30.獣導師の獣誘い
俺たちは、グラトニーゴートを発見した場所へ向かった。
そこでは、グラトニーゴートが近くに生えている草をのんびりと食べていた。 キャリメラは身を屈めながら、刺激しないよう慎重に近付いていく。俺は万が一に備え、少し距離を取って二人の様子を見守ることにした。
「じゃあ、やるね」
「分かった。何かあったら、すぐに動く」
キャリメラは小さく頷いた。 そして茂みの外へ出ようとした、その瞬間――笛を取り出し、ゆっくりと息を吹き込んだ。
ヒュー、ヒュールル──
その音に反応し、グラトニーゴートの耳がピクッと動いた。 そして、ゆっくりと顔を上げ、キャリメラの方へ視線を向ける。
だが、キャリメラは笛を吹くのを止めなかった。
その音色は、普段聞くものよりも小さく、そしてゆっくりとしていた。
森の静けさを壊さないような、穏やかな旋律だった。
グラトニーゴートは警戒する様子もなく、ただじっとキャリメラを見つめている。
キャリメラはグラトニーゴートが自分を見ていることを確認すると、笛を吹きながらゆっくりと歩き出した。
すると――
グラトニーゴートも、ゆっくりとその後ろを追い始めた。
「……本当に、ついていってる」
俺は思わず呟いた。
驚かせることもない。
力で従わせることもない。
ただ、笛を吹きながら歩いているだけ。
それだけで、あの巨大な獣がキャリメラについていく。
(これが……獣導師なのか)
俺は改めて、キャリメラの凄さを実感した。
剣なら、俺にも扱える。
魔物が襲ってくれば、剣を抜いて戦うこともできる。
だが、目の前にいる獣を傷つけることなく、自分の意思で導いていく。
それは、俺にはできないことだった。
キャリメラはそのまま、森の中を進んでいく。 彼女が向かっているのは、先ほど話していた森の奥だった。
俺とグラスは少し距離を空けながら、その後を追っていった。
* * *
俺たちはキャリメラたちについていきながら、さらに森の奥へと進んでいく。
やがてキャリメラが森の奥への入り口に差しかかると、そこで歩みを止めた。
すると、グラトニーゴートも足を止める。
その先に広がっていたのは、辺り一面を覆う毒草だった。 触れるだけでも危険なものや、強い毒を持つものまでいくつか確認できる。
普通の獣なら、近付くことさえ避けるような場所だ。
キャリメラは笛を吹くのを止めると、ゆっくりと振り返った。
そしてグラトニーゴートのもとへ歩み寄り、その巨体を見上げる。
「ここなら、あなたが食べるものには困らないはずよ」
そう言って、キャリメラはグラトニーゴートの体をそっと撫でた。
「ここで、静かに暮らしてね」
「メェーー」
グラトニーゴートは、どこか安心したような鳴き声を上げた。
そして一歩、森の奥へと踏み出す。
その直後――
目の前に生えていた毒草を、豪快に口へ運んだ。
「……食べた」
俺は思わず呟く。
グラトニーゴートは、まるで道を塞ぐ邪魔な草を食べているかのように、ムシャムシャと毒草を食べながら森の奥へ進んでいく。
普通の獣なら命を落としかねない毒草だというのに、グラトニーゴートはまったく気にする様子がない。
むしろ、嬉しそうに食べているようにすら見えた。
やがて目の前の毒草を食べ終えると、グラトニーゴートは突然駆け出した。
木々の隙間から差し込む光を浴びながら、巨体が森の奥へと消えていく。
そして――その姿が見えなくなった。
俺は森の奥を見つめたまま、隣にいるキャリメラへ声をかける。
「終わった……のか?」
「うん。あの子はもう大丈夫」
「そうか」
キャリメラは小さく頷いた。
その表情には、少しだけ寂しさが浮かんでいる。 だが、それ以上に嬉しそうな笑顔を浮かべながら、グラトニーゴートが消えていった森の奥を見つめていた。
俺も何も見えなくなった森の奥へ視線を向ける。
ここなら、きっと安心して暮らせるだろう。
「ところで、今回の旋律……いつもと違って、ゆっくりしていたけど、あれは何だったんだ?」
「あれは『獣誘いの曲』だよ」
「獣誘いの曲?」
「うん。仲間以外の動物たちを、自分のところへ誘導するときに使う曲なの」
キャリメラは説明しながら、先ほどまで吹いていた笛を手に取った。
「ただ、大きな音で吹いちゃうと、鉱角鹿にも聞こえてしまうかもしれないでしょ? だから、今回はいつもより小さく吹いたの」
「なるほど」
「上手くいって良かった」
キャリメラはホッとしたように笑った。
「よし、あとは鉱角鹿を山岳地帯に呼び戻すだけ。早く戻ろう」
「ああ」
そして俺たちは、再び山岳地帯へと戻ることにした。
──────
山岳地帯へ戻ると、キャリメラは再び笛を取り出した。
そして先ほどと同じように、『獣誘いの曲』を静かに吹き始める。
しばらくすると――
一頭。
また一頭。
森の奥から鉱角鹿たちが姿を現し、キャリメラのもとへ集まってきた。
そして五頭目が姿を見せたところで、キャリメラは笛を吹くのを止めた。
「もう大丈夫」
キャリメラは鉱角鹿たちを見つめながら、優しく語りかける。
「ここなら、人は近付かないだろうから。安心して暮らしてね」
そして、少しだけ寂しそうに笑った。
「じゃあ、バイバイ」
「「「「「キュイー」」」」」
キャリメラが手を振って離れていくと、鉱角鹿たちはまるで別れを惜しむかのように、一斉に鳴いた。
俺たちはその声を背中で聞きながら、鉱角鹿たちから離れていく。
そして、村へ戻ることにした。
無事にクエストを終えたことを実感したのか、キャリメラは大きく腕を上へ伸ばした。
「よしっ! クエスト達成ぃぃ!」
「お疲れ。よく頑張ったね」
「ワンッ!」
「ありがとう、グラスも。どう? 凄かったでしょ?」
「ああ、凄かったよ」
俺は素直に答える。
「俺は剣を使うことくらいしか知らなかったけど……キャリメラは、さっきみたいに獣を傷つけることなく、ちゃんとクエストを終わらせた」
俺はキャリメラを見る。
「本当に凄いよ」
「ワンッ」
「えへへ……」
俺とグラスがそう答えると、キャリメラは照れたように頬を緩めた。
嬉しそうに笑うその姿を見ていると、さっきまで獣導師として堂々と振る舞っていた姿との違いが、なんだか微笑ましく感じられた。
「よし、じゃあ戻ろうか」
「うん。早くしないと、ルナたちが心配しちゃう」
「たしかにな」
そんな会話を交わしながら、俺たちは村へと戻っていった。




