82 家族会議ってこんなのだっけ?
花菜は響と都、そしてビデオ通話の凪乃を加えた話し合いが終わってからの帰り道、一人日が暮れた夜道を自宅まで歩いていた。
響との時間が永遠に続けばいいと思ったが、そうはいかなかった。
時間は残酷で、花菜は帰宅を余儀なくさせられていた。
途中まで都と一緒だったのだが、自宅前まで送ってもらうのは悪いと途中で別れた。
まだまだ日中の暑さを思い起こさせるものの、陽光がなくなってから少しはそれも和らいでいた。
ただしそれでも、歩いていると少し汗ばむのを感じた。
肩口辺りで揃えられた髪の毛も、少し首筋に張り付いているのが分かる。
花菜は家に帰ったらお風呂に入ってサッパリしたいなどと考えていたが、それは無理そうだとも同時に思っていた。
響が母親に連絡したことによる家族会議が待っているのだ。
なので花菜はお風呂には入りたいものの、この帰路が終わらなければいいとも思った。
だが、否応なしに自宅の前に到着してしまう。
見慣れた門扉を重く感じながらも開けて、玄関へと向かって行く。
思えば、このひと月ほどは花菜の人生において密度の濃い期間だったと言える。
響に自分の人生観を上書きされ、家族へ自分の秘密を話すことになるなど思ってもみなかった。
そもそも響と高校で再会できたこと自体が奇跡であったのだ。
再会できて尚、果てるまで片思いし続けようとしたのが相原花菜たる所以だったのだが。
その響と紆余曲折を経て、現状付き合っているのは未だに信じられない部分ではある。
花菜はそんな響との濃密な思い出を振り返りながら、自宅の扉を開けた。
そして、玄関には笑顔の母親が立っていた。
メッセージでおおよその帰宅時間を知らせていたので、待っていたのだろう。
笑顔には威圧感があり、花菜は気圧されてしまう。
玄関口の段差もあってか、自分と同じ程度の身長である母親がいつにも増して大きく見えた。
「おかえりなさい、花菜ちゃん」
「ただいま、お母さん……」
花菜はいつもより淡泊な母親の帰宅の挨拶の声を聞いて、おずおずといった感じで自身も返した。
基本相原花菜はいい子である。
今回のように、家族から怒られるという境遇に身を置くことは滅多にない。
いざ、その母親を目の前にすると緊張度合が増してくる。
「お父さん帰って、待ってるわよ。リビング」
「ご飯はもう食べたの……?」
花菜が苦しい先延ばしの言い訳を口にする。
一秒でも審判のときが来なければいいと思っていた。
「もう食べ終わってるわ。準備万端よ」
「そうなんだぁ……。分かった……」
「手を洗って荷物を置いたらいらっしゃい。制服のままでいいわよ。そのままお風呂、入るでしょ?」
「うん……」
母親はそう言うと、リビングの方へと去っていった。
いつもより物静かな母親に、花菜はプレッシャーを感じる。
花菜は諸々を済ませてリビングへと向かうが、その足取りは重かった。
リビングからは両親の話し声が聞こえていたが、花菜の足音が聞こえたのかそれもピタリと止んだ。
「花菜ちゃん、おかえり」
「ただいま、お父さん」
リビングの扉を開くと、父親が笑顔で出迎えてくれた。
母親と並んで座っている。
父親はいつもの笑顔で、動向が読めなかった。
「花菜ちゃん、座って?」
「はい……」
母親が少し離れた席に、花菜が座るよう促してきた。
花菜は粛々と言われるがままに指定された席へと座る。
「さて花菜ちゃん、なんでこんなことになってるか分かる?」
母親が早速とばかりに家族会議の議題を切り出した。
「えっと、その……。お父さんとお母さんに、嘘を吐いていたからです……。ごめんなさい……」
花菜は正直に今回の議題の中心である事柄に関して理解を示し、謝罪する。
最初はバレるはずのない些細な嘘だったのだが、現在はそういう訳にはいかなくなってしまっている。
花菜と響が正式に恋人同士になってしまったためである。
現在、響が家族と暮らしているという嘘。
実際は一人暮らしなのである。
響が唐突に花菜の母親に対して報告していなくても、いずれ告げなければならないことであったろう。
なにせ、両親に認めてもらうということになったら親同士挨拶はすることになるのだろうから。
「そうよ」
「別にそんなに隠すようなことでもないんじゃないかな。どうして隠そうとしたの?」
父親の言う通り、花菜が最初から響が一人暮らしだと告げていれば話は早かった。
「その……私が女性が好きな上に、好きな人のところに行ってるのもあって……。凄くいけないことをしている気がしてしまって……。思わず……。でもその、響ちゃんとは最初からお付き合いしてたわけじゃなくて……! それにいつか、折を見てお話しようとは思ってたの……」
花菜は自身の言う通り、一人暮らしをしている好きな人の家に訪問するということがそこはかとなく悪いことのように思えていた。
仮初の恋人という微妙な立場が、邪魔してしまったのもあったのかもしれない。
正式な恋人にならずにそのまま終わっていれば、問題にはならなかったのだ。
なので現状花菜とて、いつまでも隠し通せる問題でないのは把握していた。
恋人としてバレたのなら、母親は嬉々としてご挨拶に行くであろうことは想像に難くなかった。
話そうとは思っていたのだが、現実では響からの唐突な暴露で伝わる形になってしまったのである。
「まぁ、花菜ちゃんの言いたいことは大体分かったよ」
必死に言葉を紡ぐ花菜に耳を傾けていた父親が、理解の意を示してくれる。
「お母さん、ここは花菜ちゃんも反省してるようだし。穏便に」
花菜はここで胸を撫で下ろす。
どうやら、父親は自分の味方のようだった。
「いえ、お父さん! これは複数の問題を孕んでいるのよ!」
「そうなのかい?」
だが、母親からのストップがかかり花菜の動悸は一気に跳ね上がる。
母親の瞳には剣呑な光が宿り、このままでは終わらないことを如実に表していた。
「花菜ちゃんは年頃の娘です!」
「そうだね」
「女の子同士だから忘れがちだけど、一人暮らしの恋人の家に頻繁に通っているのよ!」
「ああ、そうなるね。お母さんは、心配なんだね。それは確かにそうかもしれないね」
花菜も花も恥じらうお年頃である。
確かに恋人と二人きりの空間に送り出すのは、親として抵抗があって然るべきであろう。
父親も納得である。
「違うわよ! それなのに、押し倒してないし! 押し倒されてないって話らしいのよ!」
「ちょっと落ち着いてくれないかな、お母さん。花菜ちゃんの前だよ」
花菜の予想通り、母親はなぜか花菜の性交渉に関して前向き過ぎる発言を家族会議の議題にしてきた。
思わず父親が止めに入る。
「もっと言って、お父さん……」
その尊い行為に、花菜は思わずエールを送ってしまう。
「花菜ちゃんの前だからよ!」
「助けて、お父さん……」
「花菜ちゃん、お父さんも助けて欲しい」
父親の制止は空しく空を切った。
母親は堂々と年頃の娘に聞かせる気満々らしい。
花菜からの父親への救難信号は、あちらからもSOSが返ってきた。
「花菜ちゃん、芳川さんはどうなの? 花菜ちゃんとそういうことしたいっていう気持ちはないの?」
「えっ……あの……」
花菜は父親へ目線を向けて、助力を乞う。
父親もそれを察したのかハッとした顔になるが、その後苦い顔をして首肯した。
どうやら、行くしかないということらしい。
父親の経験則上、こうなった母親を止められた試しがないということなのだろう。
「…………。ありますぅ……」
たっぷり時間を置いた後、花菜はぼそりと囀るように言った。
むしろ、響はやる気満々なのだ。
花菜が待たせている形と言っても過言ではない。
「花菜ちゃんだってしたいでしょ⁉ やっちゃいなさい!」
「うわーん、お父さん!」
「うわーん、花菜ちゃん!」
「お父さんのお嫁さんでしょ! 連れ添ってきた仲!」
「花菜ちゃんは娘として、同性の家族じゃないか!」
花菜にはなぜ母親がこんなにも娘の性事情に前向きなのか理解はできなかった。
そして父親と娘による、暴走した母親の責任の所在の擦り付け合いが始まっていた。
「いい? 花菜ちゃん。次までの宿題よ?」
「ヤダよぉ……。こんな家族からの宿題……」
恋人との歩幅ぐらい、自分で決めさせてもらえないのだろうかと花菜は嘆いた。
だが、響がどの程度この件に関して前向きなのかは確かめようかという気にはなってきた。
最初はかなり前のめりだったので、それは今でも変わっていないのだろうかと。
「お母さん、これはいくらなんでもやりすぎなんじゃ……」
「これぐらいやった方がいいのよ! 花菜ちゃん、鈍感な部分があるんだから」
「それは……うぅん……」
「えっ、お父さんまで私を裏切るの⁉」
父親の裏切り以上に、自身が鈍感だと言われて納得されてしまっている方がショックである。
「いや、僕はいつだって花菜ちゃんの味方だよ!」
キッパリと言い切る父親だが、そこはかとなく説得力に欠ける。
なにか花菜自身が知り得ない、致命的に鈍感な部分が両親の目から見てあるのだろうか。
花菜のことを長らく検証してきた両親である。
もしかしたら違った方向から花菜のことを知っていてもおかしくはない。
「ねぇ、私ってお父さんとお母さんから見てどこか変なの……? その……女性が好きとかは除いて……」
花菜は試しに両親に対して、おずおずと自身のことを尋ねてみた。
「いや……そうだね……。特に変なところは無いんだよ?」
「変なところは無いわよ? ちょっと、いや結構エッチなところは除いて」
「そこはいいよ! なんでなの⁉ なんでそこまで思われてるの⁉」
母親からの妙な拘りのある裁定基準に花菜は憤りを見せる。
一体花菜は、なにをしてしまったのだろうか。
いくら本棚の中身が全部バレているとはいえ、花菜の性事情に関して少々過剰に見積もられてはいないだろうか。
「花菜ちゃん、あなた……自分の部屋見たことあるわよね?」
「? そりゃ毎日見てるよぉ」
花菜の部屋は狭く、姿見兼ドレッサーと勉強机にチェスト、本棚が置いてあるぐらいであった。
衣装クローゼットは備え付けの物を使っている。
ベッドの上には小学校から一緒のぬいぐるみが置いてある。
「高校に入って増えた物言ってごらんなさいな」
「えっ? えっとぉ……。制服に教科書と参考書と……本……? あと、服かな……? お母さんに買ってもらったメイク道具も増えてるよ。あ、あと写真立て増えた」
制服と教科書は増えて当たり前の物である。
相原家は高校でメイクが禁止されていようが、大学で必要になるからと母からの教授するために軽めのメイク道具一式は購入されていた。
写真立ては家族旅行で増えた写真を飾るためである。
参考書は購入で立て替えて貰ったものであるし、本も纏めて買ったものなどはなく大した量ではない。
服は花菜の意欲が薄いので、家族で買いに行ったときに母の勧めで買ってもらっている。
全体的に質素な部屋になっている。
否、年頃の女性としては質素どころではないかもしれない。
「それがどうかしたの……?」
「花菜ちゃん、あなた欲を発散させる機能が希薄なのよ」
「欲……?」
「この前話してくれたとき、私達両親に遠慮してるって言ってたでしょ?」
「それは……うん……」
「花菜ちゃんは、少し自分を抑え込み過ぎる傾向があるわ。これは直すべきよ」
以前花菜から母親に報告した後、父親を巻き込んだ家族会議できちんと話した際に両親に対して遠慮があったことも伝えてある。
そのときの証言と、花菜の過去の傾向から今回の件が取り沙汰されているのだろう。
「大体花菜ちゃん、お小遣いが余って貯金してるってなに? 普通の女子高生って、もっと親にお小遣いをねだったりするものでしょ? 花菜ちゃんって別にミニマリストじゃないんだから、もっと物を欲しがってもいいのよ」
花菜は響に言ったように、貯金を余らせている程度に利用機会が少ないのである。
また相原家は決まった額とは別に都度お小遣い制でもあるので、例えば花菜が友人付き合いなどで必要に迫られる出費があって両親に報告すればOKが貰える可能性すらあった。
だが、友人付き合いが密でないため利用機会も少ない。
お正月に貰っているお年玉も、使い道を見出せずに貯金してある。
相原花菜は物欲が薄いという以前の問題なのであった。
言われている通り長年の自身を抑え込む行動によって、人並の欲求が希薄になっているのかもしれない。
そこを両親に心配されているようだった。
「正直、毎年お誕生日に料理道具をリクエストしてくるのもどうかと思ってるんだよ?」
「そうよ、そういうのは私達で買うものなんだから」
「ええっ。でも、日頃あんまり使わないお鍋とかケーキの型とか買ってもらうのなんか悪いよぉ……?」
ケーキの型は趣味なのでともかく、その他調理器具に関しては我儘ではなく必要経費の内に入るという両親の主張なのだろう。
ケーキの型に関しては、数が必要ならともかく単体は然程高額ではない。
趣味のお菓子作りに関しても、家族で買いに行ったものや買ってきてくれたものを材料に作るので花菜のお財布には優しいものになっている。
それに大体家族にも分け合うので、趣味が実益になっていた。
「花菜ちゃんはお料理手伝ってくれてるんだから、少し我儘言うぐらいが丁度いいんだよ」
花菜は自分の弁当を自作しているし、そのついでに父親の弁当も作っている。
母親が遅いときは家族全体の夕飯を作っているし、そうでなくても夕飯の手伝いなどは率先して行っている。
客観的に見て、食に関しては口出しを許される立場にあるのである。
このことから総じて花菜は、親から見ても少し心配になる程度に物欲が無いのだ。
「だからこそ、花菜ちゃんの欲望を解き放つためにも芳川さんと一線を越えるべきなのよ!」
「いい話に纏まらないんだぁ」
花菜は結局そこに帰結するのかと遠い目になった。
「本音は?」
「娘とエッチなトークがしたい! ……というのは二の次よ! もちろんよ!」
「間が怪し過ぎたよ! ねぇ、お父さん! あなたのお嫁さん大丈夫⁉ 目を逸らさないで!」
あまりに怪しい母親の証言に対して、娘からの猛抗議が入る。
だが、抗議を受ける父親の瞳はどこか虚ろであった。
「でも、花菜ちゃん……。お母さんが言うことも、一理ある……。いや……あったかなぁ? おかしくないかなぁ?」
「もう少しだよ、お父さん!」
父親は花菜のことを想ってか母親に同調しかけるも、流石にやり過ぎなのではと正気へと一歩を踏み出す。
「あるわよ! お父さんだって、私と高校時代に知り合って環境と同意があったならしてたでしょ!」
「ああ、うん……ああ……。でも、こういうのってムードが……。それに責任を伴うものだからね……」
「ムードと避妊だって、バッチリよ!」
「ああっ……」
「あっ、ダメそう」
両親は同い年で大学時代に知り合って、そのままゴールインしている。
落ち着いた父親ではあるが、多感な時期に現在の愛する妻に会っていたらと想像しているのだろう。
「花菜ちゃん……お母さんは正しいのかな……?」
「そんなことないよぉ! 頑張ってお父さん! とりあえず、かぶりつきで娘に勧めてくる母親なんてレアケースだよ!」
「それは、そうだよね」
父親は花菜の説得でなんとか正気に戻ってくれた。
母親の巧みでもなんでもない話術に騙されそうになっているが、自分の妻がかなりレアケースであるのだと認識の歪みを矯正させなければならない。
「お母さん、あんまり娘の恋路を茶化すものじゃないよ。花菜ちゃんにも花菜ちゃんのペースがあるんだから」
「茶化してなんていないの……。私は至って真剣なのよ……。花菜ちゃんには荒療治が必要なのよ! これはチャンスだったの!」
「まぁまぁ気持ちは分かるけど。今回は、花菜ちゃんに僕たちの考えが伝わったってことでよしとしようよ」
花菜はこのとき程、父親が常識人でよかったと感じたことはない。
母親も少々過ぎるだけで、優しい人なのは分かるのだが。
「分かったわ……。お父さんがそこまで言うなら……。覚えてらっしゃい、花菜ちゃん。次は無いわよ!」
「ええっ、母親に捨て台詞まで言われるの私……」
優しさを感じていたのだが、花菜は母親から次の戦いに向けての意思を向けられた。
どうやら、母親はかなり本気だったらしい。
「花菜ちゃん、お母さんが心配しているのは本当なんだよ。大目に見てあげて……」
「分かった……。心配かけてる点に関しても、本当に改めてごめんなさい……」
相原花菜の幸せの基準も許容値も低くなってしまっている。
それが両親にまで心配をかけているのは、実際に由々しき事態であった。
「いいんだよ。心配をこうやって口に出して言えるようになったのは、凄くいいことなんだから」
「うん。ありがとう、お父さん、お母さん」
「いいのよ、花菜ちゃん。でも、芳川さんと進展があったたらお母さんに教えてね?」
「花菜ちゃん、助けて」
「お父さんのSOSの方が早くなっちゃった……」
今まで花菜が父親に対して救難信号を送っていたが、遂には父親からのものの方が早くなってしまった。
「とりあえず、花菜ちゃんと芳川さんを信用してるし。芳川さんのお宅に行くのは、今まで通り止めはしないよ。安心してね」
「むしろ、推奨してるわよ」
「ありがとう……。ありがとう?」
響宅を訪れることを止められることはなく、これからも無事二人の時間を持つことができるようであった。
だが母親からの猛プッシュに、花菜は思わず疑問形で返してしまった。
娘の貞操、ここですよ? という疑念。
ここ数日で明らかになった、家族の新たな一面。
そして、本日新たに分かった自分の新たな一面。
こんな身近なことでさえ、まだまだ分からないことだらけ。
知らないことだらけ。
知っていかなければいけないことが、たくさんあった。
ここまでお読みいただいていらっしゃる方が、どれだけいらっしゃるのかは分かりません。
ありがとうございます。
始まりました、第三章です。
いきなりこんな内容ですが、よろしくお願いします。




