが強くなっていく花菜はそれ以上に、高校になって響を見てから際立ったものがあったのだろう。
それは、夢幻が現実となって目の前に現れたようなものなのだから。
「それっ…は……。私は花菜さんのことを気付いてなかったからで……」
花菜は決して響に対して話さないが、あるのだ。
響を隠れて想っていた高校での一年以上の期間が。
「こういうのものは巡り合わせだよ。それでも、芳川さんは気付いてくれたんだから。だから、感謝を伝えたかったんだ」
「それこそ、私にはもったいないです……。ですが、であるのだったら……。そんなになるまで私を待ってくれていた花菜さんに、応えられる私でいたいと思います……」
「ありがとう。それを聞けて、僕も安心だよ。でも、そんなに重く考えないでね。これは二人が幸せでいて欲しいってお話なんだ。別に芳川さんに無茶をさせたいわけじゃないんだからね?」
花菜の父親は言葉通り、二人に幸せになって欲しいのだろうことが分かる。
響は、もちろん待っていてくれた花菜を自分でも宣言した通り、周りの誰からも幸せを祝福されるような存在にしてあげたかった。
そして今、最も身近に花菜のことを見守ってきた人物に、とても頼りがいを感じていた。
「でも……こんなこと言ってたなんて、花菜ちゃんには内緒だよ? 花菜ちゃん、自分では僕達には隠せてるって思ってるから」
「それは……分かりました……」
悪戯っ子のように笑う花菜の父親に対して、響も釣られて笑いが零れた。
やはり、花菜は父親には詳しくは話していなかったのだろう。
響はこの人が本当に娘のことを愛して、娘に向き合って、娘の幸せを願っているのが分かった。
よい父親なのが、この短時間で痛い程伝わった。
「あっ、もちろん内緒話してたのは奥さんにも内密にね……。怒られちゃう……」
「あっ、はい……」
そして、お茶目なのが花菜の母親だけではなく父親もそうなのだということが段々と分かってきた。
響が花菜の父親の発言に笑いを零していると、キッチンの扉が開いて花菜達がやってくる。
二人のお盆の上には、アイスティーとお菓子が載っていた。
「お父さん、響ちゃんお待たせぇ」
「花菜ちゃん、お母さん、ありがとう」
花菜の父親がなにごとも無かったかのように、平然として家族を迎え入れた。
「お父さん、なに話してたの?」
花菜がお盆をローテーブルに置きながら、いない間のできごとを自らの父親に尋ねてきた。
会話の内容が気になったのはもちろんのこと、自分の恥ずかしい話をされていないのか気になったのだろう。
「他愛ない世間話だよ。花菜ちゃんとお母さんが居ないところで話し込んじゃうと、後で怒られそうだしね」
「そんな狭量じゃないよぉ……。いやでも、お母さんは怒るね」
「だろう?」
「お父さん? 花菜ちゃん? でも、確かに……。私も芳川さんとお話したかったのに! ってなるわね」
「ほらね」
そんな話をしながら相原家の三人が、顔を合わせて笑い合っていた。
響は冷え切った家族を長年続けていたせいか、それが少し眩しく見えた。
「だから、芳川さん! お話しましょ!」
「はい、喜んで」
花菜の母親は、響の横に腰かけながらキラキラした瞳で響を捉えてきた。
「その前に一つお願いいいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
「芳川さんのこと、響さんってお呼びしてもいい?」
「それはもう、全然構いませんよ。むしろ、嬉しいぐらいです」
響としても名前で呼んでもらった方が、花菜の母親と距離が縮まったような感じがして喜ばしかった。
「私のことは、お母さんって呼んでくれてもいいのよ?」
「えっ、それは……。よろしいんでしょうか?」
響的には、もう花菜との縁談を認められたような面持ちで聞き返した。
「もう既に、もう一人の娘の様に感じているもの! 是非呼んでちょうだい! むしろ、ママとかでもいいのよ!」
「ヤメてお母さん、それはどうかと思うよ!」
母親の暴走を一人娘が懸命に止めようとしている。
「どうしよう、花菜ちゃん……。僕も芳川さんに名前で呼んでいいか聞こうかと思ったんだけど……。僕が芳川さんからパパって呼ばれるのは、ちょっと世間的に許されないんじゃないかな……」
「唐突な犯罪臭⁉ どうしてそっちに行こうとするの! ヤメてよ! 私ですら呼んでないじゃん!」
花菜は幼少の頃からお父さんお母さん呼びらしいので、その反動かもしれない。
よしんばその反動が来ているとしても、今でなくともよいのではないだろうかという娘からの心の声無き悲鳴を響は聞いた気がした。
「お父様も、是非名前で呼んでください」
響はそんな親子のやり取りを笑いながらも、花菜の父親にも名前で呼んでくれるようお願いした。
「ありがとう、響さん」
「響さん! 嬉しいわ!」
「私も嬉しいです」
実の両親と溝があった響としては、これ程歓迎されてしまうとなにやらこそばゆいものがあった。
言われるがままに、もう一つの両親のような感覚を感じているのかもしれない。
実の親よりも早く仲よくなってしまって、これはこれでなにやら申し訳ないような気持ちもあるにはあるのだが。
「響さん、花菜ちゃんとは日頃どうして過ごしてるの?」
「普通に他愛ない話をしたり、勉強をしたりしていますよ。あとは、一緒に料理をしています。私は教えてもらっている立場ですが」
「花菜ちゃんは勉強教えてもらって成績上がってるじゃない。むしろ、こっちがありがたいぐらいよ」
「そうだね。家庭教師してもらってるみたいだね」
「そんな、大げさですよ。私が好きでやってることなので」
響の言葉に嘘はない。
花菜の学力を上げて、進路を自分の近しい場所に誘導しようとしているのは本当なのだから。
もちろん、花菜の将来を考えてのこともあったが。
「私は花菜さんの料理が本当に好きなので、花菜さんの方がよっぽど凄く感じます」
響としては花菜が教えてくれる料理や作ってくれる料理に比べれば、自分が花菜にしていることなど全然大したことがないと感じている。
響にとっては、勉強と運動しか取り得のない自分より花菜の方が余程凄いのだ。
「あら、花菜ちゃんったら。好きな人の胃袋は、ガッチリ掴んでるのね」
「花菜ちゃん、やり手だね」
「それに関しては、否定できないですね」
響は苦笑混じりに答えた。
「花菜ちゃんは家族の団欒は一緒にしてくれるんだけど、夜に食卓を囲む機会は減っちゃってね」
「響さんに取られちゃって」
「えっ、あっ……申し訳ないです……」
花菜は大体響の家で食べていくことが多いので、相原家で夜の食卓を囲む機会が減っているだろう。
それでも団欒の機会を持とうとしている辺り、花菜が家族を大切にしているのが伺えた。
「だから響さん、今日は一緒に食べていきましょう!」
「時間が大丈夫なら、ご一緒したいな」
「ありがたいお話です。是非お願いします」
響は家族で食卓を囲んだ記憶はあるが、会話をした記憶が既に曖昧になっていた。
学校で昼食を取る際に学食で相席して、当たり障りない会話をすることはあるが程度は知れている。
その点、花菜と囲む食卓は楽しい。
他愛ない話に花を咲かせることもあれば、とにかく美味しいと感謝を伝え始めたりするし、自分が作った料理が花菜の物に敵わないと嘆いたりしていた。
そして、ただ黙々と口数少なく美味しい料理に舌鼓を打つのも幸せだった。
そも勉強をする間柄である花菜との空間は、沈黙が苦にならないのだ。
それに花菜は響が美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるなど言っているが、花菜も美味しそうに食べるので響も大好きなのだった。
「響さんは、好きな食べ物とかある? 好き嫌いとか、アレルギーとかってあったりするのかしら?」
「家が和食中心だったので、基本そういった物が好きなのですが……。こちらに引っ越してからは、洋食も新鮮で大好きですね。好き嫌いやアレルギーなどは特にありません」
花菜にも聞かれたことだが、響は基本的に和食育ちなので故郷の味ということで贔屓している部分はある。
家族仲は冷えていても、体は覚えているものなのだなと響は口には出さなかったものの密かに思っていた。
これも今度母親に会ったのなら、キチンとありがとうを伝えたいと思っている一つだった。
「あら。薫お姉ちゃんって、あんまり洋食作らないのね。そんなイメージないのに」
「えっ、あの……はい……。父が和食が好きなのか……」
響は唐突に、話してもいない実母の名前を出されて動揺してしまう。
「なるほど、京也お兄ちゃんの好みなのね」
「は、はい……」
今度は実父の名前が出てきて、更に戸惑いが増す。
そこで、ハタとなる。
花菜が自分の母親と響の両親が知り合いでないかと推測していたことを。
心構えはある程度あったはずだが、唐突過ぎたためか思考に空白が生まれた。
「あの……お母様は、私の両親とお知り合いで……?」
「ええ、結婚式に呼ばれる程度には」
「思ってたより近しいですね……?」
結婚式に呼ばれる程度とは聞いていない。
少し歳が離れているので、そこまで親密ではないと思っていたのだ。
「私には兄がいるんだけど、響さんのお父さんとそこそこ仲がよかったから」
「それでなんですね……」
そういえば、花菜には叔父がいたのだということを思い出す。
兄に当たる人が居るのなら、交流があってもおかしくはなかった。
それに言われてみると、姉の都は中学に上がっても結構年下の面倒まで見ていたように思う。
村なので、交流の幅が狭いのだろう。
「私達の結婚式にも呼んだんだけど、そのときは都合が悪くて欠席だったのよね……」
「それは、残念ですね……」
そこで交流があれば花菜との連絡先が途絶えることがなかったのではないかと考えたが、詮無い話であった。
「我が家の結婚式は、こちらで執り行ったからね」
「そうよね、遠方だと難しいこともあるわよね。あんな僻地」
「こら、お母さん。生まれ故郷じゃないか……」
「だって、あんな片田舎どころじゃない村……。兄さんが母さんを引き取ったのだって、お隣さんまでちょっと遠すぎる土地に一人にさせておくのは流石にそろそろ心配って理由だし……。響さんだって、ド田舎だって思うわよね⁉」
響としては、思いの外直球が来たぞという気持ちである。
失礼かと思って零さないようにしていた言葉が、向こうからストレートにやってきた。
「いえ、そんな……。田園風景長閑な……よいところだと……」
「建前なんていいのよ!」
「はい……。ド田舎だと……思っています……」
「ほらぁ!」
「ほとんど言わせてるじゃないか……」
響は白状させられる形にはなったが、傍から見ていると強引に言わされたようにしか見えない。
「いえ、本当に……。小さい頃に住んでいるときは、あそこが世界の全てでしたが……。少し遠出すると、世界が全く違うことに幼いながらに気付いたりもして……。どうしようもないところに住んでいるという自覚はありました……」
「分かる、分かるわぁ!」
「こっちに来て文明に触れてからは、どうして今もあの田舎が存在できているのか不思議でならなくなって……」
「凄い! シンパシーしかない!」
花菜の母親は、同じ道を辿ったのか響の言葉に大興奮であった。
同様に田舎から出てきた人間は居ただろうが、自分と同レベルとなると見かけることはないのかもしれない。
同士を見付けて、興奮冷めやらぬ面持ちが見受けられた。
「駆け回った野山が嫌いな訳ではないのですが……」
「そうよね、私も楽しかったわ」
響と花菜の母親は二人して、望郷の想いに浸っているようである。
悪くは言っているが、掛け替えのない思い出が多すぎるのだろう。
響にとっては、花菜と遊んだ大事な土地でもある。
「響さんは、小さい頃は元気な子だったのよね。花菜ちゃんから聞いてるわ。それに夏休みなんて、花菜ちゃんほとんど外に出ない子だったのに一緒に遊んでもらって真っ黒になって」
「そうですね。少しやんちゃだったというか……。お恥ずかしい限りです」
小さい頃のことを花菜の両親には知られているので、響が小さい頃に花菜を外に連れ回して遊んだことは筒抜けなのだろう。
花菜の母方である村雲家はお盆には家を空けていたので、その際には相原の両親も花菜を目にしていたはずである。
どちらかと言えばインドアで色白だった花菜が、一夏もかからずに真っ黒で元気なアウトドアな子供になっていたら驚きであっただろう。
「子供なんて元気なのが一番なんだから。花菜ちゃんが、急にお外でたくさん遊ぶようになったって聞いたときはなにがあったのかって思ったけれど。好きな子ができたからだったものねぇ」
「そうだね。あの頃には、響さんのお嫁さんになるって僕達に嬉しそうに報告してきてくれたからね」
幼い頃の花菜のことを思い出して、響の顔も綻んだ。
あの頃二人で遊んだことは、今でも響の中では掛け替えのない思い出である。
「その気持ちが、今も変わらずいてくれているのは……本当に嬉しいです……。私もその頃、花菜さんのお嫁さんになりたかったので……」
響は直ぐに花菜に気付くことはできなかった。
だが、この頃に花菜と添い遂げたいと子供心に思っていたのは真実なのだ。
「その頃から両想いなのね! 響さん、花菜ちゃんのこと大好きじゃない!」
「はい……。今でも許されるなら、直ぐにでも結婚したいぐらい大好きです……」
「ん? お母さん、これってあれかな? お前に娘はやらん! って言うタイミングかな?」
響のストレートな言葉を受けて、花菜の父親が素っ頓狂なことを言い始める。
どうやら、頑固親父のような真似をしてみたいようだった。
「お父さん、そういうイベント大好きだものね。私の両親に結婚の許可貰いに行って快諾されたときも、ホッとするより少し残念そうな顔してたもの」
相原家にとってはこういうお決まりごとはイベントのようで、花菜の母親も納得の構えである。
それでも結婚を申し込む際の先方の両親の快諾より、断られる決まり文句に対してのワクワクが勝るのはどうかと普通は考えられるのだが。
「でも二人のことは祝福したいし、響さんはもう既にもう一人の娘みたいに思ってるんだよね……。難しいなぁ……」
「今度正装して、再度お邪魔しましょうか……?」
迷う基準がいささかおかしいように思うのだが、響が折衷案を提示する。
「ああ、なるほど。客間の床の間を使って?」
「なんだか、それっぽいわね」
「じゃあ、機会があったらやってみようか!」
話は纏まり三人は未来の寸劇を思い描いて、笑い合っていた。
花菜が言っていた、独特の感性があるというのはこれかと響は納得する。
確かに事前に心構えがなかったら、響も困惑していたかもしれない。
いや、心構えがあったら大丈夫なものなのだろうか。
響もおかしい側なのかもしれなかった。
いや、いつもなら止める者が一人居るはずである。
そのとき、響はハッとした。
花菜が今まで、一切発言をしていないのだ。
響は、沈黙を守る花菜の方へと視線を向けた。
現在の花菜は、明後日の方向を向いてお菓子を頬張っていた。
美味しそうに食べており、にこやかである。
それをアイスティーで流し込むと、一層笑顔が増した。
(明らかに現実逃避してる!)
最初は恋人と両親の楽しそうな様に割って入るのも悪いかといった感じだったのかもしれない。
だが段々と気恥ずかしさが勝って、現在の様相にシフトしたのだと考えられる。
自身の母親が響と結託したら、もう止めるのは無理なのだと悟りを開いてしまったのだろうか。
いいですよね、その家の個性って。




