54. 成長する剣士と剛剣の息子
それから、数日が過ぎた。
俺は今日も、六剣聖たちの稽古場に立っていた。
技剣――雷漢の稽古を受けるようになってから、俺は以前よりも自分の剣や体術の動きを意識するようになっていた。
技とは、ただ速く動くことでも、相手の隙を突くことでもない。
自分の身体をどう使うのか。
どの瞬間に力を伝え、どこで力を抜くのか。
相手の動きに対して、どのような選択をするのか。
一つ一つの動きを細かく見直し、これまで感覚だけで振っていた部分を整理していく。
時には、今まで自然にできていた動きが、意識するあまりぎこちなくなることもあった。
それでも、この積み重ねが自分の剣をさらに高めてくれるはずだ。
「ショウヤ、少し休憩にするか?」
雷漢さんが声を掛けてくる。
「はい。お気遣いありがとうございます」
俺は木剣を下ろし、額の汗を拭った。
その時だった。
「ショウヤ、俺と一本やらないか?」
声のした方へ振り返ると、紫翠が木剣を片手に立っていた。
「紫翠と?」
「ああ。せっかくだからな」
紫翠は木剣を軽く持ち上げる。
その表情には、以前よりも確かな自信が感じられた。
「ふっ、やればいいじゃねえか。ショウヤはどうする? まだ休むか?」
雷漢さんも面白そうに笑いながら、俺の返事を待っている。
俺は少しだけ口角を上げ、足元に置いていた木剣を拾い上げた。
「分かった。一本勝負でいこう」
「望むところだ」
俺たちは稽古場の中央へ移動し、互いに向かい合った。
そして、木剣を構える。
紫翠の構えを見て、俺は思わず感心した。
重心が安定している。
剣先にも余計な迷いがなく、こちらの出方を窺う視線にも落ち着きがあった。
以前の紫翠には、どこか力任せなところがあった。
だが、今は違う。
自分の身体をどう動かすべきか、少しずつ理解し始めているのだろう。
「――始め!」
雷漢さんの合図と同時に、紫翠が踏み込んできた。
速い。
俺は木剣を滑らせるようにして、その一撃を受け流す。
しかし、紫翠は止まらなかった。
弾かれた剣を素早く返し、今度は横薙ぎに振るってくる。
俺は身体をわずかに引いてかわすと、そのまま懐へ踏み込んだ。
木剣が交差する。
乾いた音が稽古場に響き、俺たちは互いの間合いを測りながら何度も剣をぶつけ合った。
以前なら、俺が押し切っていたかもしれない。
だが――今の紫翠は違った。
俺の剣を真正面から受け止めるのではなく、力の向きをずらして流す。
こちらが体勢を立て直そうとした瞬間には、足運びを交えながら次の一撃を繰り出してくる。
剣だけでなく、体術も織り交ぜた攻防。
以前の紫翠からは想像できないほど、動きに無駄がなくなっていた。
俺も雷漢さんから教わったことを思い出しながら応じる。
力任せに押し返すのではなく、相手の力を利用する。
攻撃を防ぐことだけに意識を向けず、次の動きへ繋げる。
互いに一歩も譲らない攻防が続いた。
そして、最後の一撃。
紫翠の木剣を受け流した俺は、わずかに生まれた隙を見逃さず、踏み込んだ。
俺の木剣が、紫翠の肩口に触れる。
「……そこまで!」
雷漢さんの声が響き、勝負が決まった。
俺は木剣を下ろし、紫翠を見る。
「俺の勝ちだな」
「ああ。参った」
紫翠は悔しそうに笑った。
けれど、その表情に以前のような落胆はなかった。
「けど、ショウヤ。お前も腕を上げたな」
「紫翠こそ。前に手合わせした時とは別人みたいだったぞ」
「そうか?」
「ああ。正直、驚いたよ」
俺が素直にそう告げると、紫翠は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「そりゃあ、あれからずっと稽古していたからな。お前に置いていかれるわけにもいかないだろ」
「置いていくつもりなんてないさ」
「そういう意味じゃねえよ」
紫翠は笑みを浮かべたまま、俺を見据えた。
「俺自身が、もっと強くなりたいんだ。お前と並んで戦えるくらいにはな」
その言葉に、俺は小さく笑った。
「だったら、俺も負けていられないな」
「ああ。次は勝つ」
「俺だって、負けるつもりはないよ」
俺たちは互いに木剣を収め、自然と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
顔を上げた俺たちは、思わず笑い合った。
勝敗はついた。
それでも、今の俺にとっては、どちらが勝ったか以上に大切なものがあった。
互いの成長を確かめ、次に向かう理由を見つけられたこと。
こうして競い合える相手がいるというのは、きっと幸せなことなのだろう。
そんなことを考えていると、別の声が聞こえてきた。
「ショウヤ」
振り返ると、ミャールが木剣を片手に立っていた。
「ミャール?」
「ちょっと、私とも打ち合ってみない?」
「ああ。もちろん」
俺が応じると、ミャールは小さく頷き、稽古場の中央へと歩いていく。
俺たちも改めて向かい合い、木剣を構えた。
最後に村で立ち会った時と比べて、ミャールの剣は明らかに洗練されていた。
構えに無駄がなく、足運びも滑らかだ。
剣を振るう際の軌道も安定しており、次の動作へ移るまでの隙が小さくなっている。
日々の稽古を真面目に積み重ねているのだろう。
俺は彼女の成長を感じながら、繰り出される一撃を受け止めていく。
上段からの斬り下ろし。
そこから繋がる横薙ぎ。
さらに踏み込んでの突き。
どれも以前より鋭く、無駄がない。
だが――。
何かがおかしかった。
ほんのわずかな違和感。
剣の軌道そのものに、大きな問題があるわけではない。
むしろ、技術だけを見れば以前より確実に上達している。
それなのに、いつものミャールなら自然に繋がるはずの動きが、時折、ほんの一瞬だけ途切れていた。
まるで、次の一手を迷っているかのように。
俺はその違和感を意識しながら、彼女の攻撃を受け続ける。
そして、ミャールが最後の一撃を繰り出した瞬間。
俺は木剣の角度をわずかに変え、その剣を弾き飛ばした。
「そこまで!」
勝負が決まった。
「……参ったわ」
ミャールは木剣を下ろした。
その顔には、負けたことへの悔しさが浮かんでいた。
けれど、それ以上に気になったのは、彼女の目だった。
何かを考え込んでいるような、どこか落ち着かない表情。
「ミャール?」
「え?」
「いや……」
俺は先ほどの手合わせを思い返した。
やはり、おかしい。
技術は上がっている。
剣筋も鋭くなっている。
それなのに、どこか迷いがある。
「何かあったのか?」
「……」
ミャールは一瞬、何かを言おうとした。
だが、結局は口を閉ざしてしまう。
その様子を見て、俺はそれ以上問い詰めるのをやめた。
話したくないことだってあるだろう。
今は無理に聞き出すより、彼女が話してくれるのを待った方がいいのかもしれない。
そう考えていた、その時だった。
「おい!」
稽古場の向こうから、荒々しい声が響いた。
俺たちは一斉にそちらを振り返る。
そこには、大剣を手にした大柄な男が立っていた。
筋骨隆々とした身体に、いかにも歴戦の剣士といった風貌。
その男の前には、一人の青年が立っていた。
黒髪の毛先が赤く染まった、俺とそう変わらない年齢に見える男性だ。
引き締まった身体つきからは、剣士として鍛えられていることが窺える。
だが、その表情には自信が感じられなかった。
肩を落とし、男の視線を正面から受け止めることもできずにいる。
彼の名は、風羅。
剛剣の息子である。
どうやら、先ほどまであの大剣使いと手合わせをしていたらしい。
そして、その結果は――風羅の敗北だったようだ。
大剣使いは苛立った様子で、手にしていた木剣を地面へ叩きつけた。
「剛剣の息子の実力が、こんなものか?」
「……」
風羅は何も答えなかった。
ただ、唇を引き結び、俯いている。
それが気に入らなかったのか、男はさらに声を荒らげた。
「俺は三ヶ月も剛剣の稽古を受けたんだぞ!」
稽古場に怒声が響き渡る。
「三ヶ月間、毎日毎日、あの人に食らいついた! それでも弟子にはしてもらえなかった!」
男は拳を握り締めた。
「なのに、なんでお前みたいな奴が他の剣聖の弟子なんだ?」
「……」
「剛剣の息子のくせに!」
その言葉に、風羅の肩がわずかに震えた。
「親父が剛剣だからって、お前まで強いとは限らねえんだなぁ!」
男は嘲るように笑った。
「親の七光りで弟子になれたのか? それとも、剛剣の息子ってだけで周りが気を遣ってくれてんのか?」
「……っ」
風羅の手が、わずかに強く握り締められる。
それでも、彼は反論しなかった。
怒りを露わにすることも、相手を睨み返すこともない。
ただ、すべてを受け入れるかのように俯いていた。
「……すまない」
やがて、風羅が小さく呟いた。
「俺の力不足だ」
「はっ。分かってるじゃねえか!」
男は満足したように鼻を鳴らした。
その光景を見て、俺は思わず一歩踏み出しかけた。
勝負に負けたことを理由に、そこまで言う必要があるのか。
相手が反論しないからといって、何を言ってもいいわけではないだろう。
そう思った、その時だった。
「――その辺にしたらどうですか?」
凛とした声が、稽古場に響き渡った。
俺たちは声のした方へ視線を向ける。
そこに立っていたのは、シャニーナだった。
彼女は木剣を片手に持ち、静かな足取りで男へと近づいていく。
いつもの明るい表情とは違う。
その顔には、はっきりとした不快感が浮かんでいた。
「……なんだ、お前?」
大剣使いが不機嫌そうに睨みつける。
しかし、シャニーナは怯むことなく、その視線を正面から受け止めた。
「風羅さんに勝ったからといって、随分と偉そうではないですか」
「何だと?」
「勝負に勝ったのなら、それで十分でしょう。わざわざ相手を侮辱する必要が、どこにあるんです?」
「こいつは剛剣の息子だぞ! そのくせ、俺に負けたんだ!」
「ええ。先ほどの手合わせは、あなたの勝ちだったのでしょうね」
シャニーナはあっさりと認めた。
だが、その瞳は少しも揺らがない。
「けれど、それと風羅さんを侮辱していいかどうかは、別の話です」
「てめえ……!」
男の顔が険しくなる。
それでも、シャニーナは一歩も退かなかった。
「それに、あなたは三ヶ月も剛剣様に稽古をつけてもらったのでしょう?」
「だったら何だ!」
「だったら――」
シャニーナは木剣を軽く持ち上げた。
その仕草は優雅でありながら、どこか隙がない。
「その三ヶ月で何を学んだのか、私が見てあげます」
「……お前が?」
「ええ」
彼女は静かに微笑んだ。
「私も最近、剛剣様の弟子になったばかりですから」
その一言に、周囲がざわめいた。
「剛剣の弟子だと?」
「シャニーナ副団長が、剛剣に弟子入りしたのか……?」
驚きの声があちこちから上がる。
シャニーナはブレーベル王国騎士団の副団長を務める女性だ。
その立場にふさわしい実力を持つ彼女が、さらに剛剣のもとで剣を学び始めたという話は、周囲にとっても驚くべきことなのだろう。
だが、彼女は周囲の反応を気にする様子もなく、木剣を構えた。
まだ剣聖の称号を持つわけではない。
剛剣の弟子になったのも、つい最近のことだ。
それでも、今の彼女には退く理由などなかった。
目の前で、一人の剣士が敗北を理由に侮辱されている。
勝者が敗者を見下し、己の鬱憤を晴らすために言葉を浴びせている。
騎士として、そんな振る舞いを見過ごすことはできなかった。
「だから――」
シャニーナは男を真っすぐに見据えた。
「私と打ち合いましょう」
その言葉に、稽古場の空気が一変した。
誰もが二人の様子を窺い、静まり返る。
シャニーナは剣先をわずかに下げたまま、男の返答を待っていた。
それは、相手を威圧するためだけの構えではない。
自分の言葉と行動に責任を持ち、騎士として正面から相手に向き合うという意思表示にも見えた。
俺はその背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
勝負の行方も気になる。
だが、それ以上に気になったのは――。
シャニーナの言葉を受けた風羅が、ほんのわずかに顔を上げたことだった。
彼の瞳には、驚きと戸惑いが浮かんでいた。
自分のために、誰かが前へ出てくれた。
それが、彼にとってどれほど意外なことだったのだろう。
風羅は何も言わなかった。
それでも、その視線は初めて、目の前の光景を真っすぐに捉えていた。
そして――。
シャニーナと大剣使いの男が、互いに向かい合う。
次の瞬間、稽古場に張り詰めた空気が満ちた。




