第三話
刀を受け取ってもらえず呆然としたままいつの間にか日が暮れて、弟も寝付いたころ、継母が天王さまの近くへ引っ越すと言い出した。
「だってお虎がいては、あなたの仕事の邪魔をしてしまうでしょう?」
理由を訊ねると、継母は少し申し訳なさそうな顔をしてそう言った。
二里と半ほどの距離だ。毎日歩いて通うには少々骨の折れる距離だが、普段は工房のあるこの家に泊まり込み、仕事の区切りごとに帰ればいいと言う。
己の力不足と、それを責めもせずこのような気遣いに触れて、こみ上げる感情をこらえながらも、どんな顔をしていいのかわからなかった。
俺には職人としての技量はまったく足りていないし、お虎の父親代わりの役割までは果たせない。
まずは仕事を、父の名前ではなく自分の名前で受けられる程度には鍛え上げる必要があった、
ただ、感謝の気持ちで頭を下げた。
「いやじゃ! わしは、あにうえと、はなれとうはない!」
翌朝、村の井戸で顔を洗っていると、家のほうから弟の泣き叫ぶ声が響いてきた。
家に帰ると、弟が走ってきて足元にまとわりつく。
「あにうえ、あにうえぇ」
泣きながら抱き着いてくる弟を蹴飛ばしそうで歩くこともできず、その場に佇んでいると継母が走り出て来た。
「兄上様もご一緒ですよ。久し振りにじぃじに会うのも、悪くはないでしょう?」
「ほんとうか? あにうえも、いっしょなのか?」
「まったく、お虎は本当に兄上様が大好きなのですね」
困ったように微笑む継母に、お虎は満面の笑顔で言う。
「うん! あにうえのことだいすきじゃ!」
苦笑する継母を見ながら、ふと考える。
父の鍛冶の師であるお虎の祖父は、まだ健在だった。
「そのことだが……清じいに教えを乞うことはできないだろうか」
仕事場を生活から切り離すことができても、いまの自分がひとりで研鑽を積んだとて限度がある。
鍋や釜の修理ならできても、父のように刀を打てる域に達することができるとは、とても思えなかった。
ひとりの時間を必要とすれば、ここに来ればいい。
しかし一人前の仕事ができる自信がつくまで、導いてくれる人が欲しかった。
「わかりました。話してみましょう」
継母はそう言って実家へ向かい、その日はお虎と一日中遊んでやった。
お虎が元気いっぱいに庭を走り回り、イチジクの木によじ登る。
低木とはいえ、三歳の子どもが突然木登りを始めたのには肝を冷やした。
日が傾くころには糸の切れた傀儡のようになったお虎は熟睡し、継母が帰ってきてもそのまま寝ていた。
「父上の許しが出ました。都合のつくときだけでよければ、教えてくださるそうです」
「ありがたい……」
継母には本当に頭が上がらない。
翌日、継母と弟が先に引っ越しのために出て行った。
ひとり残って工房の整理に追われていると、昼過ぎにひとりの騎馬武者がやって来た。
「正佐のせがれというのは貴様か?」
肩脱ぎ姿に槍を肩に抱えたその若武者は、こちらを一瞥するとそう訊ねてきた。
「そうですが、どちら様で?」
「おれは殿に言われて使いで来ただけだ」
そう言うと、両手で抱えるような布袋をこちらへ投げて寄越した。
慌てて受け取るが、あまりの重みに思わず取り落としそうになる。
中を見ると、見たこともない量の銭がぎちぎちに詰まっていた。
「これは?」
「当面の手当てだそうだ。扶持と思えばよい」
まったく話が見えてこない。
「いくさの支度で人手が必要なのだ。刀や槍の修繕くらいはできよう?」
「はぁ……」
「なんだ、覇気のないやつだな。また来る。俺とは限らんが、道具を整え備えておけ」
それだけ言い残すと、若武者は去っていった。
突然、こんな大金を押し付けられ、動揺する間もなく若武者の言葉を反芻する。
「もしかして仕事の依頼だったのか、いまのって」
荷車で大量の槍や刀が持ち込まれたのは、翌朝のことだった。
持ち込んできた人夫に訊いてみても、ここへ持ってくるように指示されただけとしか説明がない。
昨日の若武者は、殿に言われて使いで来たと言っていた。
殿と言われて思い出すのは、依頼した刀を受け取らずに帰ってしまった平目顔の男か。
確か、それを追いかけてきた侍っぽい男が、殿と呼んでいた気がする。
あの平目顔、名のある武家なのだろうか。
考えていても仕方ない、金を受け取ってしまった以上は仕事をせねば。
持ち込まれたものを、ひとつひとつ手に取り確かめる。
ほとんどは刃こぼれで切れ味が落ちていたり、あるいは保管状態が悪いために錆が浮いているだけの刀槍だった。
砥ぎ直せばそれで済む。
とはいえこの数だ、それなりに時間はかかるだろうが。
「やるしかあるまい」
期日も何も聞いていないが、とにかくできることをしなくては。
朝から深夜まで砥ぎをひたすら繰り返しては、倒れ込むように眠りに就くような毎日を繰り返していると継母が工房へ顔を出した。
予定では二、三日で自分も引っ越す予定だったのを思い出す。今日はいったい何日だ?
「顔色があまりよくないですよ。ちゃんと寝ていますか?」
「すまない、急に仕事が舞い込んで」
「ご無理はなさらないで。お虎も心配しております」
こちらが説明するまでもなく、屋内に持ち込まれた大量の刀槍を見て、事情を察したのだろう、いつの間にか食事を作って帰っていった。
そのことに気付いたのも、寝食を忘れて翌朝まで作業を続け、倒れ込むように床に入る間際だ。
「これはよくないな。余計な心配をかけてしまう」
少しだけやり方を変えて、作業の量を見積もり、一日あたりの数を決め、それをこなしたらその日は休むという決まりを作る。
それでも毎日のように深夜まで作業に没頭していたが、メリハリをつけることで心にゆとりが生まれた気がした。
十日ほどだろうか、持ち込まれたものが半分以上修復が終わったころ、以前の若武者が人夫を引き連れてやって来た。
「せがれはいるか」
「はぁ……」
戸口へ出ていき、頭を下げる。
「相変わらず覇気がないやつだな。どれだけできている」
「半ばほどは」
頭を下げたまま答えると、若武者はほぅと息を吐くような声をあげる。
「かなりの数があったろう。この短期間でそれだけこなすとは」
戸を開けて、修復の済んだものを指し示すと、若武者は馬を降りて一本一本検める。
「問題はなさそうだな。なかなかどうして、目をかけられるだけのことはある、か?」
人夫に運ぶように命じた若武者は、残りも頼むとだけ言ってさっさと行ってしまった。
翌日、朝早くから清じいのところへ赴き、父の遺した刀を見せた。
清じいは刀を受け取り刃を上に向けて鞘を払うと、向きを変えたりしながら一通り眺めて軽く頷く。
「正佐の仕事だな」
「はい」
「……それで、お前が仕上げたのか」
「はい」
抜き身となった刀身に、再び視線を移した清じいは、しばらく食い入るように眺めた。
そして、しばらくしてから小さく息を吐く。
「下手だな」
「……はい」
「だが、悪くはない」
それから俺は、数日おきに清じいの仕事場に通うようになった。
父に教えられたやり方を清じいに見せれば、「それでは駄目だ」と言われる。
清じいのやり方を覚えれば、今度は父がなぜそうしていたのかが分かる。
それからの日々は、ひたすら鍛錬の繰り返しだった。
朝は炉に火を入れ、炭を起こす。
清じいの仕事を見て、真似をして、叱られる。
失敗して、やり直して、また叱られる。
それでも、少しずつ任される仕事が増えていった。
父から教わったことと同じこともあれば、まったく違うこともあった。
父ならば黙って任せてくれた仕事でさえ、清じいは手を止めさせてはやり直させた。
「違う」
「はい」
「何が違う」
「……わかりません」
「なら、わかるまで見ろ」
何度も叱られ、何度もやり直した。
それでも、清じいは俺を追い出すことだけはなかった。
工房では持ち込まれた刀槍をひたすら砥ぎ続け、清じいのもとでは何度も叱られながら、技術を刻み込む。
そうして、どこにいても鍛冶場で過ごす時間だけがひたすら増えていった。
日の光が肌を焼く季節を経て、やがて朝晩が少しだけ過ごしやすくなってきた。
修復依頼が少しだけ落ち着いたこともあり、半月ぶりに清じいのところへ顔を出した。
「あにうえ!」
いつも以上にお虎が甘えてきた。
「どうした、お虎」
しかしお虎は何か言いたそうにするものの、何も言わない。
不審に思って継母を探すが、近くにはいないようだった。
足元にへばりついていたお虎は、少し息を呑むと意を決したように
「わしは、あにうえのこと、だいすきじゃ!」
そう叫んで離れて行った。
よくわからなかったが、笑みを浮かべて言う。
「おれも、お虎のことは大好きだぞ」
翌朝、いつものように炉に火を入れて炭をおこし、清じいに声をかけ、準備を終えたところでそろそろお虎も起きてくるだろうと囲炉裏の傍に腰を下ろす。
しかし、お虎どころか継母も姿を見せなかった。
不審に思っていたが、食事は用意されていたのでそれを腹に入れ、いつものように清じいのもとで作業をする。
昼過ぎになって、どこかへ出かけていたのだろう、継母が帰ってきた。
「どこかへ出かけていたのか? お虎もいないようだが……」
朝から気になっていたことを継母に訊ねると、大したことでもないように言われる。
「お虎は寺へやりました」




