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となりの加藤さん  作者: 深澤 桐生
第一章 九十七代目

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第二話

 弟を着替えさせていると、継母が帰ってきた。

 弟を見るなり目を丸くして

「あらまぁ! お虎、漏らしちゃったの?」

 そう言って、弟の世話を俺から引き継いでくれた。


 どうやら作業中にあった来客で、少し所用ができて出かけていたとのことだった。


「お父上が刀をこしらえる約束をしていたそうなのだけど、知っていますか?」


 継母にそう訊ねられ、先ほどまで手掛けていた父の遺作とでも言うべき一振りのことが頭に浮かぶ。


「それなら刀身はできているから、こしらえさえ終われば引き渡せると思う」


 それも、鞘と鍔は昨日、桐箱の中にしまってあったのを見つけている。

 柄を完成させて刀身を仕上げ砥ぎし、あとは組み立てれば完成するはずだ。

 とはいえ、柄を作るだけでも苦戦しているのが現状なのだが。


「期日はいつだ」


 義母上という言葉は口に出せなかった。

 自分とさして歳の変わらない継母に対して、そう呼びかけるのはいまだにどこか気恥ずかしい。


「急いではいないそうなので、納められる日を教えて欲しいそうです」


 継母の言葉に、頭の中で残りの工程を考える。

 柄のほうは、あと三日もあれば出来るだろう。

 仕上げ砥ぎに三日から五日、組み立てまで含めても十日あれば足りるだろうか。


 いや、そもそも柄は既に五日もいじっていてまだ完成していない。

 砥ぎは何度もしたことがあるが、最後の仕上げ砥ぎをするのは初めてだ。


「最低でも半月は欲しいかも」


 つい自信のなさが声に出た。


「では、ひと月と答えておきましょう」


 継母の言葉に、内心ほっと安堵する。


 いつの間にか立ったまま寝ているお虎を抱き上げた継母は、そのまま立ち上がり


「ご無理だけは、なさいませぬよう」


 そう言って、土間の奥へと向かっていった。

 その声には、父を失ったことへの悲しみが、わずかに乗っているようだった。


 かぶりを振って意識を切り替える。

 工房の中へ戻ると柄木を睨み据え、決意を新たに鑿を振るい始めた。


 朝から晩まで鑿を手に木目を読み、茎を合わせ、息の詰まるような繊細な作業を繰り返して数日。

 ようやく柄木が完成する。


 やはり余裕を持たせた期日を回答したのは正解だった。


 刀身を手に取る。

 ところどころにうっすらと白いものが浮き出ている。


 刀の性格を決めるのは焼き入れだが、仕上げ砥ぎは輿入れのための化粧のようなもの。

 ここも決して手を抜ける工程ではない。


 桶から柄杓で水を汲むと、砥石へと細く長く静かに流す。

 表面に浮いた灰色の砥泥へ刀身を当てる。


 まずは錆の浮いたところを慎重にさらった。

 力を入れすぎれば刀身を傷める。といって弱ければ、浮いた錆を落としきれない。

 父に教えられた角度を思い出し、刃先を崩さぬよう、刀身をゆっくりと滑らせていく。


 しゃり、しゃり、と乾いた音だけが工房に響いた。

 隙間から入り込む冷たい風の音すら、意識から締め出す。


 一度砥泥を洗い流し、刀身を光にかざす。

 まだ白く濁ったところが残っている。


 砥石を替え、今度はもう少し細かな砥石に刃を当てる。


 しゃり、しゃり。


 ただそれだけの音を聞きながら、ひたすら刀身と向き合った。


 時間の感覚がなくなり、無心で、という言葉がこれ以上ないくらいしっくりと来るほど没頭したところで


「あにうえ! はらがへったぞ!」


 お虎が食事の時間を伝えに来た。


 何とか砥ぎを終え、刀を組み立ててみる。

 茎に柄木を合わせて目釘で固定する。

 その状態で軽く握ってみた。


 悪くないようには思うが、何か違和感がある気がした。


 一度目釘を外して、茎と柄木の合わせを確認する。

 特に問題があるようには見えず、これ以上ないくらいにぴたりと嵌っているようだ。


「こんなものか……」


 再び組み立てて、鮫皮を貼り付け、組紐を巻いていく。


 柄頭を嵌めていると、外で継母の声がした。


「ひと月いただけるようお願いしたはずでは?」

「聞いておる」

「ならばなぜ……」


 何か揉めているようだ。


 何事だろう、と組み上がったばかりの刀を鞘に納め、工房を出る。


 そこには、継母に行く手を遮られて鬱陶しそうにしている、ひとりの男が立っていた。


 侍にしては少々線の細さを感じさせる平目顔の男は、しかし妙に眼光が鋭い。


 男は俺の手元に視線を移して言った。


「できておるな」


 どうやらこの刀の依頼主だったようだ。


 周囲をねめつけるようにしていた男は、俺に視線を戻すと訊ねてくる。


「正佐はどうした?」

「父は亡くなりました」


 男は眉を片方だけ、わずかに吊り上げると俺の手元の刀を示して言う。


「それは?」

「父の遺作になります。わたくしが仕上げました」


 そう言って刀を差し出した。


 男はそれを受け取ると、わずかに鞘から抜いた刀身を見ながらつぶやく。


「舅殿が目をかけていた。惜しいことだ」


 ゆっくりと鞘から抜き、刀身を舐めるように見ていく。

 その視線はなんだか少々不躾さを感じるが、同時に何かを見透かされているような怖さがあった。


「死してなお、良き仕事を残すか」


 その声には喜色がにじんでいるように聞こえた。


「少し離れておれ」


 抜き身の刀身をぶらりと下げると、継母と俺に向かって言った。


 言われるままに距離を取ると、


「持っておれ」


 こちらへ鞘を投げて寄越した。


 慌てて受け止めると、男は両手で持ち直した刀を、二度、三度と縦横に振るっていたが、急に険しい顔つきになる。


「……駄目だな、これは」


 そう言った男は、俺の手から鞘を抜き取り、綺麗な所作で刀身を収めるとこちらに手渡してきた。


 その行動の意味が分からず困惑していると、遠くから別の男の声が響く。


「殿! 供も連れずに出歩かないで下さいと、何度申し上げれば……」


「庭を歩くのにそのようなもの不要じゃ」


 こちらのことなどもはや意識にないように振る舞うが、去り際にその男が言う。


「それは受け取れぬ。精進せよ」


 意味が分からなかった。


 ただ、ただ、ひたすらに父に申し訳ない思いで、その場に立っていることもできなかった。


 三日後、継母はお虎を連れて、家を出た。


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