86 第二の選択肢であるお風呂とその行方
「その……大変申し訳なく……」
響の推理ショーの後、直ぐに正気に戻った花菜は響に対して平謝りしていた。
響が残念そうな顔をしていたものだから、慌てて頭を下げる。
「いや、花菜は悪くないよ。私の悪ふざけが過ぎたかな」
響はそう言ってくれるが、花菜としては今までセーブできていたキャパシティ問題を暴発させてしまって、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。
なんとか自身の欲望を振り払うことで、花菜はこういった事態を避けてきた。
だが、今日は事前に響の香りに一人で包まれてしまったのも悪かった。
そして、響がいつもにも増して大胆だったのだ。
花菜は響に求められるのは決して嫌ではない。
むしろ、嬉しい。
それに応えられない自分が情けなかった。
「ごめんね、響ちゃん……」
恋人の残念そうな顔を見ていると、なんとかしてあげたい。
だが、今の花菜にそれをどうにかできるだけの甲斐性はなかった。
そんなものがあったら、そもそもこんなことになってはいないのだから。
「だからいいって。花菜が気に病む必要はないよ。ただ……」
「ただ……?」
花菜は響から告げられるであろう、次の一言に戦々恐々とした。
こんな自分は呆れられているに違いないのだからという思いが先行している。
「私の部屋で匂いを堪能するときは、花菜の匂いもマーキングしてくれないかな。それだとウィンウィンで私も嬉しいからさ」
「なにを言っているのかな、響ちゃん。私、分からない」
「こら、小首を傾げてかわいい顔しないの。襲いたくなっちゃうでしょ。恋人に隠しごとはなしだよ」
花菜は先程までの申し訳なさそうな顔はどこへ行ったのか、今はつぶらな瞳で響を見上げるようにして自分は害意の無い人間アピールをしている。
だが、内心は冷や汗がだらだらと流れ出していた。
「ねぇ、花菜。今なら初犯だから直ぐに自供すれば追い打ちはかからないよ?」
「追い打ちってなに⁉」
「具体的には、私のベッドに花菜を放り込むよ」
「私がやりました! 家主が居ないのをいいことに、黙って響ちゃんのベッドの匂いを嗅ぎました! ごめんなさいでした!」
響が荒業で花菜を追い詰め、事件をあっという間に解決してしまった。
花菜ができることは、非を認めて響曰くの追い打ちから逃れることだけだった。
現状ただでさえ、花菜の許容量がパンクしているのである。
響のベッドに放り込まれでもしたら、気がおかしくなってしまうであろう。
「どうしてバレたのぉ……?」
花菜は自身の痕跡を極力残していないはずである。
響の言うように、自身の残り香が移らないよう細心の注意を払ったのだ。
それが響にバレたのが不思議でならなかった。
「花菜は普通、あれぐらいだとキャパオーバーにならないんだよ。だから、これは事前になにかあったなと……」
「なるほどぉ」
「それに掛け布団、きっちりと戻し過ぎだよ」
「ああ……。響ちゃんは、名探偵さんだぁ……」
花菜は響の名推理に感心しきりだった。
「えっ、私のキャパシティって測られてるの⁉」
心の中で反芻したのか、花菜が響の言っていることがおかしいことに気付く。
いや、二人ともおかしいことしか言ってはいないのだが。
「もちろんだよ。段々慣れてもらって、もっと過激なことしたいもの」
「かっ、過激なこと⁉」
「内容を口に出した方がいい?」
「きょ、今日のところは遠慮しておこうかなぁ……って」
「そっかぁ」
花菜の少し引き気味の反応に、響は特段気にした風もなくいつもの笑顔であった。
花菜としては、それが返って恐ろしくもあったのだが。
だが、過激な内容に興味がないかと言われれば嘘があったかもしれない。
「参考までに聞いておきたいんだけど……」
「なに?」
「響ちゃんって、私とその……そういうこと……したい気持ちってどれぐらいあるのかなって……」
「ああ、性欲ってこと?」
「濁したよぉ! 私、濁したぁ!」
花菜は恐る恐るといった風に響に対して、性的欲求に関する質問を投げかける。
本人は花菜に対してなのか、本来の素の響がこうなのかは分からないがオープンに返してきた。
以前から響があまりに花菜を求めるものだから、気にはなっていたのだ。
母親から響との関係を迫られた際にも考えてしまったことである。
「まぁ、前まで人並未満だったね。授業で習ってもピンと来なかったし、恋愛とかにも興味なかったからね。淡白な方だなって自覚があったよ」
響は花菜と出会う……正確には再会するまで、そもそも人に対する関わりと感情が希薄であったと聞いている。
恋愛感情などは、皆無に等しかったようだった。
「でも、花菜を好きって気付いてからは一変したね!」
「そんなに……?」
「比較対象がいないから分からないけど、とりあえず今までとは比べ物にならないよ!」
「そ、そうなんだぁ……」
「うん!」
響は響で、そういったものが愛情の強さになると思っているのだろう。
なんの惜しげもなく胸を張って言い切った。
花菜は尋ねたのは自分ではあるものの、恋人に面と向かって欲求の強さを示されて困惑してしまった。
以前より待たせていると思っていたが、これだけ求められているということは現状も花菜のOK待ちということになるのだろう。
「なんか……お待たせしてるようで、ごめんね……」
「いや、いいよ。花菜なりのペースで。本当にその内、花菜が我慢できなくなるだろうし。それに私が花菜とそういうことしたい欲望が強いって言っても、花菜に比べれば……」
「だから、なんなの⁉ みんなの私に対する、その確信じみた信頼⁉ 私なんて、いたいけな一般人だよ!」
「またまたぁ、ご謙遜を」
花菜は反論するのだが、一笑のもとに伏された。
どれだけ論じようと、周りが花菜を許してはくれなかった。
花菜が知らぬ間に犯した罪は、どうやら相当に重いらしい。
本日家主が居ない部屋でベッド諸々の匂いを嗅ぐという前科が積み重なったのだが、花菜の中では無罪放免ということになっている。
「私の場合、元々女性という選択肢が無かったのもいけないよね」
「なるほどぉ」
響も本来嗜好が女性だったのか、花菜に依って女性になったのかは今となっては分からない。
だが、花菜と共にあのまま成長していっていたら変わっていたであろう。
「あのまま、はなちゃんと一緒に育っていればなぁ」
響が、あり得なかった過去に思いを馳せている。
花菜も、あのまま響と交流が持てていれば人生が変わっていたであろう。
「絶対にいつか襲って、押し倒してたのになぁ……」
「おそっ……えっ……?」
なにやら綺麗な思い出からの空想未来地図のはずが、雲行きが怪しくなってきた。
「そうそう、あの日言ったことはまだ有効だからね」
「あの日?」
「私を欲望の捌け口みたいに使ってくれても構わないって言ったことだよ」
「あのことぉ……。そんなことしないよぉ……」
あのときの響は確実に正気ではなかったと思うのだが、言っていたことは本心であったのだろう。
花菜への告白前、暴走していた響が口にした言葉であった。
「花菜は優しいね……」
「普通のことだよぉ!」
だが、ここで花菜はハタと気付く。
響がトロンとしたような瞳で花菜に対して、期待したような眼差しを向けてくることに。
「響ちゃんは、やっぱり私に酷いことされたいの……?」
「うん……」
響は花菜の質問に対して、素直に首肯する。
恋人同士に隠しごとは無し、という約束を律儀に守っているのかもしれない。
以前も言っていたが、響は花菜に対して少なからず被虐願望がある。
花菜も、先程と同様に恋人の願望は極力叶えてあげたい気持ちは強いのだが。
「コッ、コメントは控えさせていただきます……」
「ええーっ……」
だが、これに関しては頑張れるかどうか未知数であった。
響は花菜ならできると信じている節がある。
だからこそ言ってきているであろうが、花菜にはその根拠が分からなかった。
「響ちゃん……。落ち着いて、取りあえずご飯を食べよう。私って選択肢がダメだったし、ご飯にしよう!」
自分からも振っておいてなんだが、花菜はこれ以上怪しい空気になるのを防ごうと作ってあった夕食の提案を行う。
「えっ、それならお風呂って選択肢があるってこと⁉ じゃあ私、花菜とお風呂がいい!」
「ええっ⁉ あれって、別に二人でお風呂って選択肢じゃなくない?」
「ああっ! そうかぁ! 花菜とのお風呂ってことで頭がいっぱいになってた! そんな罠だったなんて!」
「罠でもなんでもないよぉ……」
花菜という釣り餌を前に、響の思考力に致命的な欠陥をもたらしていた。
花菜の言う通り、特段二人でお風呂に入るという意味合いではない。
「じゃあ、それはそれとして一緒に入らない?」
「無理だよぉ! 私がダメになったのさっき見たでしょ⁉」
響は花菜がキャパシティオーバーになったのを先程見たばかりではないのだろうか。
なぜ追い打ちをかけようと言うのだろうか。
「ダメかぁ……。それじゃ、一緒にお風呂は今度のお泊りまで我慢だね」
「今度のお泊りには、私入らないとダメなの⁉」
響の中でなにか決定事項があるのか、次のお泊りで二人での入浴が決定していた。
花菜はなにも聞いていない。
もちろんだが、お泊りがあるのも聞いていない。
お付き合いがあるのだし、確かにあっておかしくもないとは思い直すのだが。
「そもそも、私って響ちゃんのお家に外泊許可されるのかな?」
「そこは、私が勝ち取ってみせるよ」
両親に一人暮らしなのが露呈しているのである。
そもそも外泊許可が下りるのか謎であった。
だが、響の中ではヴィクトリーロードが描かれているようだった。
むしろ、こうなった響を花菜は止められる気がしない。
「一人暮らし用のお風呂だから、二人で入るのは無理じゃないかな……」
「詰めれば入れるよ、むしろ狭いからこそいいんだって思うようになってきた」
花菜が理論で説得しようと試みるも、響は既に通った道らしい。
お馴染みになった謎理論で論破されてしまった。
響としては、密着するのがよいということを説明したいのだろうか。
だが、それは花菜にとってのっぴきならないことであった。
「楽しみだね」
「えっ、私の命日だよ?」
「花菜ってば大げさなんだから」
響はケラケラと笑っているが、花菜としては生き延びられる気がしなかった。
花菜は響にまともに肌を晒したことが無いし、響の肌をまともに見たことがないのである。
体育の際の更衣であっても、花菜は極力周りを見ない。
以前も自身で言っていた通り、申し訳なさが先立って居た堪れないのだ。
それが例え響であっても、視線を向けたりはしない。
むしろ響は間違いなくそういった対象なので、向けるのは猶更憚られた。
それが目の前にあって、しかも密着することになるとなれば花菜にとって尋常なことではないのだ。
「当日までに慣れればいいんだよ」
「あっ、結構本気のヤツだ!」
「当たり前じゃん」
花菜はただでさえ、響が共寝してこようとするのでお泊りは必死なのだ。
これがお風呂も一緒となると、生き残る道が閉ざされたに等しい。
それに慣れさせようとするということは、本日のような大胆なスキンシップが毎日やってくるということの宣言なのだろう。
「とりあえず、ご飯にしようか」
現状、相原花菜にできることは現実逃避だけであった。
花菜は、逃げるために夕食の提案をする。
「そうだね。いろいろ言ったけど、花菜のご飯の香りにさっきから結構耐えられなかったんだ……」
花菜は恋人が、自分のご飯を心待ちにしてくれているのが嬉しいなぁと心の中で考えていた。
考えるしかなかった。
花菜は響と一緒に夕飯を食べられることが、本当に幸せで……。
今、世界で一番幸せなのは自分なのだと言い聞かせた。
大丈夫です。
なにがとは言いません、書きますよ。




