55. シャニーナの一本勝負
シャニーナと大剣使いの男。
二人は稽古場の中央で向かい合っていた。
男が手にしているのは、普通の木剣ではない。
大剣を模した、幅も厚みもある木剣だ。重量も相応にあり、並の剣士なら両手で持ち上げるだけでも苦労するだろう。
しかし、男はそれを軽々と構え、シャニーナを睨みつけていた。
「……後悔するなよ」
「そちらこそ」
シャニーナは落ち着いた様子で木剣を構える。
その姿には、先ほどまでの明るさはない。
ブレーベル王国騎士団の副団長として、そして一人の剣士として、目の前の相手と正面から向き合う覚悟が感じられた。
「双方、準備はいいな?」
立会人が二人を見比べる。
男が頷き、シャニーナも静かに頷いた。
「それでは――始め!」
合図と同時に、男が踏み込んだ。
「おおおおっ!」
大剣型の木剣が、唸りを上げて振り下ろされる。
速い。
その巨体と武器の重量からは想像できないほどの速度だった。
まともに受ければ、ただでは済まない。
そう判断した俺が身構えた、その瞬間。
シャニーナは退かなかった。
両手で木剣を握り、正面から受け止めたのだ。
――ゴォンッ!!
稽古場に、普通の木剣同士では聞かないような激しい衝突音が響き渡った。
「っ……!」
シャニーナの身体がわずかに沈む。
足元の地面が軋み、衝撃が彼女の全身を駆け抜けた。
だが――倒れない。
彼女は両足を踏ん張り、男の一撃を受け止めていた。
「なにっ!?」
男の目が見開かれる。
自分の一撃を、真正面から受け止められるとは思っていなかったのだろう。
そのまま押し切ろうと、男はさらに腕へ力を込めた。
「おおおおっ!」
大剣型の木剣が、シャニーナを押し潰そうと迫る。
しかし、彼女は表情一つ変えなかった。
「……なるほど」
シャニーナは小さく呟くと、木剣をわずかに傾けた。
次の瞬間、男の剣が横へ滑る。
「なっ!?」
押し込んでいたはずの力が行き場を失い、男の身体がわずかに傾いた。
その隙を見逃さず、シャニーナが一歩踏み込む。
だが、男もすぐに体勢を立て直し、木剣を振り戻した。
「くっ!」
今度は横薙ぎ。
シャニーナは木剣を構え直し、その一撃を受け止める。
――ゴォンッ!!
再び、激しい衝突音が響いた。
シャニーナの足が地面をわずかに滑る。
それでも、彼女は倒れなかった。
木剣を傾け、相手の力を受け流す。
男の身体が前へ流れた瞬間、シャニーナは素早く木剣を振り込んだ。
狙いは胴。
「ちっ!」
男は間一髪で身体を引き、攻撃をかわした。
二人はそのまま距離を取る。
「やるじゃねえか!」
「そちらも!」
シャニーナは木剣を構え直した。
対する男も、大剣型の木剣を両手で握り締める。
互いの視線が交差した。
その様子を見ながら、俺は思わず息を呑んだ。
凄まじい膂力だ。
あれだけの重量がある木剣を、まるで自分の身体の一部であるかのように振り回している。
しかも、ただ重い一撃を放っているだけではない。
振り下ろしから横薙ぎへ、横薙ぎから振り戻しへと、次の攻撃へ繋げるだけの身体能力も備えている。
まともに受け続ければ、いずれ押し切られるだろう。
そう考えた俺だったが、隣から感心したような声が聞こえてきた。
「へえ……」
雷漢さんが腕を組み、二人の打ち合いを眺めていた。
「なかなかの力だな。あの大剣をあそこまで扱えるとは」
「ええ。あの膂力は本物ですね」
俺も頷く。
だが、雷漢さんはそこで言葉を切り、シャニーナへ視線を向けた。
「……それにしても、あいつも大したもんだ」
「シャニーナが、ですか?」
「ああ」
雷漢さんは口元を緩めた。
「普通なら、あんな一撃を正面から受け止めるなんて考えもしねえ。だが、あいつは受け止めたうえで、相手の力を流している」
俺は改めてシャニーナを見つめた。
確かに、彼女は真正面から受け止めていた。
最初の一撃で身体が沈んだのは、衝撃を受けたからだろう。
しかし、押し切られなかった。
あの一撃を受け止められるだけの腕力があり、なおかつ相手の力を逃がす技術も持っている。
それは、並大抵のことではない。
俺がそんなことを考えていると、男が再び動いた。
「逃げてばっかりじゃねえか!」
叫びながら、大剣型の木剣を横薙ぎに振るう。
シャニーナは身体を低くしてかわした。
頭上を大剣型の木剣が通り過ぎる。
男は勢いを殺さず、そのまま身体を回転させた。
「おおおおっ!」
今度は斜め上からの振り下ろし。
シャニーナは木剣を掲げて受け止めた。
――ゴォンッ!!
凄まじい衝撃が走る。
シャニーナの身体が後方へ押された。
しかし、彼女はその力に逆らわず、後ろへ跳んで衝撃を逃がす。
軽やかに着地すると、すぐさま木剣を構え直した。
男は荒い呼吸を繰り返していた。
それでも、まだ力は衰えていない。
一方のシャニーナも、息を整えながら相手を見据えている。
まだ余裕があるように見えた。
「……どうやら、力だけは本物だな」
雷漢さんが呟く。
「ですが、シャニーナも簡単には崩れませんね」
「だな。あの女、見た目に似合わず相当なもんだぜ」
その言葉を聞きながら、俺は先ほどの衝突を思い返した。
シャニーナは、男の一撃を受け止めていた。
しかも、ただ耐えただけではない。
相手の剣を弾き、体勢を崩し、反撃に繋げていた。
腕力と技術。
その両方を兼ね備えているからこそ、あの大剣を相手に互角以上の立ち回りができるのだろう。
そして、それは男にも伝わっているようだった。
「……ちっ」
男は舌打ちし、木剣を構え直した。
その顔には、苛立ちが浮かんでいる。
自分の最大の武器である膂力。
それを正面から受け止められたことが、よほど気に入らないのだろう。
「いつまでも余裕ぶってんじゃねえぞ!」
「余裕があるように見えますか?」
シャニーナは落ち着いた声で問い返した。
「あなたの一撃は、確かに重いです。受け方を誤れば、こちらも簡単には立て直せないでしょうね」
「だったら――!」
「ですが」
シャニーナは木剣を握り直した。
「重い一撃を放てることと、それだけで勝てることは違います」
「てめえ……!」
男の顔が歪む。
そして、彼は大剣型の木剣を肩に担ぐように構えた。
「今度こそ終わりだ!」
次の瞬間、男が地面を蹴った。
これまで以上の勢いでシャニーナへと迫る。
「おおおおおおっ!」
大剣型の木剣が最上段まで振り上げられた。
全身の力を込めた一撃。
それを振り下ろし、シャニーナごと押し切るつもりなのだろう。
「もらった!」
男が叫ぶ。
そして――木剣が振り下ろされた。
その瞬間。
シャニーナの身体が横へ動いた。
「なっ――!」
大剣型の木剣が空を切る。
シャニーナはその軌道から外れるように身をかわすと、男の懐へ滑り込んだ。
狙ったのは、男の身体ではない。
――大剣型の木剣、その背だった。
ガンッ!!
横から打ち込まれた衝撃によって、男の木剣の軌道がわずかに変わる。
振り下ろされた勢いは止まらない。
大剣型の木剣が地面へ叩きつけられた。
「ぐっ!」
男が体勢を立て直そうとする。
しかし、その前にシャニーナが動いた。
彼女は自分の木剣を男の木剣へと押し当て、地面に押さえ込む。
「な、に……!」
男はすぐさま木剣を持ち上げようとした。
だが――上がらない。
「……っ!?」
男の顔に戸惑いが浮かぶ。
相手の剣を地面に押さえ込むこと自体は、珍しい技術ではない。
だが、問題はその後だった。
男は腕に力を込め、全身を使って木剣を持ち上げようとする。
それなのに、シャニーナの木剣は微動だにしなかった。
「くっ……!」
男が歯を食いしばる。
両腕の筋肉が盛り上がり、肩が震える。
「ぐ……おおおおおおっ!」
雄叫びを上げ、さらに力を込める。
それでも――。
持ち上がらない。
「な……に……?」
男の顔から、徐々に血の気が引いていった。
シャニーナは黙ったまま、木剣を押さえ続けている。
その表情には、焦りも苦しさも見られなかった。
ただ、相手の動きを見極めている。
男がどれほど力を込めようとも、彼女の木剣は揺るがない。
やがて、シャニーナはわずかに重心を移動させた。
そして、押さえ込んでいた木剣の向きを変える。
「――そこまでです」
気がつけば、シャニーナの木剣の先端が男の首元へ寸止めで添えられていた。
「……」
男は動きを止めた。
ほんの一瞬前まで、自分の力で押し切れると信じていたはずだった。
だが、その力は最後まで彼女に届かなかった。
「勝負あり!」
立会人の声が稽古場に響いた。
シャニーナは木剣を下ろし、一歩退く。
「ありがとうございました」
その声は、驚くほど穏やかだった。
対する男は、何も答えなかった。
ただ、その場に膝をつき、地面に押さえ込まれていた木剣を見つめている。
「……俺の……力が……」
呟くような声だった。
自分の最大の武器。
誰にも負けないと信じていた膂力。
それを、目の前の女性に止められた。
その事実が、男の心に重くのしかかっているようだった。
しばらくして、雷漢さんが口を開いた。
「力だけじゃ勝てねえってことだ」
「……」
「剣は力だけで振るもんじゃねえ。技も磨いてこその剣だ」
雷漢さんは男を見下ろすことなく、淡々と続けた。
「お前の膂力は本物だった。そこは認めてやる。だが、相手も同じように力を持っていたらどうする? 力を受け流す技術を持っていたらどうする? それを考えずに力任せに振るだけじゃ、いずれ限界が来る」
男は何も言わなかった。
「シャニーナは、お前の力を正面から受け止められるだけの腕力を持っていた。そこに技術も加わったんだ。勝負が決まるのも当然だろうよ」
「……」
男は俯いたまま、自分の木剣を見つめていた。
その手が、わずかに震えている。
やがて男はゆっくりと立ち上がり、木剣を地面に置いた。
「……」
男は何も言わずに稽古場の出口へと歩き出した。
誰も呼び止めなかった。
俺はその背中を見送りながら、複雑な気持ちになっていた。
確かに、男の言動には問題があった。
風羅を侮辱し、勝負に勝ったことを理由に相手を見下した。
その振る舞いは、剣を学ぶ者として褒められたものではない。
だが、三ヶ月も剛剣のもとで稽古を積み、それでも弟子にはなれなかったという彼の悔しさまで、嘘だったわけではないのだろう。
強くなりたい。
認められたい。
その願いが叶わなかったからこそ、剛剣の息子でありながら他の剣聖の弟子になった風羅を見て、感情を抑えられなかったのかもしれない。
だからといって、他人を傷つけていい理由にはならない。
それでも、あの男がこの先どうするのかは、少し気になった。
そんなことを考えていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「……情けない」
小さな声だった。
振り返る。
そこには、風羅が立っていた。
彼は俯いたまま、拳を握り締めている。
「風羅?」
俺が声を掛けると、風羅はわずかに顔を上げた。
しかし、その目は俺を見ていなかった。
「俺も……」
風羅の声は震えていた。
「俺も、あの人と同じなのかもしれない」
「……どういうことだ?」
問い掛けても、風羅は答えなかった。
ただ、もう一度俯くと、そのまま稽古場の出口へと歩き出した。
「お、おい……」
近くにいた門下生が声を掛けようとする。
しかし、その前に雷漢さんが手を上げた。
「今は一人にさせてやれ」
「ですが……」
「自分の中で整理しなきゃならねえこともある。無理に聞き出したところで、答えが出るわけじゃねえよ」
雷漢さんの言葉に、門下生は足を止めた。
そして、雷漢さんは稽古場にいる皆を見渡す。
「お前らもだ。気になるのは分かるが、今はそっとしておいてやれ」
誰も風羅を追わなかった。
俺も、その場に残った。
けれど――どうしても気になって、稽古場の入り口へと視線を向ける。
そこには、剛剣さんが立っていた。
いつもの豪快な姿とは違う。
腕を組んだまま、風羅が去っていった方向を見つめている。
その表情は、浮かなかった。
声を掛けるべきか迷っているようにも、何かを考え込んでいるようにも見える。
そして、俺はその隣にいる人物に気づいた。
ミャールだった。
彼女もまた、少し落ち込んだように俯いている。
「……」
俺は二人を見つめた。
やはり、何かがおかしい。
風羅だけじゃない。
ミャールにも、何かがある。
今日の手合わせで感じた、あのわずかな迷い。
そして、今の表情。
偶然だと片付けるには、どうにも引っ掛かるものがあった。
俺は剛剣さんとミャールを見つめながら、胸の中に残る違和感を拭えずにいた。




