53.炎剣の本領
「それじゃあ、始めるぞ! 準備はいいか、二人とも?」
輪天が審判役として、俺と紅蓮の間に立つ。俺は木剣を構え、目の前の紅蓮を見据えた。
鮮やかな赤髪は毛先に向かうにつれてピンク色へと変わり、彼女が動くたびに艶やかに揺れている。余裕のある笑みを浮かべる姿からは、これから二十本もの勝負をするという気負いがまるで感じられない。
「ええ、いつでもよろしくてよ」
紅蓮は優雅に木剣を構えた。
「俺も大丈夫です」
「よし! それじゃあ――始め!」
輪天の声が響いた瞬間、紅蓮が動いた。
「はあっ!」
踏み込みと同時に、鋭い一撃が迫る。
「っ!」
俺は木剣を斜めに構え、紅蓮の攻撃を受け流した。
――重い!
木剣越しに伝わる衝撃に、思わず腕が痺れそうになる。輪天の攻撃も十分に重かったが、紅蓮の一撃はそれを上回っていた。まともに受け止めれば、体勢を崩されるどころか、そのまま押し切られかねない。
俺はすぐに後ろへ飛び退き、距離を取った。
「ふふっ、いい反応ね。でも、逃げてばかりでは勝てなくてよ?」
「分かってますよ!」
俺は紅蓮の動きを観察する。
力は輪天以上。だが、速さそのものは輪天に及ばない。攻撃の軌道も比較的素直で、こちらの反応が間に合わないほどではなかった。
なら、序盤は十分に対応できる。
そう判断した俺は、紅蓮の攻撃を受け流しながら隙を探った。
そして、紅蓮が大きく振り抜いた一撃を紙一重でかわした瞬間、懐へ踏み込む。
「そこだ!」
木剣を振り抜き、紅蓮の胴へと寸前で止めた。
「一本!」
輪天の声が響く。
「おおっ! やるじゃないか、ショウヤ!」
輪天が楽しそうに笑った。
「紅蓮の一撃をかわして、その隙に懐へ飛び込むとはな。いい判断だぜ!」
「ふふっ。なるほど、そう来るのね」
紅蓮は自分の胴に止められた木剣を見下ろし、満足そうに微笑んだ。
「今のは見事だったわ。けれど、次も同じようにいくとは思わないことね?」
「もちろんです」
俺は再び木剣を構え直す。
こうして、紅蓮との二十本勝負が始まった。
***
一本目を取った後も、俺は紅蓮の攻撃に食らいついていった。
輪天ほどの速度はない。そのおかげで、相手の動きを見極め、攻撃を捌く余裕はある。
ただし、ひとたび攻撃を受け止めれば、腕に凄まじい衝撃が走る。受け流す角度を少しでも間違えれば、体勢を崩されてしまう。攻撃の重さを警戒しながら、隙を見つけては反撃する。
時には紅蓮の踏み込みを誘い、時にはこちらから攻め込むことで、一本ずつ勝負を重ねていった。
そして、十本目の攻防が終わった。
「そこまで!」
輪天の声とともに、俺たちは互いに距離を取る。
「ふう……」
俺は一度、深く息を吐いた。
ここまでの結果は、紅蓮が六本、俺が四本。輪天との十本勝負と、まったく同じ結果だった。
(よかった……。少なくとも、序盤はちゃんと戦えている)
相手が炎剣の紅蓮であっても、これまで六剣聖から学んできたことは通用している。
そう思うと、少しだけ安心できた。
だが――。
「ははっ、なかなかいい勝負になってるじゃないか!」
輪天が笑いながら、俺たちを見比べた。
「ショウヤもよくやってるし、紅蓮も楽しそうだな」
「ええ、とても楽しいわ」
紅蓮は笑みを浮かべたまま、木剣を構え直した。
「でも、そろそろ本気を出してもよさそうね」
「……え?」
思わず声が漏れた。今までの十本でも、十分に強かったはずだ。それなのに、まだ本気ではなかったというのか。
俺が戸惑っていると、輪天がにやりと笑った。
「まあ、見てなって。あいつ、ここからが面白いんだからよ」
その言葉の意味を、俺はすぐに思い知ることになった。
***
「それじゃあ、十一本目――始め!」
輪天の合図と同時に、紅蓮が踏み込んだ。
「はああっ!」
「っ!?」
先ほどまでとは明らかに違う。踏み込みが鋭くなり、木剣が迫る速度も上がっている。
俺は咄嗟に受け流そうとしたが、衝撃を逃がしきれず、足が大きく後退した。
「くっ……!」
追撃が迫る。俺は木剣を立て直し、どうにか二撃目を防いだ。
だが、そこからさらに攻撃が続く。重い。速い。そして、攻撃が途切れない。
これまでは紅蓮の攻撃を見極め、受け流した後に反撃する余裕があった。しかし、今は違う。一撃を防ぐだけで精一杯だった。
「どうしたの? さっきまでは、もっといい動きをしていたでしょう?」
紅蓮は楽しそうに笑いながら、さらに踏み込んでくる。
「まさか、もう終わりではないわよね?」
「……っ、まだまだ!」
俺は歯を食いしばり、迫る木剣を受け流した。攻撃の重さだけではない。紅蓮は身体の使い方そのものを変えていた。
踏み込みの力を余すことなく攻撃へと伝え、振り抜いた木剣を素早く次の攻撃へとつなげている。
一撃ごとの威力を高めながら、動きに無駄がない。
そのうえ、こちらが反撃へ移ろうとする瞬間を見極め、次の攻撃を重ねてくる。
(これが……炎剣の本領か!)
輪天が言っていた意味が、ようやく理解できた。俺が最初に見ていたのは、紅蓮の実力の一部にすぎなかったのだ。
十一本目は紅蓮が取った。
続く十二本目も、十三本目も、俺は防戦を強いられた。何とか攻撃を捌き、反撃の機会を探すものの、紅蓮は簡単には隙を見せない。
それでも、俺は諦めなかった。
教わった技術を一つずつ思い出し、相手の動きに食らいつく。
そして、十五本目。
紅蓮の攻撃を受け流した俺は、わずかに開いた隙を逃さず、木剣を突き出した。
「一本!」
「よしっ……!」
思わず声が漏れた。ようやく、この流れの中で一本を取ることができた。
「ふふっ、いいじゃない!」
紅蓮が嬉しそうに笑う。
「追い詰められても、ちゃんと隙を見つけてくるのね。ますます気に入ったわ!」
「そりゃどうも……!」
返事をする余裕は、ほとんどなかった。息が少しずつ乱れ始めている。腕も重い。
それでも、まだ勝負は続く。
十六本目、十七本目、十八本目。
俺は必死に食らいついたが、紅蓮の攻勢を覆すことはできなかった。
十八本目が終わった時点で、結果は紅蓮が十三本、俺が五本。
序盤の四本から一本を追加できたものの、そこからはほとんど一方的に押し切られていた。
「はあっ……はあっ……!」
俺は木剣を構えたまま、必死に呼吸を整えようとした。だが、息がなかなか落ち着かない。身体が重く、足にも疲労が溜まっていた。
対する紅蓮は、汗こそかいているものの、まだ余裕のある表情を浮かべている。
(嘘だろ……。あれだけ動いて、まだそんな余裕があるのかよ……)
圧倒的なパワー。そして、それを支える底なしとも思える体力。
紅蓮の本当の強みは、単に一撃が重いことだけではなかった。
全力に近い攻撃を何度も繰り返しながら、最後まで動きの質を落とさない。長期戦になればなるほど、相手を追い詰めていく。
まさに、炎のように勢いを増していく剣だった。
「大丈夫か、ショウヤ?」
輪天が声をかけてくる。
「……まだ、いけます」
「ははっ、そうか! なら、最後までやり切ってこい!」
輪天は俺の返事を聞くと、頼もしげに笑った。
「ただし、無茶だけはするなよ。勝負は最後まで楽しんでこそだからな!」
「……はい!」
俺は一度、深く息を吸い込んだ。
残るは、あと二本。
ここまで来たのなら、最後まで食らいついてみせる。
***
「十九本目、始め!」
輪天の合図が響く。俺は木剣を構え、紅蓮の動きを見極めようとした。
だが、身体が思うように動かない。
踏み込もうとしても足が重く、木剣を振るう腕にも力が入りきらない。紅蓮はそんな俺の様子を見て、わずかに目を細めた。
「そろそろ限界かしら?」
「……まだです!」
俺は自分を奮い立たせ、紅蓮の攻撃を迎え撃った。重い一撃を受け流す。
続く攻撃を、木剣を滑らせるようにして逸らす。
それでも、紅蓮の攻勢は止まらない。
「いいわね。その意地、嫌いじゃないわ!」
紅蓮が踏み込み、木剣を振り抜いた。
俺は何とか防ごうとしたが、衝撃を受け止めきれず、体勢が崩れる。
その隙を逃さず、紅蓮の木剣が俺の胴へと迫った。しかし────
「一本!」
十九本目は紅蓮の勝利。
これで紅蓮が十四本、俺が五本となった。
「はあっ……はあっ……!」
俺は肩で息をしながら、木剣を握り直した。
もう、身体は限界に近い。腕は痺れ、足には力が入りにくくなっている。
対する紅蓮は、先ほどと同じように木剣を構えていた。汗は浮かんでいるが、息切れしている様子はない。
(……本当に、とんでもない人だな)
思わず苦笑してしまう。
だが、不思議と悔しさだけではなかった。
ここまで圧倒されているのに、まだ最後の一本を取りたいと思っている。
この人の剣を、もっと見ていたい。
そして、できることなら――もう一度、食らいつきたい。
「ショウヤ」
紅蓮が俺を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「最後の一本よ。悔いのないように、思いきりいらっしゃい」
「……はい!」
俺は木剣を構え直した。
残るは、最後の一本。
たとえ勝敗が決まっていても、最後まで諦めるつもりはなかった。
***
「二十本目――始め!」
輪天の声が響いた瞬間、俺は地面を蹴った。
最初から、守りに徹するつもりはなかった。
身体は限界に近い。
紅蓮の攻撃を受け続ければ、また押し切られるだろう。なら、最後は自分から仕掛けるしかない。
「はああっ!」
俺は木剣を振り抜いた。
紅蓮はそれを受け止め、すぐさま反撃へと移る。
重い一撃が迫る。
俺は木剣を斜めに傾け、力を受け流した。腕に衝撃が走る。足がふらつく。
それでも、踏みとどまった。
続く攻撃を捌き、身体をひねってかわす。
紅蓮の木剣が俺の脇を通り過ぎた。
今だ。
俺は残った力を振り絞り、一歩踏み込んだ。紅蓮の懐へ。
逃げるのではなく、攻撃を受ける覚悟で間合いを詰める。
「っ!」
紅蓮の目が見開かれた。
至近距離では、大きく木剣を振るうことはできない。
俺はその一瞬を逃さず、木剣を突き出した。
そして――。
「一本!」
輪天の声が、稽古場に響き渡った。
俺の木剣は、紅蓮の胴の寸前で止まっていた。
「……っ、はあ……!」
俺はそのまま膝をつきそうになるのを、どうにか堪えた。
最後の一本を取れた。
それだけで、今は十分だった。
「勝負あり! 結果は紅蓮が十四本、ショウヤが六本だ!」
輪天が声を張り上げた。
「いやあ、最後の一本はよかったぜ、ショウヤ! あの状態で懐に飛び込むとはな!」
輪天は豪快に笑い、俺の肩を叩いた。
「最後まで諦めないのはいいことだ。お前らしい勝負だったじゃないか!」
「……ありがとうございます」
俺は息を整えながら、何とか返事をした。
すると、目の前の紅蓮がふっと笑みをこぼした。
「本当に、面白い子ね」
「え?」
「最後の一本。あの状況で、逃げるのではなく懐に飛び込んでくるなんて。おかげで、最後まで気が抜けなかったわ」
紅蓮は木剣を下ろし、俺に手を差し出した。
「あなたのこと、すっかり気に入ってしまったわ。これからも時間があるときは、手合わせしましょう?」
「……俺でよければ、ぜひお願いします」
俺はその手を取った。
紅蓮は嬉しそうに笑う。
「ふふっ、約束よ? 次はもっと楽しませてちょうだいね」
「……善処します」
「まあ、ずいぶん控えめな返事ね。もっと自信を持ってもいいのよ?」
「その前に、もう少し体力をつけないといけませんから……」
俺が苦笑すると、紅蓮は楽しそうに声を上げて笑った。
「それもそうね。次に会うときは、もっと長く付き合ってもらうつもりだから、覚悟しておいてちょうだい?」
「ははっ、そりゃあ大変だな!」
輪天が横から口を挟む。
「ショウヤ、次はもうちょい体力をつけておいたほうがいいぜ。紅蓮の相手をするなら、そこが大事だからな」
「……やっぱり、そうなりますか」
「そりゃそうだろ。あいつ、ああ見えて体力も化け物じみてるからな。まともに付き合ってたら、先にこっちがへばっちまうぞ」
「輪天、聞こえているわよ?」
紅蓮がにこりと笑いながら、輪天を見た。
「おっと、悪い悪い。まあ、嘘は言ってないだろ?」
「ふふっ。ええ、もちろん。次もたっぷりお相手してあげるわ」
「……お手柔らかにお願いします」
俺が苦笑すると、輪天はまた楽しそうに笑った。
「ははっ! そいつは無理な相談だな。紅蓮に気に入られたんだ、覚悟しとけよ、ショウヤ!」
「輪天、あなたも他人事みたいに言っていないで、また相手をしてあげてちょうだい?」
「おいおい、俺まで巻き込むのかよ!」
そんなやり取りに、俺も思わず笑ってしまった。紅蓮との勝負は、結果だけを見れば大敗だった。
それでも、得られたものは大きい。
自分に足りないもの。そして、これから目指すべき強さ。それを、また一つ知ることができた。
「よし! 今日はここまでにしようぜ。ショウヤ、まずは休んで体力を戻しな。次の稽古は、それからだ!」
「はい。ありがとうございました、輪天さん、紅蓮さん」
俺は二人に頭を下げた。
輪天は兄貴分らしい笑顔で頷き、紅蓮は優雅に微笑み返してくれた。
これからも、彼女とは手合わせをすることになるだろう。
次に戦うときには、今日よりも一本でも多く取れるように。
俺は、そう心に決めた。




