第六話
後で聞いた話だが、お虎は寺を出た後、継母の伝手で近くに住んでいた侍大将のもとで小姓のようなことをしていたらしい。
その侍大将が出世をして城持ちになったというので、それに従い他国へ旅立つことになった。
その城持ちの武家は、お虎の元服まで面倒を見てくれるという。
「兄上、わしももう一人前の男じゃ。いまに偉くなってみせるから、兄上も一緒に行ってはくれぬか?」
仕官の話をしてきたとき、お虎は俺を誘ってきた。
しかしいくさで父が怪我をして苦しみ、母に捨てられたことが頭をよぎる。
「すまんな、お虎。俺は武家というものに憧れがないのだ。それどころか、俺はいくさが怖い。とてもじゃないが、武家としていくさ働きをするなど務まるものではない」
そう言って断ると、お虎も何となく断られると思っていたのか、重ねて誘うようなことはしなかった。
「兄上様……いえ、清秀様。私はお虎とともに行こうと思います」
継母は静かにそう言った。
お虎は元服を迎える歳になったとはいえ、ひとりで行かせるには母親として心配もあるだろう。
仕官したばかりの若者が、慣れぬ土地で暮らすのだ。身の回りのことをする者が必要なのも、もっともな話だった。
「寂しくなるな……」
ここに引っ越したときには、清じい夫妻――お虎の祖父母がいて、継母がいて、お虎がいた。
しかし清じい夫妻は既に亡くなり、継母もお虎も出ていくとなると、俺と、あとは通いの弟子くらいしかいない。
「そうではありませんよ」
継母が言った。
「あの人が亡くなって、あなたがひとりで家を支えようと懸命だったのは知っています。
お陰で、今日まで過ごして来られました。
しかし、あなたには十年の月日を費やさせてしまった」
「そんなことはない。俺は未熟だった。
今日まで来れたのは、お虎がいたからだ。
……義母上が支えてくれたからだ!」
継母は、軽くかぶりを振り
「あなたが頑張ったからですよ。でも、もう私たちは自分の足で立てます。
あなたは、これからはあなたのための人生を、送ってください」
そこから先は、よく覚えていない。
ぼやける視界の中で、ふたりを見送ったことだけは覚えている。
「俺のための人生、か」
誰もいなくなった居間に寝ころび、天井を見上げる。
いつものように炉に火を入れ、鉄を打っても身が入らなかった。
それどころか、弟子に心配されて休んでいろ、と言われる始末。
その弟子が、今日の分の仕事をこなしている甲高い音が、静かな居間を彩っている。
家の中がやたら広く感じた。
家族がいなくなった。
こんなとき、どうすればいいのだろう。
「師匠も、そろそろ嫁でも娶ってみては?」
日が傾くころ、いつの間にか寝入っていた俺は、弟子に声を掛けられ目を覚ました。
「何を馬鹿なことを……」
「そうですか? もう師匠もいい歳でしょう?」
今まで考えたことなかったが、確かに三十を目前に控えて独り身というのは、周りに心配されても仕方ない。
とはいえ、家を残すというのは武家的な考えであって、俺にはそんなに馴染む気もしなかった。
弟子が帰った後もしばらく考えていた俺は、ふいに鉄筐のことが頭に浮かんだ。
一族の来歴を記した、雑多な紙の束。
今まで顧みる暇もなかったが、何となく興味が湧いた。
一族がどこから来て、お虎も含めてどこへ向かうのか。
継母の言っていた俺のための人生の、何か指標になる気がして、鉄筐を探すと油紙をはがすのももどかしく、中の紙束を取り出した。
目を通すとぎっしりと並ぶ、見たこともない文字……いや、まだ武家だった頃の父に教わった文字だ。
すっかり忘れていた。
流し読みしていくが、いまひとつ意味が分からない。
細かい文字で注釈のようなものがついていたが、日が沈んで囲炉裏の火しか明かりのないここでは、よく読めなかった。
読むでもなく中身を流していくと、途中から漢文のようなもの、仮名交じりの文は、最近のものだろうか。
そこには、色々な出来事が綴られていた。
近所にできた大きな仏像に影響されて自分でも先祖が祀っていたという像を彫ってみた話。
世話になってた京の武家に乞われて船を貸したら西海のいくさで沈められたという話。
京の油売りと意気投合して美濃へくだっていったという話。
「京か……」
そういえば、美濃の武家に仕える前、何代か前の先祖は京で鍛冶屋をやっていたと父は言っていた。
もしかすると祖先の足跡でも残っているかもしれない。
あるいは、親戚なんかがいてもおかしくない。
一度そんなことを考えると、居ても立ってもいられなくなった。
翌朝、顔を出した弟子に告げる。
「京へ行こうと思う」
「はぁ?」
素っ頓狂な声をあげる弟子に、そろそろお前も独り立ちしてもいいだろう、村のことは任せる、俺は京へ行く、とまくし立てて、その日のうちに家の整理を始めた。
「工房はお前にやる。自由に使ってくれ」
そう言い残して京へ旅立ったのは、わずか三日後のことだった。




