73 積もった心を伝えて
花菜は親への報告宣言から明けた次の日、響宅から早めに軽い夕食を済ませて既に帰宅していた。
母親は在宅で働いていたらしく家にいる日であった。
花菜は自室で母親の仕事が終わるのを待っていた。
母親の部屋は花菜の部屋と同じ二階にあり、出てきたら物音で分かる。
もちろん花菜のことを母親に打ち明けるためである。
花菜は昨日怒り心頭で響に対して家族に自身の身の上を報告すると啖呵を切った。
だが、一日経つと人は落ち着く。
現在の花菜は緊張でガチガチになっていた。
自室で神妙な面持ちで学習机の椅子に腰かける花菜は、ジッとしていても手足が小刻みに震えている。
そんな風に待っていると、花菜の部屋と二階にある母親の部屋の扉が開く音が聞こえた。
それと同時に、足音が聞こえてくる。
花菜は自室の扉を開くと、丁度部屋の前に差し掛かった母親と目が合った。
「お仕事お疲れ様、お母さん」
「あら、花菜ちゃん」
「お話があるんだけど……。時間あるかな?」
「あら、なぁに? お父さんに、内緒の話?」
「うん……」
「なにか、大事なお話?」
娘の神妙な顔から読み取ったのか、母親がそう返してくる。
「うん……」
「じゃあ、リビングに行きましょうか」
花菜は両親に自身の身の上を語るに当たって、話しやすい母親から打ち明けることにした。
やはり、こういうときは同性の親の方が話しやすくはある。
小さいころから家にいる時間も母親の方が長いこともあってか、話す時間も長かった。
父親には申し訳なく思うが、ここは一度に両親にというのは花菜的に肩の荷が重すぎる。
二人は揃って二階から階下のリビングに移動する。
この間も花菜は一歩一歩の時間間隔が曖昧に感じられた。
早く着いて欲しいような、永遠にその時間が来ないで欲しいような気持ちのせめぎ合いがあった。
そして否応なくリビングに着くと、母親と一緒にソファに並んで腰かけた。
「お父さんはまだ帰ってきてないし、ここにはお母さんしかいないわよ」
「う、うん……」
「それで、なにかしら。話って」
母と向き合うと、花菜は暫く黙ってしまった。
いざ話すとなると、どう順序立てて話していいのか花菜の頭の中では一向に整理されない。
幾度か事前にシミュレーションしたはずなのに、それがまったく思い出せなくなる。
母は、そんな花菜を優しく見守ってくれていた。
「あ、あのね……」
なにはなくともと思い、花菜は言葉を口にする。
口にすることで、その後の言葉を続かせるため。
絞り出すように、とにかくといった感じだった。
「私、私ね……」
自分のことを話すはずなのに、どこかしらそうではないような感覚に襲われる。
花菜の中で、まだ話すことを受け入れられていないのかもしれない。
「私……ずっと、ずっと……お母さんやお父さんのこと……騙してたの……」
恐る恐るといった風に花菜は徐々にではあるが本題の一端を口にしていく。
「私悪い子なんだ……。ごめんなさい……」
思わず口を吐いたのは、謝罪の言葉。
花菜の響への気持ちは本物、これから二人で歩んで行く気持ちだって本物。
これまで培ってしまった両親への申し訳ない気持ちも、どうやったって変えられはしなかった。
「花菜ちゃん、ずっといい子だったわよ。なにが悪い子なの?」
そこで始めて母が口を挟んだ。
花菜をいい子だと言って憚らない親馬鹿なところがある母である。
愛する我が子からそんな言葉が出てきたら苦言も呈すであろう。
「私……私……」
嫌な汗が全身から溢れ、視界が定まらない。
今、隣にいる母親に見放されてしまうのではないかという悪い未来への思考が止めどなく湧いてくる。
花菜は、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
まったく次の言葉を紡ぐことができない。
「大丈夫よ、花菜ちゃん。落ち着いて。なにがあっても、私は花菜ちゃんの味方よ」
心強い母からの言葉が、花菜に掛けられる。
そして、花菜の手を両手で優しく包み込むように握ってくれた。
花菜は緊張で鼓動が早くなり頭は重く熱いのに、手足は冷え切っていた。
優しく握りしめられた母親の手が温かく感じられた。
花菜は温もりから、母親の愛を感じる。
「うん……。ありがとう……」
母親の優しさに、泣きそうになってしまう。
これから掛ける迷惑のことを考えると、自分はこの両親になにを返せるのだろうと考えてしまった。
これまで育ててもらった恩だって、返せる人間だなんて思って生きてこなかったのだから。
だが、相原花菜はそれでも前を向かないといけなかった。
これ以上、両親の無償の愛に縋るだけではいけないのだから。
「あのね……お母さん……」
「ええ……」
「私……」
花菜は、ここで呼吸を整える。
それは少しの間のことのはずが、花菜には膨大な時間のように感じられた。
自分の生きてきた、これまでを振り返る。
そして、響と出会って過ごした日々を、更に再会して過ごした濃密な日々をも。
相原花菜は、それらを糧にして一歩を踏み出す。
「私っ……女の人が好きなの……! そのっ……恋愛対象として! それも、その……最近のことじゃなくて……。ずっと前から……!」
一気に言い切ってしまった。
積年詰まった思い、想い。
花菜が隠してきた、家族にも誰にも話せなかった秘密。
これが原因で、家族ともどこか一線引いてしまっていたような。
そんな、騙してきてしまった根源。
花菜の中で、言った解放感と恐怖のようなものがせめぎ合う。
なんとも言えない状況のまま、母親を伺う。
母親は花菜の手を握り、暫く黙って花菜を見詰めていた。
その視線に、花菜の心拍数が今まで以上に上がっていく。
それに対して、手足の体温は一向に上がってはくれなかった。
母親が握ってくれている手だけが、唯一の繋がりのように思えていた。
「花菜ちゃん」
母からの一声に心臓がドキンと跳ねた。
なにを言われるのだろう、どう思われたのだろう。
恐ろしかった。
いっそ、泣き出してしまいたい。
花菜は暗闇の中を歩くような心持で次の言葉を待った。
「やっと言ってくれたのね」
「…………。へぇぁっ?」
母は安堵したような様子で答えた。
まるで、花菜の秘密に気付いていたかのように。
この緊迫した状況から思わず素っ頓狂な声で聞き返したとしても、相原花菜は悪くない。
悪くないのだ。




