89 久しぶりの調理部と愉快な部員達
花菜が職員室に家庭科準備室の鍵を借りに行くと、既に貸し出し中であった。
この際に顧問の教諭も一緒に来てもらう予定だったのだが、その姿も無かった。
他の部員が既に向かっているのだろうことが伺える。
花菜はその足で特別教室の並ぶ家庭科室へと向かった。
まだ昼食が終わってない生徒も多いので、特別教室を使った部活動をする生徒の姿も見受けられない。
閑散とした廊下の中、花菜は家庭科室の扉を開ける。
すると、中では調理の用意をしている同級生部員の姿を目に留めることができた。
「香澄さん、お久しぶりぃ」
「ああ~。相原さんだ~。お久しぶり~」
調理部で唯一の同級生の部員である久保香澄であった。
少しふくよかな体型に、おっとりした喋り方が特徴で人柄もよく、花菜と共に部員からは好かれていた。
花菜も、お喋りしているとゆったりとした雰囲気に癒されるので、香澄のことを友人として好いている。
ただし、おっとりした雰囲気とは打って変わって料理の手際は非常によい。
小料理屋の娘らしく、将来はそこを継ぐのが夢らしい。
花菜は、高校生で具体的な夢を持てるような生活は送れていない。
その点は尊敬していた。
「今日はよろしくねぇ」
「うん。こちらこそ~」
挨拶を交わすと、花菜もいそいそと用意にかかった。
本日、昼食会に参加する調理部の面々は四名となっている。
一人は遅れてくると花菜は聞いており、先に調理を始めてしまう予定である。
監督である教諭は既に来ているはずなのだが、準備室で既に一人昼食を食べているのかもしれない。
「先輩はまだなんだね」
「先輩。適当だからね~」
残る参加者は二名いる先輩になるのだが、片方の先輩が用事がある。
もう片方の先輩は、気分屋であった。
やたら来るのが早い日もあれば、遅い日もあるのだ。
「でも、久しぶり。相原さんのお料理ご相伴に預かれちゃうの~。嬉しいな~」
「ええっ、それはこっちのセリフだよぉ。香澄さんのお料理の方が美味しいよぉ」
「そんなことないよ~。相原さん。本当にお料理上手で美味しい~」
「えへへ、ありがとう」
「こちらこそ。ありがと~」
お互いの料理を称え合うほんわかした会話をしているが、調理の準備はテキパキと進んでいた。
「相原さん。本当に卒業して免許取ったら、ウチのお店手伝いに来てよ~」
「ええっ、そんな。私には荷が勝ちすぎてるよぉ」
花菜は香澄から、数度ほど自店舗の店員へのスカウトを受けている。
だが花菜からしたら、これも友人に向けてのリップサービスだろうと思っていた。
花菜の料理の腕など、家庭料理の域を出ないのだからと考えているのだ。
それに具体的に資格関連の進路なども、まだ決定できていなかった。
「そんなことないよ~。相原さんならできるよ~。それに相原さんが来てくれれば、ずっと一緒にいられるし~」
「ずっとかは分からないけど、もっと一緒にいられたらいいとは思うなぁ。香澄さんと知り合ってから、もう一年だねぇ。先輩達とも、もう少しでお別れかぁ」
花菜としては、香澄からの一緒にいたいというお誘いは嬉しかった。
響のお陰で、女性に対するスタンスが落ち着いたのもあるのかもしれない。
もう少し、花菜の中で友人関係も踏み込んだ仲になってもよいではないかという気持ちも芽生え始めている。
ただし、それも響が嫉妬しない範疇ではあるのだが。
相原花菜は、全てにおいて芳川響が優先される。
「ちゃっすーっ! やってるかー! みんなー!」
そんな話をしながら調理をしていると、家庭科室の扉が勢いよく開いた。
噂をしていた、適当な先輩である。
「先輩。お疲れ様です~。補講の説明かなにかで遅れたんですか~?」
「先輩、お疲れ様です。夏休みはきちんと休めますか? 部活の出席大丈夫ですか?」
先輩の登場と共に、後輩からは容赦の無い辛辣な本音が飛び交った。
「おいおいおいおい! 少しは……労わったあとか……。もうちょっとオブラートに包めよ後輩共!」
三年生は受験で忙しい夏休みになるはずである。
そして、この先輩は成績が若干であるが芳しくない。
後輩からの包み隠さない叱咤激励に対して、手心を加えるよう要望があった。
あの花菜と、おっとりとした香澄をもってこの言い様は尋常ではない。
「先輩、頑張ってくださいね……」
「青春って言うのは、心の持ち方らしいですから~」
「調理部は私の憩いの場なわけ。そういうのなしでお願いできるかな? 実際面談も辛かったし、今持ってる通知表持って帰んのも辛いからさぁ」
どうやら先輩の先行きは不安でいっぱいらしい。
先輩はそう言うと、調理の仕度をするでもなし適当な椅子に腰かけた。
「先輩? 先輩が調理する分残してますよ?」
「えっ? 花菜ちゃんと香澄っちがいるのに、私とか要るわけ?」
花菜が呼びかけると、先輩は心底不思議といった風な顔をした。
どうやら口にした言葉は本当で、後輩が作ったお昼だけをいただきに来たようである。
先輩が買ってきた分の食材は冷蔵庫に入っており、しっかり献立に反映されている。
「先輩もお料理上手なんですから! 私達後輩に、お手本見せてくださいよぉ!」
「そうですよ~」
「私はどちらかというと、お菓子メインな気がするが? 普通の料理なら、二人のが上手くない?」
先輩は菓子店の子供で、親から教えて貰っているのか自主的なのかお菓子作りが非常に上手い。
凝ったお菓子などを作らせたら、調理部でも右に出るものはいなかった。
他校と合同でお菓子を作ったりするイベントの際は、先輩がメインで花菜は手伝いに回っていた。
その際の花菜の手際や日頃のお菓子作りが先輩から褒められているのは、素直に嬉しかったりしている。
「そんなことありませんよ。私、先輩のお料理食べたいですよぉ」
「そうですよ~」
だがそういった先輩に対する憧憬は、今は別である。
先輩を動かすことが先決であった。
後輩二名からのおねだり攻撃が飛ぶ。
「えーっ。二人にそこまで言われたら、しゃーないなぁ……。お手伝いしちゃいますか」
「やったぁ」
「やった~」
先輩はノリがいい人なのか、座っていた腰を上げて調理の用意を開始し始めてくれた。
それを見て、喜ぶ後輩二名。
「かわいい後輩二人に頼まれちゃねぇ。特に花菜ちゃんなんか、久しぶりだしもんね。特にかわいく見えるわ」
「先輩。相原さんは、いつでもかわいいですよ~」
「そっか、そだよな。花菜ちゃんは、いつでも超かわいいんよな……」
「二人とも、褒めてもなにも出ませんよ?」
調理部でも、この二人は特に花菜のことをかわいいと褒めてくる。
花菜はおだててもなにも出ないのになぁと思いながら、嬉し恥ずかしい気持ちを流すのだった。
「本心よ? だから、花菜ちゃん将来ウチで働かん? こんなかわいい店員さんいたら、私毎日テンション爆上がりなんよ!」
「はいはい、考えておきますから。お世辞でも嬉しいですよ」
先輩は香澄と同様に、花菜に自店舗での就職を促してくる。
花菜はお菓子に関しても素人の域を出ないと感じているので、リップサービスなのだろうと考えている。
「なんでそんななおざりなん⁉ 私は本気なんよ⁉ 花菜ちゃんさえウチの従業員にできれば、ずっと一緒じゃん……フヒッ……」
「先輩。ずるいですよ~。今日は、私の方が先に勧誘してたんですから~」
「香澄っち、それは抜け駆けっつーんだよ」
「でも~。相原さん、かわいいから~」
「それは、そう」
花菜は、そんなことを言い合う二人を口が上手だなぁと思いながら眺めていた。
ずっと一緒に居たいと言ってくれる二人の気持ちは嬉しかったのだ。
「相原さん。私の方がいいよね~?」
「なにを! 私の方が先輩だぞ! 敬え! そして、花菜ちゃんを譲れぇ!」
「一年先に生まれたからって~。相原さんの一生を左右しないでくださ~い」
花菜からしたら単なる軽い口喧嘩のようなコミュニケーションのはずなのだが、確かにおっしゃる通りだと思わず感じてしまった。
「まぁ、確かに」
先輩も思わず納得していた。
恐らくなにも考えずに口にしているのだろう。
花菜は、その切り替えの早さは美徳であると感じていた。
「でも香澄っちは学年も一緒で、私より一年も長く花菜ちゃんと一緒に部活できるだろうが! ズルい! ほんっとにズルいんよ!」
「それは、一年早く生まれた先輩を呪ってくださいよ~」
花菜は先輩と同級生のやり取りを温かな眼差しで見守る。
調理部の皆は花菜に優しくしてくれる。
人との深い交流を避けていた花菜ではあったが、この面々とはそれなりに付き合いがあるのだ。
よい先輩と同級生、ここにはいないが後輩を持てて花菜は幸せだと感じている。
「相原さんはウチに来るのが幸せなんですよ~」
「いーや、ウチっしょ!」
「親にもいい人が居るって話は通してあるんですよ~。凄く丁寧で。手先が器用で。お料理が上手な人がいる上に、とってもかわいいって。ウチの看板娘にしちゃおうって」
「私だって、それぐらいのことはやってっし! 調理部で私がお菓子作り込むってなったときとか手伝ってもらってるとか。繊細で、凄くいい仕事するし、おっぱいでかくて超かわいい子がいるって! 」
段々二人の褒め殺しが加速してきていた。
(あれあれ? 親御さんまで話が行ってるんだ……。思いの外、真剣な話なのかな?)
花菜は黙っておすまししていたが、なにやら自分に関わる話題が重い方向に転換しているような気がしてきていた。
普段なら他の誰かが、こういった暴走を止めてくれるのだが。
こういった調理部で少人数での昼食会自体が稀なこともあるし、花菜を含んだこの面子になることもそう無い。
なので、これ程白熱した花菜取り合戦を耳にしたのは初めてだった。
花菜は数度の似たような勧誘は両名、いや他の部員からも受けたことはある。
だが、ここまで話が進んでいるのは聞いたことがなかった。
花菜はこのときになって初めて、同級生と先輩からのオファーがそれなりに現実味を帯びたものであることを知った。
(みんなが、かわいいって言ってくれるのは照れくさくても嬉しけど……。でも、紹介されるに当たって調理の内容とかわいいって関係あるのかな?)
先程から花菜を挟んで両名とも、花菜のことをかわいいと言っている。
花菜は身内などからかわいいと言われることは、ままある。
親馬鹿な両親を筆頭に、相原では初孫なこともあってかわいがられた。
それに母方の親族も、花菜にはなぜか甘い。
だが、それ以外であれば調理部ぐらいであった。
(お客様相手の職業だし、愛嬌とかは必要ってことかな……?)
花菜なりに、先輩と同級生の言うところのかわいいを分析する。
二人は家の手伝いなどもしているらしい。
その上で、なるほど愛嬌なども必要だということが身に染みて分かっているのだろうかと花菜は考える。
花菜はアルバイトなどもしたことがないので、社会の荒波を経験していない。
その点二人は、花菜の知らない知識を持った先輩なのだろう。
花菜は言い争いながらも器用に手を動かす二人を眺めながら、自分も調理を進めるのだった。
言い争いは和気あいあいとした範疇ではあったが、昼食会まで続いた。
合流したもう一人の先輩は、二人の言い争いに巻き込まれてげんなりした表情になっていたのだが。
それも花菜にとっては、楽しい調理部の思い出だった。
花菜はこういった気持ちを響にも体験して欲しいと思っている。
響は今まで、友人関係以前に人付き合いが希薄であったのだ。
こういった経験をするのは素の自分を取り戻したい響の望むところであり、交友関係が広がるのはよいことだろうと考えていた。
それと同時に、自分だけの響でいて欲しいという二律背反の心があった。
響に友達なんて要らない、ずっと自分を見ていて欲しい。
二人きりがいい。
そして、響が広い交友関係を手に入れたら自分を置いてどこかに行ってしまうのではないかという不安。
どちらの心も、相原花菜だった。
少しずつネームドキャラが増えていくかもしれません。
あと、この二人は花菜ちゃんと相原さんって呼ぶな(表記揺れN敗)




