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となりの加藤さん  作者: 深澤 桐生
第一章 九十七代目

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第十一話

「退いたか……」


 何が起きたのかわからないまま、ぐったりと相棒の背に寝そべっていると、丸眉の男が近づいてきた。


「大事ないか?」


「は、はぁ」


「どうやら嘶きに警戒して、諦めたようだ」


 何の話かわからない。

 諦めたと言うと、俺の人としての尊厳の話だろうか。


 少し進んだところで道端の木陰に腰を下ろして、水筒の水を口に含む。

 ここまで同道してきた山伏などは、思い思いに軽く腹に入れる食べ物を広げているが、臓腑がひっくり返った心持ちからようやく解放されたばかりの身体には、何かを詰め込む余裕はなかった。

 相棒は川に入って勝手に水浴びをしている。

 自由な奴だ、と思わなくもなかったが、さっき馬上から吐瀉物を浴びせたのだ、むしろ身体に鞭打ってでも、相棒を洗わせてもらいに行ったほうがいいだろうか。


「ときに刀鍛冶」


「はぁ、なんでしょう」


 一団の隅っこで休んでいる俺に、丸眉の剣術狂いが声をかけてくる。


「京に行くなら、ここを真っ直ぐだが……この先は物騒だぞ?」


「物騒?」


「このあたりは守護の目もあまり届かぬ土地だ。

 峠を越える道は、山賊も出る。特に近頃は物騒でな。

 先ごろのいくさで、門徒や落ち武者があちらこちらに潜んでおるのよ。

 少し遠回りになるが、我らとともに伊賀まで行き、そこから大和へ回ってはどうだろう?」


 伊勢屋でもらった紙を広げてみると、ここを真っ直ぐ行くように書いてあった。

 どうするべきか悩む。

 門徒が何の話かはわからないが、落ち武者はわかる。

 ひとりで峠を越えるのは得策ではないと思えた。


「では、お言葉に甘えまして……」


 そのままついて行くことにした。

 何といっても荒事に向いてない自覚があるので、多少道を違えてでも守ってもらえるほうがありがたい。

 その後も、たまに周囲を警戒して足を止めることがあり、緊張する場面はあったものの無事峠をひとつ越える。


「この先は伊賀じゃ」


「いが」


「以前は六角の下知も及んでいたが、今では惣一揆が警戒しとるでな。危ない」


 丸眉の男の言う通りなら、京に行く道は全部危ないのではないだろうか。

 むしろ京が危ない気さえしてくる。

 あるいは危ない道へ連れ込まれているとか。

 考え過ぎか。

 俺が持ってるような小銭を巻き上げるためであれば、大がかりすぎる。


「それで、どうするので?」


「ここを南へ下る」


 西や北ではなく、南。

 もはやどこに向かっているのかわからない。


「そう不安な顔をするな。その先にわしの知り合いの屋敷がある。そこを宿とするだけだ」


 後戻りするわけも行かず、丸眉一行について山道を南下していく。

 周囲が木々で視界が悪くなっているにも関わらず、山伏を先頭にしてどんどん進んでいる。

 水浴びしてからは相棒が背に乗せてくれないので歩いていたが、息ひとつ乱さない一行と違ってだんだん歩みが遅くなり、いつの間にか最後尾になっていた。


「大丈夫か、刀鍛冶」


 すぐ前を歩いていた徒士の男に声をかけられたが、息があがっていてまともに返事ができない。

 再び峠の頂きに着いたところで、こちらを見かねた徒士の提案で休憩することになった。

 のどを潤しながら周囲を見回すと、色づき始めた楓の木々から種子が風に乗って飛んでいくのが見える。


「旅とはこれほど大変なものだったのか……」


 船で酔い、酒で酔い、道は逸れ、馬には呆れられ、見知らぬ山道を彷徨っている。

 くるくる飛んでいく楓の種子のように、旅も気の向くままに進めばよいと簡単に考えていたが、とんでもないことだった。

 京から美濃に移り住んだという先祖も、似たような苦労をしたのだろうか。

 くたびれた身体に楓の種子が降り積もっているのを振り払いもせずに休んでいると、丸眉様がやってきた。


「すみません、とんだご迷惑を……」


 もはや俺の運命は目の前の男次第になっているので、自然と卑屈になってしまう。

 それに、ここまでの道行きを振り返れば、目の前の男がそれなりに名のある武家か公家だろうことは想像に難くない。

 剣術の話さえしなければ、こちらを気にかけてくれるし、悪人ではないだろう。


「そろそろ日も傾いてくる。あと一里もない、しばしの辛抱じゃ」


「承知しました」


 木々に遮られて日が差し込まないのでわからなかったが、確かに薄暗さは感じられた。

 流石に夜の山が危ないことくらいは理解できる。

 膝に手を当てると、力を入れて立ち上がった。

 歩き出してしばらくすると、ひんやりとした風に吹かれて頭から楓の種子が旅立っていく。


 屋敷に着くと、そこの主は丸眉様と旧知の仲だけあって、さっそく酒食で迎えられる。

 疲労困憊の身体でこれ以上は辛いので、辞退しようとしたがそのまま宴席に据え置かれた。


「京に先祖の足跡を辿りに行くというそなたの目的。わしは好きじゃぞ」


「わしは剣が好きじゃが、実は先祖には弓の上手もおってな。風林火山の旗印で有名で……」


「ん? 酒が足りておらぬようだな?」


「ときに刀鍛冶。わしの刀も見てみぬか?」


「相手の動きを見る際には、気をつけねばならぬことがある」


 ひっきりなしに丸眉様に構われる。

 悪い人ではないと思っていたが訂正しよう。酒癖の悪い人だ。

 俺は逃げることもできず流されるまま、明日も相棒の背に揺られることが確定した。

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