68 響の三者面談の後、しかし
時は少し遡り、響と花菜が通う学校の校舎内。
響は都と三者面談を終えて、ゲンナリした様子を極力見せないよう校内を歩いていた。
それでも漏れ出る負のオーラが、優等生芳川響に陰りを入れる。
都はそれとは対照的に、フォーマルなスーツに身を包んでニコニコと笑っていた。
美人な姉妹が歩いているため、放課後に閑散とした校舎内でなければ非常に目立っただろう。
事実、まだ少し残っている生徒達は二人が歩く姿を足を止めて目にしていた。
実は相原親子は、芳川姉妹と校舎内でニアミスしていたのだ。
響達は一旦別れて校舎外に出ると、校門前で合流した。
「姉さん、なんですか。先生から、私のことを根掘り葉掘りと……」
校外に出て響は周りに人がいないことを確認すると、都に対して口を開いた。
面談時に都が執拗に響の生活態度に関して質問をしたことに対して、苦言を呈していた。
「それだけ心配ってことよぉ」
「母さんから、なにか言われましたか?」
響としては、母娘でなにか画策しているのかと勘ぐってしまう。
今回姉が初参加ということもあり、担任の教諭は熱心に響のことを聞く姉に快く答えていった。
「私は現在無遅刻無欠席ですよ、成績も優秀です。急に連絡を絶った姉さんとは違いますよ」
「そのことは、こうやって今ここにいるんだからさぁ。水に流して流してぇ~」
響は心底嫌そうな顔を隠すことをしなかった。
眉根は寄って眉間には皺、濁った目が都を捉えていた。
「響ってそんな顔する子だとは知ってたけどぉ、お姉ちゃんに向けてするとは思わなかったなぁ」
実の親に向けてはやっていたのであるが。
花菜どころか、学校ですら見せられない顔だった。
「今の姉さんが、信用できないからですよ」
「どうやったら信用してくれるのぉ~」
響は花菜に言われて都に対する認識を改めようとは心掛けているのだが、如何せん都の態度が信用できなかった。
「自分の胸に聞いてください」
「にしてもぉ、進路の内容がやたらと具体的だったけどぉ……」
「…………」
都が唐突に話題を転換してきた。
面談時のことである。
これに関して響は黙して、なにも返さない。
「もしかしなくてもさぁ、恋人基準で決めてるぅ?」
「それが、なにか?」
痛いところを突かれたが、響は逆に開き直った。
まったくもって、その通りなのであった。
響は面談を機に、花菜から進路に関して聞き出していた。
花菜も自身にあった迷いを響に話すことによって、失くすことができていたのかもしれない。
「いやいやぁ、自分の将来のことなんだからぁ。もっときちんと決めなきゃダメだよぉ?」
「その点に関しては大丈夫です。確かに、もっといいところを狙えるのではと先生から聞かれましたが」
響の通う高校は明確に進学校というわけではないが、それなりに毎年そこそこに大学には進学者がいる。
響はその中でも成績上位者なので、期待されているのかもしれない。
一般的には都の言うことも最もだろう。
だが、相手は響である。
「学部からの就職先まで調査も行っています。別にレベルが極端に低くなるわけではありませんよ。食べていけるだけの甲斐性は備えるだけの心積もりはあります」
響は花菜のためなら、なんでもする。
既に未来設計にまで手を伸ばしている。
「大体私はどこに行っても勉強できる性格ですので、姉さんが心配するようなことはありません」
響は中学でも淡々と自分で学習してきた実績がある。
これに関しては、都も認めるところかもしれなかった。
「響って、本当に勉強に対してはマシーンみたいに改造されてさぁ……」
響がこうなったのは、まだ響が天真爛漫だったころまで遡る。
小学校時代の複式学級の教諭の学習が、よく言えば手厚かったのだ。
悪く言えば、響の頭のよさに目を付けた教諭がどこまで行けるのか詰め込みだした。
宿題の量も響本人に家族が確認するまで、目を覆うような量であった。
「今でも思うんだけど、あの小学校の先生は合法だったのか?」
「お陰で今の私があります。感謝していますよ」
響からしたら、あれが当たり前の日々であった。
お陰で中学では我を通せたので、感謝こそすれ誹られる謂れは無かった。
家族からしたら、逆に溜まったものではなかったかもしれないが。
「姉さんは今回ばかりは、とっとと帰って母さんに大丈夫だったと報告してください」
「う~ん……そういうんじゃなくてねぇ……」
「どうせ、夏休みには顔は出しますよ」
「そっかぁ、響はちゃんと夏休みには戻るんだねぇ」
「なんですか……。そもそも、そこから戻らないと思われていたんですか……」
響は心外とばかりに呆れたような顔になった。
母親がどれだけ心配していたかよりも、自分の信頼の失墜具合の方がショックであった。
「母さんとは少しだけ話したけどさぁ……。父さんと母さん、二人は元気にしてるぅ?」
「母さんは相変わらずです……。私にも干渉はしてきますからね。ただ父さんは姉さんが出て行ってから、私に対してもいっそ腫れ物に触れるみたいですよ。娘を二人とも育てるのに失敗した男親ですからね」
父親は響の高校入学と同時に都が出て行ってからというもの、帰省した響にも積極的には話しかけてこなくなった。
学校のことに関しても、大体母親が介している。
母親は気が強い人なのだが、父親はどうにも少し気が弱い人だった。
「あんた、言い方ってもんがあるでしょ~。でも、父さんそんなことになってんのかぁ……」
「トドメを刺した元凶がよくおっしゃいますね」
「なにさぁ、響が大元でしょ~」
姉妹による責任の擦り付け合いが始まった。
都は言う通り切っ掛けになったかもしれないが、家族間の不和を生み出し始めたのは響である。
「まぁ、姉さんが連絡を取るようになっただけでもマシになったと思いましょう……」
人当たりのよい都が戻ってきてくれただけでも、家庭環境はマシになったと言えると響は考えている。
帰ってきた原因が自分にあるとは、皮肉なものだとも思っているのだが。
「うん、ああ……そうだねぇ~……」
そうこう考えていると、答える都の歯切れが悪い。
「なんですか、姉さん。その歯切れの悪さは……」
「なんでもないよぉ~」
都は先程とは打って変わって、飄々とした様子ではぐらかした。
「響はあれから、母さんに連絡取ってるぅ?」
「私は元から用事がないと、連絡なんて取らなかったものですから」
響はいくら母親からの連絡が一方的であろうが、都が来ることになろうが通話を掛け直すようなことは一切していなかった。
それは、響の親に対する期待のようなものであったのかもしれない。
根本的に自身の話が通じると考えていないのだ。
それは、はなちゃんの話に起因しているのだろう。
あのとき、自分の言葉を聞いてくれなかったことを今でも鮮明に覚えてしまっている。
「そんなだからぁ、母さん心配させちゃうんだよぉ~」
「どういうことですか?」
今までと同様に連絡しない程度で、母親が自分を過剰に心配するなど響には意図が読み取れなかった。
「母さん、響と通話したときやたら焦ってなかったぁ?」
「いつも以上に話は通じませんでしたね」
響が母親と通話したときには、いつにも増して有無を言わさない感じであった。
都が言うように焦っているというよりは、こちらの話を聞かないといった風であった。
日頃なら、どちらかというと響にはあまり干渉してこないといったスタンスのはずである。
「母さんさ、響に恋人ができたっていうのがさぁ。実質絶縁宣言なのかと思ったんだよぉ」
「はぁ?」
唐突に響には理解できないロジックが出てきたことで、困惑する。
なにがどうなったらそうなるのか、響には理解できなかった。
自身としては、吉報として扱っていたのだから。
言わないよりは言った方がいいだろうなどと話していた花菜との会話を思い出す。
「私みたいにぃ、もうまともに連絡してこなくなるんじゃないかってぇ」
「学校のことがあるのに、無茶な話でしょう……」
「そうじゃなくてもぉ、もう実家には帰らないんじゃないかって思われてたみたいだよぉ」
母親が恋人ができた宣言をイコール絶縁宣言だと捉えるまで追い込まれていたのには、少なからず響もショックを受けた。
自分は中学時代の件で、捨て置かれたのだと思っていた。
都とのシェアハウスだって、再出発と言っているが自分を遠ざける口実かなにかも含まれているのではないかと勘ぐった時期だってあった。
それ程、響の家族に対するスタンスは線引きがされたものであった。
「助けて都、響がもう帰ってこないかもしれないってぇ。そんな文面でさぁ。驚くくらいの数のメッセージの量で助けを求められたらぁ、私でも流石にねぇ~。あなたは響と仲がよかったでしょうってさぁ」
都がなぜ響の元に来たのか、疑問が少し氷塊した。
母親が今までになく必死に都に対して訴えかけたのが想像できた。
花菜に言われても、愛されている実感などまったくと言っていいほどなかった。
だが、都が言うには響は愛されていたのだろうかと考える。
花菜が言ったような物がちゃんとしているのだって、そうしていれば娘からの文句が無いだろう程度のことだと思っていた。
しつこく干渉してくるのも体面のためではなく、純粋な愛情だったのだろうかと思考するが……それは朧気で捉えどころがないものだった。
「本当に、なんでこんなことに……」
事態の全容が少し分かったところで、やはりどうしてこうなったのだろうという実感しか響には湧いてこなかった。
「響が言葉足らずなのが悪いでしょ~」
確かに、端的な言葉で述べ過ぎていたかもしれない。
だからといって、いきなり花菜の話をするわけにもいかなかったのだが。
「散々私の言葉を無視しておいて、いざ私がなにか話せばこれですか……」
必要な話は聞いてくれずに、こんなところばかり必死になられても響としては困るばかりだった。
響自身とて漸く歩み寄りの気持ちを持てるようになったばかりである。
早速心が迷走しそうであった。
「大体、それなら私に直接言えば済む話でしょう……」
「下手に響になにか言ったらぁ、それこそ終わるんじゃないかって恐かったんだよぉ。それぐらい分かってあげなよぉ」
そんなに臆病になるほどに親が追い込まれていることに対して、更に響に追い打ちがかかった。
「まぁ、響が恋人をどーんと紹介してれば変わってたかもねぇ」
「なんですか、また探りですか……」
また恋人のことを探られているのかと、都に対する警戒心が増す。
訳を話された後でも、都に話してしまっていいものか響の中で判別は着かない。
「姉さんには言いませんよ……」
「なんでだよぉ~」
結果として、響は都に対して黙秘の選択肢をとり続けることを選ぶ。
やはり、今の都は信用ができなかった。
「ご自身の信頼度を顧みてください。だったら、姉さんの恋人のことを話すのが先じゃないですか。それが筋でしょう。その様子だと、私優先で結局母さんにも話していないんでしょう」
「分かってるじゃんねぇ~」
都に関しては、響はなにも分かっていない。
恋人のこと、連絡しなくなったこと、今の状況。
しかも、母親にも告げていないことがバレたところで都に悪びれた様子はなかった。
「まさか……私のことが解決したら、また雲隠れなんてことはありませんよね……? そんなことになったら、本当に父さんが倒れますよ?」
現在父親に響のことがどのように伝わってるのかは分からないが、都との連絡が取れたことは救いになっているだろう。
それが再度決裂してしまっては、父親の心労たるや押して知るべしである。
「いや、大丈夫ぅ。大丈夫だからさぁ~」
「胡散臭いことこの上ないのですが……」
都の受け答えに、響の眉間に皺が寄る。
ただでさえ軽い都の言動が、更に信用度を下げていっている。
「いや、私もねぇ。最初は、そう思ってたんだけどねぇ……」
「思ってらしたんですか……」
響の嫌な予感は半分的中していた。
どういう心境の変化があったのか、都は心変わりしたようである。
「私にもやむにやまれぬ事情があってねぇ……?」
「そんなものは知りませんよ……」
どういった事情があるにせよ、今まで振り回されてきた家族は堪ったものではない。
「ほら、響だって昔にいろいろ事情があったんだからさぁ。一緒一緒ぉ~」
「姉さんと一緒にしないでください……」
「えぇ……姉に対する態度さぁ……」
響の姉と一緒にされるのは甚だ不快といった態度に、流石の都も少し傷付いた様子を見せる。
そう言って話しながら歩いていると、都と別れる道まで到着する。
「だからってわけでもないけどぉ……。ちょっと時間を貰えないかなぁ……」
「時間?」
別れ際になり、今までと雰囲気を変えて都がぽつりと漏らすように言った。
いつもの気の抜けたような飄々とした表情ではなく、どことなくいたたまれないような表情をしている。
危ないことや悪戯をしては母親に怒られても、悪びれた様子もなかった姉という存在。
そのとき、響の中で一度だけ都のこういった表情を見た覚えがあるような気がした。
いつだったかは、思い出せない。
「この件が落ち着いたらさぁ、また暫くそっとしておいて欲しいというかぁ……」
「はぁ? 暫くとは、どれぐらいですか?」
「それは、ちょっと分からないというかぁ……」
「そんなの信用できるわけないでしょう。とっとと恋人の件も連絡を無視した件の内容も理由もすべて吐いて、母さんに平謝りしてください」
響はなにごともスピード解決を望む傾向がある。
ハッキリとしない都の態度は、気に障るものがあった。
「私だってこれを機にっていろいろ考えたんだよぉ」
「でしたら……」
「でも、同時に私って要るかなってぇ? 1年ぐらいいなくても平気だったしさぁ。だったら、これから居なくてもさってぇ」
「本気で言ってるんですか……? 平気だったって思ってるんですか?」
響からすれば、むしろ都が家族の救いであるように見えていた。
両親の意気消沈ぶりを見てきた側からすれば、暴論も甚だしい。
響にとっては、都の方がずっと愛されていたのだ。
「響、あんたが昔みたいに笑ってあげなよぉ。そしたら父さんも母さんも笑ってくれるよぉ」
「それだけで、足りるわけ……」
確かに響が歩み寄れば、両親は喜ぶかもしれない。
だが、響の中ではまだ両親が自身を想っていることが信じ切れなかった。
「お釣りが来るよぉ。あんたは自分がどれだけ大切に思われてるか、気付いてないだけだってぇ」
「だったら、姉さんだって!」
その理屈で言えば、都とて同じではないかと響は思う。
「私はちょっと不器用だったからさぁ」
今の都は凪のようで、なにを言っても通じる気配を感じなかった。
いつも飄々としている都が見せる線を引いたような態度に、これ以上踏み込めなかったのもあるのかも知れない。
「納得できなくてもいいよぉ。考えといてぇ」
「…………」
そう言って都は、響から踵を返す。
後ろ姿に手を振りながら、遠ざかっていく都を黙って見送ることしかできなかった。
人との交流を絶っていた響には、もう家族というものがなになのかも分からなくなっていた。




